「絶対に安全である」という前提が必須なのは当然だが、人は往々にして恐怖感が大好物だ。その証拠に、高い所から急降下するジェットコースターには長蛇の列ができているし、ジャンルとしてのホラーは人を選ぶものの、根強い人気がある。
今回取り上げるのは、そんなホラー映画の1つ『紅い服の少女』である。台湾ホラーに馴染みがない人も多いかもしれないが、かなりおもしろく、かつ、かなりの恐怖感を感じる作品だ。
本作を見ていると、日本のホラーや伝承との類似点があることに気がついた。この記事で、詳しく語っていきたいと思う。
映画『紅い服の少女』の作品概要
『紅い服の少女』は2015年に公開された台湾のホラー映画である。本国・台湾で大ヒットを飛ばし、2022年に日本での劇場公開を果たした。
台湾で有名な都市伝説を元とした作品で、現代的なホラーと昔ながらの怪談が融合したスタイルとなっている。日本のホラーとも親和性が高く、和製ホラーが好きな人ならおもしろく見られるはずだ。
ホラーとしての恐怖感はかなり高い。SFXをうまく用いた怪物の描写や、見事なタイミングで入ってくるジャンプスケア、なにより雰囲気の不気味さ。鑑賞後は、ホラー映画を見慣れてしまった筆者でも電気を消すことをためらったくらいである。 ちなみに、本作は2部作+番外編の第一作にあたる。本作を見て興味を感じたら、次作以降を鑑賞して欲しい。
あらすじ
不動産屋で働くジーウェイは、年老いた祖母と2人で暮らしている。恋人でラジオDJのイージュンとは円満だが、結婚や子供を作ることは拒否されていた。
ある日、ジーウェイの祖母の友人が失踪する事件が起きた。友人はすぐに戻って来たが、祖母もまた失踪してしまう。 祖母の帰宅を願い、心配するジーウェイ。彼の元に送られてきたビデオカメラには、ハイキングを楽しむ老人たち(中には行方不明になった友人がいる)と共に、不気味な赤い服を着た少女が写っていた。
映画『紅い服の少女』の基礎知識
『紅い服の少女』を存分に楽しむためには、ぜひ知っておきたい基礎知識がある。ここで、鑑賞に必須な情報を2つ解説していこうと思う。
元になった都市伝説「赤い服の女の子」
日本には、「赤」にまつわる都市伝説が多い。赤いマントを来た殺人鬼「赤マント」や大阪・梅田の泉の広場に現れるという「赤い女」などが有名だ。「口裂け女」や「トイレの花子さん」と赤のイメージが結びつくことも少なくない。
日本と同じアジアにある台湾にも、その傾向があるようだ。そして、本作の元ネタとなった「赤い服の女の子」はその代表格である。
この都市伝説は、1998年に台湾のオカルトを扱うテレビ番組に投稿された動画が元だとされている。その動画には、山を下りる家族の背後に赤い服を着た女性が写っていた。その女性は青黒い肌の色をしており、背丈こそ子供程度だが顔は老婆のようだったという。
その動画が取られた後、家族の1人が突然亡くなり、その後も家族を不幸が襲ったとされている。 台湾では、この少女を語り継がれる怪物・「魔神仔 (モシナ)」だと考えられている。
魔神仔
次に「魔神仔」について見ていこう。魔神仔とは、台湾に伝わる妖怪のようなものだ。そして、本作に登場する怪異の正体でもある。
魔神仔は台湾の山や森に住んでいるとされている。全身が毛におおわれており、赤い猿の姿をしている。ときには、赤い服を着た子供に見られるようだ。
人をさらうことがあり、森の奥深くまで誘い込んでしまう。しかし、大抵の場合は無事に発見されるという。ただし、口の中には虫や植物が入っているとされる。
ここまで読んで分かる通り、魔神仔は厄介な性質を持つものの、人を殺めるような存在ではない。日本の妖怪の感覚にかなり近く、天狗(神隠しの原因とされた。人を山へとさらってしまう)や山童(いたずら好き)に近いのかもしれない。 上に挙げた魔神仔の特徴のほとんどを、本作は踏襲している。ただし、「いたずら好き」のかわいい妖怪の一面は消え失せ、かなり凶悪性の高い、恐ろしい怪物として描写されている。
映画『紅い服の少女』を2つのキーワードから考察:日本との類似性
台湾と日本。それぞれ文化は全く異なるが、同じアジアという地域性のためか、似ている部分も数多くみられる。そしてそれは、本作のようなホラー映画にもしっかりと表れている。
ここからは、本作の2つの事柄をキーワードとして、日本との類似性を探っていこう。
名前を呼ばれるということ
日本に限った話ではないが、伝承や神話には「タブー」という概念がつきものだ。タブーとはいわゆる「××してはいけない」という決まりで、有名なものではヨモツヘグイや「振り返ってはいけない」というものがある。
※注釈:ヨモツヘグイとは、黄泉の国の食べ物を食べることを指す。黄泉の世界の食べ物を食べると生者の世界に帰ってこられなくなる
