オグリキャップの時代 権威への反抗
1988(昭和63)年6月5日、オグリキャップは、第6回ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(東京、芝、1600m)に出走(出走頭数:13頭)した。
1987年(昭和62年)地方の笠松でデビューしたオグリヤップ。その日、中央競馬移籍後「関西」の重賞を連勝したオグリキャップが東京競馬場に初めて姿を現した。地方競馬時代の連勝と中央競馬「関西」での重賞連勝の実績が話題となり、オグリキャップは断然の1番人気(単勝120円)に推されている。
昭和50年代の後半頃までの中央競馬は「西低高東」と言われていた。日本競馬の最高峰レース(G1)の「日本優駿(ダービー)」「天皇賞(春・秋)」「有馬記念」では、関西(厩舎所属)馬よりも関東(厩舎所属)馬の活躍が目立っていた(そもそも、上記レースのうち天皇賞・春を除けば関東の競馬場が舞台となるため関西馬には輸送の不利もあったのだろう)。
競馬は「優勝劣敗」の世界だ。そして、中央と地方にある絶対的な金(マネー)、権威、利権の壁。中央所属の馬と地方所属の馬にある能力値の差。それらはある意味、産まれる前から与えられた運命でもある。父親、母親、兄弟姉妹、一族の能力により産まれた馬の能力が推測され、売却価格が決まり、オーナー(所有者)が決まり、それらに基づいた組織に所属し、そこで走り(働き)、不慮の事故で死ぬ馬もいる。
オグリキャップは、第6回ニュージーランドトロフィー4歳ステークスを完勝した。坂のある直線の長い約600mの直線をほぼ「持ったまま」でコースレコードを叩き出し、二着馬に7馬身(1.2秒差)の圧勝だった。
それは日本中の競馬マニアに対する見事な名刺代わりのレース内容だった。そして、その名刺の裏にはこう書かれていたのかもしれない。―――下剋上、階級打破、硬直化した日本の組織、規制を打破する―――少なくとも私にはそう思えた。薄っすらだがそれらの文字が浮かんでいた。
当時の中央競馬会の規則により、三冠レース(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)の出走権さえ得られなかったオグリキャップ。オーナーの交代劇など人間の事情に振り回され、血統的背景から種牡馬としての期待も低かったオグリキャップは過酷なローテーションで過酷なG1レースを走った。
ここからはバブル経済の最後の時代に登場したオグリキャップから感じたオグリキャップの時代、オグリキャップの背中に乗せた反エスタブリッシュメント、反エリート、階級固定社会への嫌悪、反権威、反抗、反骨精神、闘争心を思いだしてみようと思う。
オグリキャップの時代 地方出身の英雄
1987(昭和62)年~1990(平成2)年のオグリキャップの時代はバブル経済の時代とその終わりを予感させる時代だった。バブル経済は競馬(公営ギャンブル)の集客、売上にも貢献する。金(マネー)と人間の欲はその行き場を求め投資と投機とギャンブルに吸い込まれ、世界で最も成功した社会主義国家、官僚社会主義のシステムが日本を世界有数の経済大国にした。
だが、優れたシステムにも欠陥はある。戦後40年以上続いたそのシステムに堆積した日本社会の問題点。官僚など一部の者が国を牽引し、国民を指導し、国民の生活を豊かさに導くなか、構築された階級・階層が固定化が可視化され始めた社会。長年の変更不能なシステムのなか、じわじわと偏りが広がる文化資本の蓄積という問題点が芽生えた始めた時代。
文化省の統計によれば、 1987(昭和62)年~1990(平成2)年 の過去年度高卒者を含む大学(学部)進学率は全体で25%前後、男性は33-35%、女性は13-15%である。
なお、 1987(昭和62)年~1990(平成2)年の大学進学率は男性が下がり、女性の進学率は上がっている。女性の大学進学率はその後も上がり続け、全体の大学進学率が50%を超えるのは2009(平成21)年からである。また、幼稚園就園率(小学校及び義務教育学校第1学年児童数に対する幼稚園修了者数の比率)が50%を下回るのは2016年(平成28年)からであり、ここ数年は「幼保連携型認定こども園就園率」が上がっている。(出典:文部科学省 進学率(昭和23年~)
日本人の多くが大学に進学しなかった時代、進学できなかった時代。バブル経済の狂乱に飲み込まれた時代。人々は覚めないバブルの狂乱の夢のなかに在る金だけでは変えられない権威や秩序への反抗心をオグリキャップに重ねたのかもしれない。
オグリキャップの先輩達 ハイセイコー、テンポイント
地方競馬から中央の競馬へ。中央のエリート馬達を蹴散らす地方出身の「野武士ハイセイコー」。 「西低高東」 の中央競馬に現れた打倒関東、打倒東京の「関西の星テンポイント」。これら、オグリキャップの先輩達を情緒溢れる美しい文章で表現し、人々の共感を呼んだ寺山修司(1935(昭和10)年12月10日 -1983(昭和58年)5月4日)の言葉から感じた、生まれながらの持てる者、金持ち、資本家に対する心理的反感と貧しい生まれの者、運命を変えようともがく者、再起を誓う者の人生の悲哀を感じた時代――60年代、70年代のハイセイコー、テンポイントの時代――にあったエスタブリッシュメントやエリートに対する反感の残り火があった時代。それが昭和の終わりと平成の初めの時代だったのかもしれない。
寺山修司が愛したテンポイント
