グリコ・森永事件を考察 事件は滋賀県から始まり滋賀県で終わった
戦後日本の犯罪史に残るグリコ・森永事件(警察庁広域重要指定114号事件)。
本サイトは過去4回にわたり「グリコ・森永事件」の検証・考察を行った。
- グリコ・森永事件 検証-1 事件は滋賀県から始まり滋賀県で終わった
- グリコ・森永事件 検証-2『昭和53年テープの男』
- グリコ・森永事件 検証-3 『事件前(周到に準備された計画)』
- グリコ・森永事件 検証-4 『目撃された者たち』
この事件に関係するといわれる『昭和53年テープ』には、滋賀県の琵琶湖東岸地域を走る近江鉄道の電車音が入っていた。
1984年11月14日、ハウス食品工業脅迫の現金受取現場は「滋賀県」だった。そして、現金受取に失敗した犯人のうちの見張り役と思われる一人は、栗東町岡集落で盗んだ自転車に乗り、警察官の職務質問をかわし滋賀県草津市方面の闇に消えていった。その後、犯人達による現金受取の直接的な指示はない。つまり、犯人達の最後の直接的行動は1984(昭和59)年11月14日、滋賀県内の現金受取現場だった。
その後も犯人達は食品メーカー企業や警察、マスコミに脅迫状を一方的に送り付けてはいるがその「姿」を人前に現すことはなかった。犯人達は現金受取に3回失敗している。一度目は1984年6月2日(土)元自衛官を脅迫して現金受取人に仕立てた『焼肉大同門摂津店』の現場。二度目は「丸大食品脅迫事件」の1984年6月28日(木)、所謂『キツネ目の男』が現れた旧国鉄『高槻駅』から『京都駅』の区間での現金受け渡し指示(「電車内から外の白旗が見えたら現金を投げろ」などの指示)の現場。三度目は、 1984年11月14日、滋賀県を舞台にした「ハウス食品工業脅迫事件」の現場。
当然ながら犯人達は直接的な現金受取の逮捕リスクを承知している。そのリスクを計るかのように事前に数回にわたり受け渡しの指示を出し(グリコ脅迫事件の1984年4月8日(水)『喫茶店マミー(兵庫県西宮市熊野町:江崎社長宅付近)』での現金受け渡し指示や同年4月24日(火)『レストラン・ダンヒル(大阪府豊中市上島津)』での受け渡し指示など)その現場の様子を窺っていたと推測される。
数回に渡る受け渡し指示の後、犯人達はそれらの指示現場の観察状況から企業側が警察に連絡せず裏取引に応じるのか、応じないのか、の一つの判断材料にしようとしたのは容易に想像できるが、結局は結論などが出なかったのだろう。
企業側は裏取引に応じず警察に連絡しているかもしれない。または、裏取引に応じる決断を固め警察へは連絡していないかもしれない。それを確定させるため一度目の 『焼肉大同門摂津店』の「現場」があったのだと思われる。すなわち、「現場」を指定してそこに自分達の替え玉を送り込み、警察が「いる/いない」を確定させる。「いる」場合には替え玉は逮捕され、「いない」場合には現金が手に入る。
そして、この作戦で犯人側は警察の関与を確信した。現金受取「現場」を「指定」することは警察の事前準備や包囲を完成させることになる。それからは移動しながら(電車、車)の現金受取指示に作戦が変更される。
問題は警察に事前準備、配備、包囲などさせない場所の選定になる。さらには現金受取の際に警察に追われる最悪の事態を想定した逃走経路、逃走場所(民家、会社事務所などのアジト)が必要となる。
つまり、犯人が直接的に警察組織と対峙するには地の利を活かすための土地鑑が必要だったと推測される。
脅迫状投函場所
ここで、犯人達が警察、企業、マスコミに送付した脅迫状の「消印」の場所と頻度を考察してみよう。なぜなら、脅迫状の投函は土地鑑を必要としない作業であり、また、出来るだけ自分達の生活圏(住居、勤務先、経営先などのアジト)から遠い場所を選ぶとも考えられるからだ。
図1 参考文献:『キツネ目 グリコ森永事件全真相 岩瀬達哉 2021年3月 講談社』
上記図1は、確認された30通の「脅迫状」の消印のある郵便局および直接的に置かれた「森永関西販売本部」「大阪城天守閣」「大阪府警茨木署下穂積派出所」の所在する都道府県別グラフである。
同図で示したとおり、大阪府が最多であり滋賀県内からの投函(消印)は一つもない。参考文献:『キツネ目 グリコ森永事件全真相 岩瀬達哉 2021年3月 講談社(P298-311)』
脅迫状の文面と滋賀県
つぎに犯人達の最後の脅迫状(挑戦状)を見てみよう。以下の脅迫状(挑戦状)が所謂「犯行終結宣言」といわれている。1985年8月11日 消印「摂津」の 脅迫状(挑戦状)
❝国会ぎいんのみなさんえ
あんたらわすれっぽいな
わしらの法りつそないなっとるねん
はよ死刑いりのつくってや
しが県警の山もと死によった
しがにはナカマもアジトもあらへんのにあほやな
死ぬんやったらよしのかしかたやで
1年と5か月もなにしとんねん
わしらみたいな悪ほっとったらあかんで
まねするあほまだぎょおさんおる
たたきあげの山もと男らしうに死によったさかいに
わしらこおでんやることにした
くいもんの会社いびるのもおやめや
このあときょおはくするもんにせもんや
ゆうしゅうな警察へとどけたらええ
