神から妖怪へ変化したものたち~なぜ彼らは変化したのか~

山姥

ろくろ首にぬりかべ、のっぺらぼう。こうした妖怪たちは、現在でも有名だ。それでも、その存在を信じている人は、今ではほとんど残っていないことだろう。

しかし、遥か昔、日本の闇が今よりも暗かった時代には、確かにこうした存在が信じられていた。そしてその時代は、神もまた今よりも身近な存在だった。

神と妖怪。これらの存在は同じく超常的なものでありながら、相いれないものだと考えてしまいがちだ。しかし、両者の垣根は意外と低い。神から妖怪になったものがあるからだ。

今回は、そうした変化を遂げた妖怪や神について、有名な物語などを紹介しながら考えていきたいと思う。

天邪鬼(アマノジャク)

極端にひねくれた性格をしている人を、「アマノジャクだ」と呼んだことがあるだろう。これは、有名な妖怪「天邪鬼」の性格や行動に由来するものだ。

天邪鬼は、日本の各地の民話に登場する妖怪だ。醜悪な小鬼の姿で描写されることが多く、人の考えを読み、相手の口真似をするなどしてからかうとされている。要するに、なんだか「ムカつく」妖怪という訳だ。

そんな天邪鬼だが、元々は神が妖怪化したものだとされている。天邪鬼が神だった頃の名前は「天探女(アメノサグメ)」と言い、日本神話に登場する女神の一柱だ。しかも、女神と聞いて思い浮かべるような神々しいものではない。詳細は省くが、天探女は勤めを果たさない男神をそそのかし、仕事をするように言いに来た使いの雉を射殺させてしまうからだ。

天探女は、天の動きや人の心を読む力を持っていたとされる。それは、少しグレードダウンしてはいるものの、後身の天邪鬼にも引き継がれている。 神の一柱から妖怪へ。その原因の一旦は、神としての彼女の性格にあるのだろう。天探女は、神よりも人間に近いものだ。そんな性格が、より人間にとって身近な妖怪へと変化させたのかもしれない。

左のGoogleストリートビューは『今宮神社』(京都府京都市北区紫野今宮町21)です。――ストリートビューで入ると――天邪鬼がいます。お時間があれば探してみてください。ヒントは、「支えてる?踏まれてる?どちらだと思いますか?」です。

瓜子姫うりこひめ

「瓜子姫」は、天邪鬼が登場する昔話の中でも、一番有名なものだろう。ごく簡単ではあるが、その物語を紹介していこう。

ある老夫婦が瓜を拾うと、中から可愛らしい女の子が生まれてきた。女の子は瓜子姫と名付けられ、老夫婦に大切に育てられる。瓜子姫は美しく成長し、機織りが得意な少女になった。

老夫婦が出かけたある日、瓜子姫は一人で機織りをしていた。そこに現れたのが天邪鬼である。天邪鬼は瓜子姫をだまして、高い木に縛り付けてしまった。それから天邪鬼は瓜子姫の家に戻り、彼女に成りすました。

しかしその企みは、老夫婦にばれてしまう。瓜子姫は木から降ろされ、天邪鬼は手痛いお仕置きを受けた。

これが、瓜子姫の基本的なストーリーラインである。中には、瓜子姫が天邪鬼によって殺されてしまうパターンもあり、日本昔話中でも有数の残酷な話でもある。

山姥(ヤマンバ)

山姥は山奥に住む妖怪である。多くの場合は老婆の姿をしており、人を食い殺す恐ろしい化け物として描かれている。この妖怪が登場する昔話は数多く、恐ろしい妖怪の代表格と言えるだろう。

この山姥もまた、かつては神だったと考えられる妖怪の一つだ。

山姥は「山母」と書かれることがある。山は恐ろしい場所であると同時に、様々な命が生まれる場所でもある。山の中で多くの植物や獣が死に、そして生きているからだ。母性は生命を育むもの。それと同時に、鬼子母神のように恐ろしい一面を持つものでもある。山姥が「山母」と書かれるとき、それは原始的な母性を表しているのだろう。

これを表す代表的な逸話は、「金太郎」である。金太郎の母は、足柄山に住む山姥だ。

山が持つ母性を司るということは、山姥もかつては山神の一員だった可能性が高い。世界の伝説を見ても、地母神が形を変えたと思われる存在が見られることがある。山姥もまた、かつての地母神が持つ、恐ろしい一面が取り上げられ、存在が変化した妖怪なのかもしれない。

三枚のお札

「三枚のお札」は、山姥が登場する物語の中で最も有名だろう。この物語は恐ろしいながらも、どことなくユーモラスである。

昔あるお寺に小僧がいた。小僧は和尚さんが止めるのも聞かず、山へ栗拾いに行った。懐には、和尚さんに渡された三枚のお札がある。それは、小僧の身を守るものだった。

夢中で栗を拾う小僧。気が付くと、とっぷりと日が暮れていた。途方に暮れた小僧の前に一人の老婆が姿を現す。小僧は老婆に誘われ、彼女の家に泊まることになった。しかし、この老婆の正体こそ山姥だった。

