岩手県花巻市主婦失踪事件(小原キミ子さん行方不明事件)

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宮沢賢治が愛した静かな町――岩手県花巻市で、一人の主婦が忽然と姿を消した。

2001年11月13日、平日の午前。家のガラスは割れ、「助けて」という悲鳴が聞かれたにもかかわらず、通報は3時間後だった。残されたのは、割れた玄関のサッシガラス、小さな血痕、そして、きちんと駐車された車内に置き去りにされたバッグだけである。

小原キミ子さん(当時47歳)の失踪は、単なる家出や事故の範疇には収まらない。複数の証拠が示すのは、何者かによる暴力的な侵入と連れ去りである。にもかかわらず、捜査は難航し、20年以上が経過した今も、事件は未解決のままである。

本記事では、未解決事件『岩手県花巻市主婦失踪事件』の全貌を、事件当日の証言・物的証拠・捜査の進展、そして公表されていない状況や判断の可能性も含めて再検証する。

事件概要

2001年11月13日(火曜日)岩手県花巻市T地区の一軒家から、小原キミ子さん(当時47歳の主婦・以降キミ子さん)が姿を消した。彼女はかつて二人の子をもうけた夫(当時49歳)と別居。以来2年近くの間、この貸家に子供たちと三人で暮らしていた。近隣住民の間では、花が好きで、家庭菜園で野菜を育てている穏やかな人という印象であったという

キミ子さんは花巻市内の病院で給食の調理・配膳のパート職員として働いており、経済的に余裕があるようには見えなかったものの、家賃を滞納したことはなかった。

失踪当日の朝、子供たちを学校に送り出した後で、一人で自宅に居たと思われるキミ子さんの身の上に何が起きたのか、判明していることはほとんどない。

目撃情報など

日付出来事(目撃証言など)
2001年11月13日朝近隣住民によると、13日朝の時点では、キミ子さん所有の青い軽自動車は自宅の前にあった。
10時過ぎ近隣住民(当時55歳の主婦・以降主婦Aさん)は、キミ子さん宅付近を歩いている途中、ガラスが鈍く割れる音を聞いた。
悲鳴は聞こえなかった。
同じ頃キミ子さん宅の隣に住む住民T氏(当時29歳・フリーター)は、繰り返し「助けて」と叫ぶ女性の悲鳴で目を覚ました。
ガラスの割れる音は聞いていない。
彼の家族も同様の証言をしている。
10時半頃近隣住民(当時54歳・主婦)は、子供が泣きわめくような声を聞いた。ガラスが割れる音や車の発進音は聞いていない。
この女性の家族は、悲鳴の中に「助けて」という言葉を聞き取っている。
同じ頃現場となった家の玄関前の車道を通った配送車両の運転手(年齢不明)は、大破した玄関ガラスの向こうに、水色のトレーナーを着た小柄な女性が苦悶の表情を浮かべて倒れているのを見ている。「助けて」という悲鳴も聞いた。家の中には他に何者かがいる気配もあったが姿は見ていない。
 
この時に倒れていた女性は、人相や体格からキミ子さんにほぼ間違いないとされ、当時から2025年5月現在における失踪者の最終目撃証言となっている。
正午頃主婦Aさんが知人女性二人と共に事件現場の玄関先を訪れ、割れた玄関サッシガラスを目の当たりにした。
この時点で、キミ子さん所有の青い軽自動車は消えていたという。
三人が家の中に向けて声かけをした、あるいは中の様子を伺ったという情報はない。
13時過ぎ近くに住む会社員女性(当時39歳)による岩手県警花巻署・矢沢駐在所への通報があった。
彼女は午前10時半頃「助けて」という悲鳴を聞いていたという。
警察官が現場に駆けつけ、ようやくキミ子さんの失踪が発覚する。
岩手県花巻市主婦失踪事件(小原キミ子さん行方不明事件)時系列と証言

捜査開始

初動の遅れは明白であった。事件発生から通報までの間にはおよそ3時間が経過してしまっており、公開捜査までの間も3日空いた。住民が「助けて」という悲鳴を聞いており、戸口も外部から壊されていたが、警察は自発的失踪の可能性を捨てきれず、16日の公開捜査開始に至るまで、キミ子さんの失踪について個人情報等の詳細を公表しなかった。

