アニメ『千と千尋の神隠し』から異界を探る~神隠しと「この世」ではないどこか~

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日本が誇るアニメ製作会社・スタジオジブリが手掛けた『千と千尋の神隠し』。多少なりともアニメを見る人であれば、本作を知らない人はいないだろう。見たことはなくとも、大まかなストーリーは知っている人が多いはずだ。

スタジオジブリの多くの作品がそうであるように、本作もまた、非常に考察のしがいがあるものだ。

そこで今回は、本作の内容を筆者なりに考え、考察していきたい。

重要な言葉として挙げるのは、タイトルにも使われた「神隠し」と「異界」である。

『千と千尋の神隠し』の作品概要

『千と千尋の神隠し』は2001年に公開された、スタジオジブリのアニメ映画作品である。

「トンネルの向こうは……」という川端康成の『雪国』を想起させるようなキャッチフレーズが印象深く、記憶に残っている人も多いことだろう。

本作は千尋という1人の少女の成長を描く物語だ。スタジオジブリらしく、大人から子供まで楽しめる親しみやすい作品であるが、物語の随所に「なんだろう……」と頭をひねってしまうような描写がなされているのも特徴の1つである。

現在でも本作の人気は高く、劇場で再上映されている他、舞台にもなっている。

あらすじ

10歳になる主人公の少女・千尋は、父親が運転する車に揺られ、引っ越し先へと向かっていた。途中、父親は正規の道を外れ、山の中へと入り込んでしまう。車が行きついた先にあったのは、不思議な雰囲気を持つトンネルだった。

千尋の両親はトンネルの先に興味を持ち、どんどん先へと進んでしまう。千尋は躊躇したものの1人になることはできず、怯えながら両親についていくことになった。

トンネルを抜けた千尋たちが見たのは、美しい草原と、不可思議な文字が書かれた飲食店街だった。

千尋の両親は店の食べ物につられ、店員がいないにも関わらず食べ始めてしまう。千尋はそれを見てあきれ、1人で街をさまよい歩くことになった。

千尋が旅館のような建物の前に行きついたとき、1人の少年と出会った。その少年は千尋に「いますぐ帰れ」と怒鳴りつける。日が暮れていくなか両親がいたはずの店に辿り着いた千尋が見たものは、父親と母親の服をきた豚だった。

『千と千尋の神隠し』から見る異界の姿

日本には神隠しにまつわる伝承が多い。伝承が多く残るということは、昔の人々が神隠しを身近な、それでいて恐ろしいものとして捉えていたということだ。

では、神隠しにあった人々はどこへ消えてしまったのだろうか。その答えは「異界」にある。異界とは、人間が住む世界(この世)とは違う世界のことを表す。人間は神や天狗など、人ならざるものの手によって異界へと連れていかれてしまうのだ。

異界とは一体どんな所なのだろうか。怪異の影が薄くなり、神隠しが「失踪/誘拐事件」として扱われるようになった現代の人々にとっては、異界とは縁遠いものだ。

『千と千尋の神隠し』では、そんな異界の姿が色鮮やかに、イメージ豊かに描き出されている。その上で描写される物事の数々は、私たち日本人にとってどこか馴染みがあり、不気味ながらも懐かしい雰囲気を感じさせるものだ。

前置きが長くなったが、この項ではそんな本作の描写を思い出しながら、異界について考えていこう。

再度になるが、異界とはどんな所だろうか。それは暗くて寂しいところかもしれない。もしくは、様々な人ならざるものが歩き回り、思いのほか賑やかなところなのかもしれない。

死後の世界を異界だとするならば、少なくとも「天国」と「地獄」の2つの世界があることになる(本当はもっと細かな分類があるが、ここでは割愛する)。となれば、異界にも種類があるのかもしれない。

本作で描かれた異界は、紛れもなく賑やかな部類に入るだろう。巨大な浴場施設をはじめ、多くの飲食店が軒を連ねている。昼には閑散としているが、夜には多くの神々が集まり活気を取り戻す。その様子は、現世の夜の街にそっくりだ。

また、この世界にはいくつかの象徴的存在がある。それは、大河と橋だ。大河と橋は後述する「境界線」であり、日本人の死生観にとってなくてはならないものである。

千尋が迷い込んだ異界は、これまた境界の役割を果たすトンネルと、夜になると現れる大河によって、この世と隔てられている。細かな話は後の項でするが、橋や川で隔てられるというのは大きな意味を持つのだ。

そして、現世といくつもの境界線で隔てられた異界に住むのは、人間ではないものたちだ。油屋の従業員に千尋以外の人間はおらず、千尋の姉貴分であるリンもまた、人間に近い見た目をしているが人間ではない(狐の化身と思われる)。また、不定形の姿をしたものも大勢いる。

その世界で生きる存在がどんな姿をしているか。これは重要な問題である。千尋の名前が「千尋」という人間を表すものであると同様に、姿もまた、その存在そのものを表すものだからだ。ホモサピエンスが長い年月をかけて姿を微妙に変えてきたように、その存在が生きるのにふさわしい姿というものがある。

リンやその他の従業員が人間に近い見た目をしている理由。それは、彼らの役割にとって、その姿が一番良いからではないだろうか。掃除や給仕にお客の世話、太鼓持ちといった役割を果たすには二足歩行が欠かせない。そして、会話することも必須になる。しかし、それ以外、例えば「食事を作るだけ」といった役割においては、モヤモヤとした実体でも問題はない。もちろん、創作物特有の表現とも考えられるが、理屈としては成り立つだろう。

