現在、普通に世界中の劇場で使われる舞台機構で、歌舞伎発祥のものがある。舞台機構以外にも歌舞伎発祥というものは多く、調べていくとあれもこれもとなって大変なので、とりあえず今回は舞台機構のみ取り上げる。
廻り舞台
一番は「廻り舞台」。日本では「盆」といったりする。演劇だけではなく、演奏会でも使われることもある。表で芝居や演奏をしている間に裏側で次の場面、曲の準備をしておくことができるため、転換に時間がかからないという大変便利な舞台機構である。歌舞伎では約90作の歌舞伎脚本を書いた並木正三(1730~73)が宝暦3年(1753)に発明した。西洋にこの技術が渡って、取り入れられたのは1896年(明治29)で、ミュンヘン王立劇場が最初である。
セリ(迫り)
「セリ(迫り)」は歌舞伎が発祥といわれるがそれは間違いで、ローマ帝国時代にすでにセリの機構はある。ただし複雑なものではなかった。
歌舞伎は「大ゼリ」「中ゼリ」「小ゼリ」「すっぽん」とあり、(「すっぽん」については後で述べる。)この大小のセリも並木正三がやはり宝暦3年(1753)に大掛かりに使ったのが、効果的に取り入れられるようになった初めといわれている。 西洋のオーケストラピットも可動式のものは「オーケストラセリ」と言う。
花道
「花道」は歌舞伎独特のもので、下手側(舞台に向かって左側)に客席を通り抜ける道のような舞台である。元文5年(1740)ごろには常設されていた。また、普段は下手側だけだが、上手側にも作ることがあり、上手側の花道だけを指すときは「仮花道」、両方に花道がある舞台のことを「両花道」という。「両花道」を使う演目はそう多くないが、名作が多いので、かかるときには是非見に行ってもらいたい。
すっぽん
「すっぽん」はセリの一種で、花道の七三(しちさん)、つまり舞台から三分、花道の揚幕から七分の位置にある小さいセリのことだ。そこから出て来るのは人間ではないもの、異界のものと決まっている。亡霊、妖怪、妖術使い、人間に化けた動物などである。歌舞伎を見るときは、普通の人間の姿をしていても、すっぽんから出てきたら「人間ではないのだな」と理解すると最後にその正体がわかることが多いので、話の筋がわかりやすくなる。
龕灯(がんどう)返し
「龕灯(返し」も歌舞伎にしかない仕掛けである。寺社の大屋根や、二重屋台などの立体的な大道具を後ろに90度倒し、そこから次の場面が現れるという大掛かりな場面転換の機構である。これは並木正三考案説と、竹田治蔵考案説がある。
龕灯返しを使う演目は『青砥稿花紅彩画』の「極楽寺大屋根の場」から「山門の場」への転換くらいしか現在ではない。『青砥稿花紅彩画』は通称「弁天小僧」「白浪五人男」といわれ弁天小僧が出て来る「浜松屋の場」と白浪五人男が揃う「稲瀬川勢揃の場」しかほとんど上演されないので、なかなか龕灯返しを見る機会がない。ちなみに、以前書かせていただいた三島由紀夫の歌舞伎の『むすめごのみ帯取池』では、普通後ろに倒れる龕灯返しを前に倒して客をはらはらさせたという。大道具さんがいろいろ実験して、可能だとわかり、実現したそうだ。三島歌舞伎自体が『鰯売恋曳網』以外は上演されないので、これも見る機会はなさそうである。
宙乗り
「宙乗り」は現在いろんな演劇で使われるが、歌舞伎では元禄(1688~1704)のころから使われている。そしてやはり並木正三によって、宝暦11年(1761)に天狗役の役者が客席上を自由に飛び回って大評判となった。 どの舞台機構も今はもちろん電動だが、江戸時代はもちろん人力。木で作られていたし、舞台の下などは蝋燭の灯りしかなかっただろう。それでもどうやったらお客さんを楽しませることができるか、話題になるか考え、それをやったわけである。現在もその機構は残っているし、海外にまで真似されるのだから、本当に江戸の庶民の娯楽だった歌舞伎は役者に限らず、裏方も素晴らしい。
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