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岩手県普代村6歳女児失踪事件(金子恵理ちゃん行方不明事件)

27年前(本記事は2024年8月の記事)の6月、岩手県の小さな村で一人の幼い少女が忽然と姿を消した。金子恵理ちゃん、当時6歳。彼女の失踪は家族だけでなく、地域全体に深い悲しみと不安をもたらした。

普段は家の前で元気に遊んでいた彼女が、一瞬のうちに消えてしまったその日、何が起こったのか。

行方不明のまま苦しむ家族の姿と、恵理ちゃん自身の苦しみを通して、未解決のこの事件の真相に迫る。

そして、もし恵理ちゃんが今もどこかで生活しているなら、その情報をぜひ家族に届けてほしい。長年にわたる家族の苦しみと不安を少しでも和らげるために――。

事件概要

1997年6月29日(日曜日)、岩手県普代村上村に住む金子さん夫婦は、長女の恵理ちゃん(当時6歳)を連れ、朝8時頃、青森県八戸市へと車で出発した。

八戸市は隣県であり100kmほど離れているが、国道45号線に乗れば、同じ岩手県内の盛岡市中心部を目指すよりも短時間で、八戸市内のショッピングモールまで到達する事が可能であり、一家は月に一度、家族でのレクリエーションも兼ねて買い出しに出かけていた。

恵理ちゃんには先天性の障害があった。事件当時は言葉が不自由である事が示されているのみであったが、現在では、逆手(相手に手の甲を向けた)バイバイをする、多動傾向(活発に走り回る)といった特徴があった事が明らかになっており、ASD (自閉症スペクトラム障害)であった可能性が高いと考えられている。

午後3時頃。買い物を済ませた一家3人は帰宅し、恵理ちゃんの父親Tさんは自宅の裏山へと山菜採りに出掛け、帰宅した後は仮眠をとった。恵理ちゃんは普段着に着替え、いつものように自宅の前で一人遊びをしていたという。

午後4時半頃には、自宅前の畑で草取りをしていた恵理ちゃんの母親Kさんが娘の声を聞いており、その頃まで彼女が自宅付近に居たことを証言している。しかし、それ以降恵理ちゃんは忽然と姿を消してしまった。

家族が恵理ちゃんの失踪に気づいたのは、午後5時頃であったと考えられている。仮眠から覚めたTさんが時計を見たのが午後4時55分。彼は起き出して自宅やその周辺に娘の姿を探したが見つける事が出来ず、恵理ちゃんはどこにいるのかと家人に尋ねた。

しかし、行き先を知る者は誰もおらず、Kさんや同居の恵理ちゃんの祖父は周囲を探し始めた。その後、捜索には地元の駐在所員や消防団員も加わったが、恵理ちゃんを発見することはできず、同日午後8時頃、久慈警察署に届け出た。

恵理ちゃんの失踪から4日後の7月3日の朝からは、通報を受けた久慈署の署員と地元消防団員合わせて50人が周辺の山林の捜索を行っているが、手がかりの一つとして見つかる事は無かった。この時点で既に延べ500人が捜索に動員されていたという。

Google map 失踪地点周辺。民家は少なく、周囲は雑木林に囲まれている。

恵理ちゃんの行動範囲は自宅の敷地内や自宅周辺の路上、(恐らく半径で)1km強の範囲であったという。しかし、新聞報道(警察発表)では、恵理ちゃんは失踪の直前、自宅裏の雑木林の中を流れる沢で遊んでいたとされた。

母親が声を聞いた午後4時半以降、恵理ちゃんが自宅の前から移動し、裏山の雑木林へ踏み込んでいったという警察の見立てに、足跡など何かの根拠があったのかどうかは明らかにされていないが、金子家は国道から離れており、外部からの出入りが少ない事、沢の川幅は50cm程度であり水流も弱く、水の事故である可能性は低い事も報じられており、警察は、恵理ちゃんが遊んでいるうちに、周辺の山林へと迷い込んだ可能性が高いと考えていた事が察せられる。

しかし、父親であるTさんによると、恵理ちゃんには自宅周辺に広がる「雑木林に入らないように」言い聞かせており、恵理ちゃんも言いつけをしっかり守っていた。そして、恵理ちゃんが自宅周辺で道に迷い、家族の手を煩わせた事も一度も無かったという。彼女は6歳ながら方向感覚に優れていたようで、Tさんに連れられて行った山ではぐれた際も、山の麓に駐車した父親の車まで自力で辿り着いて待っていたのだという。

