考察:映画『チェンジリング』実話に基づく衝撃作とイーストウッド

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映画『チェンジリング』は、1920年代のロサンゼルスを舞台にした映画である。監督クリント・イーストウッド、主演アンジェリーナ・ジョリーの本作は、実際の事件「ワインヴィル鶏小屋事件(ゴードン・ノースコット事件)」と事件に関連する出来事と母の愛、1920年代の米国社会と問題点を描いた非常に印象深い映画である。

主人公クリスティーン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)の勇気ある闘いは、親子に襲い掛かった不条理と1920年代の米国社会、ロサンゼルス警察(警察権力)の腐敗という重要な社会的問題との闘いでもある。

個人の人生ドラマと個人の尊厳、自由を蔑ろにする権力への対決は、人間を深く愛しながら個人の良心と自由のために闘うクリント・イーストウッド映画の重要なテーマの一つだろう。

アンジェリーナ・ジョリーの演技も高く評価されており、母親の強さと悲しみを見事に表現する彼女の演技は、観る者に大きな感動と考察を与えている。 米国建国の理念に近いリバタリアン的な思想的背景を持つクリント・イーストウッド監督の名作『チェンジリング』について述べていこう。

映画『チェンジリング』概要

ここでは、映画タイトルの解説、監督クリント・イーストウッドの略歴、受賞歴及び映画『チェンジリング』の映画的評価について述べていこう。

映画タイトル『チェンジリング:changeling』が意味するもの

映画『チェンジリング』(changeling:取り替え子)は、ヨーロッパの民間伝承に由来するものと思われる。この伝承は欧州の特にアイルランド、スコットランド、スカンジナビア、ドイツに多く見らる。伝承では、人間の子供が妖精や悪魔、トロールなどの超自然的な存在に連れ去られ、代わりの子供に置き換えられる。

取り替えられた子供(取り替え子)は、病弱で、異常な行動や外見を持つことが多いとされる。この伝承は、障碍や病気、発達に問題を抱える子供を説明するために用いられたと考えられている。

取り替え子の物語は、障碍や病気などを抱えた子を持つ親の罪悪感や羞恥心を和らげ、親が感じる不幸の鎮痛剤的な役割を持つと思われる。

消えた自分の子が別の子になり帰って来る。母親は戻った子は自分の子ではないと主張する。しかし、事件の収拾を図る周囲の者達から貴方の子だと言われる。自分の子を判別できない母親はいない。映画『チェンンジリング』の母親は、真実のために闘い続ける。その真実とは別の子の登場により存在自体が消されかけた自分の子の「生」の証明だろう。

監督:クリント・イーストウッド

イーストウッドは、彼のキャリアを通じて、西部劇やアクション映画のジャンルにおいて顕著な影響を与え、多くの映画で主演・監督を務め、高い評価を受けている。

また、彼は政治活動にも関わり、共和党支持や第40代米国大統領ロナルド・レーガンの支持を公言した。

イースドウッドは、前述のとおり基本的に保守的で政治思想を持ち、自主自立、個人の自由、小さな政府を標榜する共和党を支持する立場を取るが、ドナルド・トランプ前大統領に対しては不支持を表明した。

イーストウッドは、1986年4月8日、カリフォルニア州の市域2.8キロ㎡の小さな町カーメル・バイ・ザ・シー(カーメル市)の市長に選出される。選挙戦では、市のアイスクリームコーンの販売や公共の場での消費を禁止する「アイスクリームコーン禁止」政策に反対する主張を行ったようだ。

イーストウッドはこのような主張と政策は、不合理な慣習による規制や国家や行政の個人への過度の介入を嫌い、自由と自己決定を重視する彼の政治思想を反映しているといえるだろう。

イーストウッドは、長年にわたりアメリカの映画界で俳優、監督、プロデューサーとして活躍すると同時に政治的な人物であり、映画『チェンジリング』は、そのような彼の監督作品の中でも特に評価が高い作品の一つである。