確かに現場の状況からは、単純な家出ではないにせよ、キミ子さんが何者かの暴力から自力で逃れ、自らの軽自動車と共に一時的に身を隠したようにも見えなくはなかった。

しかし、キミ子さんはその日、勤務シフトが入っていた職場を初めて無断で欠勤。実家や子供たち、知人の元にも連絡はなく、持っているはずの携帯電話も不通のまま時間が過ぎて行くにつれて、彼女が事件に巻き込まれた疑いが濃厚となり、警察は14日に『岩手県警花巻署』に、主婦行方不明事件捜査本部を立ち上げた。

公開捜査が始まる前から、キミ子さん宅前での失踪時間帯の検問、近所への聞き込み、警察犬の導入は行われていたが、事件発生が通勤・通学者の往来が一段落した時間帯である事や、昼間の住宅街であって在宅の者も少なく、有用な証言は数件に留まった。

現場付近には車両の通行量の多い国道283号線へのバイパス道路も通っていたが、キミ子さん宅の玄関はその道路に直接面してはおらず、従って車両の運転手からの証言も得にくかった為、目撃情報の収集も難航した。

車の発見

キミ子さんとほぼ同時に姿を消した彼女の青い軽自動車は、失踪から2日経った11月15日午前5時過ぎ、現場から車で5分程度(約1.5km)の場所にある『県立花巻厚生病院・第三駐車場(現:『岩手県立中部病院』)』(事件当時の所在地:岩手県花巻市御田屋町4-57)から発見された。この駐車場は職員用であり、往来からはやや離れた住宅地寄りにあった。この病院は同じ花巻市内にあるが、キミ子さんのパート先ではない。

車のドアは施錠されていない状態で、(2001年11月16日の朝日新聞・岩手版・朝刊のみ、病院関係者からの伝聞としてではあるが、ドアが施錠されていたとの報道がある)車内は無人で、車のキーの他、キミ子さん所有のバッグが見つかった。バッグの中には財布、免許証、携帯電話が残されていた。

車は慌てて乗り捨てたような様子ではなく、きちんと駐車ラインに沿ってバックで停められていた。

車内やバッグに荒らされた形跡は見つからなかったが、キミ子さんの指紋も他の第三者の指紋も明確なものは出ていないという。血痕や毛髪等、他の鑑識的な証拠についての情報は公表されていない。

車は、事件の翌日である11月14日の午前中には、まだ駐車場にはなかった事が職員の証言で分かっている。車が置かれたのは、職員や近隣住民の証言を併せると、14日の昼頃から午後5時までの間である可能性が高いが、その間の目撃情報はない。00年代は、地方都市の住宅街や駐車場に防犯カメラが設置されるような時代ではまだなかった。

車が置かれたと思われる時刻には既に事件から丸一日以上が経過しており、車内の拭き取りや掃除機がけ等、証拠の湮滅を行うには十分な時間が経過していたと言って良いだろう。

強制捜査

キミ子さんの失踪について最も関与を疑われたのは、やはり別居中の夫であった。夫妻の間には離婚についての民事裁判が予定されていた。一般的に離婚調停や離婚裁判は民事には分類されない為、この民事裁判は二人の別居の原因にまつわる損害賠償請求訴訟であった可能性もある (原告がどちらかは不明) 。

夫はキミ子さんの失踪理由や居場所について心当たりはないと話しているが、事件当日、彼の所有する軽ワゴン車が、キミ子さん宅付近の空き地に駐車されていた事が明らかになっている。

彼はキミ子さんの自宅から車で15分程の距離(約10km)にある花巻市東和町の住民で、妻子と別居後に新築した自宅で暮らしていた。かつてキミ子さんや子供たちと住んでいた家は、新居と同じ敷地の中に無人のまま残されていた。

これらの家屋や土地にも警察による捜査が入り、田畑に撒かれた焼却灰も調べられたが、事件に関連する手がかりは見つかっていない。これは令状に基づく強制捜査であったようで、警察もキミ子さんの失踪原因については夫婦間での諍いを疑っており、その疑いには裁判官を納得させる程度には根拠があったものと思われる。

