東電OL殺人事件 真犯人を考察する

渋谷円山町東電OL殺害事件

本記事は、『東電OL殺人事件』の真犯人を考察することを目的としている。被害者『A氏』、冤罪被害者『B氏』および関係者の氏名は匿名で表記する。事件や関係者の匿名化は、被害者を血の通わない「記号」として扱う側面を持ち得る。しかし、本事件は極めて著名であり、既に多くの研究者やジャーナリストによって、『A氏』および『B氏』の人物像に関する分析・考察・紹介が行われている。そのため、本記事では『A氏』や『B氏』の個人史に踏み込まず、真犯人の特定に関わる要素を中心に検証する。

なお、本記事の参考・引用文献については、文末に一覧を掲載する。

本記事での表記一覧
被害者『A氏』(当時39歳の女性)
冤罪被害者『B氏』(ネパール国籍の当時30歳男性)
『C氏』(以前から『A氏』の顧客であり、事件当日にも『A氏』と接触)
『D氏』(『A氏』の「定期入」に入っていた定期券の持ち主であり、当時埼玉県在住の男性)
『E氏』(風俗店のサンドイッチマンであり、目撃証言者)
『F氏』(事件当時の目撃証言者であり、当時20代前半の男性)
『X』(本事件の真犯人と推定される人物)
本記事での表記一覧

【事件概要】東電OL殺人事件とは?未解決のままの謎を解く

1997年3月8日深夜、東京・円山町。暗い6畳の和室に、Xは立っていた——。本項では、『東電OL殺人事件』の基本的事実および現場の状況について整理する。

事件当時の東京都の気象条件は、最高気温15.7℃(3月8日9時~21時)、最低気温9.1℃(3月8日21時~翌9日9時)であった。事件現場となったアパートの一室は、電気・ガス・水道が停止された状態であり、極めて寒冷な環境にあったと推測される。そのような状況下において、『A氏』と『X』は、金銭の授受を伴う一時的な関係を目的として同室した可能性がある。

本件において、『X』は未だ逮捕されておらず、殺意を抱いた具体的な時点は特定されていない。しかし、『A氏』の胸部および陰部から『X』の唾液由来と推定されるDNAが検出されていることから、『X』は一連の行為の後に『A氏』を殺害したと考えられている。

遺体発見時、『A氏』の着衣には乱れがなく、争った形跡も認められなかった。また、靴は部屋の玄関に整然と揃えられていたことから、抵抗することなく殺害された可能性が高い。

室内には『A氏』の遺留品が散乱していた。その中には、取っ手がちぎれたショルダーバッグ、小銭のみが残された財布、化粧品、他人名義の預金通帳、2枚のイオカード、食料品の入ったビニール袋、薬類、おやつ類が含まれていた。さらに、『A氏』の着用していたコートの背面には血痕が付着しており、ショルダーバッグのちぎれた取っ手や遺体の下から『X』のDNAおよび体毛が検出されている。これらの証拠から、『X』と『A氏』が密接に接触していた可能性が極めて高いと考えられる。

『A氏』が所持していた他人名義の預金通帳は、『D氏』(『A氏』の定期券とともに発見された男性)とは別の埼玉県在住男性のものであった。この通帳の取引履歴によると、過去に4~5回の現金引き出しが行われており、最後の取引は1996年12月11日で、1万7千円が引き出されていた。しかし、『A氏』がこの通帳を所持していた経緯は不明であり、最後の使用時期が事件の1年以上前であったことから、捜査当局は本件との関連性が低いと判断した可能性が高い。また、2枚のイオカードや『D氏』の定期券と同様に、『A氏』が拾得し、そのまま所持していた可能性も指摘されている。

事件は1997年3月19日に発覚し、わずか2日後の3月23日、事件現場となったアパートの隣室に居住し、一時的にアパートの管理人から鍵を預かっていた『B氏』が、入管法違反(不法残留)の容疑で逮捕された。この逮捕が捜査の転換点となる。その後、同年5月20日、『B氏』は入管法違反により懲役1年、執行猶予3年の判決を受けた直後、本事件の強盗殺人の容疑で再逮捕された。

『B氏』の裁判は長期化し、複数の判決を経ることとなった。2000年4月14日、東京地裁は『B氏』に無罪判決を言い渡したが、同年12月22日、東京高裁はこれを覆し、無期懲役の判決を下した。これにより、『B氏』は12年間にわたり服役することとなった。しかし、2012年10月29日の再審初公判において検察が無罪を主張し、同年11月7日、『B氏』の無罪が確定した。