また、金子家は市街地の中ではなく、国道45号線に通じる県道44号線から更に伸びた古道である、三陸浜街道沿いに点在する一軒家のひとつであり、街道自体も分岐が少なく、雑木林にさえ踏み込まなければ子供でも道に迷うような立地にはない。仮に街道を直進したとしても、捜索開始時間と6歳女児の歩行速度を勘案すれば、追いつく事は容易なはずであった。路上に事故痕やブレーキ痕は見つかっておらず、交通事故からの連れ去りの可能性も薄いと考えられた。

全く目撃情報の類が存在しなかった訳ではない。前述の通り付近の街道は幹線道路とは離れた古道であり、めぼしい観光施設も存在せず、近隣住民以外が利用する理由は乏しかった。車通りも少なかった為、不審な車や物音があれば住民に察知されやすかったようだ。当日も、金子家正面の路上に面した雑木林の方向から、近隣の主婦が、「女児のむずかるような声」を聞いたと証言している。

2000年、家族に取材をしたジャーナリストの近藤昭二氏にTさんが応えた所によると、早くも失踪当日に警察犬が投入されていたのだという。「日本でも1番か2番の鼻をもつ」と紹介された犬が立ち止まったのは、周辺の民家との位置関係的に「女児のむずかるような声」が上がった可能性が高い街道沿いの雑木林の中で、自宅からはわずか数mの地点であった。その翌日にもう一度投入された警察犬も同じ場所で立ち止まったとTさんは語っている。

Tさんは恵理ちゃんがここで連れ去られ、街道に停めてあった車で誘拐されたのではないかと捜査員に訴えたが、彼らは当初の見立てである「沢の流れる裏山」に固執し、警察犬の探知結果については無視、裏山ばかりを捜査していたという。警察犬が使われたという情報は新聞では報道されていない。

先述の「女児がむずかるような声」の証言も、捜査員によって何度も問い質されるうちに「声を聞いたような気がする」「恵理ちゃんではなく、母親Kさんの声だったかもしれない」と次第にトーンダウンしていったのだという。

約1ヶ月後、警察は、失踪時刻頃に付近で目撃された不審車両についての情報が、近隣住民から寄せられており検索を行っている事を明らかにした。Tさんはもっと具体的な情報を警察から知らされており、それは男が運転する白い車で、その車は恵理ちゃんの失踪前から村の中を徘徊していたのだという。

また、Tさんは恵理ちゃんの失踪数日前、雑木林付近の私有地に「自衛隊のジープ」、その側に「迷彩服を着た男」が一人で立っていた事を思い出している。付近には自衛隊の演習場やその他の関連施設等も存在せず、不審に思ったTさんは捜査官にその旨を報告したが、これらの人物や車両と、恵理ちゃん失踪との関わりは浮上しなかった。

その理由は、街道沿いの住民が口を閉ざしたからではないかと、近藤氏やTさんは疑っている。それは「田舎特有の体面意識」から来るもので、住民は共同体の中で自分だけが突出する事を忌避し、他の構成員が逸脱すれば後ろ指を差すといった傾向が強く、それは日常生活だけではなく、今回の様に子供の生命がかかった局面や、警察との関わりであっても同様なのだという。

更に近藤氏は、捜査にあたった警察官が地元の久慈署ではなく岩手県警本部の所属であり、これもまた田舎特有の感覚であるという「他所者への忌避感」を刺激、捜査への協力を躊躇わせた可能性を指摘している。一方で外部からの侵入者があれば敏感に察知するはずであり、住民がスタンドプレイで近隣から浮いてしまう事や、他所者である捜査官との関わりを嫌って届け出なかったために、明るみに出なかった重要な情報もあるのではないかと匂わせている。

恵理ちゃんの失踪から約3年後、新潟で女児の長期監禁事件が発覚した事に触発されたものか、彼女の事件にも再捜査が行われた。しかし、警察が実施したのはまたも裏山の捜索であり、やはり手がかりの一つも上がらなかった。

失踪から4年、5年、6年の節目には、久慈署は県内の要所や村内でチラシを配布、ポスターを掲示して住民に情報提供を呼びかけた。失踪から6年が経過した2003年6月30日付の読売新聞(東京朝刊・岩手)には、恵理ちゃんの家族への取材内容が掲載されている。

そこでは、家族は行方不明者の公開捜査TV番組に出演した事、祖父は霊能者を尋ね、その力も借りたが、手がかりの発見には結び付かなかった事。恵理ちゃんの失踪後一年半程後、恵理ちゃんには弟のK太くんが生まれた事や、K太くんには姉の面影があり、一層恵理ちゃんの顔が脳裏から離れない事。せめて、どこかで無事に暮らしていてほしいという願いも語られている。 失踪から20年の節目となる2017年、4月13日には、盛岡家庭裁判所久慈出張所で、恵理ちゃんの失踪宣告審判が確定した。