歌人、劇作家、詩人、映画監督、前衛演劇集団「天井桟敷」の主宰など多彩な才能で多くの者を魅了した青森県生まれの寺山修司(1935年12月10日-1983年5月4日)は、熱烈な競馬ファン、ボクシングファンとしても有名である。
彼の競馬エッセイに登場する人物たちは、寿司屋、バーテンダー、風俗業従業員など憂いを帯びた個性豊かな者たちだ。
そう、彼(女)らは、地方から都会を目指しやってきた者たちだろう。
彼(女)らは、寺山修司の分身であり、彼(女)らが応援するハイセイコー、テンポント、なども寺山修司の分身なのかもしれない。
さらば、テンポイント
もし朝が来たら グリーングラスは霧の中で調教するつもりだった
こんどこそテンポイントに代わって日本一のサラブレッドになるためにもし朝が来たら 印刷工の少年はテンポイント活字で闘志の二字をひろうつもりだった
それをいつもポケットに入れて弱い自分のはげましにするためにもし朝が来たら カメラマンはきのう撮った写真を社へもってゆくつもりだった
テンポイントの最後の元気な姿で紙面を飾るためにもし朝が来たら 老人は養老院を出て もう一度じぶんの仕事をさがしにいくつもりだった
「苦しみは変わらない 変わるのは希望だけだ」ということばのためにだが 朝はもう来ない 人はだれも テンポイントのいななきをもう二度ときくことはできないのだ さらば テンポイント
目をつぶると 何もかもが見える ロンシャン競馬場の満員のスタンドの喝采に送られてでてゆくおまえの姿が故郷の牧草の青草にいななくおまえの姿が そして 人生の空き地で聞いた希望という名の汽笛のひびきが
だが 目をあけても 朝はもう来ない テンポイントよ おまえはもうただの思い出にすぎないのだ さらば さらば テンポイント
北の牧場にはきっと流れ星がよく似合うだろう引用:寺山修司『旅路の果て』 1990/4/1 新書館
繰り返しになるが、人々はオグリキャップに世界有数の経済大国に成り上がった日本社会の中にあると思われる階級に対する挑戦、反エスタブリッシュメント、反エリート、階級固定社会への嫌悪、反権威、反抗、反骨精神、闘争心 の象徴を見たのかもしれない。無理なローテーションのなか騎手のムチに応え懸命に走るオグリキャップ。世界の名馬を相手に堂々と闘ったオグリキャップ。距離や馬場に関係なくゴール板に突っ込んで来るオグリキャップ。中央競馬のG1など最高の権威を手にした馬を子供扱いしたオグリキャップ。そう、オグリキャップは無名の一般大衆の星だった。そして、人々はオグリキャップ自身が投機の対象だったことも知っていた。だからこそ、人間の欲望に振り回されながらも「ただ全力で走る姿」に愛おしさを感じた。
オグリキャップVSイナリワン・毎日王冠の衝撃・二頭の地方出身馬
数あるオグリキャップのレースのなか、最も感動的なレースはなんだろう?ダービー馬、シリウスシンボリを破った4歳(現在の馬齢では3歳)の第39回毎日王冠。5歳(現在の馬齢では4歳)のタマモクロスとの一騎打ちとなった第98回天皇賞や同年の有馬記念。過酷なローテーションのなか、ニュージーランドのホーリックスと当時の芝2400mの世界レコードを競った第9回ジャパンカップの実況アナウンサーの絶叫。懸念された距離不足を跳ね返した第6回マイルチャンピオンシップのゴール前――オグリキャップの時代を知る者の心にある感動――そして、そのような数多くのレースのなか、多くの人がG2第40回毎日王冠(1989(平成元)年10月8日)をオグリキャップのベストレースに挙げるようだ。同レースのイナリワン(この馬も地方競馬出身)、メジロアルダンとのゴール前の叩き合い。ゴール前の1ハロン(200m)から100mの叩き合い。そこには獲物を追いかける肉食獣の走りがあった。そこには好敵手との命のやり取りがあった。そこには停滞した空気を一掃する動物の本能があった。
オグリキャップ 身分・階級固定社会に風穴を開ける肉食獣の走り
オグリキャップの引退レースは、バブル経済最後の年ともいわれる1990(平成2)年12月23日の第35回有馬記念だ。オグリキャップの引退後、失われた10年-20年、いや30年が始まる。政治の世界は自民党海部内閣、宮澤内閣を経て、1993(平成5)年8月、非自民政権の細川内閣が誕生する。第79代細川護熙元総理は貴種のなかの貴種。閏閥のなかの閏閥の出身。国民は不安の時代の安心の担保に権威を選んだのかもしれない。さらに年月は流れ、バブル崩壊の後遺症を抱えた日本に、それまでの慣習、過去の制度、権威を「ぶち壊す」と叫ぶ一人の総理が誕生する。だが、小泉純一郎元総理の「痛みを伴う改革」「聖域なき構造改革」やグローバル経済の到来は、 新たな階級、階級固定を生んだのかもしれない。芸能界、政治の世界、学者の世界には、二世、三世が溢れ、没落した中産階級の家庭の子に不利な社会が生まれたのかもしれない。そして、人々の「反抗」は抑圧され、人々は「自身の欲望」にブレーキをかけ、それ以上の没落、椅子取りゲームの社会からの離脱を恐れ、益々、固定化する階級社会のなかで草食動物のように生きることが最も得だと知った時代。
そんな時代にオグリキャップの雄姿を思いだしたい。
身分・階級固定社会に風穴を開けるのは、肉食獣の走りかもしれないから。
★引用文献
・書籍
旅路の果て (寺山修司競馬エッセイ・シリーズ) 寺山修司 1990年 新書館
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