本事件は、日本の刑事司法制度における証拠開示の不備、警察の取り調べ手法、DNA型鑑定の精度とその限界など、数々の問題を浮き彫りにした。類似の事例としては、1990年に発生した『足利事件』が挙げられる。この事件では、2009年になって元受刑者『S氏』のDNA型と現場のDNA型が一致しないことが判明し、冤罪が確定した。 殺害された『A氏』、冤罪の犠牲となった『B氏』、そして未だ逮捕されていない真犯人『X』――。本事件は単なる殺人事件にとどまらず、日本の刑事司法制度の構造的問題を露呈させた重大な事案である。そして、世紀末の日本社会に深刻な影響を与えたこの事件の真相を、改めて検証する。

被害者A氏の行動経路および目撃証言の整理事件当日の目撃証言

A氏の殺害推定時刻は、1997年(平成9年)3月8日土曜日の23時頃から3月9日午前0時頃とされており、これは冤罪被害者『B氏』の裁判において認定された時間帯である。本項では、事件当日の『A氏』の足取りを時系列に整理し、それに関する目撃証言を検証する。

1997年3月8日午前11時20分頃、『A氏』は杉並区の自宅を出て、徒歩で最寄りの京王井の頭線『西永福』駅へ向かった。11時25分頃、定期券を使用して同駅の改札を通過し、渋谷方面行きに乗車する。『渋谷』駅に到着すると下車し、『東急』店内でサラダ類などを購入している。その後の時間は不明だが、『A氏』は『JR渋谷』駅から電車に乗り、『JR五反田』駅で下車したとみられる。12時30分頃、『A氏』は在籍していた風俗店『魔女っ子宅配便』に出勤。17時30分頃に退勤し、『JR五反田』駅から再び電車に乗ったと推測される。しかし、『B氏』の裁判において、『A氏』がどの駅で下車したかについての事実認定はなされていない。検察は、『A氏』の定期入れが『巣鴨』周辺で投棄されていた点から、『JR巣鴨』駅で下車した可能性を指摘している。

18時40分頃、『A氏』は『渋谷ハチ公前』で『C氏』と合流。19時13分、『渋谷区円山町』のラブホテルに入室した。22時16分、『A氏』と『C氏』はラブホテルを退室。この際、防犯カメラの映像によって2人の姿が確認されている。その後、『A氏』と『C氏』は『道玄坂』方面へ向かい、22時30分頃に『道玄坂上』で別れた。この時、『A氏』が『神泉』駅(『円山町』)方向へ歩いている様子を『E氏』が目撃している。

『E氏』の証言によれば、『A氏』は27歳前後の黒系ジャンパーを着た男性と共に行動していた。『E氏』は当初、その男性を「ヒモ(女性に経済的に依存する男性)」だと思ったが、顔立ちが華奢であったことから、その可能性は低いと判断したと証言している。23時45分頃、『A氏』が殺害されたアパート前で、『A氏』と思しき女性と東南アジア系と見られる男性が一緒にいるのを『F氏』が目撃している。『F氏』は『B氏』の裁判において、以下のように証言している。

11時20分頃被害者A氏は、杉並区の自宅を出て徒歩で最寄り駅の京王・井之頭線「西永福」駅に向かう。
11時25分頃定期券を使用し同駅構内に入り、渋谷方面行の電車に乗る。
電車が「渋谷」駅に到着すると下車し、東急店内でサラダ類などを購入する。
時間不明A氏はJR「渋谷」駅から電車に乗りJR「五反田」駅で下車する。
12時30分頃在籍していた西五反田の風俗店「魔女っ子宅配便」に入る。
17時30分頃同店を退勤する。
その後、JR「五反田」駅から電車に乗ったと推測されるが、B氏の裁判では下車した駅の事実認定はなされていない(検察は定期入が投棄されていた巣鴨近辺のJR巣鴨駅などで下車した可能性を指摘していた)
18時40分頃渋谷ハチ公前でC氏と合流する。
19時13分A氏とC氏は渋谷区円山町のラブホテルに入る。
22時16分A氏とC氏がラブホテルを出る。同ホテルの防犯カメラの映像から確認される。
その後、A氏とC氏は道玄坂方向に向かう。2人は道玄坂で別れる。
22時30分頃A氏とC氏は道玄坂上で別れる。A氏が「神泉」駅(円山町)方向に歩くのをE氏が目撃する。
なお、E氏はA氏が年齢27歳前後の黒系色ジャンパーを着た男性(と一緒に歩いていた。最初はヒモだと思ったが、男性の顔つきが華奢な印象だったのでヒモではないだろうと思ったなどとB氏の裁判で証言している。
23時45分頃A氏が殺害されたアパートの前でA氏と思しき女性と東南アジア系と思しき男性をF氏が目撃する。
F氏はB氏の裁判で以下の証言をしたようだ。
東電OL殺人事件 事件当日の被害者の足取り

