
要約(クリックで開く)
フランツ・カフカは、帝国、民族、言語の境界の上に生きた「永遠の異邦人」とも言うべき作家である。そうした生の感覚は、彼の作品に独特の不安を刻み込んだ。本稿では、『家のあるじとして気になること』のオドラデクと、『雑種』の羊猫という二つの奇妙な「命」を取り上げる。オドラデクと羊猫は、ただ不気味な存在なのではない。不安、相続、無限と有限、そして理解不能なものとの距離をめぐる、カフカ文学の核に触れる存在なのである。
フランツ・カフカの短編には、説明のつかない奇妙な「命」が現れる。
それらは単なる幻想ではない。むしろ、理解不能なものを前にしたとき、人間が抱く根源的な不安をむき出しにする存在である。
今回は、『家のあるじとして気になること』に登場するオドラデクと、『雑種』に登場する羊猫を取り上げる。
この二つの「命」を並べてみると、カフカ文学の奥にある不安、相続、有限と無限の感覚が、かなりはっきり見えてくる。
永遠の異邦人フランツ・カフカ(Franz Kafka)
20世紀の初め――ドイツのナチ政権が欧州を征服する前、1924年6月3日、一人の人間がこの世を去った。彼は1883年7月3日、現在のチェコ共和国の首都プラハのユダヤ人家庭に長男として生まれ、成人すると公務員的な職業に従事した。彼の名はフランツ・カフカ。20世紀を、いや人類を代表する作家の一人である。
彼が生まれた当時のプラハは、オーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあった。父親はチェコ語を話し、母親はドイツ語を話した。カフカの生まれたボヘミアは、1918年にドイツ系のオーストリア=ハンガリー帝国から独立し、スラブ系のチェコスロバキア共和国となる。
ドイツ系民族が支配するスラブ系民族の居住地域に生まれたユダヤ人。チェコ語を話す父と、ドイツ語を話す母のあいだに生まれたカフカは、まさに「永遠の異邦人」と呼ぶほかない存在だった。彼の作品にしばしば現れる居場所のなさや、どこにも属しきれない感覚は、この背景と無関係ではないだろう。
写真はビーチで撮影されたカフカと友人マックス・ブロートといわれる。2人はプラハ大学在学中に知り合い、友人関係は1924年カフカが31歳の若さで他界するまで続いた。
このマックス・ブロートの誠実な裏切りには、感謝するほかない。
この「境界線上の実存」という論点は、「映画『楽園』考察――境界線上の実存と、共同体が作り出す「人柱」の構造」でも別のかたちで扱った。共同体の内にも外にも完全には属せない者の不安という点で、両者はよく通じている。
このような背景を持つカフカには、『変身』『審判』『城』『アメリカ』などの長編作品や、『変身』のような有名な中編作品もある。だが同時に、謎めいた多くの短編作品も人類に遺してくれた。
なお、カフカの『城』というモチーフが映画のなかでどのように働くかについては、映画『恋の罪』考察|東電OL殺人事件とカフカ「城」
も参照されたい。到達できない中心としての「城」という語が、別の作品のなかでどのように響くかが見えてくる。
カフカは、自分の死後には原稿を焼却するよう遺言したという。だが、友人マックス・ブロートはその遺言を破り、『審判』『城』などの傑作を世に送り出した。
オドラデク あらすじと考察
チェコスロバキア共和国誕生の前年、1917年に書かれた『家のあるじとして気になること』には、カフカが創造した奇妙な、そして有名なオドラデクが登場する。
作品の冒頭では、主人公が「オドラデク」と呼ぶこの奇妙な「命」の名前の由来について語られている。だが、その語源ははっきりしない。誰が名付けたのかもわからない。そもそも、この奇妙な「命」がいつからこの世界にいるのかもわからない。
