映画『サウルの息子』解説・考察(収容所の反乱とサウルの反抗)

アウシュヴィッツ

★ご注意:この記事には、映画『サウルの息子』のネタバレが含まれています。

映画『サウルの息子(Son of Saul)』

本作はナチ支配下のポーランドに建てられアウシュヴィッツ絶滅収容所のゾンダーコマンド(特別労務隊)サウルと1944年10月7日のゾンダーコマンド反乱を描いた2015年のハンガリー映画である。

意図的にピントを外した映像とサウルを追うようなカメラワークや35ミリフィルムを使用した映像は、絶滅収容所のなかの死と暴力、人間の尊厳を完全否定した非人道的な日常風景をドキュメンタリー的に描いているともいえるだろう。 第68回カンヌ国際映画祭(2015年5月開催)や第88回アカデミー賞(2016年2月開催)などで高い評価を得た映画『サウルの息子』と実際のゾンダーコマンド反乱などを中心にナチの非人道的な政策など解説・考察していこう。

映画『サウルの息子』概要

監督はハンガリーのブダペストでハンガリー人の父親とユダヤ人の母親とのあいだに生まれのネメシュ・ラースロー(1977年2月18日生)。

サウルを演じるのは1967年、ハンガリーのブタペストに生まれ、ポーランドのクラクフにあるヤギェウォ大学でポーランド文学を専攻したルーリグ・ゲーザである。

第68回カンヌ国際映画祭 コンペティション部門
第88回アカデミー賞 外国語映画賞
第73回ゴールデングローブ賞 外国語映画賞(ハンガリー映画初)
映画『サウルの息子主な受賞歴

彼は90年代にイスラエルのエルサレムでの暮らしを経て、ニューヨークのブルックリンのユダヤ教タルムード学院に進み、詩集の出版やニューヨーク・ユダヤ教神学院で教職に就くといわれている(参考:サウルの息子公式サイト。なお、2022年9月17日現在、同サイトはhttps化されていないため、リンクは張りません)

映画『サウルの息子』の脚本に影響を与えたといわれる実在のゾンダーコマンドが密かに書き記し、アウシュヴィッツ収容所の火葬場の付近地中に埋めた手記や手紙『アウシュヴィッツの巻物(2005年)』、日本では「みすず書房」2019年,ニコラス・チェア (著), ドミニク・ウィリアムズ (著), 二階宗人 (翻訳)』は、2020年8月16日に初回放送されたNHKスペシャル『アウシュビッツ 死者たちの告白』でも引用されている。

※「アウシュビッツ」の表記はNHKのタイトルのまま。なお、本記事のアウシュヴィッツの表記は一般的な表記でありドイツ語の発音に近い表記です。

映画『サウルの息子』あらすじ

ゾンダーコマンドの反乱(武装蜂起)が行われた1944年10月7日の前日と思しき日。

死の収容所アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で同胞の死体処理ゾンダーコマンドの任務についていた主人公のハンガリー系ユダヤ人の自称元時計職人ウースランデル・サウルがいた(なお約110万人が犠牲になったといわれる死の収容所アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所のなかでハンガリー系ユダヤ人は最大の犠牲者約44万人を出している)。

ゾンダーコマンドに指示されガス室とは知らずガス室に入る多くのユダヤ人たちのなかにツィクロンB/チクロンBが投下(天井から缶ごと投下されたと認定されている)される死の収容所アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の死体処理の日常のなかにウースランデル・サウルがいた。

この日――ツィクロンB/チクロンBが投下されてから数分後、ガス室のなか、幾重にも折り重なるユダヤ人の「死体(収容所内では「部品」と呼ばれている」のなかにまだ息のある少年が見つかる(なお、史実として同様のエピソードがあったといわれ、詳細は本記事「史実のゾンダーコマンド」にあります。お急ぎの方は、本記事目次の「史実のゾンダーコマンド」からお読みください)。

その後、その少年は殺され解剖の予定となるが、主人公サウルはその子が自分の息子だと思い込み(他のユダヤ人がサウルには息子はいないという)ユダヤ教の埋葬(収容所で殺されたユダヤ人は焼却炉で焼かれるが、ユダヤ教は火葬を認めていない)をしたいと強く願い、ユダヤ教の埋葬のためのラビ(指導者、聖職者)を探し始める。