しかし、自宅まで捜査の手が迫った一方で、その前後に彼自身が逮捕、あるいは重要参考人として聴取されたという報道がない事を考えると、恐らく彼には事件当日における確固たるアリバイが成立しており、崩す材料にも乏しかったものと思われる。

事件後、母親が失踪したままの子供たちはキミ子さんの実姉が預かっていたが、最終的にはこの父親の元に引き取られた。 同じ東和町内にあるキミ子さんの実家の家族は、事件から3ヶ月後の取材に応じ「何度振り返っても、出ていく(自発的失踪をする)理由は全く思いあたらない」。1年後の取材には「一日だって忘れたことはない」「(異変に気付いて)すぐに見に行ってくれていたら……。」と苦しい胸の内を語っている。

翌年の雪解け後まで、現場周辺の山林や水場の捜索も断続的に行われたが、そこでも遺留品等の手がかりは見つからなかった。 捜査本部には最大で130人の専従捜査員が置かれていたが、手がかりが少なく進展が期待できない事から規模は次第に縮小、事件から2年4ヶ月経過した2004年3月15日、解散した。

キミ子さん失踪事件の捜査自体は2025年5月現在も継続中であり、岩手県警は彼女が失踪者である事と、その顔写真をホームページ上で公開し、情報提供を求めている。

事件からちょうど2年が経過した2002年11月13日。『読売新聞朝刊(岩手版)』の記事で、事件現場となった家屋が、道路拡張工事のために取り壊し予定であるとの報道がなされている。

最終目撃地点周辺の『Googleストリートビュー(2013年8月撮影)』事件現場となった家屋は現存しない。

手がかりとその検討

小原キミ子さんが姿を消した日、現場周辺では複数の異変が観測されていた。悲鳴、割れたガラス――いずれも偶発的な家出や事故とは考えにくい異常事態である。

現場に残された物理的な痕跡は、暴力的な介入を伴う事件の可能性を強く示唆している。割られた玄関ガラス、わずかな血痕、整然と駐車された軽自動車、そしてその車内に置かれたバッグと携帯電話――これらは犯人の意図と行動の一端を無言で語っている。

本章では、事件当日に寄せられた目撃情報、遺留品や破壊の痕跡、血痕の位置関係などを整理し、犯行の手順、侵入の手口、犯人の計画性、そして連れ去りの可能性について検討する。また、捜査の初動で見逃された兆候や、人間の心理が事件解明をいかに妨げたかにも目を向ける。誰が、いつ、何を目にし、何を見逃したのか――その沈黙の連鎖が、未だ解決されない失踪の核心に、どのように関与しているのかを明らかにする試みである。

正常性バイアスと傍観者効果

正常性バイアスとは、異常事態に直面しても容易にパニックを起こさない為の心の機構であり、影響下にある者は、例えば悲鳴や破壊音を聞き、または明らかな暴力の痕跡を目の当たりにしても「TVドラマか映画DVDの音声だろう」「ちょっとした痴話喧嘩に違いない」「こんな時間にこの平和な住宅街で凶悪事件が起きるはずがない」等と軽視または無視してしまう。

また、傍観者効果とは、すぐ傍で異常事態が起きているにも関わらず、目撃者や対処しうる者が複数いると思われる場合には、「必要なら当事者か、もっと近くで事態を把握した誰かが通報する(した)だろう」という考えに各自が陥り、全員が結局何の行動も起こせないという集団心理である。

どちらも座視のうちに状況を悪化させ、取り返しがつかなくなるまで事態を放置してしまう恐れがある。

キミ子さんの事件も、ガラスが破られた時点、あるいは悲鳴が上がった時点で、直接、助太刀に入る事までは躊躇するとしても、距離を取った上で誰何するか、せめて110番通報していれば、逃走は許したにせよ犯人の性別、人相風体くらいは確認できたかもしれず、犯人も彼女の連れ去りまでは諦めた可能性もある。

傍観者効果が提唱されるきっかけとなった『キティ・ジェノヴィーズ事件』の犯人は、「目撃者は事態に的確な対処ができない」事を経験則として知っており、襲った女性が自らの居住するアパートの前で二度悲鳴をあげ、それに気づいた近隣住民が一度目は窓を開けて犯人に直接警告、二度目の悲鳴の際には窓に明かりが灯り、一旦は手を引くと見せかけはしたものの、その度に被害者の元へ戻り傷害、強姦、殺人に及んだ。彼は目撃者たちが警察に通報しない事を確信していたのだという。