30年近くの年月が経過した2024年8月現在も、岩手県警は、ホームページに当時の恵理ちゃんの画像を掲載し、広く情報を求めている。外部リンク『岩手県警察本部ホームページ 発見にご協力を!金子恵理(かねこえり)ちゃん』

手がかりとその検討

金子恵理ちゃんの失踪には多くの謎が残されている。家族や捜査関係者などは、わずかな手がかりから彼女の行方を追い続けてきた。本節では、これまでに得られた手がかりを整理し、その信憑性や意味を検討していく。

事件解決の糸口を探るために、見落とされた可能性のある情報や、新たな視点からの再考も試みる。

金子恵理ちゃんについて

恵理ちゃんは、翌年度に小学校入学を控えた6歳で、前述の通りASD(自閉症スペクトラム障害)とみられる先天的な障害があり、言葉が不自由であった。それでも両親から見た恵理ちゃんは、元気で人懐っこい子供であった為、きょうだいも居らず近所に同年代の子供もいない恵理ちゃんを、同じ年頃の子供たちと楽しく遊ばせたいと、彼らは娘を自宅から離れた保育園へ送り出していた。

しかし、その願いとは裏腹に、園での恵理ちゃんは特別扱いを受け、他の子供たちからは隔離されていたという。1997年当時では、ASDに対する理解が現在ほど進んでおらず、一人遊びや家では現れないASDの特性が、馴染みのない環境である保育園で発現し、見慣れない子供たちとの遊びを嫌がるといった問題が起きる可能性がある事等はあまり知られていなかったのであろう。

当然、恵理ちゃんにASDの診断が下されたり、特性に対応した療育が施されたりすることもなかったと考えられるが、ASDを持つ人には、時折優れた記憶力や空間把握能力が備わっている例が報告されており、恵理ちゃんの優れた方向感覚もその一例である可能性がある。

また、ASDの児童の遊びは行動範囲や興味の対象が限定的であるといい、例えば同年代の子供たち程には、小動物や昆虫といった新奇な刺激に誘われて、山林の奥へと分け入って帰り道を見失うような事態には陥りにくいように思われる。父親の言いつけである「雑木林に立ち入らない」を自身のルールとして受け入れていたのであれば尚更である。

最終目撃情報について

失踪から3年後、ジャーナリストの近藤昭二氏が家族から聞き取った、恵理ちゃんの既知の最後の動向(家の前で遊んでいた)と、警察による見立て(家の裏山にある沢で遊んでいた)との間には齟齬が存在する。

恵理ちゃんが街道から車に連れ去られたと信じたい家族が、自覚なく自らの記憶を改変していったという可能性も存在するが、近隣住民による「女児がむずかる声」の証言と、その声が発せられた場所として矛盾がない場所で、2頭の警察犬が反応したというTさんの話は、恵理ちゃんのASDの特性とも併せて「遊んでいたのは裏山ではない」という事実を強化するものである。

恵理ちゃんがむずかる声を上げたのは、何者かが、入りたくない自宅周辺の雑木林に彼女を強引に引き込んだ、または追い込んだからであると考えるのが自然である。 尤も、警察自体は「女児のむずかる声」についても、警察犬についても言及しておらず、これらの情報の真偽に裏付けがある訳ではない。

とはいえ、警察が、事件と事故の両面の可能性を捨てないとしても、身代金要求や、決定的な誘拐の目撃情報、血痕といった事件の証拠の乏しさから、裏山からの山林への迷い込みという見立てをメインに捜査を続けるしか無かったのも現実であろう。

不審車両について

恵理ちゃんの失踪地点付近は街道沿いにも雑木林が広がり、視界はあまり良くない。

それでも見慣れない車として、白い車やジープが挙げられ、白い車の方は、該当する可能性が高い3種類の車種の白い車1万台が調べられている。その中から誘拐等の犯罪性が見出される事は無く、Tさんが目撃して情報提供をした自衛隊風のジープに至っては、警察は首を傾げるだけであったという。

確かに、日本で1番多いとされた白い車ならともかく、周囲が山林とはいえ、犯罪行為に用いるのに自衛隊風ジープというのは目立ち過ぎるように思う。

車好きな子供であれば、もしかすると興味を惹かれ誘い出されてしまう事もあるかもしれないが、恵理ちゃんが車好きであったという特徴があれば、Tさんが既に言及していると考えられる為、現在ではこの車はサバイバルゲームやミリタリー物等のマニアが、軍用風に改造した車両を用いて、会場(候補地)の下見やドライブ等の途中で偶然訪れたに過ぎないものと考えられている。