大学でのよしのやしかたがあんじょおしてくれるで
わしらも悪や
くいもんの会社いびるのやめてもまだなんぼでも
やることある
悪党人生おもろいで
かい人21面相❞
犯人達は一方的な「犯行終結宣言」のなかで自死した山本元滋賀県警本部長に触れ、また、滋賀県内にはわざわざ「仲間もアジトもない」と記している。
犯人達は警察の捜査が近くまで迫っていることを肌で感じていたのかもしれない。
事件は滋賀県に戻った
<報道記事>
グリコ社⻑宅前の⾛⾏⾞ ハウス事件遺留品と接点 所有者が不審グループと関係
読売新聞 1992.03.17
グリコ・森永事件(警察庁広域指定⼀⼀四号)で、グリコ製品への⻘酸混⼊が予告された昭和五⼗九年五⽉、兵庫県⻄宮市の江崎勝久・江崎グリコ社⻑(50)宅前でナンバーチェックされた乗⽤⾞の中に、同年⼗⼀⽉のハウス⾷品脅迫事件で遺留された発光電⼦部品「EL」(エレクトロ・ルミネスセントライト)が付着する可能性がある滋賀県内の⼈物の所有⾞が含まれていたことが、⼗七⽇までの⼤阪、兵庫、滋賀などの府県警捜査本部の調べでわかった。捜査本部は、グリコ側と取引上のトラブルがあった不審グループを重点捜査しているが、同グループとこの⼈物も関係があり、慎重に周辺捜査を進めている。調べによると、この⼈物所有の⾞は五⼗九年五⽉中旬、江崎社⻑宅前を⾛⾏したのを、警戒中の兵庫県警捜査員がナンバーチェック。その後の調べで、所有者は「EL」や塗膜、アルミなど、ハウス事件の遺留カークリーナー内に残っていた微細⽚と同種のものに接触する機会が多いことが判明した。また江崎社⻑宅前は交通量の少ない住宅街の⽣活道路で、周辺にこの⼈物や家族が⽴ち寄る知⼈らは住んでいないこともわかった。捜査本部では、⼆つの情報の接点として、この⼈物が浮上したことに加え、捜査中の不審グループとこの⼈物が関係があることに注⽬している。「EL」は⽶国で平⾯発光源として開発され、国内では、⼤⼿電機メーカーの⼤津⼯場が唯⼀製造しており、パソコンやポケットベルの表⽰板などの⽤途とともに、流通、回収過程も限られている。
グリコ・森永事件 産廃業者周辺に不審⼈物 特殊微物が付着か/近畿・府県警
1993.03.17 読売新聞
⼗⼋⽇で⼗年⽬を迎えるグリコ・森永事件で、兵庫、⼤阪、滋賀など各府県警捜査本部が、遺留微物の付着先の可能性が⾼いとして数社に絞って捜査を進めている産業廃棄物処理業者の関係者に、多くの恐喝未遂事件の現⾦受け渡し現場周辺に出⼊りしていたうえ、先に判明した江崎社⻑宅前でナンバーチェックされた乗⽤⾞の所有者とも交際を持つ⼈物がいることがわかった。捜査本部では、この⼈物と⾞の所有者がいずれも特定の産廃回収業者を通じて、発光電⼦部品など特殊微物が付着する可能性がある点を重視。⼈と物の接点が滋賀県南、東部に集中していることもあり難航する捜査を打開するキーポイントになると注⽬している。調べでは、昭和五⼗九年⼗⼀⽉のハウス⾷品⼯業に対する恐喝未遂事件で、犯⼈グループが滋賀県草津市内で乗り捨てたライトバンから、アルミ合⾦、塗料⽚など五百点近い遺留微物を検出。捜査本部では、このうち発光電⼦部品「EL」(エレクトロ・ルミネッセンス)など特殊微物を扱っている産業廃棄物処理業数社について内偵を進めた結果、この⼈物が浮かんだ。犯⼈グループから指定された多くの現⾦受け渡し場所近くに仕事で出⼊りしていたという。またグリコ製品への毒物混⼊が予告された同年五⽉、兵庫県⻄宮市の当時の江崎社⻑宅前でナンバーチェックされた⾞の所有者と顔⾒知りの間柄らしく、所有者については社⻑宅周辺に⾏く必要性がわからないままになっている。⼆⼈はいずれも滋賀県南部などの地理に詳しく、捜査対象になっている産廃回収業者を通じて「EL」など特殊微物が付着する可能性が指摘されている。さらに同⼀グループの犯⾏と⾒られている五⼗三年⼋⽉に脅迫テープがグリコ役員宅に送りつけられた事件で、テープの背景⾳には滋賀県東部を⾛る近江鉄道の⼆両連結電⾞の通過⾳が収録されていたが、⼀連の脅迫状の中に、同じ東部で使われている⽅⾔があったことがわかった。捜査本部では、情報がクロスする⼤津市から琵琶湖東岸⼀帯にグループの拠点があったと判断、産廃回収業者の周辺に、不審な⼆⼈が浮上したことで、地域を絞った洗い出しを進めている。
事件発生から約10年後の1990年代の上記2つの記事によれば、「滋賀県」「EL (エレクトロ・ルミネッセンス) 」「産業廃棄物業者」などが捜査の対象になっていることが記されている。
当初、グリコ・森永事件は、「大阪府」「京都府」「兵庫県」内に犯人の痕跡があり、それらの地域に犯人の手掛かりがあるとも考えられたいたと思うが、事件から約10年後、警察は「滋賀県」内に犯人の影を見ていたようである。
滋賀県内の一室で録音されたと思しき『昭和53年テープ』から10年以上の時を経て、全てが滋賀県のその部屋に戻ったのかもしれない。
では、ここからはグリコ・森永事件の犯人像にさらに迫ってみたいと思う。
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