★ご注意:この記事には、映画『博士の異常な愛情』のネタバレが含まれています。
映画『博士の異常な愛情』の概要
本作は1964年劇場公開の、イギリス映画です。
正式名称は『博士の異常な愛情』だけではなく、実は先のタイトルのあとに『または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』がくっつきます。 実に長いタイトルなのです。
しかも、その文章を読む限り「水爆」を愛するという何やら不穏なものです。
早速、簡単に概要をご説明していきたいと思います。
『博士の異常な愛情』のメガホンを撮るのは、スタンリー・キューブリック。『2001年宇宙の旅』『フルメタル・ジャケット』などで独特の世界観を描き出す映画監督です。
モノクロ映像で描き出されるのは、実に毒々しいブラックな物語です。
物語冒頭で「こんなことはあり得ない」とアメリカ空軍が”注意書き”を入れるほど「実際にあるかもしれないけど、こんなことあったら世界が終わる」という、笑いに笑いきれない不思議な気持ちになる映画です。
原作は1958年発行、ピーター・ジョージの『破滅への二時間』です。破滅、なんともますます不穏さが増しますね。
というのも『博士の異常な愛情』が制作された裏では、実際にアメリカとソ連(現ロシア)は冷戦真っ只中で、ソ連が秘密裏にキューバで核も乗せられるミサイル基地を建設していることを知った、隣国アメリカはカリブ海を封鎖し臨戦態勢に。双方の国は核を保有していたため、いつ核戦争になるかと世界中が緊張状態になった「キューバ危機」が、本作の原案としてありました。
もしも、「世界滅亡」が起きたら。もしも、判断すべき研究者、権力者がみな恐怖で狂っていたならば。その「もしも」が描かれたのが、この『博士の異常な愛情―または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』なのです。
主演は、ピーター・セラーズ。本作では、ストレンジラヴ博士、マンドレイク大佐、マフリー大統領の三役を演じています。見事な演じ分けも、魅力のひとつです。
戦争もの、といってもほぼ血生臭い戦闘シーンは登場しません。静かに飛ぶ戦闘機、だだっ広い会議場の円卓を囲む首脳陣、「核」という言葉にもまるで
緊張感がない会話がずーっと続きます。 その「現実味のなさ」が、余計に心に巣舞う不気味さを掻き立てるのです。
映画『博士の異常な愛情』のあらすじ
遠い、どこかの世界――「ソ連が核戦争を目論んでいるらしい」――アメリカにそんな情報が流れ、国防省が一気に緊張が走りました。
時代は冷戦真っ只中、アメリカ空軍の最高司令官、リッパー准将から「”R作戦”の実施を全部隊に伝えよ」と通達がくだります。
それはB52爆撃機に水爆を搭載し、命令次第でソ連の目標地区に投下しろという人類にとっては、戦争どころで終わらない「人類滅亡」命令でもありました。
これを聞いたイギリス空軍のマンドレイク大佐は、危機感を感じたがあまりに現実味がない計画だったので乗り気ではなかったけれど、リッパー准将は反ソ主義であって心も極限に取り憑かれてしまい、独断でR作戦を実行へ移そうとします。
敵からの傍受を防ぐためにアメリカのあらゆる情報機器を封鎖して、マンドレイク大佐にソ連の動きを追うようにと命令します。
その頃、コング少佐率いるB52爆撃機にも「R作戦」の実行が伝えられました。
あまりにぶっ飛んだ作戦に思わず正気だろうかと少佐は我が目を疑いましたが、国のためにはやるしかないと腹を括り、覚悟を決めます。
その頃、秘密の場所で秘書とベッドインしていたタージドソン将軍にもR作戦の一報が電話で伝えられます。
ソ連側が特にアクションを起こしたという事も聞いていなかったので飛び起き驚き、急いで国防省へ向かいます。
既に正気を失くしたリッパー准将は、水爆を搭載したB52爆撃機に地上にいるもの全てを爆撃するようにと命令します。それを知ったマンドレイク大佐はB52に基地に引き返すようにと無線を入れましたが、B52は一切の通信ができなくなっていたのです。
R作戦を解除するパスワードを持っているのは、リッパー准将だけ。
マンドレイク大佐から情報を受け取ったアメリカ合州局大統領マフリーは急ぎ准将を探すようにと命令します。
既に准将からB52に、ソ連を攻撃するよう命令が下って34分が経過していました。あと25分ほどで、目標に到達してしまいます。
大統領の命令で、基地に准将がいることを掴んだ空挺師団が急行しますが既に警戒態勢に入っていて、容易に近づけません。
タージドソン将軍はソ連に先制すれば、アメリカは負けることはないと謎の自信に満ち溢れていました。先にソ連の戦力を崩せば、世界の犠牲は抑えられるはずだと。