第一の説。オドラデクという言葉はスラブ語が起源で、それは語形からも明らかだとされている。第二の説。ドイツ語こそが起源であり、スラブ語はその影響を受けたにすぎない。いずれにせよ、どちらの説も頼りない。とりあえずもっともらしく考えるとすれば、どちらも的はずれで、そもそもそんなことをしても、この言葉の意味がわかるわけではない、となる。
家のあるじとして気になること フランツ・カフカ 大久保ゆう訳 青空文庫
なお、「オドラデク」という言葉はチェコ語の動詞”odraditi”(いさめる)からつくられた造語とのヴィルヘルム・エンリヒ(1909-1998)の仮説もあるが、カフカ自身はオドラデクについて何も語っていない。
オドラデクの見た目は、ぼろぼろの糸が巻き付いた星型の糸巻きのような形だ。その星型の糸巻き状の身体からは一本の短い棒が出ている。そして、この短い棒には、この棒と垂直な棒がついており、その垂直な棒と星の一つの角を利用して二本足のように歩き回る。動きは俊敏であるが、まったく動かないこともある。オドラデクは主人公の家に「いる」。いつからいるのかはわからないが、「いる」。だが、数か月にわたり姿を見せないこともある。また、オドラデクは、主人公と会話らしきこともでき、主人公の質問に答えることもあるが、何も答えないこともある。そして、「肺を使わずに笑う人」のように笑うこともある。
この正体不明なオドラデクと暮らす主人には不安がある。
どうでもいいことだが、わたしはこう考えてみるのだ。これから先、やつはどうなるのだろう。死ぬことがあるのだろうか? 死ぬものはみな、あらかじめ何らかの目標を持ち、何らかのやることをかかえている。そして、そのためにあくせくする。だがオドラデクの場合、こういったことが当てはまらない。もしかすると、やつはこれからも先、わたしの子どもや孫の足下で、糸をだらりとひきずりながら、かさかさ鳴くというのだろうか? そりゃむろん、やつが誰にも害をなさないということはわかっている。だが、ぼんやりと、やつがわたしの死んだあともやっぱり生きているにちがいない、などと思うと、わたしはどうも悩ましくてしかたがない。
家のあるじとして気になること フランツ・カフカ 大久保ゆう訳
一家の長である主人公は、自分が死んだ後もオドラデクが生き残るかもしれないことに不安を抱いている。
その不安は何だろうか。主人公はオドラデクを排除しない。奇妙な容姿に怯えているわけでもない。肺のない人のような笑い声に耐えられないわけでもない。彼が不安を抱くのは、オドラデクが永遠に生きるかもしれない存在だからである。
主人公にとって「命」とは、本来、目的を持ち、その目的のためにあくせくしながら生き、やがて死んでいくものだろう。だが、オドラデクには生きるための目的が「無い」ように見える。だからこそ、かえって永遠に生きるのではないか。目的もなく生きることは、オドラデクにとって幸福なのか。不思議なこの「命」を、自分の子や孫へ負の遺産として相続したとき、彼らはそれを受け入れられるのか。
主人公には三つの不安があるのかもしれない。
一つは、オドラデクを次代への負の遺産として考える、家長の立場からの不安。
もう一つは、説明可能で有限な存在である人間には理解できない、非合理で無限な存在と向き合ったときの不安。
最後の一つは、目的もなく永遠に生きるかもしれないオドラデクに対する、父親的な心配から来る不安である。
オドラデクを文学の内部だけでなく、日常の小さな異物へ引き寄せて考えたものとして、筆者のnote「玄関で跳ねるハエトリグモと、カフカのこと」も置いておく。家を持たない小さな生き物とオドラデクとの距離の近さを静かに語ったつもりだ。
『雑種』羊猫 あらすじと考察
カフカの短編『雑種』は、半分が猫、半分が羊という奇妙な「命」と、その奇妙な「命」を父親からの唯一の遺産として相続した男性の話である。