(前略)女性はアパートに向かって 左、男性は右に立っていました。男性の身長は女性と同じくらいで、肉づきのいい感じでした。髪は少しウェーブがかかっていて、 肌の色は浅黒く、東南アジア系にみえました。服装は黒と白のジャンパーでした。腰のあたりには赤いポシェットのようなものが巻きつけられていました。二人は女の人が少し先に立ってアパートに入っていきました。二人はすぐにみえなくなりました。女性の顔はみえませんでしたが、男性の方は女性に話しかけるように左を向いたとき、頰から顎にかけての線が少しみえ、鼻の先も少しみえました。(後略)

佐野眞一. 東電OL殺人事件(新潮文庫) (p.228). 新潮社. Kindle 版.

『F氏』の証言によれば、目撃された女性が『A氏』である可能性は高い。一方で、同行していた男性については「肌の色が浅黒い」という点から東南アジア系と推察されているが、確定的な情報ではない。なお、『B氏』は目撃された男性の着衣と同じ色の黒系ジャンパーを所有し、また赤色のポシェットも所持していたが、『B氏』の無罪が確定したことから、この目撃証言が指す男性が『B氏』であったか否かは不明である。

『A氏』の生前における最後の目撃証言となる『F氏』の証言の中で、最も重要なのは「女の人が少し先に立ってアパートに入っていきました」という点である。この証言からは、『A氏』が『X』をアパート内に案内した可能性が推察される。

事件現場の詳細:東電OL殺人事件が発生したアパートとは?

『東電OL殺人事件』の犯行現場となった木造2階建てのアパートは、京王線『神泉』駅のほぼ目の前に所在する。同アパートは1階部分に3部屋、2階部分に3部屋があり、さらに半地下には居酒屋が入居している。この居酒屋は2020年1月時点のGoogleストリートビューでも確認できる。なお、生前の『A氏』と『X』を最後に目撃した『F氏』は、この居酒屋に父親を迎えに来ていたとされる。

『A氏』が殺害された部屋は1階に位置し、間取りは台所、トイレ、ユニットシャワーが設置された4.5畳の部屋と、事件当時カーペットが敷かれていた6畳の和室の2部屋で構成されていた。ただし、これらの部屋の間に間仕切りが存在していたか否かは不明である。 

本件における最大の疑問点は、事件発生時に部屋のドアとドア横の窓の鍵が開いていた点である。これを「誰が」知っていたのか、また鍵は「何本」存在し、「誰が」所持していたのかが焦点となる。 

『冤罪被害者B氏』の裁判において、『B氏』はこの部屋のドアが無施錠であったことを認識していたと供述している。『B氏』は一時期、この部屋の管理人から鍵を預かっていた経緯があり、鍵を返却する前の1997年2月下旬から3月2日頃の間に同室を利用し、『A氏』を買春していた。さらに、『B氏』はその後も同室を買春目的で使用するため、意図的に鍵を掛けずに退室していた可能性がある。加えて、『B氏』は『A氏』以外にも氏名不詳の40歳代の女性をこの部屋で買春していた。 

以上の点を踏まえると、事件当時この部屋が無施錠であったことを知り得た人物は、『B氏』、『A氏』、および氏名不詳の女性である可能性が高い。さらに、『B氏』が友人などに対し、この部屋を「買春目的で使用できる部屋」として情報共有していた可能性も否定できない。 

また、本件における鍵の本数は明らかになっていない。事件発生前、この部屋には『B氏』とは無関係のネパール人グループが居住していたとされ、彼らが合鍵を所持していた可能性も指摘されている。居住者が複数存在していたことを考慮すれば、鍵が複数本作成されていた可能性は十分にあり得る。しかし、捜査当局はこれらの元居住者の所在を特定するには至っておらず、鍵の管理状況についても未解明の部分が多い。

