ご注意:この記事には、映画『ジョーカー』のネタバレが含まれています。◆アイキャッチは「画像生成AI」で作成。
バットマンはアメコミを代表するヒーローだ。また、彼の敵には有名な人物が多い。白塗りのピエロメイクが印象的なジョーカーもその一人。
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そして、そのジョーカーを主人公に据えた作品が、映画『ジョーカー』だ。今作はセンセーショナルな内容を含む問題作であり、公開当時のアメリカでは社会問題にもなったことで有名である。 今作に描かれるのは、ただのヴィランとして語るには哀しすぎる男の姿だ。この記事では、そんな映画『ジョーカー』について、また、今作で描かれるジョーカーという男について、存分に語っていきたいと思う。
映画『ジョーカー』の作品概要
映画『ジョーカー』は2019年に公開されたアメリカのスリラー作品だ。バットマンの宿敵であるジョーカーを主役に据え、「なぜジョーカーになったのか」といった部分に焦点を置いて物語が進んでいく。
監督は『ハングオーバー』シリーズで知られるトッド・フィリップス。主人公のジョーカー(アーサー)を演じるのは、『グラディエーター』などで知られるホアキン・フェニックスだ。ホアキン・フェニックスは、緊張の糸が常に張りつめているような独特の役柄を見事に演じ切っている。
また、今作は原作を含む他のバットマン作品との繋がりが無いことに注意が必要だ。これまでのジョーカー像は一度捨ててから、観賞することがおすすめだ。
映画『ジョーカー』あらすじ
治安が非常に悪く、貧富の差も激しい1981年のゴッサムシティ。アーサー・フレックは、「一流のコメディアンになる」という夢と難病を抱えながら、母と共に暮らしていた。
アーサーの仕事は、雇われのピエロだ。その労働環境は良いものではなく、仕事中に暴行を受けても守ってくれる上司はいない。そんな中、アーサーは彼を心配した同僚の1人から、無理やり拳銃を持たされることになる。
小児病棟でピエロを演じる仕事の途中、アーサーの服の中から拳銃が転がり落ちた。慌てて隠したものの、もう後の祭り。アーサーは事務所をクビになってしまう。
出典:ワーナー ブラザース 公式チャンネル
その帰り道、アーサーは地下鉄の中で3人の男性に絡まれている女性を見つけた。アーサーの病気の発作が起こり、男性たちから暴行を受けることになってしまう。そして、パニックになったアーサーは、男性たちを皆撃ち殺してしまった。
これが、アーサーの人生が変わる起点だった。
ヴィランではない、もう1人の「ジョーカー」を描いた作品
今作の特徴の一つに、先にも書いた「他のバットマン作品との繋がりの無さ」を挙げることができる。
他の作品で書かれるジョーカー像を考えてみよう。共通の認識として、ジョーカーはバットマンの宿敵であり、リドラーと並ぶ代表的ヴィランの1人だ。その過去は謎に包まれている場合もあれば、貧乏なコメディアンや、マフィアの一員とされることもある。そして何より、バットマンから逃げるために薬品タンクに落ちた、というエピソードは有名だ(ジョーカーの皮膚が白いのは、薬品により漂白されたためである)。
今作でジョーカーとなるアーサーは、上記のジョーカー像には当てはまらない。確かに貧乏なコメディアンではあるものの、彼が貧困に苦しむ大きな原因は病気にあるからだ。また。アーサーは自身で白塗りのメイクをしている。
そして今作は、バットマンとジョーカーの対決が一切描かれない。バットマンの正体であるブルース・ウェインが登場するにはするが、まだ幼い子供である。そして、アーサーもブルースに対する敵意はない。むしろ、コメディアンとして笑わせようとすらしているのだ。
次に、アーサーがジョーカーとなっていく過程を考えてみよう。
アーサーは、トゥレット症候群という難病を抱えている。この病気はさまざまな症状を呈するが、アーサーの場合は止められない「笑い」として発現している。
黙っていなくてはならない状況やバスの中、そして、コメディアンとしてネタを披露しているときにすら、その発作を抑えることはできない。病気である旨を書いた紙を携帯してはいるものの、他人に理解してもらうことは難しい。