しかし、核を利用するというあまりに突拍子もない計画のため大統領は強く抗議し反対します。大統領は直々に、ソ連の首相と電話で連絡を取り最悪の事態を回避しようと動きました。
しかし首相の答えもどこか歯痒い生ぬるい返事ばかり……というのも、既にソ連も核搭載のミサイルを準備しており、ソ連への攻撃確認後、自動的に作動するようにされていたのです。
どちらの核も爆発すると、10ヶ月後には人類滅亡という恐ろしい連鎖から逃れられません。
さてその頃、国防省の作戦室には一人の車椅子に乗ったサングラスの男性が訪れていました。それは、兵器開発局の長官として呼ばれた(Dr.)ストレンジラヴ博士でした。
元ナチスの武器設計技者で、核の威力なども熟知していました。彼曰く、爆撃をやめなければ、人類滅亡は免れないと言うものの、どこか愉快そうで右手が疼いていました。
右手が疼くと、ナチス式敬礼をしてしまう異常者で「もし核爆弾が爆発して、地球が滅亡したら自分はどう生き残るか」を嬉々として考えるような人物でした。
さて、基地にいたリッパー准将からやっとR作戦の解除パスワードを知ったマンドレイク大佐は急いで爆撃機に連絡を取ります。
既に目標目前で、数機は連絡を受け取ったものの、爆撃機も数機が打ち落とされていて、コング少佐は何も知らないまま、核弾頭にまたがり自分ごと落とせ、アメリカの勝利は目前だ!とやる気満々。
作戦室では終わらない平行線の話し合いが続いていました。優秀な男性1人に女性10人がいれば人類は生き残れると、疼く右手を抑えながら語るストレンジラヴ博士。どうやって生き残る人類を選んだらいいのか、頭を抱える大統領……。
そんなこんなで、パカリと爆撃機の入り口が開いてコング少佐を載せたまま核が目標に落ちていきます。
連鎖のように、世界中で核弾頭が爆発。 人類は、あっという間に滅亡したのでした。
鬼才、スタンリー・キューブリック
スタンリー・キューブリック――映画監督として少し異質、独特で唯一無二の世界観を描き出す人でした。
『シャイニング』『時計仕掛けのオレンジ』で見せたシンメトリーの空間美。『フルメタル・ジャケット』で見せた人間が機械になっていく狂気。一癖あるけれど魅入られると終わりのない底知れぬ魅力がある作品が数多くあって、キューブリック監督が亡くなってなお、根強いファンがいます。
その中で『博士の異常な愛情』は、少し異質な作品だと思えます。いくつかの場面はあるとしても、どこも閉鎖的です。B52爆撃機、国防省の広い会議室、基地のオフィス……。特に一堂に会する会議室は、実に息苦しくて終わりのない議論が延々と続きます。
大統領は人類滅亡を阻止しようと、必死に動き回るものの兵器開発局の長がストレンジラヴ博士ということで、核兵器を阻止するという気持ちよりかは、核が爆発していかに人類が生き残れるかにひたすら大興奮する姿を描くところが、非常にマニアックです。
実際に、登場人物にはモデルとなった人物がいます。
ストレンジラヴ博士には、第二次世界大戦のナチス政権下でV2ロケットを計画したヴェルナー・フォン・ブラウン。
マフリー大統領は、キューバ危機の際にアメリカの国際連合大使として動いたアドレー・スティーブンソンがモデルの1人であるようです。 このように徹底した調査と世界観の構築に、とても拘りの強い監督の一面が見えるようです。
ピーター・セラーズという「怪物」
さて、映画『博士の異常な愛情』を語る上で欠かせない人物が、主演ピーター・セラーズといえるでしょう。セラーズは幼い頃から楽器演奏者として、公演旅行を行う才気あふれる人でした。
第二次世界大戦中、イギリス空軍に従事し、その時に上司のモノマネを披露していた事が、『博士の異常な愛情』の役作りにもプラスに働いたようです。
私にとって”ピーター・セラーズ”といったら、『ピンクの豹』(1964年.)こと『ピンクパンサー』です。演じる役は悪戯好きで頭の良いピンクパンサーに翻弄される、ドジっ子のクルーゾー警部。ピンクパンサーは大人気となって、シリーズ作も作られ、彼はこの作品で一気にスターダムを駆け上がりました。
あとセラーズの一癖ある作品として楽しめるのは『名探偵登場』(1976年.)の謎の中国人警部シドニー・ウォンがあげられると思います。
実に胡散臭く、最後まで掴みどころがない奇妙な存在感を演じさせると、とても上手な俳優さんです。
そんなセラーズが、この作品で演じたのは核に狂ったストレンジラヴ博士、気弱なマンドレイク大佐、ひとりまともで真面目なマフリー大統領…という、性格も外見も全く異なる1人3役でした。
役作りも徹底し、モデルとなる人々を研究し、得意の誇張とモノマネで独特のキャラクターを作り上げて、本作のブラックコメディを引き立てる大切なスパイスになっています。
特に、ストレンジラヴ博士の気持ちが荒ぶると右手が思わずナチス式敬礼をしてしまうところはセラーズのアドリブだということです。
