昨今では沢山のスーパーヒーロー映画が制作され、公開されている。公開された作品は玉石混合だ。巨額の製作費にふさわしく素晴らしい出来の作品もあれば、その反対の場合もある。
そして、こうして公開された沢山のヒーロー映画の中でも、頭一つ抜きんでているのが、バットマンを主役とした『ダークナイトトリロジー(ダークナイト三部作)』だろう。
今回は、『ダークナイトトリロジー』の第一作となる『バットマン ビギンズ』について、その魅力を語っていきたいと思う。そうすることで、本シリーズが大人を惹きつけて離さない理由も分かるだろう。
『バットマン ビギンズ』の作品概要
映画『バットマン ビギンズ』は2005年に公開されたスーパーヒーロー映画である。クリストファー・ノーランがメガホンを取り、クリスチャン・ベールが主演を務めた。『ダークナイトトリロジー』と呼ばれる三部作の第一作でもある。
本作はバットマン誕生の物語である。バットマンが如何にして生まれたのか。そして、なぜ「正義のヒーロー」ではなく「ダークヒーロー」としての道を選んだのか。こした部分が細やかに描かれている。
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本作から始まる三部作は見ごたえのある派手さを保ちながらも、他のアメコミ作品とは違う作風を持つ、ノーラン風味が感じられる大人向けのヒーロー映画だ。 普段アメコミ映画を好んで見ない人やバットマン映画を見たことがない大人は、ぜひ一度鑑賞してみて欲しい。
あらすじ
ブルース・ウェインは、ゴッサムシティに拠点を置く大富豪の息子として生まれた。彼は井戸に落ちた際の経験からコウモリを恐れていた。
ある日ブルースは、両親と出かけたオペラでコウモリ姿の役者に怯え、観劇を途中で切り上げて帰ることになった。しかし、劇場から出た際に両親が暴漢に襲われ、その死を目の当たりにしてしまう。
それから14年後、ブルースは両親を殺した男・チルに復讐するため、銃を懐に忍ばせ、チルの仮釈放の場にいた。しかし彼の手は届かず、チルはゴッサムシティを牛耳るマフィアの手により射殺されてしまう。ブルースは無力だった。
その後、ブルースは犯罪者の心理を探るため、世界中で犯罪者と行動を共にした。そして収監されている彼の元に、闇の世界を牛耳るラーズ・アル・グールの代理人・デュカードが訪れる。
デュカードはブルースの能力を見込み、が仕切る「影の同盟」に彼をスカウトしたのだった。 釈放の後、ブルースはラーズ・アル・グールの拠点である雪山で、デュカードからの特訓を受けることになる。
より現実的なヒーロー映画
ヒーロー映画はスペクタクルだ。超人的能力を持つヒーローとヴィラン(敵)が登場し、その能力を使ってぶつかり合う。自然と闘いの規模は大きいものになるし、映像も派手になる。だからこそ、大人から子供まで、ドキドキワクワクしながら見られる作品が出来上がる。レーベルは違うものの、『アベンジャーズ』や『キャプテン・マーベル』などを想像すると分かりやすい。
しかし、バットマン及び、クリストファー・ノーラン版のバットマン、『バットマン ビギンズ』はこれらと大きく異なる。より現実的で、明確に大人向けなのだ。つまり、ワイワイと楽しむヒーロー映画ではなく、じっくりと、シーンの1つ1つを眺めまわすように鑑賞したい作品なのである。
ちなみに、この傾向は本作に限った話ではない。『ダークナイトトリロジー』の全ての作品に共通する特徴である。
どんな所が「より現実的」なのか。疑問に思う人もいることだろう。
バットマンはそもそも特殊能力を持たない。天才的な頭脳と、鍛え上げられた肉体、さらに巨万の富を武器とするヒーローだ。本質的には普通の人間であり、装備を使っての滑空はできるものの、スーパーマンのように空を飛ぶこともできない。
本作でも、もちろんその特徴は踏襲されている。また、バットマンの格好をしていても人間臭さが表現されるなど、超然としたヒーロー像とは全く異なる、より人間的な姿である。
また、バットマンは探偵的な一面を持つ天才的なヒーローだがだが、本作ではその天才性を表現する場は少ない。頭が良いことは非常に伝わるものの、そこに重きを置いていないのだ。