アーサーが犯した最初の殺人のきっかけもまた、この笑いの発作だった。笑いの発作が起こったことにより3人の男に暴行を受け、どうしようもなくなって発砲してしまったのだ。このとき、アーサーはピエロの格好をしていた。
アーサーはそもそも殺人を好む人間ではない。どちらかと言えば気弱で心優しく、自身に降りかかる困難を黙って受け止めるタイプである。だからこそ、精神的に追い詰められていく。
物語が進むにつれ、アーサーの精神状態は怪しくなっていく。妄想と現実の境が無くなり、幸せな世界を生きているかのように錯覚してしまうのだ。
アーサーがジョーカーとなったのは、彼自身が今までの幸せな記憶(具体的には恋人との記憶など)を妄想だと自覚したときだ。妄想の自覚と自身の殺人に向けられた人々の肯定感。この2つが重なり、アーサーはジョーカーに変貌した。
ここまで読めば、今作のジョーカー像が異質であることが分かるだろう。今作のジョーカーは、ヴィランとしての性質が限りなく薄い。その代わり、「代弁者」としての性質を持たされている。 アーサーが変じたジョーカーは、虐げられた人々の象徴なのだ。
鑑賞するのは辛く苦しいが、奇妙なカタルシスを得られる作品
この世界を生きるほとんどの人が、弱く脆い一面を持っている。精神的に健康であっても、経済的に満たされていたとしても、どこかしらに弱点を持っているのだ。
今作『ジョーカー』の主人公・アーサーも、決定的な弱点を持つ人間の一人だ。その上、本来は善良な人間である。母親の面倒を献身的に見るし、人を笑わせることを望んでいるからだ。
主人公のアーサーがそんな人物であるからこそ、今作の鑑賞には苦痛が伴う。弱点を持つ多くの人が、アーサーの苦境を我がことのように感じてしまうからだ。見ているのは殺人者のはずなのに共感してしまう。そんな奇妙な現象が、余計に見る人を混乱させるだろう。
本来アメコミ作品には、ヒーローに対するあこがれや期待感、そして、悪に対する苛立ちの気持ちなど感じることができるはずだ。しかし、今作にはそれがない。むしろ、政府などの「強い者」に対する無力感が感じ取れる。
今作が公開当時、アメリカで社会問題となったのも、こうした感情が関係しているのだろう。
映画『ジョーカー』は、徹底的に弱者を描いた物語だ。物語の中盤に差し掛かるまで、アーサーの状況は悪化し続けるばかりだ。その描写は息が詰まりそうになる程で、常に緊張し続けることを強いられる。アーサーの精神状態がギリギリであることが分かるため、いつどこで爆発するのか不安に駆られてしまうのだ。
その状況が大きく変化するのは、アーサーが元同僚を惨殺してからのことだ。これより後のアーサーは白塗りのピエロメイクをばっちりと施し、赤いスーツに身を包んでいる。妄想の自覚がジョーカーへの変貌ならば、この瞬間に、ジョーカーとしての人格が完成したと言えるだろう。
元同僚を殺し、ジョーカーとして覚醒したアーサーは、階段でダンスを踊る。このシーンは、今作屈指の名シーンだ。ノリの良い音楽に、なぜだかおしゃれさを感じる不思議。
そして何よりも、圧倒的な解放感とカタルシス。もう、何にも煩わされることは無い、という快感に近い感覚。
このシーンを見るためだけに、今作の辛い部分を我慢した甲斐があった、と言っても過言ではない。
初めて今作を見る人は、おそらく辛い時間を過ごすことになるはずだ。凄惨な場面が続くため、耐えられない人もいるかもしれない。しかし、最初の殺人シーンを乗り越えたのであれば、是非最後まで見て欲しいと思う。 今作は、必ず見る価値のある映画だからだ。
まとめ
映画『ジョーカー』について、そこで描かれるアーサーという男について、考察を述べてきた。
今作は決して、万人受けする作品ではない。苦手な人はどこまで行っても苦手だろう。それと同時に、通常のアメコミ映画を期待してみる作品でもない。
しかし、何か心に突き刺さるような作品に出合いたいのであれば、おすすめしたい映画の一つだ。その突き刺さり方が望ましいものかどうかは不明だが、見方を間違えなければ悪いことにはならないだろう。
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