キミ子さんを襲った犯人もまた、これら人間の心理を知悉した上で利用する程の犯罪常習者であったのだろうか。それとも何らかの堪え難い感情から、現行犯逮捕を覚悟して暴力的行為に訴えたものの、偶然にもこれらの効果の恩恵を受け連れ去り・逃走に成功したのであろうか。

キミ子さんの自宅

平屋で、昭和中期・後期に公営住宅等の用途に採用された様式である文化住宅タイプの一戸建て。玄関の他に勝手口と、窓も5ヶ所ある。事件直後における窓や勝手口の施錠状態は不明である。

一軒家は侵入口が多く防犯上の難がある事から、一般的には女性と子供だけの暮らしには推奨されないが、広い敷地での暮らしが長い子供たちに、上下や隣室の住人への配慮が求められる集合住宅での生活をさせたくないという親心があったのかもしれない。

事件の発生時刻は、既に子供たちが登校して家にはいない午前10時過ぎであり、犯人は午後にはキミ子さんがパートに出かけて不在になる事があるのを知った上で、彼女が確実に単独で在宅しているこの時間帯を狙った可能性がある。

流しの空き巣、居空き、押し込み強盗の類が、偶発的にキミ子さん宅をターゲットに選んだという不運があったとは俄かには信じがたい。賊が前述の心理的効果を利用したとすると、キミ子さん宅の財物を物色する時間は十分にあったにも関わらず、そうした形跡は見当たらなかった。(キミ子さんと賊以外には分からない、何らかの貴重品が持ち去られた可能性までは否定できないが)

一方、キミ子さん自身に危害を加える事が目的であった場合であっても、悠長にサッシガラスを破壊している間に、肝心のキミ子さんが勝手口や窓から助けを求めて逃亡してしまう可能性がある訳で、ターゲットと対峙するより前から、暴力に訴える必要性は見当たらないように思われる。

捜査本部では、キミ子さんを脅かす事(嫌がらせ)が目的であったという想定をしていたようだ。また、ガラス破壊→侵入という順序ではなく、一旦は正面からキミ子さん宅を訪問、玄関の内側まで招き入れられたものの、その後口論や揉み合いに発展し、腹いせにサッシガラスを破壊したという経緯を辿った可能性も考えられていたようである。

玄関サッシガラス

アルミ製の玄関サッシに嵌め込まれた四枚のガラスのうち、三枚が大破しており、特に外から見て右上の一枚は菱形にくり抜かれたように割れていた。殆どの破片は家の内側で見つかったが、ほぼ全てが砕けた右下の破片の一部は、家の外側にも飛び散っていた。

犯人が破壊に使用した器具や手段は分かっていないが、ガラス戸は何度か激しい打撃を受けたと考えられる割には、破壊音を聞いたという証言は少なく、例えばハンマーや金属バット等の、主に破壊や脅しに用いた道具と同時に、ガラスカッター等もあらかじめ準備していた可能性がある。

また、窓ガラスとは異なり補強の為の部材が張られていたと考えられ、それによって破壊音が抑制されたと考える事もできる。

玄関扉

玄関扉は、二枚の引き戸で構成されており、一枚は家の内側に向けて外れていた。一見して錠前ごと破壊して力任せに押し入ったかのような様子だが、通報を受けた警察官が駆けつけた際、扉は施錠されていなかった事が確認されている。玄関には普段キミ子さんが外出の際に履いていた薄茶色の靴が残されていた。

キミ子さんは子供たちの安全を一人で守るべき立場にあった為用心深く、施錠には気を遣っていたとされるが、子供たちを送り出した後であって自らもこの後外出する予定があった事を考えると、少々気が緩んでいたとしてもそれほど不思議ではないのかもしれない。

血痕

玄関サッシガラスや、アルミ製の桟(さん)の、家の外から見える位置から、なすり付けたようなA型の小さな血痕が2ヶ所見つかった他、玄関から入ってすぐ左側にある居間のコタツの掛け布団からも、A型の血液が少量発見された。恐らくDNA鑑定の結果、どちらもキミ子さんのものである事が判明している。