本作は、「子を埋葬したい」と願う主人公サウルの1944年10月6日と思しき日から翌日1944年10月7日までの約2日間(収容所のユダヤ人囚人の勤務時間は1日12時間)を奔走を史実の「ゾンダーコマンドの反乱(武装蜂起)」、「ゾンダーコマンドらによる収容所内の極秘撮影(収容所内の資料、記録などの外部への持ち出しは2021年公開のスロバキア・チェコ・ドイツ・ポーランド合作映画『アウシュヴィッツ・レポート(監督ペテル・ベブヤク)』で描かれている)」などと絡めながら描き物語が進むドキュメンタリー的な作風を持つ近年の傑作映画である。

ナチ政権下のユダヤ人の定義

ナチ政権下で非アーリア人(ユダヤ人)の考え方が示されたのは、1933年4月7日に制定された「職業官吏再建法」第二条の規定からだといわれる。

非アーリア人とは、非アーリアの、わけてもユダヤ系の両親、祖父母の系統を引く者で、両親・祖父母のうち一人が非アーリアであれば十分である。特に両親の一人あるいは祖父母の一人がユダヤ教信者であれば、ユダヤ人とみなしうる。

芝健介. ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書) (p.39). 中央公論新社. Kindle 版.

そして、この非アーリア人の考え方は、1920年代のナチ党の顧問弁護士で、ナチ政権下の内務大臣であり「※不法国家下の合法主義者」と呼ばれる「ヴィルヘルム・フリック(1877-1946)がすでに示していた。(引用、参考:芝健介. ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書) (p.40-41). 中央公論新社. Kindle 版.)

※この「不法国家下の合法主義者」という言葉は、法の支配や法治国家を考えるうえで大変重要な言葉だ。

ヴィルヘルム・フリックの考えによれば、ユダヤ人は宗教信教共同体の構成員を指すのではない。ユダヤ人は「血統」「人種」「血」が決定的である。つまり、キリスト教に改宗したとしてもユダヤ人はドイツの民族共同体の一員にはなれないことを示し、「血統」「人種」「血」など自分に責任のない、変更不能な生得性属性で包括と排除が正当化される。

三山のぼる漫画『メフィスト』と魔女狩り。そして、ヒトラーと拡大自殺』の記事で既に述べたが、ローマ帝国崩壊後の欧州での迫害対象だった「魔女」は、当初、その行為(人畜に被害を与えるなどの犯罪行為)により裁かれ迫害されていた。だが、寛容な時代の終焉とともに思想(反キリスト教など)犯となった。その後、不寛容な社会はさらに進み、「変更不能な生得性属性」を理由に国家、政府の「政策」として迫害される時代となった。つまり、ユダヤ人は生まれ落ちた瞬間に血統的「ユダヤ人」という属性だけを理由に迫害の対象となる恐ろしい時代の到来である。

また国家に有益か、社会に必要か、生かすことが社会に損か得かなどの基準により「生きるに値しない命」の「選別」も行われた。

この「生きるに値しない命」は、2016(平成28)年7月26日に発生した植松聖死刑囚の「相模原障害者施設殺傷事件(死亡19人、負傷26人)」にも繋がる思想・価値観でもある。

当時の報道によれば、「植松(ウエマツ)容疑者が病院に措置入院中だったことし2月、病院の担当者に対し、『ヒトラーの思想がおりてきた』と話していたことが分かりました(引用:障害者19人殺害 容疑者 措置入院中に「ヒトラー思想がおりてきた」NHK  2016年7月28日付)」などが散見され、植松死刑囚の犯罪動機が危険な優性思想に基づくものではないかともいわれた。なお、植松は「軽い冗談だった。」と神川新聞取材班の接見取材で答えたといわれる(引用:「やまゆり園事件 著,神奈川新聞取材班 幻冬舎 2022年8月 P193」)

その後の1935年9月15日のニュルンベルグで開催されたナチ党大会で悪名高い「ニュルンベグル法(「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」及び「帝国市民法(ドイツ公民法)」の二つの法の総称)」が、可決、交付され、ドイツ国内のユダヤ人は公民権(ユダヤ人はドイツの参政権、被参政権、公職に就くなど公民権を持たない単なるドイツ国籍を有する者となる)を剥奪される。

さらに、1935年11月14日には「ドイツ国公民法暫定施行令」が出され、ユダヤ人の定義が確定する。(引用・参考:芝健介. ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書) (p.53). 中央公論新社. Kindle 版.)

