記事拳銃を拾った少年イメージ画像

銃の規制が世界一厳しいといわれる日本。だが、銃器を使った犯罪はゼロではない。警察庁が作成した2022年版『日本の銃器情勢』によれば、同年に発生した銃器発砲事件は9件(安倍元総理暗殺事件を含む)であり、押収された拳銃は321丁に達している。これは依然として高い水準にある。

「少年、少女」が非日常に遭遇する小説、映画は数多い。非日常が彼らを大人にする。しかし、遭遇する非日常は楽しい出来事ばかりではない。出会ったことにより良からぬ方向へ引き摺り込まれる場合もある。

例えば「死体」を発見する少年、少女。例えば「銃」を発見した少年、少女――。 本記事では、拳銃を拾った少年、そして拾った拳銃を発射した少年に関する事件を紹介する。

事件概要

前日の日曜日と翌日の体育の日の狭間である1989年10月9日(月曜日)13時45分頃、福島県郡山市内の国道49号線と県道142号線に近い某スポーツ施設の植え込みに、1発の弾丸が装填された.38口径のリボルバーがあった。

同日の朝、通学途中の小学5年生の少年が、その不思議な物を見つけたといわれる。学校が終わった後、少年は他の2人の少年に、拳銃らしき物を見つけたと話す。

日常の中に現れた非日常。少年たちの好奇心は一気に加速する。秘密の冒険の始まりである。

――見に行こう――

少年たちは、拳銃と思しき物を見つけるために某スポーツ施設の植え込みを探し始める。拳銃と思しき物は、確かにその植え込みの中にあった。

最初に拳銃らしき物を手にしたのはA君だった。そこから秘密の冒険は恐怖の体験へと変わる。A君から拳銃らしき物を受け取ったB君は、「重い」と感じたが、玩具だろうと思い、右手で銃を構えたまま、市道のアスファルトに向けてトリガーを引いた。

突然、聞いたことのない爆発音が周囲に轟いた。拳銃を撃ったB君の身体は自然と震え、耳の中で不快な金属音が鳴り響いた。拳銃から発射された銃弾は、アスファルトに直径2センチの弾痕を残した。

3人に怪我はなかったが、拳銃を発射した際の大きな衝撃は、身体と心に刻まれたことだろう。3人は拳銃を持ったまま、1人の自宅に戻り、事情を知った父親が警察に通報した。

事件現場は、3人が通う小学校の通学路にある住宅街である。車の通行量や人の往来も多く、他の帰宅途中の小学生もいただろう。一つ間違えれば大事件に発展する恐れのある「秘密の冒険」だった。

事件の背景

同事件の背景には、暴力団の抗争事件があるといわれている。事件があった1989年8月、福島県郡山市内では、地元暴力団の事務所や幹部の自宅などに銃弾が撃ち込まれる事件が4件発生している。

同事件の現場となった某スポーツ施設は、地元暴力団幹部の自宅マンションから100メートルの距離にあった。福島県警察の見立てでは、同幹部宅マンションに銃弾を撃ち込んだ犯人が、警察の緊急配備を避けるため、拳銃を某スポーツ施設の植え込みに捨てた可能性があると語っている。

当然ながら、厳しい銃器規制がある日本で、銃を所持する者の多くは暴力団である。2022年版『日本の銃器情勢』によれば、同年中に押収された321丁の拳銃のうち、暴力団が管理していたと認められた拳銃は34丁である。

また、インターネット掲示板などを通じて売買されたことを端緒とする押収拳銃は41丁であるが、「拳銃」は一般に流通することのない「物」であるため、その売買の裏側には暴力団および関係者が関与していることは容易に想像できる。

2011年2月19日、13時50分頃、佐賀県佐賀市内の公営団地の敷地内で遊んでいた数人の小学生が、拳銃の入った手提げ鞄を拾うという事件が発生している。小学生たちが見つけた手提げ鞄は、団地の物置小屋の下にあったとされ、鞄の中には自動式拳銃1丁と、数発分の薬莢付きの銃弾と思しき物が入っていた。同事件では、鞄の中身を確認した小学生の一人が自宅に持ち帰り、父親からの通報で事件が発覚したとされる。

佐賀県警佐賀署は、事件に暴力団員が関与しており、拳銃と実弾の受け渡しが行われた可能性を示唆している。

また、暴力団および暴力団関係者以外による拳銃の放置事例としては、警察官がトイレなどに「置き忘れる」という事件が存在するが、これらは単なる「置き忘れ」によるものである。 そもそも、拳銃は日常生活の場に「無い」を前提とするため、拳銃を拾うという非日常が少年たちに与える影響は計り知れないだろう。拳銃は彼らの好奇心を刺激し、予期せぬ行動へと導く可能性がある。このような状況下での拳銃の存在は、未熟な判断力を持つ子供たちにとって重大なリスクを孕んでいる。

創作物のなかの少年・少女と拳銃

現代社会では、多くの物事が「無い」こと、あるいは「隠されている」ことを前提として成り立っている。それは、「死」や「死体」、国民生活に危険を及ぼす可能性のある「道具」、さらには誰かを不快にさせる「表現物」などである。

あるはずなのに「無い」ことにされているこれらの物と遭遇する少年・少女を描いた小説や映画などの創作物は多い。インターネット以前の時代にポルノ雑誌を探す少年、死体に遭遇する少年、拳銃を見つけ、その絶対的な力に自分自身が浸食される少年や少女――。

名も無い死体との関係を描いた1986年の映画『スタンド・バイ・ミー』、2018年公開の日本映画『リバーズ・エッジ』、銃を拾った少年を主人公とする2018年の映画『銃』、銃を手に入れた少女(女性)の物語である2020年の『銃2020』など、枚挙にいとまがない。

特に、偶然銃を拾う映画『銃』や映画『銃2020』は、日常の生活の中で疎外感や不満、孤独を感じる少年や少女(女性)が「銃」を拾うことによって、最終的にはその銃に追いつめられるという不条理を描いている。

「銃」には全てを変える力があるが、その力はやがて自分自身にも向けられ、自らもその支配下に入ってしまう。

出典:シネマトゥデイ映画『銃』

まとめ

本記事では、1989年に福島県郡山市で発生した拳銃を拾い発射した少年たちの実際の事件を紹介しつつ、日本における銃器の規制や、その背後にある暴力団の関与について詳述した。

日本は厳しい銃規制があるにもかかわらず、拳銃を巡る事件は依然として発生しており、その多くは暴力団の関与が背景にある。

また、創作物の中でも、拳銃を拾った少年や少女を描いた作品は多い。特に映画『銃』や『銃2020』では、登場人物が銃を手に入れることで日常からの逃避を図ろうとするが、最終的にはその銃に追いつめられるという不条理が描かれている。拳銃には絶大な力があるが、その力は自分自身に大きな影響を与えるものでもある。

これらの物語は、拳銃を手にした者がその力に翻弄され、やがて自分の内面や社会との関係に深く影響を及ぼす様を描いている。それは、現実世界における銃の危険性と共通するメッセージである。 「無い」とされる物が日常と人間を追いつめる。それでも、人は「無い」とされる物に興味と好奇心を抱く。それもまた、人間の一面である。


◆参考資料
朝日新聞1989年10月10日付 
読売新聞1989年10月10日付
産経新聞2011年2月20日付
警察庁(外部リンク『2022年版日本の銃器情勢』


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Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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