そして、人々が普通に持つ名前もまた、タブーの一環として扱われることがある。 本作を構成する重要な要素に、魔神仔に(もしくは、魔神仔にさらわれた人に)「名前を呼ばれても返事をしてはいけない」というものがある。詳細は作中で明言されてはいないものの、名前を呼ばれ返事をしてしまうと行方不明となってしまうのだ。もっとも、そこにいた人が唐突に消え失せるのではなく、自分の意思で山の奥深くに入っていくという描写が見られる。
日本の各地にも、「山で名前を呼ばれても返事をしてはならない」というタブーがある。また、ジブリ映画の「千と千尋の神隠し」でも、主人公の千尋が湯婆婆に名前を奪われるシーンがある。
「千と千尋の神隠し」では、千尋の名前が奪われたことにより、神隠しが成立したのだろう。
関連記事:アニメ『千と千尋の神隠し』から異界を探る~神隠しと「この世」ではないどこか~
今現在、特にプライバシーに問題がある場合を除き、私たちが本名を隠すことは少ない。しかし、かつてはそうではなかった。本名を隠し、表向きには別の名前を使うことがあったのだ。隠された真実の名前を「真名」や「忌み名」と呼ぶ。
名前とは、人間にとって大切なものである。呪いといえば、髪の毛や爪を使うイメージがあるかもしれないが、ときには名前を使うことがあった。名前とは、その人の本質そのものなのである。本質だからこそ、うかつに人に知られてはならない。
では、本名を悪意ある誰かに知られたときどうなるか。それは、自分の意思とは裏腹に操られてしまうとされている。
つまり、魔神仔に操られ、山へと誘い込まれた状態だ。山へ誘い込まれた人は、大切な人の名前を呼んでしまう(呼ばされてしまう)。すると今度は、その人が魔神仔に操られてしまい……。といった状態である。
元々、忌み名は中国から来た文化だという。であれば、中国文化と関わりが深い台湾にこうした考えがあること自体は不思議ではない。
しかし、怪談という媒体で考えたとき、「名前を呼ばれても……」タブーがあるのは興味深い。恐怖を感じる土壌に、似た部分があると思えるからだ。
また、補足事項としての説明だが、キリスト教の悪魔祓い(エクソシスト)では、悪魔に自分の名前を言わせることが重要だとされている。これはつまり、名前とは、古今東西を問わず神聖視&呪術的な要素があったことが分かる逸話である。
山に人を誘い込む存在
2024年にブームとなった『近畿地方のある場所について』というホラー小説をご存じだろうか。モキュメンタリーの形式をとった新しいタイプの小説で、背筋がゾクゾクするような素晴らしい怖さを持った作品である。
この『近畿地方のある場所について』には、山の中へ女性を誘い込む怪異が登場する。そして、この「山へ人を誘い込む」という存在は、日本の怪異にとって珍しい存在ではない。
山の中とは、すなわち異界だ。昔の人にとって、人がなかなか立ち入れないような山は、現世とは異なる世界だった。先に少し触れた神隠しとは、人がこうした異界に足を踏み入れることを指す。
神隠しの原因としては、天狗が有名だ。また、山の神や鬼であることもある。伝承によって違いがあるが、自分からふらふらと山の中に入っていったという話も多い。つまり、「(意思はどうあれ)自分から山に入った」のである。
また、神隠しは精神的に未熟であったり不安定であったりする人が合いやすいとされている。弱みに付け込んだ方が、より影響を及ぼしやすいからだろう。
本作の魔神仔は、人を山に誘いこむ存在として描かれている。さらに、魔神仔に誘われた人々は何らかの弱さを抱える人でもある。ジーウェイはイージュンに対する感情、そして、イージュンは子供や結婚に関するマイナスな感情である。
弱さに漬け込む怪物というのは、どこの世界にもいるものだ。分かりやすい例を挙げると、『イット “それ”が見えたら、終わり。』のペニーワイズがまさにこの代表格だ。
しかし、本作の魔神仔は、より湿っぽく陰湿だ。じわじわとした精神攻撃を欠かさず、ゆっくりと追い詰められるような空気感を感じる。 こうした空気感は日本のじめじめとした暗い恨みを描くホラーと似ており、アジアンホラーの特徴といっても過言ではないだろう。
『紅い服の少女』考察・まとめ
山の中や森の中、そして、光が当たらない部屋の隅。これらはみな暗闇を抱えており、現代になっても、こうした暗闇には何がいるか分からない不気味さがある。真っ暗な夜の森で、怖さを感じずに過ごせる人は少ないだろう。
だからこそ、夜の森や山を描いたホラー作品はおもしろい。遠いようでいて、実はすぐそこにあるという、絶妙な距離感の恐怖を楽しめるからだ。
本作『紅い服の少女』も、そんな作品の1つである。舞台は台湾であるものの、どこか親近感のある風景の中で物語が進んでいく。見る人はどこにでもありそうな闇に怯え、数少ない明るい画面でホッとする。 ホラーを見慣れている人ならば、「最近のホラーは怖くない」という人も多いだろう。
そんな人にこそ、本作を見て欲しい。題材や表現方法は古典的ながらも、純粋に恐怖を楽しめる作品だからである。
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