※1(一級混血)は、①ニュルンベルグ法公布の時点でユダヤ教共同体に所属していたか、同法の交付後に共同体に所属が認めらえた場合。②同法交付の時点でユダヤ人と結婚していたか、同法の交付後に結婚した場合。③1935年9月15日以降にユダヤ人とドイツ人の結婚により生まれた子。④1936年7月31日以降に生まれたユダヤ人とドイツ人の非嫡出子(婚外婚)。

祖父母4人がユダヤ人ユダヤ人
祖父母3人がユダヤ人ユダヤ人
祖父母2人がユダヤ人2分の1ユダヤ人(一級混血)※1
祖父母1人がユダヤ人4分の1ユダヤ人(二級混血)※2
ナチ政権ユダヤ人の定義(引用・参考:芝健介. ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書) (p.53). 中央公論新社. Kindle 版.)

※2(二級混血)は、ドイツ人に分類される(ユダヤ人とは結婚できない)

なお、祖父母のユダヤ人規定は、ユダヤ教共同体に属していればユダヤ人などの曖昧な(20世紀以前のユダヤ教徒は、ほぼ血統的にもユダヤ人だと判断したのだろう)点もある。

この「ニュルンベグル法」の一つ「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」は、ドイツ人とユダヤ人の結婚を違法し、「刑法が完全に人種イデオロギーのもとに置かれ、マイノリティに対する差別的例外規定によって、法の前の平等が否定されることになった。(引用:芝健介. ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書) (p.54). 中央公論新社. Kindle 版.)」

殺人工場 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

アウシュヴィッツ(アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所)は、 ナチ支配下のポーランドの古都クラクフ(クラクフにはナチのポーランド総督府が置かれていた。また、クラクフには全市民の25%にあたる6万人のユダヤ人が住んでいたが、労働力として利用可能と判断された1万人以外の者は全てクラクフのゲットー“ユダヤ人の強制居住区域”に収容された。なお、クラクフのゲットーは、映画『シンドラーのリスト(Schindler’s List)監督スティーヴン・スピルバーグ,1993.』で描かれている)から西方向へ約50キロメートルに位置する。

複数の収容所から構成される最大時総面積約40平方キロメートルのアウシュヴィッツ絶滅収容所は、1940年4月27日、当初はポーランドの政治犯を収容する目的でハインリッヒ・ヒムラー命により建設が始まる。

殺人罪の前科を有するルドルフ・ヘース(1900年-1947年)がアウシュヴィッツ絶滅収容所の所長(司令官)に任命されたのは、1940年5月であり、彼を含むドイツ人スタッフの多くが過去、刑事事件での服役経験を有するといわれている。

ゾンダーコマンド(特別労務隊)

ビルケナウでのガス室(ツィクロンB/チクロンBを使用した殺害)の稼働は1942年初めから春頃といわれ、親衛隊、医師(親衛隊大尉ナチ医官で「死の天使」と呼ばれた戦犯ヨーゼフ・メンゲレは、1943年5月からアウシュヴィッツに勤務)らの労働可否の「選別」は1942年5月4日から行われたといわれる。(参考:芝健介. ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書) (p.213). 中央公論新社. Kindle 版.)

そして、アウシュヴィッツなどの絶滅収容所には、ユダヤ人のなかから選別された「ゾンダーコマンド(特別労務隊)」と呼ばれる者たちがいた。

彼らは強制収容所に連行(輸送)された欧州各国のユダヤ人のなかから選ばれ‘(言語などが違うため意思疎通が難しかっただろう。それは聖書創世記の「バベルの塔」を思い起こさせる。「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように(引用:創世記11章1-9節)」

