日常のなか、人が突然蒸発する。蒸発した理由は誰にもわからない。
残された者は失踪者を探し、理由を求め、浮かんでは消える可能性に希望をみつける。
事件概要
2013年3月7日(木曜日)20時20分頃、東京都大田区在住の会社員、遠田高大さん(えんた・こうだい さん、以降 高大さん・当時21歳)はJR盛岡駅を訪れた。岩手県の県庁所在地・盛岡市にあるこの駅には秋田・東北新幹線が乗り入れており、列車を選べば東京まで2時間20分程度で移動が可能であった。業務内容次第では、日帰りでの出張も可能である。
高大さんも日帰り出張であったと言われているが、確実な情報ではない。彼は財布やスケジュール帳等の身の回り品が入ったビジネスバッグに加えて、黒色のキャリーバッグを持ち歩いており、その中身は仕事で使う機材であったとも、着替えであるとも言われているが、彼がエンジニアとして在籍する医療機器メーカーは東北支社を置いており、そのサポートが得られることも勘案すると、やはり宿泊無しの出張にしては荷物が多い様に思われる。
失踪当日、盛岡市内の病院での仕事を終えた後、高大さんをJR盛岡駅まで車で送り届けたのは、その東北支社の社員であった。新幹線での移動とはいえ、高大さんが東京都大田区にある自宅に帰り着く頃には日付が変わってしまう為、その同僚は、
――今夜は盛岡に泊まって、明日東京に帰ってはどうか――
と勧めたが、高大さんは、
「明日、東京で仕事の約束があるから」
そう言って帰還を急いだという。もっと強く引き留めておけば良かったのかもしれないと、この同僚は後にTV公開捜査番組の取材に応えて述べている。彼は高大さんの確実な、最後の目撃者となった。
この後、高大さんの消息を記録に留めたのは、20時22分頃から20時58分頃までの、JR盛岡駅に設置された防犯カメラによる断片的な映像のみである。
20時22分頃、同僚の車を降りてまっすぐ駅舎2階の新幹線乗り場へ向かったと思われる高大さんは、手持ちの切符では自動改札を通過する事ができず、踵をかえしてその場を去ったという。本人確認のためにその瞬間の映像を見た高大さんの両親によると、その表情は「ひと仕事終えた後のような」「すがすがしい感じ」で「たくましさ」さえ感じるものであったというが、その映像は一般公開されていない。
高大さんが乗車する予定であったと思われる列車は、20時32分JR盛岡駅到着の上り新幹線「やまびこ70号」であり、急いで駅員に相談すれば、発車までに切符の不備を解消して、予定通りに乗車できる望みもあったかもしれないが、次に高大さんが姿を見せたのは意外な場所であった。
20時35分頃、駅舎の地下1階にあるトイレに入っていく高大さんの姿が防犯カメラで捉えられている。丁度その頃、新幹線ホームには乗車予定であった「やまびこ70号」が入線していた筈である。
改札から地下1階トイレまでの移動時間は、不慣れな駅であることを考えに入れても数分程度であるといい、10分程度の不明時間が存在する。トイレ自体は改札付近にも設置されており、何故地下1階まで移動する事にしたのかも謎である。
切符売り場や、改札付近にいる駅員と話していたのであれば、防犯カメラに映像が残されている、または駅員の証言が取れているであろうから、例えば会社から支給された切符が期限切れの回数券であった等、明らかに立て替え購入するより他に解決策がない状況で、しかも手持ちの現金やカードの利用可能額が覚束無かった事から、銀行のATMを探して駅構内を探索するうちに地下まで移動してしまったとも考えられるが、その10分間の行動については判明していない。
20時55分。高大さんが同じ地下1階のトイレから立ち去る姿が防犯カメラに捉えられた。彼は20分ほどトイレに籠もっていた事になるが、その間に何をしていたかもやはり不明である。
盛岡発東京行き新幹線の最終便は、20時41分JR盛岡駅到着の「はやて42号」であった。この列車は全席指定席であり、切符の購入費用は自由席がある「やまびこ」よりもいくらか高額になるが、その事を高大さんが知っていたかどうかは不明である。
