映画『ウーマン・トーキング私たちの選択』解説と考察

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長きにわたって闇に葬られていた性被害/性加害の問題が「#MeToo運動」により可視化された2022年、実際の事件を題材にした映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』が劇場公開されました。

映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』について解説・考察したいと思います。

※ご注意:本記事には、ストーリーの核心部分にあたるネタバレが含まれています。

映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』の概要

映画『ウーマン・トーキング 私たちの選択』は、2022年に公開されたアメリカ映画です。

この映画は南米のボリビアを舞台に、2005年から2009年に発生した性暴力事件を題材にしています。監督は『死ぬまでにしたい10のこと』のサラ・ポーリーで、主演は『ドラゴン・タトゥーの女』のルーニー・マーラが演じています。

映画では架空の村が舞台で、村の絶対的権力者である長老から代々伝わる独自の「信仰」が住人たちに教えられ、彼らの生活の中心となっています。

この小さな密集した村で、自分たちの未来について話し合うためにわずか2日間の時間をかけて納屋で行われる「密室会話劇」が描かれています。異なる意見を持つ女性たちと、議事録を記入する役割を担う出戻りの教師の男性が見守る中で、「決断」についての議論が展開されます。

また本作は第95回米アカデミー賞で作品賞にノミネートされ、他の映画祭でも観客賞などを受賞するなど、観客に深い感銘を与え、高い評価を受けた作品となっています。

あらすじ

広大な畑が広がるメノミタ村。普段は穏やかで静かな開拓地でしたが、時折、世にも恐ろしい「現象」が起きていました。

深い眠りから覚めると、年齢関係なく暮らす女性が寝間着を乱され、怪我をして股下には鮮血と痛々しい傷が残されていました。

何が起こったか分からない女性たちは痛みと鮮血に悲鳴を上げ、それを聞いた家族は何も言わずそっと彼女を抱きしめるのでした。

キリスト教の一派である「メノナイト」を信仰する人々の間で、長年にわたって行われていた犯罪行為が明るみに出ました。その犯罪とは、女性を夜ごとに牛用の鎮静剤で深い眠りに誘い、男性たちが性的暴力を加えていたという衝撃的な事実です。

途中で目覚めた被害者の一人の女性が犯人の顔を見ていたことから、共犯者を含む当事者の男性たちは逮捕されました。その際、これまでの深い恨みから村の女性サロメが、犯人たちが拘束されていた小屋を襲撃し、大鎌で襲い掛かりました。

この出来事を目撃した村の長老は、殺人事件を恐れて、男性たちを裁く名目で補償金を支払い、町の警察に引き渡しました。男たちが村に戻る猶予はたったの2日間でした。 その間、知らぬ間に「被害者」となっていた女性たちは選択をするよう促されました。選択肢は以下の3つです。

  • 男性たちを赦し、村に留まる
  • 男性たちと戦う
  • 村を捨て、出ていく

読み書きを教えられなかった女性たちは、自分が望む選択を表す絵に生まれて初めて投票し、決断しました。投票結果を参考に、各家庭の代表の女性たちと、最近村に出戻りした教師である男性のオーガストが、文字として議事録を作るために納屋で話し合うことになりました。

残された時間は少なく、それぞれの思いをぶつけ合う女性たちの中で、重要な決断が下されることになりました。

「正義」とは何か、そして「信仰」とは何か、そして最後に「愛」とは何か、これらの重要なテーマを話し合います。陽は昇り、大地を照らし、そして沈む……。

納屋の中では、年端もいかない少女たちが互いの長い髪を編んで微笑みながら遊んでいます。その傍では、村の女性たちが「これから」について熟考し合っています。

2日目の夜、女性たちは遂に決断を下します。果たして彼女たちはどのような結論に達したのでしょうか……。

閉鎖された村を縛り付ける「信仰」の呪縛

メノミタ村は一見、穏やかで緑豊かな村で、男性も女性も同じような地味な服装を身に纏っています。男性の髪は短く、女性の髪は長く美しく編み込まれています。この村の住人たちは真面目で敬虔なメノナイトであり、少し閉鎖的な印象を受けます。

