戦争が生んだ異形の家族:中将の寡婦が率いた戦争孤児の窃盗団

記事戦争が生んだ異形の家族中将の寡婦が率いた戦争孤児の窃盗団アイチャッチ画像

1941年12月8日未明(日本時間)、日本海軍連合艦隊の第一航空艦隊(空母6隻を主力とする)がハワイ・オアフ島の真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が開戦した。これにより、日本はアメリカ、イギリスなどと連合国と戦争状態に入った。

日本軍は序盤、各地で優勢に戦いを進めたが、1942年6月のミッドウェー海戦で主力空母4隻を喪失し、戦局は一変する。以降、日本はアメリカ軍の反攻を受け、防衛戦へと転じた。

同年8月、ガダルカナル島の戦いが始まり、日本軍は補給を断たれ持久戦を強いられる。戦況はさらに悪化し、南方戦線全体で補給の途絶が深刻化した。特にニューギニアでは餓死や病死が戦死を上回り、部隊の戦力は崩壊した。 この南方の激戦でN少将(戦死後、中将に昇進)も命を落とした。

本記事では、終戦直後に窃盗団のリーダーとして摘発されたN中将の妻E子の事件を解説し、その背景と関係性について考察する。

事件の端緒

1948年3月17日、鹿児島署の女性警察官が、鹿児島市内の百貨店で挙動不審な少年を発見し、職務質問を行った。

少年は、「明日(18日)、1万5000円の金が入る。その後も10万円を作る予定だ。それらの金を持って東京に飛ぶつもりだ」と語った。

少年の年齢、容姿、服装に関する記録は残されていないが、いわゆる『戦争孤児』のような風貌だった可能性がある。少年の言動に不審を抱いた女性警察官は、翌18日に国鉄『鹿児島駅』付近での再会を約束させた。

約束の3月18日、女性警察官は男性刑事2名を伴い、約束の場所に一人で現れた少年と再会した。少年が約束を守ったことからも、その素直な性格がうかがえる。

女性警察官と2人の刑事は、少年に前日の発言について詳しく問い質した。すると、少年は東京出身の17歳の少年Bと、もう一人の少年Cらと共に『トカゲ団』という窃盗団を結成し、主に衣類を盗んで換金していたことを自供した。

3月19日には、市内の防空壕内にある『トカゲ団』の拠点にいた、住民票上の住所が東京都文京区にあった40代半ばのE子と、鹿児島市内に住所を有していたが年齢不詳のMを逮捕した。 その後、防空壕のアジトで逮捕されたE子が、1943年4月、南方戦線で戦死したN少将(戦死後に中将へ昇進)の妻であることが判明し、世間の関心を集めた。

戦死したN中将の妻E子

1943年4月に戦死したN中将と、戦争寡婦となった妻E子(当時40歳前後)の間に子供がいたかは記録がない。1948年1月頃、E子は生活に困窮し、以前から親交のあった女性Kを頼り、鹿児島市内を訪れたという。

この自白証言から、E子には頼れる親族や子供がいなかった可能性が高いと推察される。戦地での激戦と空襲が、多くの家族を引き裂いた時代だった。

しかし、E子は女性Kと会えなかった。途方に暮れた彼女は鹿児島市内に留まり、洗濯などの手伝いでわずかな収入を得ながら暮らしたが、生活は困窮を極めた。やがて、身を寄せる場所も住む場所もなくなった彼女は、『トカゲ団』の少年たちと接触し、彼らに誘われて防空壕を拠点とするようになった。

防空壕で少年たちと暮らし始めたE子は、彼らが窃盗で生計を立てていることを知る。しかし、自らも加わり、『トカゲ団』を指揮する立場となった。E子は少年たちに盗みを働かせ、盗品を売り捌いて生活の糧としたという。

不思議な関係性を考察

40代半ばの戦争寡婦E子と10代の少年たちの関係は異質である。単なる生活困窮者の共同体を超え、擬似的な親と子の関係が存在していた可能性がある。

E子は、夫を戦争で失い、戦後の混乱の中で社会から孤立していた。頼る者もおらず、生きるために手を差し伸べる相手は少年たちだった。

彼女にとって彼らは、単なる窃盗の手駒ではなく、どこか「庇護すべき存在」でもあったのかもしれない。空腹を満たし、寝床を確保し、最低限の生活を維持するため、E子は彼らを組織し、盗みを指示した。

だが、それは単なる犯罪行為というよりも、彼女なりの「家族を守るための手段」だったのではないか。

一方、少年たちにとってE子は、単なる窃盗団のリーダーではなかった。家族を失い、戦争の混乱で路頭に迷った彼らにとって、大人の女性がそばにいること自体が安心感をもたらしたのだろう。食べ物を分け与えられ、眠る場所を与えられる。彼らはE子に依存しながら、同時に彼女を必要としていたともいえそうだ。

E子が窃盗団を率いるようになった背景には、単なる犯罪組織の首領というだけでなく、戦争で家族を喪失した者同士が共依存的に結びついた結果としての側面があったとも考えられる。

人は共同生活の中に、自然と家族的な絆を求めるものだ。E子と少年たちの関係は、戦争が生んだ異形の疑似家族だったのかもしれない。

終わらなかった戦争の物語

戦争は、人々から大切な家族を奪った。E子の夫は、激戦の南方で命を落とした。戦死の状況や場所に関する記録は確認できないが、彼もまた、戦地の防空壕で過ごしていた可能性は高い。

E子が鹿児島市内の防空壕を生活拠点に選んだのは、単なる利便性のためではなかったのかもしれない。そこに、亡き夫N中将の面影を重ねた可能性がある。そして、少年たちも同じだったことは想像に難くない。

1948年――戦争はまだ遠い過去ではなかった。


◆参考資料
実話新聞1948年3月17日付


◆戦後の事件


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

この著者の最新の記事

関連記事

おすすめ記事

  1. 記事戦争が生んだ異形の家族中将の寡婦が率いた戦争孤児の窃盗団アイチャッチ画像
    1941年12月8日未明(日本時間)、日本海軍連合艦隊の第一航空艦隊(空母6隻を主力とする…
  2. 記事現場写真分析世田谷一家殺害事件携帯電話と血痕が暴く犯人像アイキャッチ画像
    2024年12月29日16時から放映されたFNNプライムオンライン(フジニュースネットワー…
  3. 記事1947年川越市の詐欺事件紳士と美女が仕掛けた巧妙な詐欺の手口アイキャッチ画像
    1947年9月中旬、戦後間もない埼玉県川越市の料亭Aに、一人の紳士然とした男性が現れた。男…
  4. 記事美貌の女サギ師戦後の混乱期に現れた詐欺師と性的資本の罠アイキャッチ画像
    「性的資本(エロティック・キャピタル)」とは、性的魅力を社会的に活用して利益を得る力のこと…
  5. 記事台湾ホラー映画紅い服の少女と日本~キーワードから日本との類似点を探る~アイキャッチ画像
    「絶対に安全である」という前提が必須なのは当然だが、人は往々にして恐怖感が大好物だ。その証…

スポンサーリンク

ページ上部へ戻る