映画『チェンジリング』メディア・批評家からの評価

映画『チェンジリング』は批評家から一般的に高い評価を受けている。特にアンジェリーナ・ジョリーの控えめだが芯の強い母親の演技は絶賛され、彼女はこの役でアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされた。また、映画は演出、脚本、そして歴史的な正確さにおいても高く評価され、1920年代のロサンゼルスを巧みに再現した演出やアンジェリーナ・ジョリーをはじめとする俳優達の服装は、映画の雰囲気と説得力を高めている。

物語は複雑な実話に基づいている。主人公クリスティーン・コリンズに降りかかる幾重の不幸を基盤しつつ、普遍的な親の愛、社会風潮と問題、「正義」の追求、希望を持ち続ける勇気と孤独を語りかける。

総じて、映画『チェンジリング』は、その強力な物語、印象的な演技、そして巧妙な演出により、批評家からも観客からも高い評価を受けた映画だといえるだろう。

映画『チェンジリング』のあらすじ

映画の舞台は、1928年のロサンゼルス。シングルマザーのクリスティーン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)は、息子ウォルターと暮らしている。

ある日突然、彼女の息子ウォルターが行方不明にる。数ヶ月後、ロサンゼルス市警察は、ウォルターを見つけたと発表するが、クリスティーンは連れてこられた少年が自分の息子ではないと確信する。しかし、警察は彼女の主張を無視し、メディアは彼女の非難を始める。警察(行政)やメディア(社会)にとってクリスティーン・コリンズと息子ウォルターの事件は、解決済み事件なのだ。警察は抗議するクリスティーン・コリンズを精神科病院に強制入院させてしまう。

クリスティーンは息子の行方を追い続け、その過程で警察の腐敗や組織防衛と不正や精神科病院内で行われる治療と称する非人道的な行いと社会に根強く残る女性に対する偏見等と闘うことになる。彼女は(※)牧師ガスタフ・ブリグループ(ジョン・マルコヴィッチ)の支援を受け、真実を求める闘いを続け、その過程で、ワインヴィル鶏小屋事件(ゴードン・ノースコット事件)という恐ろしい連続児童誘拐・殺害事件が明らかになる。

(※)ガスタフ・アルミニウス・ブリーグレブは実在の人物である。彼はロサンゼルスのプレスビテリアン教会(長老派教会、プロテスタント)の牧師だった。1881年9月26日にニュージャージー州ジャージーシティハイツで生まれた彼は、幼少期から聖書の勉強と説教に強い関心を持っていたようだ。

警察の不正や腐敗に公然と反対する彼の姿は、ロサンゼルスの多くの市民に影響を与えた。また、キリスト教の日常生活におけるコミュニティでの役割を重視する彼は、さまざまな市民活動にも積極的に関わる。彼は1943年5月20日に亡くなるが、生涯を通じ誤解された人々や虐げられた人々の擁護者だった。

ワインヴィル鶏小屋事件(ゴードン・ノースコット事件)要約

ワインヴィル鶏小屋事件(外部リンク:Wikipediaゴードン・ノースコット事件)は、1928年から1930年にかけてカリフォルニア州ワインヴィル(現在のミラ・ロマ)で発生した連続児童誘拐・殺害事件である。犯人はゴードン・ノースコット(1906年11月9日生)とその母親サラ・ルイーズ・ノースコットだった。

ゴードン・ノースコットは、性的サディズムを持つシリアルキラーだった。彼は少年たちを誘拐し、彼らを自分の鶏小屋で虐待した後に殺害した。少年たち遺体は生石灰で溶かされ骨は付近の砂漠に投棄されたという。

その後、ゴードン・ノースコットは、3人の少年を殺害した容疑で裁判にかけられ、1929年に有罪判決を受け、1930年に絞首刑に処された。彼の手による実際の被害者少年の数は約20人だともいわれている。

ゴードン・ノースコットの証言から、クリスティーン・コリンズの息子ウォルターも犠牲者の一人だといわれているが、ウォルター遺体は発見されていない。

この事件は、ロサンゼルス警察の捜査の不手際と腐敗を浮き彫りにし、当時のメディアでも大きく取り上げられたようだ。映画『チェンジリング』は、この実際の事件と子の無事と帰宅を心から願うクリスティーン・コリンズの闘いと悲しみを描いた作品だともいえる。