本事件における最も重要な論点は、『A氏』と『X』のいずれが当該アパートの部屋へ誘ったのかという点である。仮に『X』が誘った場合、『X』は『B氏』が周囲に情報を共有していたとする仮説に基づき、『B氏』の関係者、もしくは以前の居住者やその周辺人物である可能性が考えられる。一方で、『A氏』が誘ったとすれば、電気・ガス・水道が止められた暗く寒い部屋に『X』が入室した理由が問題となる。買春の料金が安価であったとしても、一見の客がこのような環境の部屋に入ることには抵抗を覚えるのではないか。仮にそうであれば、『X』は『A氏』の常連客の一人であった可能性が高い。 

ここで、『F氏』の証言――「女の人が少し先に立ってアパートに入っていきました。」――に着目すべきである。この証言が事実であるならば、『A氏』が『X』をアパート内へ案内した可能性が高い。すなわち、『F氏』が目撃した真犯人『X』は、『A氏』の常連客であり、その人物が東南アジア系(肌の色の特徴に基づく推測に過ぎない)であったか、あるいは「肌の色が浅黒い」日本人を含む北東アジア系の常連客であった可能性が考えられる。

【重要証拠】事件解明の鍵を握る定期券の謎

東電OL殺人事件の真犯人を考察する上で重要な証拠の一つとして、『A氏』の定期入れと、その中にあった『A氏』の定期券および『D氏』の定期券が挙げられる。この定期券は、『A氏』の推定死亡日時(1997年3月8日土曜日23時以降から翌3月9日午前0時頃)から3日後の1997年3月12日水曜日10時頃、東京都豊島区『巣鴨5丁目』内の民家の敷地で発見され、同民家の住人によって警察に届け出られた。

なお、『A氏』の遺体が発見されたのは、それからさらに7日後の1997年3月19日であり、定期券が発見された3月12日時点では、警察は『A氏』を特異家出人として扱っていたと推測される。

豊島区巣鴨5丁目』で発見された『A氏』の定期入れには、表面に“fortner”の文字が刻まれており、内部には“design took”と書かれた名刺大の紙片、『A氏』名義の有効期限内の定期券、さらに『埼玉県』在住の男性『D氏』名義の有効期限内の定期券が収納されていた。

当然ながら、『D氏』は捜査対象となった。しかし、捜査の結果、『D氏』は事件前年の1995年11月17日(日曜日)13時から14時頃に『東京都品川区西五反田』で置き引き被害に遭い、所轄の警察署に被害届を提出していたことが判明した。

この窃盗犯の身元は特定されておらず、『A氏』は当時、『西五反田』の風俗店に在籍し、同地域に一定の土地勘を有していたことから、窃盗犯が放棄した定期券を『A氏』が拾得し、そのまま所持していた可能性も考えられる。

また、『B氏』の裁判でも指摘されたように、誰が『A氏』の定期入れを『豊島区巣鴨5丁目』の民家敷地内に投棄したのかは、本事件の解明における重要な論点の一つである。

定期入れを投棄した主体に関する推論

本項では、『A氏』の定期入れが『豊島区巣鴨5丁目』の民家敷地内で発見された経緯について、合理的な仮説を提示し、それぞれの蓋然性を検討する。考え得るシナリオとして、以下の四つが挙げられる。

① 『A氏』自身による投棄 

この仮説が成立するためには、『A氏』が自身の定期入れを意図的に廃棄する合理的な動機が必要である。しかし、定期入れの内部には、有効期限が同年8月31日まで残存する『A氏』名義の定期券が含まれており、事件当日の3月8日にも実際に使用されていたことが確認されている。そのため、『A氏』が自発的に定期入れを破棄する必要性は極めて低いと考えられる。

また、『A氏』が定期入れを投棄したと仮定した場合、その時間帯は退勤後の17時30分から『C氏』と合流した18時40分までの間に限られる。すなわち、『A氏』は西五反田から『渋谷駅』へ移動する経路上で『巣鴨5丁目』に立ち寄り、定期入れを廃棄した可能性が考えられる。しかし、この仮説には、『A氏』が限られた時間の中で意図的に定期入れを捨てる理由が明確に説明されていないという問題がある。  

② 第三者による拾得および投棄 

この仮説では、『A氏』が何らかの理由で定期入れを紛失し、それを拾得した第三者が『巣鴨5丁目』に投棄した可能性を検討する。

『A氏』は事件当日、11時25分頃に『西永福駅』を通過し、その後、渋谷および五反田方面へ移動している。したがって、定期入れを喪失した地点は、『西五反田』から『円山町』にかけての範囲である可能性が高い。この場合、拾得者が取る行動としては、警察に届け出る、あるいは自身の生活圏内のごみ箱へ処分するのが一般的である。しかし、本件では拾得者が『巣鴨5丁目』の民家敷地内に投棄しており、その行為の合理性が説明されていない。