「人間」を書類上の数字と見なし、数を減らすため工場的で機械的な殺人が行われた――正確に言えばナチは「殺人」とは考えいなかったのだろう。本日、何トンの廃棄物を処分と同じようにモノの廃棄と考えいたのだろう。そこにナチズムというイデオロギーとそれを絶対視する者たちの狂気がある)――絶滅収容所。 ゾンダーコマンドには同胞であるユダヤ人をガス室に誘導し、その死体を処理するという想像を絶する過酷で非人道的な任務を与えられていた。

史実のゾンダーコマンド

ここからは、少し長くなるが史実のなかのゾンダーコマンドについて参考文献(ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 芝健介著,中央公論新社,2008年)から引用しよう。史実のなかのゾンダーコンドの悲惨な状況と映画『サウルの息子』を思わせエピソードが記述されている。

ビルケナウ収容所の場合、ユダヤ人特別労務班員は一 九四四 年八月のピーク時には九○ 四名を数えた。彼らは食料や労働条件で特別待遇を受け、サラミ・酒・タバコの支給あり、 他の収容者から隔離されていた。だが、こうした優遇を受けても、人体実験を含む「 医療」 に従事させられたユダヤ人医師ミクロス・ニスリは、「ユダヤ人特別労務班員が担わされた 恐るべき任務は、自らの人格の放棄と想像を絶する絶望感によってはじめて行うことができた」と語っている。多少の期間、生命を保障されたとはいえ、つねに仲間たちが死に追いやられるのを見るのは耐えられない重圧があった。奇跡的に生き残った後も、自殺に駆ら れたり廃人になった者も多かった。ユダヤ人特別労務班員だったフィリップ・ミュラーは、次のようなことを印象深く語っている。ガス殺が終わった後、遺体運搬のためにガス室に 入ると、「膨大な数の遺体のなかで一体だけ、心臓の鼓動が感じられる者がいた。それは子どもだった」と述べている。だが、 この少女もすぐに射殺されて短い生涯を閉じたという。

芝健介. ホロコースト ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書) (p.223). 中央公論新社. Kindle 版.

ゾンダーコマンドに与えられた残酷で非人道的な役割。

これは人間(ナチの役人)が人間(ゾンダーコマンド)に与えた役割である。 ナチズムという一つの思想(反ユダヤ主義はナチズムが発明した思想ではないが)から生まれた非人間的で合理的で功利的な国家、行政システム、法と運用が生んだ(2022年の現在から100年前に満たない)20世紀の史実である。

映画『サウルの息子』で描かれたゾンダーコマンド

史実を基に創作された映画『サウルの息子』に登場するゾンダーコマンドは無表情だ。彼らは日常化した数えきれないほどの暴力、死、人間の尊厳の破壊を目の前にするが、彼らはそれらの事象について完全に思考停止しているようだ。

目の前に一切の意味を与えず、目の前に事象について考えることもない。大量の人間の亡骸は何の意味もなさない。完全に風景化させている。

勿論、主人公のサウルも目の前の事象や遺体を目にしてもそれらに「意識」を注ぎ意味を与え、感情に転化させることはしなかった筈だが、「息子」を目にした時――彼は「息子」に意味を与える。「息子」の遺体に意味を与える。だからこそ、彼の表情には次第に疲れの色が見え始め、その目には薄っすらと狂気が宿る。

映画『サウルの息子』のゾンダーコマンドは、ただ生きるために意識的に思考停止を覚え、意識的に感情を排除して生活している。

それは極限状態のなかでの生きるための人間の工夫だったのだろう。映画『サウルの息子』は、ゾンダーコマンドを見事に描いている。

なお、主人公サウルの胸には「黄色の逆三角形の星」のマークが縫い付けられているが、ゾンダーコマンド反乱の中心的な人物として描かれているアブラハムの胸には「赤色の逆三角形の星」が縫いつけられている。この星の色は、強制収容所内の「囚人」の属性を示し、「赤色の逆三角形の星」は、共産主義者、政治犯、自由主義者などの囚人を現している(「黄色の逆三角形の星」はユダヤ人。)

ゾンダーコマンドの反乱 サウルの反抗

人間性を完全否定されたゾンダーコマンドのうちの数名は、1943年頃からアウシュヴィッツから脱出を目指し、密かに反乱の計画を練り始める。

また、この計画には、収容所内の金属加工業、爆薬工場で働いていたローザ・ロボタ(1945年1月6日絞首刑)など4人のユダヤ人女性も参加、密かに集めた火薬類をゾンダーコマンドに提供し、彼らの計画を後押した。