映画『チェンジリング』に描かれる警察の不正と腐敗、およびそれらが行われた背景と事件当時の法律上の問題点

ここからは、映画『チェンジリング』に描かれる警察の不正と腐敗(賄賂、市民に対する暴力、虐待)、およびそれらが行われた背景と事件当時の法律上の問題点について整理していこう。

警察の不正と腐敗

1・誤認識の無視

クリスティーン・コリンズは、警察によって連れてこられた少年が自分の息子ウォルターではないと主張する。しかし、市民からの批判を恐れる警察はこの主張を無視する。これは、警察が自らのミスを認めることを避けるために、事実を曲げることを選んだことを示してる。警察等の役所が組織防衛等のため作為的に事実を捻じ曲げ真実を隠蔽し人々の権利を侵害する。これは国や時代を越える問題でもある。

2・メディア操作

警察はメディアを利用して自らのイメージを守り、クリスティーンの主張を疑問視する情報を流す。行政組織は人々の批判を避け、組織の威厳や面子を守るためメディアを利用することがある。これは真実を知る権利を有する国民を真実から遠ざける。

3・精神科病棟への不当な送致

クリスティーンが警察の行動に異議を唱え続けたため、彼女は精神科病棟に強制的に送られる。これは、当時の警察が批判的な市民を沈黙させるために用いた手段の一つである。精神科病院(病棟)が監獄の役目を果たし、警察(役所)の判断により罪なき人々の自由が奪われるのなら大変深刻な問題になる。クリスティーン・コリンズは、警察に騙され別の子供を押しつけられたと主張する等のパラノイア、被害妄想が見られ危険な状態だとの理由でロサンゼルス市病院の精神科病棟に「保護」(強制入院)させられる(通称:コード12)。警察と病院がクリスティーン・コリンズに提示した退院の条件は、警察の見解(戻った息子は本物)を全面的に認めることだった。

背景と法律上の問題点

次は本作の舞台となる1920年代の時代背景と法律上の問題点について述べていこう。

1・警察の権力乱用

1920年代のロサンゼルス市警察は、腐敗が蔓延し、警察の権力乱用が頻繁に見られた。警察は自らのミスを隠蔽し、批判的な声を封じ込めるために権力を濫用し、罪なき人々から自由を奪うこともあった。映画『チェンジリング』では、ロサンゼルス警察の「狙撃犯」のエピソードが登場する。「刃向かう者は殺せ」という署長の訓示にしたがい、機関銃を与えられた彼らは、法律、裁判、尋問等を無視するかのように死体の山を築いたと牧師ガスタフ・ブリグループは語る。

2・精神衛生法の問題

当時の精神衛生法は、警察や医師による広範な裁量権を許していた。これを根拠に警察は治安に影響を与えそうな人物、厄介な人物、都合の悪い人物を精神病として判断し、令状も無く強制的に入院させることが可能だった。また、当時の精神科病院では電気ショック等を使った非人道的な「治療」も行われていた。電気ショック等を使った治療は一種の拷問だと言っても過言ではないだろう。

3・女性に対する偏見

当時の社会では女性に対する偏見が根強く、特に単身の女性は容易に信用されない傾向にあった。女性は精神的に不安定な存在だとも考えられていた。クリスティーン・コリンズのケースでは、彼女の性別が警察による不当な扱いを受ける一因となった可能性が考えられる。クリスティーン・コリンズの例とは違うが、特に売春等を生業にする貧困層女性に対する偏見と不当な扱いは強い。クリスティーン・コリンズが強制入院させられたロサンゼルス市病院の精神科病棟には「コード12」を理由に売春を生業とする女性が「入院」させられている。

4・メディアと警察の関係

メディアはしばしば警察の報道を垂れ流す存在になってしまう。警察とメディアの親密な関係は、独立した調査や権力に対する批判的な報道等のメディアの存在意義やメディアに対する人々の要求を忘れさせることがある。