次に、バットマンと相対するヴィランにも目を向けていこう。「現実的」かどうかを考えるのであれば、ヴィランの存在が欠かせないからだ。
バットマンのヴィランとして知られるキャラクターは、そもそも特殊能力を持っていないことが多い。作品によってもブレはあるものの、ジョーカーやハーレイ・クイン、スケアクロウにリドラーといった人物は、肉体的には常人に近いヴィランたちである。
そんなバットマンのヴィラン達の中にも、特殊能力を持つ人物がいる。その代表が、本作にも登場するラーズ・アル・グールと、植物を操るポイズン・アイビーである。
ラーズ・アル・グールはそもそも、とある泉の影響で信じられない程の長寿を得たヴィランである。しかし、本作では闇の世界を牛耳る人物として描かれた。戦闘能力は非常に高いものの、特殊能力は持っていない。
そして何より分かりやすいのが、本作及びシリーズを通して、ペンギンなどの特徴的な見た目を持つヴィランも登場していない。ペンギン自体は非常に魅力的なキャラクターだが、ジョーカーに比べ現実感が薄れるためだろう。 つまり、本作とそのシリーズは原作コミックのいわゆる「非現実的」な部分を取り払い、大人のためのヒーロー映画として作り上げた作品なのだ。だからこそ、普段はヒーロー映画を好まない人にも見て欲しいと思えるのである。
ブルース・ウェインが「バットマン」に変わるまで
本作はバットマン映画ではあるが、バットマンの活躍を語るものではない。本作が描くのは、ブルース・ウェインという1人の男性が、バットマンとして変化していく様子である。
当たり前ではあるが、ブルース・ウェインは最初からバットマンだったわけではない。罪悪感やトラウマに苦しみ、両親の敵を殺そうとする、普通の青年だったのである(「普通は殺そうとしない」という意見もあるだろうが、心の動きとしては理解できるためこの表現にした)。
バットマンの目的とは何だろうか。バットマンことブルース・ウェインの目的は、大まかに言えば、「ゴッサムシティから犯罪を無くすこと」である。そしてそのための行動として、「犯罪者に恐怖を植え付ける」ことを選んでいる。「何か悪いことをすれば、バットマンによって警察に突き出されるぞ」という訳だ。
この辺りは本シリーズ映画本編、さらには『バットマン アーカムシリーズ(ゲーム)』で分かりやすく描かれているが、つまり、バットマンは犯罪者に自身で制裁を加えることを目的としていないのである。彼が望むのは、司法による裁きなのだ。
両親の敵を取ろうと、懐に銃を忍ばせる青年がバットマンになる道筋。これは大きな変化である。
本作では、ブルース・ウェインからバットマンへと変わっていく様子を見事に描き切っている。誰かを助ける様子。そして、誰かを殺しもしないが助けもしない様子。そこに現れるのは、大人になったブルース・ウェインと、バットマンとしての成熟である。
バットマンは基本的に敵を殺さない。如何に自分が優位にあったとしても、警察へ連行することを基本としている。例え警察が腐敗していたとしても、その中にある良心に賭けているのだ。自身はあくまでも「犯罪者に対する恐怖の象徴」であるべきと考えているのである。彼自身が「正義の象徴」になることはあり得ない。
世の中にはルール(規範)がある。「〇〇をしてはいけない」/「✕✕をするべきではない」。これらは尊重すべきものではあるが、「どんな状況でもルールを守れ」と言われると、モヤモヤしてしまう人が多いだろう。良い子過ぎる人物は、時に反発を買ってしまう。 だからこそ、バットマンの「良さ」と「悪さ」は魅力的だ。そして、その信念を忠実に描いた本作と本シリーズは、清濁併せ持つ大人にはたまらない作品なのである。
まとめ
映画『バットマン ビギンズ』は、クリストファー・ノーランが手掛けたバットマン映画『ダークナイトトリロジー』の第一作目だ。本作と見なくとも次作の鑑賞に問題はないが、一度鑑賞しておくことで楽しみが深まることは間違いない。
筆者はアメコミ好きで、スーパーヒーロー映画を多数鑑賞している。そして、その中でも本作や本シリーズは最高傑作の1つである。
「アメコミ映画は大味だ」と考えている人も多いだろう。しかし、本作はそういった人にこそ見て欲しい作品である。
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