英雄から殺人鬼への変貌はなぜ起こったのか?ジャンヌ・ダルクがジル・ド・レに与えた影響を探る
14世紀から15世紀にかけて起こった百年戦争。この戦争でフランス側の勝利に貢献した女性が、「オルレアンの乙女」ジャンヌ・ダルクだ。戦場にいる彼女には、片腕と呼べる存在がいた。それが、「救国の英雄」と呼ばれたジル・ド・レである。
ジル・ド・レは様々な創作物に登場するなど、その知名度は高い。しかし彼の知名度を上げる原因になったのは、英雄としてではなく、殺人鬼としてである。 ジル・ド・レはなぜ、英雄から殺人鬼になったのだろう。「オルレアンの乙女」ジャンヌ・ダルクとの関係を見ながら考えていきたいと思う。
ジル・ド・レの生涯
ここでは、ジル・ド・レの生涯を大まかに解説していきたい。
ジルが生まれたのは1405年のフランス、アンジュー地方。彼の家は名門貴族であり、広い土地を有していた。生まれながらに恵まれたように見えるジルであるが、彼が11歳位の時、両親を相次いで亡くすことになる(母親は男と逃げたともいわれる)。
幼いジルとその弟を引き取ったのは母方の祖父だった。彼は祖父に溺愛されて育った。家庭教師は付けられずとも、読書好きで博学な人物だったとされる。そしてそれと同時に、悪癖のある祖父の影響も少なからず受けていた。
成長したジルは軍人となった。1429年にはジャンヌ・ダルクと出会い心酔。共にオルレアン包囲戦を戦い、さらにはパテーの戦いで戦果を挙げ、百年戦争をフランス優位に導いた。こうした功績により、フランス元帥の地位を得ることになる。
ジャンヌが処刑されると、ジルは放蕩を繰り返すようになった。金に糸目をつけず錬金術師たちを招き、怪しい研究や黒魔術に没頭する。そして、美しい少年たちを誘拐し、虐殺するようになった。 ジルの凶行は1440年に明るみに出ることになった。彼は裁判にかけられ、全ての罪を認め、泣きながら懺悔をしたが、死刑に処されることとなった。絞首刑の後、死体が火刑となったのである。
ジル・ド・レが持つ、2つの人物像
生涯の項で述べたように、ジル・ド・レは英雄と殺人鬼という2つの顔を持っている。ここでは、それぞれについて見ていこう。
ジャンヌ・ダルクを支えた英雄
ジャンヌ・ダルクは、百年戦争時に劣勢だったフランスを勝利に導き、シャルル7世を王位につけることに尽力した人物だ。フランスの国民的ヒロインであり、今日でも人気が高い。
ジル・ド・レもまた、彼女が処刑されるまでは英雄だった。彼自身が勇敢な軍人であったし、何よりもジャンヌを信じ、彼女の右腕として奮戦した。フランス側の勝利に大きく貢献したからこそ、25歳の若さで元帥の地位を与えられ、「救国の英雄」と呼ばれたのだ。 フィクションではあるが、リュック・ベッソン監督の映画「ジャンヌ・ダルク」を見て欲しい。頭が良く、ハンサムで勇敢な(多少粗雑だが)若きジル・ド・レを見ることができる。
「青ひげ」のモデルとなった連続殺人鬼
「青ひげ」という童話をご存じだろうか?この童話は、多くの妻を娶り、その度に殺してしまう領主の男を描いた物語である。この物語のモデルこそ、ジル・ド・レだという説があるのだ。
ジャンヌ・ダルクが処刑されてから、ジルは少年を誘拐し殺害する、という凶行を繰り返すようになった。その手口は書くこともはばかられるほど恐ろしく、残酷なものだ。そして、彼が少年を殺すのは、性的な楽しみのためであると共に、悪魔崇拝の儀式の一端でもあった。ジルの被害者は1500人に上るとも言われるが、実際はもっと少ないだろう。しかし、多数の少年を殺害したのは確かである。 また一説によると、ジルの立派な黒ひげが、光の加減により青く見えることがあったということも付け加えておこう。
ジャンヌ・ダルクがジル・ド・レに与えた影響を考える
ジル・ド・レはなぜ、祖国の英雄から残忍な殺人鬼となったのだろうか。その背景を、ジャンヌ・ダルクの存在を元に考えていきたい。
昔から、ジャンヌ・ダルクの死とジルの凶行は結び付けられることが多い。ジャンヌが火刑に処されたことを悲しみ、心を病んだという訳だ。
ジルは幽閉されたジャンヌを助けようと行動している。失敗したとは言え、この行動が表すのは、彼がジャンヌに心酔していたという事実。そうでなければ、無謀な行動を起こそうとはしないだろう。
人の感情は複雑なものだ。「心酔」と表現すれば一言だが、その実、様々な感情が流れているはずである。ジルがジャンヌに抱いていた感情は、どのようなものだったのだろうか?