これより後の新幹線はJR仙台、J福島駅止まりで、JR盛岡駅で客扱いを行う寝台・夜行列車はこの頃には既に廃止されており、この時点で、その日のうちに鉄道で東京に帰還することは恐らく不可能であった。
20時58分。タクシー乗り場(JR盛岡駅東口)の方向へ歩いていく高大さんの姿が防犯カメラの映像に捉えられた。そして、その後2024年3月に至るまで10年以上に渡り、高大さんの確かな目撃情報は得られていない。
その後高大さんが東京都大田区の自宅に戻った形跡はなく、職場にも出勤や連絡等する事なく消息を絶った為、その知らせを受けた実家の両親は警察に捜索願いを提出。
警視庁と岩手県警は、失踪直前の状況から事件性を否定できなかった為であろうか、捜索活動を開始した。その結果、正確な発見日時は不明ながら、高大さんが所持していたビジネスバッグが、JR盛岡駅の東側を流れる北上川に架かる開運橋から、川を4kmほど下った地点で、川面に浮いた状態で発見された。
高大さんのビジネスバッグ発見地点付近のGoogleストリートビュー(2022年6月撮影)
内容物は高大さんの身分証、財布、スケジュール帳、筆記用具、名刺入れ、電卓等で、その中の一つであるメモ帳は、水に濡れた形跡や泥汚れと思われる黒ずみこそあるものの、記入された文字の判読も容易で、失踪から程なくして発見されたものと思われる。財布には現金が残されていたという情報もあるが、残された金額やレシート(領収書)、件の切符が改札で止められた原因については明かされていない。
開運橋は、JR盛岡駅東口を出て、タクシー乗り場方向に駅前通りを400mほど歩いた地点にある。
橋を渡った川向こうには、有名な全国チェーンのビジネスホテルが立ち並び、帰還を諦めた高大さんがとりあえず目指す場所としては自然である。
北上川に架かる開運橋のGoogleストリートビュー(2014年4月撮影)
平日21時台の駅前通りには、まだかなりの人通りがあったと考えられるが、上下スーツにビジネスバッグとキャリーバッグを携えた、典型的な出張ビジネスマン姿である高大さんが人波に紛れてしまったのか、それともその場所を通る事はなかったのか、確かな目撃情報は上がっていない。また、ホテルの宿泊記録、バス、タクシーの利用者についての調査から、高大さんの行方をつかむ手がかりを得る試みも頓挫したようである。
しかし、高大さんの失踪から4ヶ月経過した2013年7月、JR盛岡駅東口から線路沿いに、300mほど南下した地点にある複合ビルの1階に入居する、企業オフィスの庇(ひさし)の上から発見された携帯電話が、高大さんの持ち物である事が判明した。どれほどの期間、庇の上に置かれていたのかは不明であるが、庇は透明な樹脂製の板で出来ており、携帯電話の所有者の判定や、内部ストレージの解析が可能な状態であった事も考慮すると、4ヶ月という長期に渡って、誰にも気づかれないまま風雨に晒されていたとは考えにくい。
高大さんの携帯電話が発見された地点のGoogleストリートビュー(2014年4月撮影)。画面中央に見える雲梯状の構造物がオフィスの庇であり、携帯電話はその透明な屋根の上に乗った状態で見つかった。
内部ストレージの解析からは、失踪当日以降の所有者の動向が明らかになるのではないかとも期待されたが、最後の通話は失踪の9日前、メール送信は1ヶ月近く前と、携帯電話はそもそもあまり使用された形跡が無かった。
LINEやTwitter (当時)等のSNSの利用歴については、使用していたか否かも含めて判明していない。失踪当日午前中の地図アプリの検索履歴の中に、仕事先の病院や昼食をとる予定の店の名前に混じって、青森県最高峰であり山体の美しさで知られる「岩木山」が見つかったのがやや特異ではあったが、その後青森での目撃情報がある訳でもなく、失踪との関係は明らかではない。 高大さんが所持していた荷物のうち、黒色のキャリーバッグのみが2024年3月現在も尚、発見されていない。
高大さんの両親は、警察への捜索願いの他、2015年にはTV公開捜査番組に出演し広く目撃情報を求めたが、2020年10月26日、山形家庭裁判所酒田支部に、高大さんの父親Oさんを申立人とする失踪宣告審判の申立がなされ、翌年3月4日に確定した。