クリスティーン・コリンズの件は、後にロサンゼルス警察の改革のきっかけとなり、警察の権力乱用に対する公衆の認識を高めることに貢献した。また、女性の権利や精神衛生法に関する議論にも影響を与えた。

ロサンゼルス市警察(以下、LAPDと記す)改革

映画『チェンジリング』で描かれた1920年代以降、ロサンゼルス市警察(LAPD)は、いくつかの重要な改革を行った。改革は、特に警察の腐敗と権力乱用に対処するために行われた。以下は、主な改革の要点である。

リーダーシップの変更

腐敗と権力乱用を根絶するために、LAPDは新しいリーダーシップを導入した。これには、より倫理的で透明性のあるリーダーを任命することが含まれた。

内部監査と説明責任の強化

警察の行動に対する内部監査の強化と、不正行為に対する説明責任の確立が行われた。これにより、警察官の行動に対する監視が強化され、不正行為が発覚した場合の処罰が厳格化さた。

訓練と教育の改善

警察官の訓練プログラムが見直され、人権、倫理、コミュニティとの関係構築に重点を置いた内容に改善された。これは、警察官が市民とより良い関係を築くための基礎となるプログラムだといえる。

コミュニティ・ポリシング(地域社会型警察活動)の導入

コミュニティとの関係を強化し、市民の信頼を築くために、コミュニティ・ポリシング(地域社会型警察活動)が導入された。これにより、警察と市民が協力して地域の問題を解決するアプローチが促進された。

透明性の向上

警察の活動に関する情報の公開が増加し、市民が警察の活動をより容易に監視できるようになった。これには、警察の行動に関する報告書等の記録の公開や、警察委員会の会議の公開が含まれている。

市民監視機関の設立

警察の活動を監視する独立した市民監視機関が設立され、警察の不正行為に対する外部からのチェックが強化された。

これらの改革は、LAPDが直面していた腐敗と権力乱用の問題に対処し、より効果的で信頼される警察組織へと変貌するための重要なステップだった。しかし、これらの改革は時間をかけて徐々に実施され、完全な変革を達成するには長い時間と継続的な努力が必要だった。

映画『チェンジリング』の主人公、クリスティーン・コリンズのその後

クリスティーン・コリンズの実生活におけるその後に確認を行ったが、詳細な記録を見つけることが出来ず、彼女の人生の後半については明らかにならなかった。しかし、利用可能な情報に基づいて以下の点が知られている。

法的闘争の継続

クリスティーン・コリンズは、息子ウォルターの失踪後、ロサンゼルス警察との法的闘争を続けた。彼女は警察の不正行為に対して訴訟を起こし、一部の報告によると、彼女は警察に対する民事訴訟で勝訴し、賠償金を勝ち取ったとされている。

息子の捜索の継続

クリスティーンは息子が生きていると信じ続け、彼の捜索を止めることはなかった。しかし、ウォルター・コリンズの行方や運命についての確かな情報は、最終的には明らかにされなかったようだ。

映画『チェンジリング』は、事件から7年後の1935年2月の彼女が映し出される。彼女は元の職場で働き続けている。役職も上がったようだ。彼女は息子の生存をいつまでも信じ続ける。息子の生存を信じるための小さな希望を見つけながら。

公的記録からの消失

クリスティーン・コリンズに関する公的な記録は、1930年代以降、ほとんど見つかっていないようだ。彼女がその後どのような人生を送ったのか、またどのような経緯で亡くなったのかについては、不明である。

クリスティーン・コリンズの遺産

クリスティーン・コリンズの闘争は、警察の不正に立ち向かう一人の母親の勇気と決意を象徴している。彼女の物語は、警察の腐敗と権力乱用に対する公衆の認識を高め、後の法的および制度的改革に影響を与えた。また、彼女の人生と彼女の息子の失踪に関する事件は、多くの人々の心に刺さる映画『チェンジリング』を通じて、「彼女の物語」が後世に伝えられている。

息子の失踪(「ワインヴィル鶏小屋事件(ゴードン・ノースコット事件)」の被害者の可能性がある)と警察との闘いという不運が無ければ、クリスティーン・コリンズの人生は、新聞に載ることのない「平凡」な人生だっただろう。