ジルはジャンヌに対し、恋愛感情は抱いていない。これは確かだ。そして彼女に対し、信仰心に近いものを持っていた。これは歴史が示す通り確かなことだろう。彼がジャンヌの言い分(神のお告げ)をどこまで信じていたかは不明だが、彼女をただならぬ存在として見ていたはずである。
おそらくジルは、元来信心深い人間だった。だからこそジャンヌを信仰・崇拝することができたのだし、「天使のように美しい」少年の虐殺と悪魔崇拝に繋がるのではないだろうか。ジルが最初に犯した殺人は、悪魔を呼び出すための生贄だったと言われている。
田舎の少女が見せた奇跡と勇気、実行力。それはジルの心を打った。そしてその思いは、ジャンヌの死により不変のものとなった。死に際にまで信仰心と勇気を見せたジャンヌは、ジルにとって(一足早く)聖女となったのである。
ジャンヌはジルに神秘を見せつけた。神秘と錬金術、そして悪魔崇拝は意外と近い位置にある。神秘を体現した信仰対象の死により、神秘をより身近なものにしようとしたのではないだろうか。
ジルの被害者が少年ばかりだった理由。これは単純明快だ。ジルはそもそも、同性愛の傾向があったとされる。同性愛は珍しいものではないが、キリスト教にとっては異端だった。
もう少し深く考えてみると、ジルは同性愛の傾向があるからこそ、ジャンヌを崇拝した可能性もある。ジャンヌは男装で戦場に立っていた。男性ばかりの軍隊の中で、その姿は美しい少年の様に映ったかもしれない。そんな彼女の姿に、ジルは神聖を感じていた可能性がある。
人間には、愛するもの・尊敬するものと同一の存在になりたい、という感情が生まれることがある。それと同時に、サディスティックな感情もまた、人間の根本にあるものである。愛情と嗜虐心は相反するようで、共生しているものなのだ。
ジルが少年を殺しているとき、その脳裏にジャンヌが浮かんでいなかったか。おぞましい考えではあるが、決して無いとは言えないだろう。
まとめ
ジル・ド・レと言えば、エリザベート・バートリと並ぶ中世の大悪人の名前である。その歴史を学ぶのは、不快な気持ちになると同時に、妙な中毒性のある行為でもある。
彼らの行動や思いは、歴史を細かく紐解いてみても不明な点が多い。だからこそ、考える楽しさが生まれるのだ。もっと色々な資料を読み込んで、中世の世界に耽溺してみたい。 この記事で書いたのは、筆者の私見が多い。解釈違いも多いことだろう。しかしその解釈は、これからもどんどん変わっていくはずだ。だからこそ、歴史を学ぶのは楽しいのだと思う。
★アイキャッチ画像、ジル・ド・レのサイン、ジャンヌ・ダルクはパブリックドメインを使用。
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