この奇妙な「命」には名前がない。父親の遺産として相続した当初は、猫の特徴よりも羊の特徴が強かったという。その後、この「命」の見た目や仕草にある羊と猫の割合は半々となり、さらに犬のように甘える仕草をしたり、人間のように共感の涙を流しているようにも見えたりする。主人公は、この奇妙な「命」からさまざまな動物の特性を感じ取っている。
主人公は、この奇妙な「命」が涙を流すように見えることなどから、人間的な心、つまり共感する心をそこに見ている。そして、父親からなかなか良い遺産を相続した、とすら考える。
主人公は、この奇妙な「命」の終焉の時まで面倒を見ようとも思っている。
しかしその一方で、この「雑種」の人間的な振る舞いや思慮深げな目を前にすると、肉切包丁を使って「当然の処置をしてくれ」と、この奇妙な「命」からせがまれているようにも感じてしまう。
物語はその感覚のまま終わる。
当然ながら、この奇妙な「命」と主人公のその後は書かれていない。
この奇妙な「命」と主人公はどうなるのか。これもまた、カフカが読む側に与えた命題の一つだろう。
『家のあるじとして気になること』『雑種』――カフカの宇宙の二つの命
20世紀を代表する作家カフカの短編『家のあるじとして気になること』と『雑種』には、二つの奇妙な「命」が登場する。この二つの奇妙な「命」の所有者――同居人、あるいは飼い主――の立場は、それぞれに違う。
オドラデクの同居人は、次代への相続に懸念を感じる父親である。
羊猫の同居人は、父親からなかなか良いものを相続された息子である。
また、この二つの奇妙な「命」そのものにも違いがある。
- オドラデクには由来は不明だが「オドラデク」という名前がある。
- 羊猫には名前がない。
- オドラデクはコミュニケーションを好まない。
- 羊猫には共感性があるように思われる。
- オドラデクの命は無限だと思われる。
- 羊猫の命は有限だと思われる。
- 小説『オドラデク』の主人公は被相続人である。また、他の家族や近隣住民は登場しない。
- 小説『雑種』の主人公は相続人である。また、他の家族は登場しないが、近所の子ども達が登場する。
カフカが創造した二つの奇妙な「命」と、その所有者が感じる不安。
主人公はカフカの分身なのか。
この二つの奇妙な「命」こそがカフカの分身なのか。
それとも、二人の主人公と二つの奇妙な「命」の両方がカフカの分身なのか。
カフカは、それらについて答えない。
答えは読む側に委ねられ、そこからいくつもの答えが生まれてきた。
だからこそ、カフカの個人的な不安は、人類共通の不安へと昇華され、時代と国境を越えて多くの人の心に響き続けるのだろう。
カフカは、自分の死後、書き溜めた多くの作品を破棄するよう遺言したといわれている。だが、その遺言は誠実な友人たちによって裏切られ、人類はカフカの偉大な作品を相続することができた。
自分が創り出した作品を、死後には破棄するよう遺言したカフカ。なぜ、カフカは自分の作品が人類に相続されることを拒んだのだろうか。
カフカにとって自分の作品は、オドラデクのような存在だったのか。それとも、羊猫のような存在だったのか。彼は、自分の作品に不安を感じていたのだろうか。
最後に、オドラデクと羊猫の共通点を一つだけ挙げてみたい。それは、この二つの奇妙な「命」に同族がいないということだ。そして、カフカがなぜ遺稿を焼却しようと考えたのか、それを考え続けたい。
永遠に答えは出ないだろう。
だが、それこそがフランツ・カフカなのだ。
★参考、引用文献
カフカ短篇集 岩波書店 (1987/1/16)池内紀
※写真 ビーチのカフカとマックス・ブロート
解説: Franz Kafka and Max Brod on the beach. Date unknown.
日付:1907年
原典:リンク先1976年の創刊のスペイン日刊新聞『El País(エル・パイス)』
作者:不明
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