善良な人間が悲運に襲われる。突然、「平凡」な人生の営みが社会の表舞台に立たされる。このような善良で「平凡」な人間の悲運に光を当て、その背後にある社会の矛盾を追求する。これこそ、クリント・イーストウッド作品の特徴の一つだといえるだろう。

クリント・イーストウッドと政治

イーストウッドが保守主義的立場の人物だということは間違いないだろう。イーストウッドの保守主義は、伝統的なアメリカ独立宣言に基づく価値観と関連していると見なすことができる。アメリカ独立宣言は、個人の自由と権利、政府に対する抑制と平衡感覚、そして自己決定の原則を強調している。

イーストウッドはしばしば、個人の自由、小さな政府、そして個人の責任に価値を置く発言をし、共和党と親和性が高い。

しかし、彼の政治的見解は、単に伝統的生活を絶対視する保守(極右)というわけではない。いくつかの社会的問題に対してはよりリベラルな立場を取ることもある。例えば、彼は同性婚の支持者であり、環境保護にも関心を示し、映画『グラン・トリノ』では、アジア移民を「好意的」に描いている。ここから、個人の自由を守る古典的自由主義のイーストウッドの立場を読み取ることもできる。

古典的自由主義はアメリカ独立宣言や合衆国憲法に大きな影響を与える思想でもあることから、やはり、イーストウッドの保守主義は、伝統的なアメリカ独立宣言に基づく価値観と関連しているといえそうだ。

また、彼自身は「リバタリアン(自由至上主義)」と自称することがある。リバタリアンは、個人の自由を最大限に尊重し、政府の介入を最小限に抑えることを重視する政治哲学ある。(外部リンク:Wikipediaリバタリアニズム

クリント・イーストウッドは彼自身がリバタリアンであると述べており、その政治的見解はリバタリアンの哲学にかなり合致しいる。リバタリアンは、個人の自由と自己責任を強調し、政府の役割を最小限に抑えることを重視する政治思想である。イーストウッドの映画作品このような価値観が表れていることがある。

リバタリアンの思想は、多くの点でアメリカの建国の理念に近い考え方を持っている。アメリカ独立宣言や憲法の精神には、個人の自由、政府の権力に対する制限、そして自己決定の重要性が強調され、これらはリバタリアン思想の核心的な要素でもある。 総じて、イーストウッドの政治的見解は、アメリカの建国の理念に根ざした自由と個人主義の価値観と、時には伝統的な保守主義やリバタリアンの要素を組み合わせたものと言えるだろう。

リバタリアン思想とアメリカ建国の理念

リバタリアンは個人の自由を最も重要な価値と見なし、個人が自分の人生を自由にコントロールする権利を強調する。

これは、アメリカ独立宣言における「生命、自由、および幸福の追求」の権利と一致している。イーストウッドの映画作品には、「生命、自由、および幸福の追求」を基に国家と個人の複雑な関係性を描いた映画が散見される。

イーストウッドの映画作品を解釈するために必要だと思われるリバタリアン思想とアメリカ建国の理念と共通性を簡単に説明しよう。

政府の役割の最小化

リバタリアンは政府の役割を最小限に抑えることを主張し、政府の介入は個人の自由を侵害すると見なす。アメリカの建国者たちは、専制政治からの独立を求め、政府の権力に対する厳格な制限(憲法)を設けることで、政府からの干渉を出来るだけ避け、個人の自由と幸福追求の権利を守ろうとした。

経済的自由

リバタリアンは市場経済と個人の経済的自由を支持している。これは、アメリカの資本主義と自由市場経済の原則と一致している。また、徴税は国家等による個人の財産権の侵害であると徴税を否定的に考え徴税の廃止を唱える傾向がある。