さらに、1997年当時、『JR渋谷駅』の改札の一部は自動化されておらず、手動改札を通過する際に紛失した可能性も考えられる。しかし、その場合でも、拾得者が『巣鴨5丁目』まで移動し、定期入れを民家の敷地内に投棄する理由は不明であり、この仮説の蓋然性は低いと考えられる。

③ 『X』による意図的な投棄 

本事件の加害者である真犯人『X』が定期入れを所持し、証拠隠滅の目的で『巣鴨5丁目』へ投棄した可能性が、最も蓋然性が高いと考えられる。

『X』は、『A氏』を殺害した後、現場に残されていた財布内の現金(推定4万円以上)を強奪したと推察される。さらに、『A氏』の定期入れを持ち去った可能性が高く、定期券の払い戻しを試みる動機を有していたと考えられる。しかし、女性名義の定期券は払い戻しが困難であり、結果として証拠隠滅を図るために、『巣鴨5丁目』の民家へ投棄した可能性がある。

この仮説を成立させるためには、犯人『X』が『巣鴨5丁目』を選択した理由を説明する必要がある。『X』がこの地域に地理的な親和性を有していた場合、あるいは捜査を攪乱する目的で意図的に遠隔地を選択した場合、この行動には一定の合理性が認められる。 

④ 『X』が投棄した定期入れを第三者『Y』が拾得し再投棄した可能性 

最後に、犯人『X』がどこかで定期入れを遺棄し、それを拾得した第三者『Y』が『巣鴨5丁目』の民家に投棄した可能性について検討する。この仮説が成立するためには、『Y』が定期入れを発見した際に警察へ届け出ることなく、あえて住宅の敷地内へ廃棄する合理的な動機が存在する必要がある。

一般的に、拾得物を発見した場合、拾得者は交番や警察署に届ける、あるいは自身の生活圏内のごみ箱に処分することが想定される。しかし、本件では住宅の敷地内に投棄されており、この行為の動機が明確でない点が問題となる。

以上の点を踏まえると、この仮説の蓋然性は相対的に低いと考えられる。 

最も蓋然性の高い仮説

以上の検討の結果、最も蓋然性が高いのは、真犯人『X』が証拠隠滅を目的として『巣鴨5丁目』へ定期入れを投棄した可能性(③)である。この場合、『X』が同地域に何らかの地理的・社会的関連を有していたか、あるいは捜査攪乱を意図してこの場所を選定した可能性が考えられる。

次項では、この仮説を前提とし、『巣鴨5丁目』と犯人『X』の関係性、ならびに投棄の意図について更なる考察を行う。

『巣鴨5丁目』における証拠投棄の意図とその背景

『A氏』の定期入れが投棄されていた東京都豊島区『巣鴨5丁目』の民家は、都内唯一の路面電車である『都電荒川線』の『新庚申塚』停留場から東方約100メートルの地点に位置する。この地域には『寺社』や『区立公園』が点在し、当該民家は公道から分岐する道幅の狭い『私道』に面している。この『私道』は行き止まりとなっており、通行者の往来は限られると考えられる。

以上の地理的条件を踏まえると、犯人『X』はこの『私道』に侵入し、1997年3月9日(日)から3月12日(水)の午前10時頃までの間に『定期入れ』を投棄した可能性が高いと推察される。

東電OL殺人事件定期券発見場所巣鴨5丁目民家
東電OL殺人事件定期入投棄現場巣鴨5丁目内

2022年10月撮影 編集により加工済み

ここで重要なのは、犯人『X』がなぜこの場所を投棄先として選んだのかという点である。通常、証拠を隠滅する場合、人目につきにくい場所に廃棄するか、完全に破棄する手段がとられる。たとえば、東京都内に多数存在する河川や『東京湾』に投棄する方法、生活拠点のゴミとともに処分する方法、シュレッダーやハサミを用いた物理的破壊、火による焼却、またはゴミ集積所やコンビニのゴミ箱に廃棄する方法などが考えられる。

しかし、犯人『X』はこれらの手段を選択せず、あえて『巣鴨5丁目』の民家に投棄している。この行動には、単なる証拠隠滅とは異なる意図的な要素が含まれていた可能性が極めて高い。