そして、1944年10月7日、ゾンダーコマンドの反乱が始まった。

映画『サウルの息子』は、史実のゾンダーコマンドの反乱と「子」を埋葬したいという人間の根源的な感情など人間性を否定するナチの冷徹な合理主義/功利主義、価値観、思想に対するサウルの反抗を同時に描いていると言ってもいいだろう。

史実のなかのゾンダーコマンドの反乱

東部戦線(独ソ戦)の戦況悪化(ソ連の侵攻)はナチ占領地域からのユダヤ人の移送を激減させる。だが、皮肉なことに、この占領地からのユダヤ人移送の激減は、不要になったゾンダーコマンドがガス室に送られるという噂を生み、この噂が彼らを武装蜂起の決断を決定づける。

1944年10月7日――これまでのように親衛隊がユダヤ人の選別を行っている最中――鉄棒、斧、ナイフ、岩、石などで武装したゾンダーコマンドが親衛隊に襲い掛かかり、複数の焼却炉などを破壊した。ゾンダーコマンドは親衛隊から奪った銃器類なども使い、約600名が逃亡を試み、数名が死の収容所からの脱出に成功するが、武装蜂起は親衛隊に鎮圧され、約250名が銃殺、反乱の報復として約200名は反乱当日に銃殺され、さらに1944年10月10日頃、ゾンダーコマンド14名が逮捕された。

また、収容所内のユダヤ人に対する残忍行為で有名な高いカポ(ドイツ人刑事犯で収容所の労働監視などの職に就いていた)は、生きたまま焼かれたともいわれている。

なお、ゾンダーコマンドの反乱後の1944年11月、ヒムラーは独ソ戦の戦況悪化を理由にガス殺の中止命令を出した。

映画のなかで描かれたサウルの反抗

「人」は大切な者を愛おしみ、その大切な者が亡くなった後も、その者を想い、その者を大切な存在として扱い、その者を埋葬し、墓を作り、時々、その者に会いに行く。それこそ、「人」である。太古の昔より、「人」は故人を埋葬し、墓を建て、墓に花を飾り、故人とともに生きる。だが、人間性を完全否定したナチの絶滅収容所内では、人の死は統計的な意味でしかない。

遺体は焼却処分する不用品と同じ扱いだ。燃やされ、灰になり、空や河や地中に撒かれる。それがナチの絶滅収容所だ。それこそがナチの「政策」だ。主人公サウルは、ゾンダーコマンドの反乱に消極的にだが参加しているのだが――彼のナチへの反抗行動は「息子」を埋葬することだ。

その反抗のためにサウルは時に自分勝手な行動もするが――サウルは「息子」の「遺体」を決して離そうとしない。川の大きな流れのなかでも必死に「息子」の「遺体」を守ろうとする。人にとって、大切な「息子」の「亡骸」は、生きている「息子」と同じように大切な存在なのだ。

亡くなった「息子」を埋葬するということは、「息子」に永遠の命を与える儀式なのだ。「人」は太古からこの儀式を繰り返し、自分を含め「人」は永遠性を獲得できる。「息子」を「埋葬する」こと。「埋葬したい」と思うこと。これこそが、人間性を完全否定するナチに対するサウルの反抗なのだ。

最後にサウルは――無表情のサウルが微笑みを見せる。この微笑みの意味はなんだろうか?「息子」は誰を指すのか?

その答えの一つは、映画『サウルの息子』やその他の資料、物語からナチの蛮行を目撃し、知ろうとする世界中の我々に対する微笑みではないだろうか?我々こそ狂気の絶滅収容所のなかでゾンダーコマンドに貶められても人間であることに本能的に拘った『サウルの息子』なのだ。


★参考文献・資料
『ホロコーストナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌』芝健介著,中央公論新社,2008年
米国ホロコースト記念博物館

★引用文献
障害者19人殺害 容疑者 措置入院中に「ヒトラー思想がおりてきた」NHK 2016年7月28日付
『やまゆり園事件 』神奈川新聞取材班,著, 幻冬舎,2022年8月


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Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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