千尋の両親が豚の姿になったのも、この役割、おいては、その世界のルールに基づくものだ。

千尋が迷い込んだ異界では、「仕事をしないと動物に変えられてしまう」というルールがある。千尋の両親はこれに該当してしまったのだ。働かず、お客のための食事を貪ったため、最もふさわしい「豚」の姿に変えられてしまったのである。

このルールの大本は湯婆婆だと考えてしまいがちだ。しかし、彼女もまたルールに縛られている1人である。「仕事がしたい人には仕事を与える」という契約を背負っているからだ。だからこそ、湯婆婆は千尋の頼みを断れない。自発的に辞退してくれるのを待つしかないのだ。

そうなると、悩ましいのはカオナシだ。彼(彼女?)は特定の仕事を持たず、かといって油屋の客として扱われる神々の類ではない。その証拠として、千尋に招き入れられるまでカオナシは油屋に入れなかった。

カオナシの名前は、「顔」が「ない」に繋がる。顔とは、その人のアイデンティティを明確に表すものだ。そんな顔がないということは、自己がないということだ。

私たち人間は、「この世」にいるからこそ自己を保てる。自分がいる世界がはっきりしていないのに、自己を確立させられるはずがない。つまりカオナシは、この世の存在ではなく、異界の存在でもない。どこにも属さない存在なのだろう。だからこそ、自己をはっきりと確立させた千尋を欲しがった。千尋を手に入れることで、自分の居場所も手に入ると思ったのだ。

カオナシは、別の異界から来た存在なのかもしれない。そう考えると、千尋もまた、そうなる可能性があったのではないだろうか。

この世とあの世があり、異界がある。並行世界という言葉があるが、異界というのはこの概念のように、いくつもの世界が折り重なっているのかもしれない。

千と千尋の神隠し』に登場する、神隠しにまつわる重要な要素

『千と千尋の神隠し』には、神隠しの伝承における重要な要素がいくつか登場している。ここでは、これから鑑賞する人のため、または、すでに鑑賞済みの人のおさらいとして、要素2つをご解説していこうと思う。

境界線

人間の世界「この世」と人ならざるものの世界「あの世」を隔てる場所。それが境界線だ。本作では、この境界線がこれでもかと描かれている。

先に軽く、川と橋の話をした。この話から連想するものはないだろうか。そう、三途の川とそれに架かる橋である。ちなみに、三途の川には奪衣婆と懸衣翁という番がおり、湯婆婆との関連性を感じさせる。

古来より、川や橋はこの世とあの世を隔てて繋ぐ境界線だった。境界線をまたぐと帰ってくるのは容易ではない。場合によれば、永遠にこの世に帰ってこられなくなる。

境界線は川や橋だけではない。神隠しが起こりやすいとされる山や森も、異界との境界線だ。深い山や森は、あの世(死後の世界)への入口だと考えられたのである。もちろん、海の向こうや海の底も例外ではない。竜宮城を訪れた浦島太郎は異界に捉われ、大きく時間軸がずれた状態でこの世へと帰還したのである。

本作では、トンネルや不気味な石像も境界線として描かれている。

トンネルに入る前、千尋は不気味な石像を見た。これは道祖神に似ている。道祖神とはそもそも、悪霊の侵入などを防ぐため、村の境などに置かれるものだ。そしてトンネルは、現代的な異界との境界と考えられる。

神隠しが起こるためには、境界線を越える必要がある。本作は、幾重も境界線を張り巡らせた作品だ。それを超える度に、千尋は異界の奥深くへと進んでいくのである。

ヨモツヘグイ

日本神話を知っている人、もしくは、筆者の前回の記事(こつぜんと人が消える神隠し~各国の伝承と創作物からその姿を探る~)を読んだ人であれば、「ヨモツヘグイ」という言葉を知っていることだろう。この言葉もまた、神隠しにとって欠かせないキーワードである。

私たちの体は、この世の食べ物を口にすることでできている。つまり、一旦異界(あの世)の食べ物を体に入れてしまえば、この世の存在ではなくなってしまうのだ。ヨモツヘグイとは、黄泉の国の食べ物を口にした結果、現世に帰れなくなるというルールのことである。

本作では、千尋がハクに渡された丸薬を飲むシーンがある。丸薬を飲むことで千尋は消失を免れ、異界に生きることができた。そして千尋の両親は、異界の食べ物を食べることで、異界のルールに取り込まれることになった。

神隠し伝承では、長い年月を経て故郷に帰ってきた人々の話も残っている。しかし、はそのまま残る(この世に/故郷に)ことはできず、再度消えていったとされる伝承が少なくない。

自分とは違う世界の食べ物を食べるというのは、それほどに重要な問題なのである。

まとめ

名作アニメ映画『千と千尋の神隠し』から見た異界の姿、ならびに、「神隠し」という伝承について解説してきた。アニメを見たうえで、筆者の前回の記事を読んでいただけるとさらに楽しめることだろう

神隠しは神秘的だ。そして、本作はその神秘のベールに包まれた先を描いている。物語としてもおもしろく、様々な観点から考察するのも楽しい作品だ。

可能ならば、次はカオナシに重点をおいて考察してみたいと考えている。その記事が完成したときには、追加で読んでくれると嬉しい。


◆独自視点の漫画・アニメ考察


オオノギガリWebライター

投稿者プロフィール

ココナラをメインに活動中のWebライターです。2017年より、クラウドソーシング上でwebライターとして活動しています。文章を読んで、書く。この行為が大好きで、本業にするため日々精進しています。〈得意分野〉映画解説・書評(主に、近現代小説:和洋問わず)・子育て記事・歴史解説記事etc……

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