証拠の意図的な発見を狙った可能性

もし『X』が『巣鴨5丁目』を意図的に選んだとすれば、その目的は「証拠の意図的な発見」を狙った可能性がある。『定期入れ』を不特定多数の通行人が往来する場所ではなく、特定の民家の敷地内に投棄することで、速やかに発見され、警察へ届出される可能性を高めたと考えられる。

この行動の意図として、以下の三つの仮説が成り立つ。

第一に、事件現場周辺に捜査を集中させる意図が考えられる。『X』が『巣鴨5丁目』に『定期入れ』を投棄することで、警察の聞き込みや証拠収集が渋谷・円山町周辺に集中し、自らの行動履歴を覆い隠すことができる可能性がある。これにより、犯行後の足取りを追われるリスクを低減し、捜査を一時的に攪乱する狙いがあったと推測される。

第二に、自身の生活圏から証拠を遠ざける意図が考えられる。『X』が渋谷・新宿・池袋・大塚・山谷などの地域で生活していた場合、これらの地域で遺留品が発見されれば、捜査の直接的な手がかりにつながるため、それを避けた可能性が高い。したがって、『X』は意図的に自身の生活圏から距離を置き、異なる地域で証拠を発見させることで、捜査の方向を撹乱しようとしたと推察される。

第三に、事件と無関係な第三者を巻き込む意図が考えられる。『巣鴨5丁目』で『定期入れ』が発見されれば、警察は周辺住民への聞き込みを開始し、近隣の人物が捜査対象となる可能性が高まる。『X』がこの効果を狙い、捜査対象を分散させることで、自身への疑いを遠ざける意図があったと推察される。

『X』の犯行後の行動シミュレーション

『X』が犯行後にどのような経路をたどったのかについて、仮説に基づく推察を試みる。まず、犯行現場である渋谷・円山町のアパートからの離脱経路として、いくつかの可能性が考えられる。『X』は『神泉駅』から『京王井の頭線』を利用し、下北沢で別路線に乗り換えた可能性があるほか、『渋谷駅』から『JR山手線』を利用し、池袋方面へ向かった可能性もある。なお、『東京メトロ副都心線』の利用も考えられるが、当時は未開通であったため、この選択肢は除外される。仮に『X』が円山町から北方向へ移動したとすれば、最も合理的なのは『JR山手線』を利用した経路である。

仮に『X』が『巣鴨5丁目』を意図的に選択したとすれば、そこには現在の生活圏を覆い隠す意図があった可能性が高い。さらに、人間の行動選択には過去の記憶や経験、生活習慣が無意識的に影響を及ぼすことがある。特に、危機的な状況に直面した際には、生まれ育った地域や通学・通勤で利用していた経路を直感的に選択する傾向がある。こうした心理的要因を踏まえれば、『X』が『巣鴨5丁目』に『定期入』を投棄した背景には、過去の生活圏や行動パターンが影響していた可能性が示唆される。

事件当時、『X』が『都電荒川線』『新庚申塚』駅周辺に居住していた可能性は低いと考えられるが、同駅やその周辺地域を過去に利用していた可能性は否定できない。

『X』の人物像

『X』の生活環境について、目撃証言および遺留品の情報をもとに推察する。目撃証言によれば、『X』は東南アジア系の特徴を有する人物である可能性が指摘されているが、一方で、日焼けが常態化した野外労働に従事する日本人である可能性も否定できない。また、単身者であり、固定した住所を持たない可能性が高いと推測される。さらに、『X』は強盗殺人という重大なリスクを冒してまで、わずか数万円を奪う必要があるほど経済的に逼迫していたと考えられ、事件後も犯罪行為を継続していた可能性があるものの、未だに逮捕されていない点は特筆すべきである。

これらの要素を総合すると、『X』は日雇い労働者または短期滞在者であり、特定の住居を持たず、都内を転々としながら生活していた可能性が高い。また、経済的に困窮する一方で買春を繰り返す常習的な利用者であり、都市部に点在する安価な宿泊施設や簡易宿泊所を主な拠点としていたと考えられる。

また、『X』が『巣鴨5丁目』を証拠投棄の場所として選んだ背景には、証拠を短期間で発見させることで捜査の方向を逸らし、自身の足取りを隠そうとする捜査攪乱の意図があった可能性があると考えられる。この仮説に基づけば、『X』は事件現場から離脱後、『山手線』を利用して北上し、意図的に『巣鴨5丁目』へ向かった可能性が高い。