山姥の家から逃げ出す小僧。小僧は1枚ずつお札を使い山姥を退け、お寺に辿りついた。山姥はお寺まで追いかけてくるが、和尚によって退治される。

座敷童(ザシキワラシ)

座敷童は、妖怪のアイドルのようなものだ。子供の姿をした妖怪であり、女の子の姿で現れることが多い。また、双子とされていることもある。主に東北・岩手県で語り継がれている妖怪である。

座敷童はいたずら好きの妖怪であるが、「家」という狭い空間において、絶大な力を発揮する「福の神」の側面も持っている。座敷童が住み着いた家は富み、商家の場合は、商売の業績がうなぎ上りとなる。その反面、彼らが家を離れてしまうと没落してしまう。

座敷童は、語り継がれている遠野の地では元々「家の神」として扱われていたようだ。それが妖怪になったのは、彼らを信仰する家庭が少なくなったからかもしれない。

遠野物語

座敷童は、民俗学者である柳田国男が遠野の地で集めた民族伝承集の『遠野物語』(青空文庫のリンクです)に登場している。ここに紹介する昔話は、彼らが持つシビアさを今に伝えている。

遠野の地に、山口孫左衛門という豪農が住んでいた。この山口家には、二人の女の子の姿をした神が住んでいるともっぱらの噂だった。

ある日、一人の男が町から帰宅する道中に、二人の女の子と出会った。男が二人にどこから来たかと尋ねると、孫左衛門の家からだという。これからどこに行くのかを尋ねると、少し離れた村にある、やはり豪農の家だという。

それから少しして、孫左衛門の家でキノコを原因とする集団食中毒が起こり、ほとんどの住人が亡くなって家が絶えてしまった。 男が出会ったのは、双子の座敷童である。福の神である座敷童がさっさと出ていく様は、神としての見切りの良さを感じさせるものだ。

総論 神から妖怪へ変化したものたち~なぜ彼らは変化したのか~

神とは、人々から畏れられ信仰されるものだ。信仰されている間は強い影響力を持ち、人々の暮らしに深く関わっている。

しかし、人の心とは変化するものだ。信仰する対象が変化したり、生活環境が変わったりすることで、かつての神は忘れ去られてしまう。では、忘れ去られた神がどうなるのかと言えば、姿を変えて語り継がれることになる。

ここで紹介した妖怪たちは、皆そのような経緯を辿ったのだろう。存在意義そのものが大きく変わり、かつての姿を無くしてしまった。

彼らの以前の姿は、古い文献の中に残されるだけだ。


☆アイキャッチ画像 パブリックドメイン 山姥山姥(やまんば)化物之繪(化物之繪、1700年頃)、ハリーF.ブルーニング日本の本と写本のコレクション、L。トムペリー特別コレクション、ハロルドB.リー図書館、ブリガムヤング大学。

☆『遠野物語』柳田国男著,1910(明治43)年6月14日


あなたにお薦めの記事  独自視点の神話・(都市)伝説 考察シリーズ


オオノギガリWebライター

投稿者プロフィール

ココナラをメインに活動中のWebライターです。2017年より、クラウドソーシング上でwebライターとして活動しています。文章を読んで、書く。この行為が大好きで、本業にするため日々精進しています。〈得意分野〉映画解説・書評(主に、近現代小説:和洋問わず)・子育て記事・歴史解説記事etc……

この著者の最新の記事

関連記事

おすすめ記事

  1. 記事真夜中のカーボーイ考察アメリカンドリームと1960年代末の社会変革アイキャッチ画像
    映画『真夜中のカーボーイ』は、アメリカ社会の構造的変容を鋭く映し出した作品である。この映画…
  2. 記事岡山県倉敷市中学生失踪事件梶谷恭暉さん行方不明事件アイキャッチ画像
    岡山県倉敷市で、ひとりの中学生が突然姿を消した。行方不明となったのは、中学3年生の男児。進…
  3. 記事石岡市消防幹部の偽札事件過去の類似事件から見る現代社会の課題アイキャッチ画像
    2024年12月4日(水曜日)、茨城県警は、茨城県石岡市消防本部総務課長である須崎隆史容疑…
  4. 記事名古屋市西区主婦殺害事件の真相に迫る未解決の謎と犯人像を徹底考察アイキャッチ画像
    名古屋市西区で発生した主婦殺害事件は、未解決のまま長年にわたり解明されていない。本記事では…
  5. 記事『映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1981年)を徹底考察:欲望と破滅の愛憎劇』アイキャッチ画像
    1981年に公開された映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』は、エロティシズムとサスペンスに満…

スポンサーリンク

ページ上部へ戻る