玄関のサッシガラスに残された暴力的な痕跡とは対照的に、室内に争った形跡はなく、不意打ちのような状況あるいは背後から等、キミ子さんがほとんど抵抗する余地がない一撃が玄関先で加えられた可能性がある。

キミ子さん所有の女性物のバッグ

財布、免許証等の身の回り品と携帯電話が入った状態で、病院の駐車場から見つかった車内に放置されていた。自宅や車と同様に物色された形跡は無かった。携帯電話の電波受信、利用履歴やアドレス帳等からの捜査は成果をあげていない。まだ携帯電話にGPSが搭載されている時代ではなかった。

犯人かキミ子さんが、彼女のバッグを自宅から持ち出して車に乗せてから走り去ったとは考えにくい。恐らく子供たち、少なくとも小学校4年生の長男は、別居前から通学していた東和町の学校にそのまま籍を置いており、距離的に、通学時には車で送迎されていたと思われる。その後、午後からのパートを控えたキミ子さんがバッグを車内に置いたままにしていた可能性が高い。

関係者

事件の背後にある人間関係は、ごく限られた範囲に収まっていたと考えられる。だが、だからこそ、キミ子さんを取り巻く数少ない人物の動向や証言は、事件の真相を探るうえで決定的な意味を持つ。

本章では、キミ子さん本人、別居中の夫、実家の家族、そして子供たちの状況を整理し、それぞれが事件にどのように関わり、あるいはどのような距離を取っていたのかを検討する。本事件を「孤立した不可解な失踪」としてではなく、「具体的な人間関係の中で起きた現実の出来事」として読み解くための視点を提示する。

小原キミ子さん(失踪当時47歳・2000年11月13日失踪)

実姉(当時49歳)によると、人付き合いが苦手で無口な人物であったようだが、パート勤めをし、町内会や子供たちの学校の行事にも参加、家庭菜園の作付けについて近隣住民と意見を交える等、周囲とは一定以上の交流があり、実家の家族ともよく携帯電話で(自宅に固定電話は無かった)会話し、農作業の手伝い等用事を見つけては訪問もしていた。

夫との別居後、実家に身を寄せなかった(寄せることができなかった)理由は不明であるが、パート職員の給料だけで三人分の生活を支えることは困難であると思われる為、一部を生活保護に頼っていたか、実家や別居中の夫から、生活費の援助や養育費等を受け取っていた可能性が高い。

失踪当時のキミ子さんは身長145cm、体重は45kg程度と小柄で、髪は黒髪のショートカットであったと報道された。服装については水色のトレーナーという目撃情報もあったが、警察による情報提供依頼のホームページ上には、運転免許証のものと思われる顔写真以外は一切明かされていない。視力が悪く、車を運転する際は眼鏡をかけていたといわれているが、その所在についての情報は公表されていない。

彼女の数少ない交友関係からも怪しい人物は浮上していない。趣味(特にギャンブル)や金銭の貸し借りについても不明であるが、関係者や近隣住民は一様に、彼女がおとなしく真面目な性格であり、夫婦関係のトラブル以外とは縁遠い人物である事を証言している。特に子供たちに対する愛情は強く、幼児の頃は他人に抱かせなかったほどであるという。

インターネット黎明期の事件であり、当時のネットユーザーは初対面の同好の士とのオフ会にも抵抗がなく、一方でテレクラ等のアナログな出会い系も未だ盛んであったが、キミ子さんの携帯電話の利用履歴、アドレス帳等からの捜査は成果をあげていない。年齢からみてPCユーザーである可能性は低く、携帯電話を使わずに完結する人間関係はごく近隣の住民とのものに限られるだろう。

気になる点としては、当時既に携帯電話からiモード(サービス開始1999年2月)を通して、家族や近隣住民に把握できない人間関係を構築する手段が存在していた事があげられる。初期のiモードはデータ通信量に応じて利用料を課金する方式であり、通話料とは別に請求されていた筈であるが、捜査初期から現れた疑わしい人物に注力していた警察が、その情報を軽視した可能性はある。

キミ子さんの夫(事件当時49歳・恐らく家業として農業を営んでいる)