これらの推論を総合すると、『X』は都市部を転々とする単身者であり、低所得層の日雇い労働者、または住所不定者であった可能性が高い。事件当時、捜査を攪乱するだけの知能を有しながらも、経済的に困窮していたことが、犯行の背景にあったと推察される。

【東電OL殺人事件】花街と犯人『X』の行動パターンを分析

東京都内には、現在もしくは過去に『花街』と呼ばれる地域が存在している。『東電OL殺人事件』の被害者であるA氏が殺害された『円山町』も、その一つに数えられる地域である。欲望が交錯する都市の一角で、A氏と真犯人『X』は接触した。

『都電荒川線』の路線を確認すると、この路線は東京都荒川区南千住1丁目の『三ノ輪橋停留場』から、新宿区西早稲田1丁目の『早稲田停留場』までを結んでいる。沿線には、『西早稲田』、『東池袋』、『大塚』、A氏の定期入が発見された民家の最寄り駅である『新庚申塚停留場』、『北区王子』、『荒川区町屋』、『南千住』などが含まれる。

画像の外部リンク先は『東京都交通局都電荒川線路線図』と『東京都交通局都電荒川線所要時間』のホームページ。

この路面電車は、東京の代表的な『花街』、『繁華街』、『下町』を通過し、東京最大の風俗街である『吉原』や、簡易宿泊施設が密集する『山谷』にも近接している。

犯人『X』は、『円山町』で買春相手を探し、結果としてA氏を殺害するに至ったと推察される。殺害の動機は不明であるが、A氏が所持していたとされる現金4万円以上を強奪した可能性があり、金銭目的の犯罪であった可能性が示唆される。

また、犯人『X』は、過去にも買春目的で東京の繁華街を徘徊していたと考えられる。『都電荒川線』を利用し、『大塚』や『吉原』周辺に立ち寄る機会があった可能性は高い。さらに、『X』が低価格帯の買春を常習的に行っていた場合、個人間での売買春に依存していたと推察される。1990年代から2000年代前半における買春の主な手段として、携帯電話を利用した出会い系サイト、店舗型テレクラ、路上での直接交渉が挙げられる。

だが、これらの手段による個人間交渉は、店舗型風俗店の利用と比較して、売春者・買春者双方にとって高いリスクを伴うものであった。にもかかわらず、犯人『X』がこのようなリスクを承知の上で個人間取引を選択していたとすれば、経済的に困窮し、より安価な取引に依存せざるを得なかった可能性が高い。

事件当時、強奪されたとされる現金の額は数万円程度であり、定期券の奪取も払い戻しを目的とした行為であったと考えられる。したがって、犯人『X』は『山谷』のような簡易宿泊施設街で寝泊まりしていた可能性や、買春行為のリスクを考慮しない常習的な利用者であった可能性が示唆される。

さらに、前述の目撃証言を考慮すると、犯人『X』は東南アジア系(ただし、肌の色の特徴を根拠とする推測に過ぎない)である可能性が指摘される。または、日焼けが常態化している野外作業従事者を含む日本人、もしくは北東アジア系の人物であった可能性も否定できない。 これらの推論を踏まえると、犯人『X』は個人間売買春に対する警戒心が希薄であり、23区内でも比較的賃料の低廉な地域、特に簡易宿泊所が密集する山谷周辺地域に居住していた可能性が高いと考えられる。

『東電OL殺人事件』の真犯人像と未解決の真相に迫る

1990年代後半を代表する事件の一つである『東電OL殺人事件』には、時効が存在しない。警察は、任意ではあるものの、各種の事件で逮捕した被疑者のDNAを採取することがある(累犯など一定の条件下では、比較的軽微な犯罪においても採取される場合がある)。収集されたDNAデータと『東電OL殺人事件』の真犯人『X』のDNA型との照合は、現在も継続されていると推察される。

しかしながら、『X』が未だに逮捕されていない理由は何か。仮に『X』の犯行動機が数万円の強奪にあったとするならば、『X』は常習的に犯罪行為を繰り返す傾向が強い人物であると推測される。実際、強盗殺人の加害者が再犯を重ねる例は少なくない。それにもかかわらず、『X』が逮捕されていないという事実は、いくつかの可能性を示唆している。

第一に、『X』がすでに死亡している可能性である。強盗殺人というリスクの高い犯罪を犯してまで数万円を奪った点からすれば、犯行当時の『X』は生活基盤が不安定であり、野宿や簡易宿泊施設を転々としていた可能性が高い。過酷な生活環境により健康を損ない、すでに故人となっていることも十分考えられる。