ただし、岩手県警のホームページでの情報提供依頼は依然取り下げられてはおらず、家族は今も目撃情報を募り、高大さんの帰りを待ち続けている。
手がかりとその検討
ここからは、東京都大田区会社員失踪事件(遠田高大さん行方不明事件)の手がかりと整理しながら、その検討を行っていこう。
遠田高大さんについて
父親であるOさんの住所から、高大さんもまた山形県酒田市の山間部の出身であることが窺われる。彼は同市内の公立中学校を卒業後、山形県鶴岡市に所在する国立工業高専(恐らく専攻は機械工学)に進学し、併設の学生寮での寄宿生活を開始したものとみられる。
高専は5年間の教育期間の後、20歳で卒業する際には短大卒相当の資格を得ることができる為、失踪当時の高大さんは一年弱、新卒で就職した会社に勤めていたことになる。既に単身で出張での業務を任される等、順調な社会人生活を営んでいたものと考えられる。
東京都大田区の自宅は、当時はまだ築浅であった単身者用賃貸マンションであり、2024年3月現在の部屋情報では、エアコンやインターネット環境、オートロック等の設備も整えられた好条件の物件である。会社が社員寮として借り上げていた可能性もあるが、現在はマンション管理会社が一般向けに貸し出している。
高大さん失踪後の室内の様子についての情報は見当たらないが、通信費の節約のために、携帯電話でのネット利用や通話は最低限に留め、SNSやメール等外部との連絡、調べ物については、主に自宅でのネット環境を活用していた可能性が高いのではないだろうか。
両親によると、高大さんは口下手でシャイな性質で、人付き合いは得意ではないが、家族思いの真面目な青年であったという。姉と妹がおり、妹とは時折連絡を取り合っていた。
体格は平均的な身長(171cm)で痩せ型(体重55kg程度)、近視のため、コンタクトレンズを使用していたという。失踪当日に眼鏡を所持していたかどうかは判明していない。
趣味はケータイ小説の執筆であったとされるが、ペンネームや作品は特定されていない。尤も、両親からの情報は、高大さんが15歳で親元を離れて5年以上が経過している以上、最新のものではない可能性がある事に留意が必要であろう。少なくとも「ケータイ小説」の流行は最盛期を過ぎており、2013年当時では、既にその呼称自体が使われなくなっていたように思われる。
同様に、高大さんの性格も、両親の前ではともかく、単独での出張業務を特に問題なく完了し、親交を深める機会が事前にあったとは考えにくい東北支社の同僚とも一緒に昼食をとり、後日の取材での反応を見るに、会ったその日のうちに、ある程度打ち解けているようにも見え、内心はともかく、社会人としてのコミュニケーションスキルは身についているように感じられる。
父親Oさんが、防犯カメラ映像で確認した高大さんの表情を評して「たくましい」と述べたのも、いつの間にか、まだ子供だと思っていた高大さんが、親の自分も知らない姿を見せるようになっていた。という事なのかもしれない。 両親からの人物評や、携帯電話の使用歴の乏しさから、対人関係や仕事のストレス、心を許せる友人の少なさから来る孤独感が、改札で止められた事を引き金に暴発してしまい、衝動的に社会生活に背を向けた、あるいは自ら命を絶った等の判断を下してしまうのは早計であるのかもしれない。
残された所持品について
遺留品について問題となるのは、一番嵩張って邪魔になるはずのキャリーバッグが現在でも未発見である点、財布に現金が残されていた点、携帯電話だけが4ヶ月後に、企業オフィスの透明な庇の上という、ある意味では他者による発見を促すかのような場所から発見された点である。
高大さんが自発的失踪を遂げたのであれば、現金入りの財布が入ったままのビジネスバッグを北上川に投棄したのは、事故や自殺を装って、追跡の手を鈍らせることが目的である可能性が高く、キャリーバッグは失踪後の一時的なホームレス生活の間、生活用品を運搬する手段として持っておくとしても、携帯電話だけを後日発見させる理由は見当たらない。警察が自分を捜索しているかもしれないJR盛岡駅前付近まで戻ってくるというのも危険である。