夫にもキミ子さんの失踪理由や居場所の心当たりはないという。彼は事件後、二人の子供たちを引き取った。キミ子さんの失踪宣告審判の申立ては2025年5月現在確認できないが、妻の帰りを待っているというよりは、既に離婚が成立しており、子供たちはともかく、彼自身が申立人になる利益は既にない可能性も高い。

子供たちは、中学2年生(当時13歳)の長女と小学4年生(当時9歳)の長男であり、二人とも両親の別居や母親の失踪についてある程度理解可能な年齢であった。事件後に彼らが父親に引き取られている事を勘案すると、キミ子さんの夫は妻から見た場合はそうでないとしても、子供たちにとっては十分信用に足る人物であったという事なのかもしれない。

とは言え、状況証拠からは、侵入した何者かが、財物ではなくキミ子さん自身をターゲットとした可能性が高い事、明確な動機や利益があると思われる者が他に浮上していない事を考慮すると、彼が事件に関与した可能性を完全に否定する事もまた難しい。

前述の通り確度の高いアリバイが成立している可能性が高いが、襲撃が計画的なものであったとすると、前もって準備をしておく事も出来たと考えられ、アリバイ工作を行った者を犯罪行為にも加担させていたとすると、共犯者の口が堅い事も頷ける。

キミ子さんの実家

近隣で家業として農業を営んでいると思われる。家族は失踪理由や失踪先にはやはり心当たりが無い。キミ子さんから個人的な悩みを相談される事もほとんどなかったという。

夫との別居後、キミ子さんはしばしば実家を訪問していた。直近の失踪前(失踪の約一週間前)に会った時にも変わった様子は見られなかったとの証言がある。事件後、夫に引き取られた子供たちがお泊まりに訪れる等の交流はあったが、夫自身との接触はないという。

家族は警察からキミ子さん失踪の連絡を受けた13日午後、彼女の携帯電話に電話したが、既に「電源が切られているか、電波が通じない場所にいる」というアナウンスが返ってくるのみであった。

情報提供のお願い

岩手県警の(外部リンク:同ホームページ)で、2025年5月現在確認できるキミ子さんについての『情報提供のお願い』には、警察が今も捜査を続けて、「今なら話せる、今だから話せる」「そう言えば気になっている」と、些細な情報でも提供してほしいという要望が掲載されている一方で、キミ子さん自身の個人情報は名前、当時の年齢、免許証のものと思われる顔写真以外は載せられていない。

失踪時の服装や愛車の情報を掲載する意味は既に乏しいとしても、彼女の身長や性格、話し方の癖といった個人識別のための情報、眼鏡をかけていたという普段のキミ子さんの写真や、髪を伸ばした姿、事件後相応の年齢を刻んだ想定での似顔絵といった予想図すら載せておらず、彼女が生きて発見されるという想定はしていない事が窺われる。

「今なら話せる、今だから話せる」とは、アリバイが崩せなかった、キミ子さんの夫の協力者に向けてのメッセージであるようにも思われる。

確かに、行きずりの犯罪者が顔を多少見られたからといって、長時間現場に留まるリスクを侵してまで連れ去りに至る可能性は低く、近隣住民とのトラブルが襲撃、連れ去りへと発展するまでには、口論、嫌がらせ等の、前触れとなる出来事が近所の住民に目撃されているか、キミ子さんから家族、警察への相談として記憶か記録がされていたものと思われる。

真相考察

キミ子さんの失踪については、やはり別居中の夫の関与を疑わざるを得ないだろう。子供たちが既にいない時間帯かつキミ子さんが一人で在宅している時間の犯行であり、平日午前中の住宅街では、目撃されにくいという事も事前に調べた上での計画的な犯行を示唆しているようにも思われる。

13日午前10時頃、犯人は「立会人」(共犯者)を伴ってキミ子さん宅を訪問したと思われる。共犯者はキミ子さんからも一定の信頼を得ている共通の知人であった可能性が高い。

知人の取りなしと、裁判ではなく示談で終わらせよう等キミ子さんにも利益のある話を手土産に、自宅内に招き入れられた二人は居間のコタツを囲んだタイミングで豹変、犯行に及んだものと考えられる。負傷しながらも玄関まで逃げたキミ子さんは玄関サッシガラスを蹴破ったが、追いついた犯人に倒された。(前述の運転手がこの瞬間を目撃)