第二に、『X』が日本国内にいない可能性である。『東電OL殺人事件』の捜査過程では、東南アジア系とみられる人物の目撃情報が報告されている。仮に『X』が外国籍であった場合、事件後に出国し、その後帰国していない可能性も否定できない。特に、当時の出入国管理体制においては、記録が完全に網羅されていなかったケースも考えられるため、現在も海外に潜伏している可能性がある。

第三に、『X』が日本人でありながらも、身元を隠して生活している可能性である。『X』が当時、低所得層の簡易宿泊施設や日雇い労働者のコミュニティに属していた場合、身分証の提示を求められない環境に身を置き続けることができたかもしれない。また、事件後に整形手術を受けるなどして容貌を変え、社会の目から逃れている可能性も考えられる。

しかし、事件発生からすでに25年が経過したにもかかわらず、『X』の逮捕には至っていない。その要因は何か。前述した死亡・国外逃亡・潜伏以外にも、警察の捜査網から巧妙に逃れ続けるだけの知能や計画性を持った人物であるという仮説も成り立つ。

ここで、逃亡犯が長期間発見されない背景について考察する。2024年1月、1975年に発生した東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件の被疑者である桐島聡が、「内田洋」の偽名を用い、神奈川県鎌倉市内の病院に入院していたことが明らかになった。桐島は末期の胃癌を患い、病院関係者に自ら本名と事件への関与を告白した。彼は約40年間、神奈川県藤沢市の建設会社に勤務し、職場近くの木造2階建てアパートで単身生活を送っていた。また、健康保険証や運転免許証などの身分証明書を所持していなかったが、それらを必要としない職場環境や人間関係のもとで生活を維持できていた。この事例は、現代の日本社会においても、匿名のまま長期間生活することが可能であることを示している。

さらに、元オウム真理教信者で特別手配されていた3人の長期逃亡と逮捕(うち1名は無罪確定)などの事例も、日本社会が「匿名のまま生活を維持できる環境」を内包していることを示唆している。これらの逃亡者に共通する要素として、組織的な支援を受けず、社会の制度的な隙間を利用し、身分確認を厳格に求めない職場や生活環境を活用していた点が挙げられる。

本記事の冒頭において、本事件の被害者である『A氏』については言及しないと述べたが、最後に触れておきたい。彼女はエリート家庭に生まれ、高い学歴を有し、『東京電力』初の女性総合職として採用された。優れた論文を執筆し、学識の深さを示した一方で、拒食症を患い、自傷行為を思わせるように『花街』や『繁華街』に立つ姿が見られた。彼女の名前、そして『東電OL殺人事件』という事件名は、1990年代後半から2000年代にかけて、日本社会を象徴する『記号』となった。

だが、『記号』ではなく、一人の人間として彼女の人生を振り返るならば、『X』の存在は決して曖昧なままにしてはならない。犯人が未だ逮捕されない現実は、日本の司法や捜査体制、そして社会の在り方そのものを問うものでもある。『X』が語るべき言葉はまだ何も発せられていない――しかし、その沈黙が、より多くの問いを私たちに投げかけている。


◆参考文献
『東電OL殺人事件』佐野眞一 新潮文庫 2003.
『禁断の25時』酒井ゆかり アドレナライズ2013.
『恋の罪』マルキ・ド・サド著,植田祐次訳,岩波文庫1996.
『東電OL事件-DNAが暴いた闇』読売新聞社会部 中央公論新社2012.

◆映像
映画『恋の罪』


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Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste Roquentinは、Albert Camusの『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartreの『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場する主人公の名を組み合わせたペンネームです。メディア業界での豊富な経験を基盤に、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルチャーなど多岐にわたる分野を横断的に分析しています。特に、未解決事件や各種事件の考察・分析に注力し、国内外の時事問題や社会動向を独立した視点から批判的かつ客観的に考察しています。情報の精査と検証を重視し、多様な人脈と経験を活かして幅広い情報源をもとに独自の調査・分析を行っています。また、小さな法人を経営しながら、社会的な問題解決を目的とするNPO法人の活動にも関与し、調査・研究・情報発信を通じて公共的な課題に取り組んでいます。本メディア『Clairvoyant Report』では、経験・専門性・権威性・信頼性(E-E-A-T)を重視し、確かな情報と独自の視点で社会の本質を深く掘り下げることを目的としています。

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