しかし、この村には「悪習」と銘打たれた犯罪行為が昔から横行し、常態化してきました。村全体が「無言の圧力」をかけられ、その結果、女性は虐げられ、心も身体も踏みにじられてきたのです。

この状況下で、牛の鎮静剤で昏倒させられ、顔も分からない男性に老若男女、未婚既婚関係なく襲われ、避妊もされずに父親も分からない子供を宿し続けるという、人権を無視した非常識な「常識」が横行していました。

納屋で話し合っていた穏健派のオーナは乱暴されて妊娠し、臨月を迎えています。一方、姉のサロメは憎しみに駆られて男たちを大鎌で襲い、加害者でありながら自らもDV夫からの暴力を受け続けるマリーチェは男を殺すと怒り狂っています。

その中で、年長者の一人であるスカーフェイスは波風を立てずに全てを忘れようとし、どうせ居場所など得られないのだから村にとどまろうと主張しています。意見は大きく分かれており、村の未来についての決断が難しくなっています。

ここで注目すべきなのは、彼女たちの大きな壁となり、そして救いにもなり続けている「信仰」です。信仰の意味とは、「神や仏など、ある神聖なものを信じ尊ぶこと、またはあるものを絶対視して信じる心」とされています。人々はどのような形であれ、「信仰の自由」を持つ権利があります。性別、人種、年齢に関係なく、この権利は誰にも平等に与えられています。

信仰は様々な意見を併せ持つ女性たちを繋ぐ大切な支えでもある一方、同時に彼女たちを縛り抑え込む、呪いのようでもあります。

村の長老(男性)をはじめとして、圧倒的な男尊女卑が当然とされ、男性は幼い時から学校教育や強さを教え込まれています。一方で、女性は読み書きも教えられず、家畜以下の扱いを受けてきました。子供たちも年長者たちの振る舞いを見て、「男性はこうあり、女性はこうある」という圧力が存在し、神の教えというよりも「メノミタ村の男性たちのエゴ」として刷り込まれてきました。

そして長年にわたり、性暴力に晒され続け、終わらないPTSDに苦しむ彼女たちを慰めるのは、皮肉にも教えられた讃美歌でした。 それは美しくもどこか哀しく、空虚な「信仰」の呪縛のようでもありました。

三つの選択肢から、女性たちが選ぶ「愛」とは

『ウーマン・トーキング』は、これからの未来について女性たちが納屋で話し合う「密室会話劇」です。

実際に女性たちが被害にある場面では、男性の姿は登場せず、オーガスト以外の登場人物もその場面には含まれていません。性暴力の具体的なシーンは描かれていないものの、事件の後に女性たちが感じた違和感、傷、鮮血、発作、そしてその後のPTSDが彼女たちを傷つけ続ける描写があります。

苦しみの中で女性たちが導き出した「決断」の大きなキーワードは「愛」でした。最初は村に残り、男女平等制度を作りたいという穏健派だった子供を宿しているオーナが、以下のように述べました:

――私は父親も分からないこのお腹の子を誰よりも愛している。同じような思いは誰にもしてほしくない。大切な人を守りたいし、自分のことは自分で決められる人生を歩みたい――

愛と自己決定権を尊重し、自分たちの未来を変える決断をした女性たちの力強い言葉です。

彼女たちは神を尊びながらも、本当の愛すら教えられず、ただ「使われるモノ」のように生きていました。その過酷な現実を打破し、愛と尊厳を取り戻すために彼女たちが立ち上がったことは、彼女たちの勇気と決意を示しています。

しかし、状況は国税調査で村にやってきた外部の男性の言葉で一変します。予定より早く、村人の一人で加害者の一人であるマリーチェの夫が早く村に戻ってくることを知らされたのです。

年齢が幼い女児も被害に遭った事実を考え、仕返しに襲い掛かるであろう男性たちが再び暴力と隷属を強いてくる現実を目の当たりにし、彼女たちが考えたのは、自分たちよりも弱い「子供たち」のことでした。