徒手空拳の小柄な女性に、一撃でサッシガラスを割る事が可能なのかと疑問に思われるかも知れないが、1993年に起きた未解決事件『八戸女子中学生刺殺事件』(外部リンク:同事件Wikipedia)の被害者である14歳の少女も、犯人から逃れようと膝で自宅の玄関サッシガラスを破ったとみられている。

一人が、昏倒したか、粘着テープ等で口を塞いだキミ子さんを彼女の車に運び込む間に、押し込み強盗の犯行に見せかけるためもう一人が玄関サッシガラスを外から破壊した。その時は辻褄が合っていると思い込んでいたものの、争った跡の偽装を忘れる、ガラスを割る際に付けてしまった血痕を見逃すというミスを犯してしまった。

今となってはキミ子さんが生存している可能性は低く、彼女は私有地等の他者の手が入りにくい場所に隠されているものと考えられる。強制捜査とはいえ敷地をそっくり掘り返す等は不可能であり、実は引き取られた子供たちの生活するすぐ側に彼女が眠っていたという事もあり得ないとまでは言い切れない。

また、共犯者がその間単独で車の清掃、置き去りを任されていたとすると、仮に共犯者が自首したとしても、キミ子さんの行方はやはり分からないという事もあり得る。

現場は取り壊されて道路となり、新しい手がかりを得る余地は乏しい。事件の完全解明は不可能に近いだろう。それどころか、今や、もしかするとキミ子さんや警察までを含む関係者の誰もが、内心では真相が白日の下に晒される事を恐れているのかも知れない。もしもそうだとすると、もはやあらゆる意味で「完全犯罪」が達成されたと言っても過言ではないだろう。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』には、こんな一節がある。

――ほんとうのさいわいは一体何だろう――

あの日から20年以上が過ぎた今もなお、小原キミ子さんの「ほんとうのさいわい」は見つかっていない。

その問いだけが、夜の彼方で静かに揺れている。


◆参考資料

【岩手日報】
2001年11月15日朝刊「花巻で主婦行方不明 花巻署に捜査本部 「助けて」と悲鳴」
2001年11月15日夕刊「不明主婦の軽乗用車発見 自宅玄関に血痕も」
2001年11月16日朝刊「花巻の主婦行方不明 軽乗用車からバッグ発見 物色された形跡なし」
2001年11月17日朝刊「花巻の主婦不明 バッグから携帯発見 通話記録などを捜査」「情報求め公開捜査「事件性は高い」と県警」
2001年11月17日夕刊「ガラス割れる音聞こえず? 花巻の主婦不明 くりぬいたような跡」
2001年11月20日朝刊「白昼なぜ 深まるナゾ 花巻の主婦不明から1週間 悲鳴残しこつぜんと 公開捜査も情報少なく」
2001年12月13日朝刊「花巻の主婦不明 捜査進展なく1カ月 有力手掛かり得られず」

【朝日新聞】
2001年11月15日朝刊(岩手版)「花巻の主婦不明 玄関の戸、外から壊され」
2001年11月16日朝刊(岩手版)「花巻の主婦不明、行方依然わからず 車は病院駐車場で発見」
2002年2月17日朝刊(岩手版)「東和町の旧宅など家宅捜索 花巻の主婦行方不明事件」
2002年11月13日朝刊(岩手版)「有力な手がかりなし 花巻の主婦行方不明から1年」
2004年3月17日朝刊(岩手版)「主婦行方不明の捜査本部を解散 花巻署、捜査は継続」

【読売新聞】
2001年11月30日東京朝刊(岩手版)「花巻の主婦不明 最大規模の188人で捜索」
2001年12月13日東京朝刊(岩手版)「花巻の主婦不明1か月 玄関の血痕、本人と一致か」
2002年11月13日東京朝刊(岩手版)「花巻の主婦不明1年 足取り依然つかめず」


◆成人女性の失踪事件(事案)


Tokume-WriterWebライター

投稿者プロフィール

兼業webライターです。ミニレッキス&ビセイインコと暮らすフルタイム事務員。得意分野は未解決事件、歴史、オカルト等。クラウドワークスID 4559565 DMでもご依頼可能です。

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