ストレンジラヴの狂気が目に見えて分かるところだと思うので、彼の観察力と瞬発力でこの作品の「核」となったと思います。
しかし、この癖の強い主役級の3役を演じるとは…セラーズ、恐るべし!です。
劇中にずっとただよう謎の浮遊感と絶望感
映画『博士の異常な愛情』では他のキューブリック監督作品とは少し雰囲気が異なると、私は思います。
それは「謎の浮遊感」です。シンメトリーの名手であるキューブリッツ監督がスタッフロールを、歪でまるでバランスが悪く、読んでいる方が不安になるような字体を使用されているのです。
バックにはふわふわと浮かぶ不安定なB52爆撃機。そんな飛行機に「人類皆殺し兵器」こと、水爆はハッチに乗せられています。
ソ連を水爆で攻撃するという頓痴気な判断をしてしまったアメリカ。国防省の会議室で繰り広げられる、終わりが見えない互いへの責任や意見を堂々巡りさせる話し合い。
その裏では水爆を爆発させないパスワードを手に入れるために空挺団とドンパチするものの、どこか緊張感が足りない。現実味が、みんな掴めていない感じが否めないんです。
まるで空に浮かぶ、雲を掴もうと手を伸ばしている感じなのです。だって、高官達は実際に核が爆発して「一体どうなるのか」「どれだけの被害があるのか」分からないから。
実際、世界で唯一「核」が落とされたヒロシマ、ナガサキの被害が世界中に公開されたのも、戦後何年も後でした。アメリカでは核が落とされると、目と耳を塞ぎしゃがんで物陰に隠れると良いという教育ビデオも作られていました。
冷戦の相手だったソ連に水爆を落とすという世界滅亡待ったなしの決断ができたのも「みんな、水爆が落ちたらどうなるかよく知らない」ことが一番だと思います。作戦を伝えられた爆撃機に乗るコング大佐は祖国のためと、勝手に覚悟を決めて水爆にまたがる始末。
既に世界中の先進国では核は開発済みで、地球を何回も滅亡させるくらいのミサイルは完成していました。つまり一度、たがを外すともう後戻りなどできなかったのです。
それが、なんとなくみんな、伝わっていない……やきもきしますよね。
だからアメリカが生き残ったら、とか、最後に地下シェルターで男女が生き残ったら子孫がどうとか言えるのです。放射線や熱線など、被害はとてつもなく大きいのに。皆がなんとなく話している、劇中の浮遊感。
現実は誰も生き残ることすらできない、ラストの絶望感。
もう現世は無理、来世に期待。そんな妙な穏やかさえ感じるのです。
実はあった「幻のエンディング」
核爆発の映像と、第二次世界大戦に流行した『また会いましょう(原題:We’ll Meet Again)』という歌謡曲に乗せて、世界の終焉で終わる『博士の異常な愛情』ですが、実は既に撮られていた「幻のラストシーン」があったことをご存知でしょうか。
既に有名な話なので、ご存知の方も多いと思いますがとても秀悦でブラックコメディとしては最高だと思うので、最後にご紹介したいと思います。
それは――「国防省の会議室に集った高官達で、パイを投げ合いお互いぐちゃぐちゃになり、ケラケラ狂ったように笑い合う」――でした。
物語終盤ではコング大佐が跨った水爆が落ちていったことでしょう。
そこまでの数刻……もうどうでもいいや、どうなってもいいや。人類のみなさん、さようなら!と言わんばかりの国のトップ達の「投げやり」。彼らも核に吹き飛ばされ、パイの飛沫のように地上がパイ(核)で爆発し続けていきます。みんな、ぐちゃぐちゃ。実に愚か、見た目もカッコ悪い。
そんな姿を描きたかったのかなとも思えるのです。こういうラスト、面白いなあと思いました。
さっきまで、真面目な顔して座っていたのに、みんなでパイ投げあって相手の顔が分からないくらいになる……皮肉が凄いですよね、そしてそのまま死ぬ。
私は個人的にチャップリンの『独裁者』(1940年.)のチャップリン扮するトメニア国の独裁者ヒンケルと、バクテリア国の独裁者ナパロニの料理投げ合いを思い出しました。
当人は本気なのに、愚かすぎて可笑しくてたまらないのです。 そんなことを、ふと思い出してしまいました。
【追記】文責 Jean-Baptiste Roquentin
本作は、米ソ冷戦当時の核戦争の危機などを痛烈に風刺する作品ですが、現在も核戦争の恐怖は続き、その懸念は日増しに強くなっているとも感じます。
『また会いましょう(We’ll Meet Again)』が世界中のTV、ラジオ、インターネットなどありとあらゆるメディアから突然流れてきて政治家たちがパイを投げ合い……映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』は、今の時代だからこそ、視聴したい映画だとも思われます。
動画は『核兵器の恐怖』Clairvoyant reportチャンネル
独自視点のキューブリック作品 考察と解説
独自視点の海外映画考察シリーズ