いっときの激情や乖離症状など、理性が働かない状態で現状からの逃亡を図ったのだとすると、駅の構内や、市中屈指の大通りを移動する過程で、目撃情報の一つも残さず姿を消してしまえるとは考えにくい。
また、一度は東京の自宅に帰宅しようと新幹線乗り場の改札まで到達しながら、改札を越えられなかった事で精神が崩壊し、自死を考えるほど心身が疲弊していたのであれば、ポケットにも入れられる携帯電話や、持ち慣れたビジネスバッグはまだしも、キャリーバッグは早晩放棄してしまっていた事だろう。
真相考察
高大さんは、あまり発車時間まで猶予がない状況で、改札で止められてしまった事で、一時的に頭に血が上り、少々恥ずかしいのと、気持ちを落ち着かせるためにその場を離れる事にしたと思われる。
切符の印字から不備の原因を探し、発車時間までに問題を解決できるかどうかを考えてみたものの、焦りから結局まとまらず、予定していた20時32分の「やまびこ70号」は諦めて、トイレの個室に腰を落ち着ける事にした。JR盛岡駅の地下1階は飲食店街であり、当日の帰宅予定は放棄して、夕食をとる事や宿泊施設を探す事も考えていたのかもしれない。
東京行きの最終列車についてはあらかじめ調べていたものと思われる。諦めをつけるために、敢えて最終列車に間に合わなくなるまでトイレで待ち、時間切れに持ち込んだ。今夜は駅周辺で過ごすしかない状況に自らを追い込むと、ようやく腹が据わってきたが、まだ空腹を感じる余裕までは無かった。その為、夜風に当たりながら、改めて翌日の始発までの過ごし方を考えるべく、高大さんはJR盛岡駅を後にした。
その後程なくして、高大さんは不測の事態に巻き込まれてしまった。発端は良からぬ飲食店への勧誘が原因だったかもしれないし、通りすがりに肩がぶつかった等のつまらない諍いであったかもしれない。
高大さんは人気の少ない路上等で、激昂した犯人らに昏倒させられる等の暴力を受けた後、車で連れ去られたのかもしれない。その際、目立つキャリーバッグはトランクに入れて一緒に運び去ったが、ビジネスバッグについては見逃されてしまった。
後に関係のない人物によって拾われた高大さんのビジネスバッグは、財布から現金が抜き取られたあと、北上川に投棄された。バッグに入っていた携帯電話については、データを初期化して売却できないものかと一旦持ち去ったが、売却までのプロセスを確認して、身分証が必要である事から諦め、わずかばかりの罪悪感から、発見しやすい場所へ遺棄したという経緯を辿ったのかもしれない。
2005年に、TV朝日系の公開捜査番組『奇跡の扉 TVのチカラ』で、視聴者(居酒屋店員)からの情報提供によって解決した失踪事件としても知られる「千葉県茂原市重機オペレーター殺害事件」は、居酒屋で居合わせた喧嘩相手である被害者を連れ去り、意識のない状態で崖下に遺棄したと犯人らが自供した事件であり、最終的には遺体が発見されないまま、殺人罪が確定した事件でもある。
この事件も目撃者が当該TV番組を見ていなければ、もしくは暴行が不運にも、目撃者のいないタイミングで行われていたとしたら、謎の多い失踪事件として永遠に解決することが無かったのかもしれない。被害者は孫の誕生を心待ちにしていた男性で、自発的失踪の動機は見当たらなかった事から、家族が公開捜査番組に出演し、目撃情報を募っていた。
高大さんのように、社会に出て存分に働いている人物でさえ、殆ど手がかりを残す事もなく、誰の目にも留まらないままに存在を消してしまう事がある。そして、現実にはそのわずかな手がかりさえ誰の目にも留まらない、あるいは正しく認識されない事が起こりうる。 彼らに対して我々にできる事は、極力、先入観や誤りを避けて事件を記録、考察し、慈悲や正義が天から降る日の到来を待つ事しかないのかもしれない。
■参考資料
・岩手県警察ホームページ 情報提供のお願い(平成25年3月7日 盛岡市 遠田高大さん)
・フジTV系 『緊急SOS なぜ あなたは消えた!?謎の行方不明者 テレビ大捜索SP』2015年1月18日放送
・『実話ナックルズ』2020年1月号 株式会社大洋図書 ナックルズ編集部
・ 外部リンク(Wikipedia日本語版 茂原市重機オペレーター殺害事件)
◆成人男性の行方不明・失踪事件(事案)考察シリーズ