「男とはこうあり、女とはこうあり」という過去の文化に未来を刻むことを拒絶し、代わりに15歳以下の子供たちを連れて村を出ることを決意しました。行く先は分からないかもしれませんが、何よりもこの腐った文化から子供たちを守ることが最優先だと考え、それが「愛」であると心に刻んだのです。

「無知」から根本的な意識の改革と教育の大切さ

さて、ここで彼女たちの唯一の味方男性として登場するオーガストについて少し記述したいと思います。

オーガストは「ウーマン・トーキング」の中で唯一の男性として登場し、特別な役割を果たします。彼はかつて村から家族ごと追放され、イギリスの大学で学び、外の世界を知った上で出戻りをした人物です。そして、教師としての彼は「知識」の象徴として存在します。

オーナたちは読み書きを教えられず、「無知」を強要され続けてきました。しかし、残された子供たちに正しい信仰と教育を提供することで、子供たちの未来は変わる可能性があると、オーガストは女性たちに伝えました。彼はかつて理不尽に村を追われた経験から、中立の立場で意見を述べることができました。

オーガストは女性たちの議事録を静かに綴りながらも、ずっと思いを寄せていたオーナを支え続けました。

メノミタ村では男の子は幼いころから学校に通い、独自の信仰や倫理を教えられてきました。この閉鎖的な世界で、男尊女卑の価値観や凶暴性が男の子たちに植え付けられていくのでした。

この物語は実は2010年に起きた事件を基にしており、100年前のヨーロッパやアメリカの話ではなく、2000年代に実際に起こった事件に基づいています。この事実が物語に現実味を与えています。

2000年代は世界中で様々な歴史的な出来事が起き、アメリカ同時多発テロやイラク戦争といった国際的な出来事がありました。同時にIT産業やデジタル化が急速に進展し、パソコンやスマートフォンなどが普及していました。

しかし、メノミタ村では男性たちはオーバーオールを着て、女性たちは長いドレスを着用し、移動手段は馬車か徒歩しかなく、テレビや電話、パソコン、スマートフォンなどの現代のテクノロジーは存在しない、まるで時間が止まったような場所でした。外界との関係は断たれ、これが当たり前とされていた村で、オーガストはこの閉じられた環境に挑む覚悟で出戻りしました。

しかし、女性たちが語り合う中で生まれた「自らも学び、考え、知る自由」という考えに共感し、夜明けとともに村を出発することを知ったオーガストは、旅のサポートになる単語をノートに書き綴り、地図が読めないオーナに対して南十字星を指し示す方法を伝えるなど、彼らの未来に向けて知識とサポートしました。

オーガストは村に残り、幼い子供たちに再教育をすることを決意していましたが、死を意識し銃を隠し持っていました。しかし最後にサロメに銃を託すと、彼も新たに村で辛くとも生きる決意をしました。

その決意は、新たな「無知」を生まないために、彼が村での使命を全うする意志を示しています。自分の苦しみを乗り越え、村の未来のために尽力することに彼は自己犠牲の覚悟を持ったのです。

まとめ

『ウーマン・トーキング』は様々な女性たちの物語です。オーナを含む多くの女性が、夜明けと共に子供たちや身の回りのものを手にして村の入口に集結しました。

しかし、最後まで村に残ることを決意した女性たちもいました。選択はそれぞれの人生において個別であり、その決断は彼女たちの自由な選択でした。

去り行く女性たちは讃美歌を口ずさみながら、馬車に乗り、歩きながら、村を後にしました。

物語の中で「無知」であることが、学ぶ意志や知る自由、愛する大切さを知ることへの第一歩であることが示されています。

それらの意志が何よりも尊重され、大切にされるメッセージが映画のラストシーンで表現され、温かく心に残る瞬間となるでしょう。


◆「女性」を描いた小説・映画:考察/解説


あめこWebライター

投稿者プロフィール

人間の淡い感情や日常を描く事が、得意な物書きです。
寝ても覚めても根っからの映画好きです。
戦後から最近までの国内外の映画、アニメ、ゲームなどサブカルが得意です。
特に三船敏郎、志村喬という往年の東宝俳優が昔から好きで、昔はファンブログも書き綴っていました。

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