自己責任

リバタリアンは個人が自分の選択とその結果に対して責任を持つべきだと考える。これは、アメリカの「自助努力」の精神と関連している。

ただし、リバタリアン思想とアメリカ建国の理念との間には、いくつかの違いもある。リバタリアンは特に現代の政治的・経済的文脈で発展した思想であり、建国の時代の状況や価値観とは異なる側面もある。それにもかかわらず、両者は自由と個人主義という共通の価値を共有している。

イーストウッドの映画には、国家と個人(特に戦争と個人)を描いた『硫黄島からの手紙』、『アメリカン・スナイパー』やFBI(連邦警察)により冤罪の嫌疑をかけられる※『リチャード・ジュエル』映画ある。※ただし、『リチャード・ジュエル』の主人公(実在の人物)は、警察を憎悪しない。

イーストウッドは、国家と個人の関係性を彼の裡にあるリバタリアン思想とアメリカ建国の理念から描く監督だともいえるだろう。

アメリカ合衆国の建国の理念と憲法における「武装の自由」

イーストウッドを語るうえで『荒野の用心棒』等の西部劇と『ダーティハリー』シリーズを外すことはできない。これらの作品に共通するのは、勿論、強力な銃である。

ここでは、アメリカの政治と文化において非常に重要な要素であり、イーストウッドを語るうえで外すことが出来ない、アメリカ合衆国の建国の理念と憲法における「武装の自由」、特に第二修正条項に関連する内容について述べていく。

アメリカ建国の理念

アメリカ合衆国の建国の理念は、自由と個人の権利の尊重に深く根ざしている。アメリカの建国者たちは、独立戦争とその背景にある抑圧的な植民地政策に対応し、個人の自由と政府の権力に対する制限を強く意識した。

これは、新しい国(アメリカ)が市民の権利を保護し、専制政治に対抗するための手段として、個人の武装権を重視することにつながる。

アメリカ合衆国憲法の第二修正条項

アメリカ合衆国憲法の第二修正条項は、この考えを法的に定めたものだと解釈される。この修正条項は次のように述べている。

規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携行する権利は、 侵してはならない。

アメリカ合衆国憲法の第二修正条項 武器保有権 :1791 年成立

この条文は、アメリカ合衆国における個人の武装権を保障している。この権利は、国家に対する防衛手段としての民兵の必要性と結びついてるが、個人が武器を保持する権利も含んでいると広く解釈され、国家や国家権力に対する市民の権利だと考えられている。

武装の自由の現代的な議論

第二修正条項に関する解釈は、アメリカの政治と社会において国民分断を内包する問題だともいえる。一方で、多くのアメリカ人は武装の自由を個人の基本的な権利と見なし、自己防衛や抑圧に対する保険としてその重要性を強調している。他方で、銃暴力の問題や大量射殺事件の増加を背景に、銃規制を強化することを求める声も大きくなっている。

この問題は、アメリカの文化、歴史、そして個人の権利と公共の安全との間のバランスに関わる複雑な議論を含んでいる。

まとめ:イースドウッドの変化とアメリカ

イーストウッドの作品でも銃の扱いに変化が見られる。

『ダーティハリー』は「正義」のために大型の銃を使う。『グラン・トリノ』の主人公コワルスキーは、銃を持たずに「正義」を行う。

映画『チェンジリング』の主人公クリスティーン・コリンズは、牧師ガスタフ・ブリグループ等の力を借りながら警察の腐敗や1920年代の社会風潮と闘い、「ワインヴィル鶏小屋事件(ゴードン・ノースコット事件)の犯人と対決する。

銃に頼らず、自分の命と「正義」を交換したコワルスキー。1920年代の「女性」クリスティーン・コリンズは「正しい闘い方」で真実を追い求めた。過酷な戦場のトラウマに苦しむ『アメリカン・スナイパー』のクリス・カイルと傷痍軍人の悲劇は銃によるものだ。

彼ら、彼女らは、年齢を重ねたイーストウッドを投影した姿かもしれない。

心の奥底から湧き上がる渇望と信念が「自由」「幸福追求」「正義」の実現に必要だ。近年、彼の映画の主人公たちは――銃を置きながら――そう、我々に語り出しそうだ


◆社会派の海外映画考察・解説シリーズ

◆「家族」について考える映画


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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