真相考察

近年まで、子供の行動力や好奇心は過小評価される傾向があり、これほどの規模の捜索にも関わらず見つからないのは、何者かに連れ去られたからに違いないと考えられる事も多かった。

しかし、躾と称して一時的に、まだ肌寒い5月末の北海道の山中に置き去りにされた7歳の子供が姿を消し、5km以上離れた自衛隊施設に偶然自力でたどり着いた後、一週間ほど水だけで凌いでいた件や、山梨県のキャンプ場で失踪した女児が、「取りうる限りの最大限の態勢」にも関わらず発見できず事件性が高いと考えられていた所、子供一人ではたどり着けないだろうとされた地点まで自力で到達した可能性が高い事が指摘される等、その予断に反する実例も確認されている。

しかし、恵理ちゃんの失踪については、前述のように本人の特性から、好奇心や冒険心から普段と異なる行動をとるという事が考えにくく、車を使った連れ去りである可能性が高いと考えられる。 不審車両として目撃情報があった白い車は、事件の前から村を徘徊していたという。「前から」が数日前からであるとすると、いつも家の前で遊んでいる恵理ちゃんに気付き、ターゲットとして定め、彼女が一人になる場所や時間帯を見定めていた可能性が高い。失踪時期である6月末は雑木林も木の葉が茂り、更に視界が遮られやすい。

Tさんによると、恵理ちゃんは街道に出て、道路の端に立てられた赤白のポールに触って遊ぶのが好きだったという。これらは、当時はまだ無かったガードレールの代わりに立てられていたといい、その一部が近年まで残っていた。路上で遊んでいる恵理ちゃんの姿は、金子家の前からは高低差と植生のために恐らくは視認できない。

その日も恵理ちゃんはいつものように路上で遊んでいたが、街道沿いに停車していた白い車から男が降り、何事か話しかけられた。見慣れない男を怖がった彼女はパニックに陥り、声を上げながら雑木林に駆け込んだが追いつかれ、抱えられて車に乗せられたのかもしれない。

恵理ちゃんが遊んでいた可能性が高い街道と赤白のポール Googleストリートビュー 2014年6月撮影

付近には畑があり、作業中の住民がいたとすると、一部始終を目撃していながら警察と関わることを嫌い、口をつぐんだ線もゼロではないが、誘拐犯には一定の計画性があるとすると、目撃の恐れが少ない時間帯を調べていたか、周囲に人がいない事を確認してから犯行に及んだ可能性が高いのではないか。

恵理ちゃんが誘拐されたとして、その目的は何だろうか?

警察は家族に疑いを向けた質問をする事もあったという。恵理ちゃんに生まれつきの障害があるのは事実であり、養育の困難さからの狂言誘拐を疑うのは捜査員としては仕方がない事であったかもしれない。

しかし、しかし、両親が恵理ちゃんのことを保育園で同年代の子供たちと仲良く遊べるものと考えていたところから見て、両親にとって恵理ちゃんは元気で人懐っこくて、少し言葉が遅いだけの普通の子供と考えていた節が伺われ、育児について犯罪に手を染める程追い詰められていた様には見受けられない。

情報公開後に寄せられた目撃情報の中には、「岩手県花巻の祭りで似た子供を見かけた」というものがあった。何らかの理由で一般的な交友関係を持てない為に、あまり世の中に染まっていない子供をターゲットとして誘拐、常に側に置き、孤独感や支配欲等の特殊な欲求を紛らわせようとする、「新潟少女監禁事件」や「朝霞少女監禁事件」の犯人のような人物が他にもおり、恵理ちゃんと一緒に生活している事は十分に考えられる。

犯人と同居してその庇護と監視の下にある間は、身分証明や社会との関わりを求められる事もまず無いであろうし、障害があるとなれば尚更、就学や就職をしていないからといって不審の目で見られる事も少ないはずで、障害の程度によっては自宅に閉じ込めておく必要もなく、共に祭りに繰り出す事も可能であっただろう。2024年8月現在、恵理ちゃんは33歳になっている。

もしかすると、障害のある子供の面倒をみている心優しい父親や親族であると評判の犯人とともに、今も二人でひっそりと暮らしているのかもしれない。 もしそうであるなら、何らかの方法で恵理ちゃんの両親に真実を知らせて欲しいと思う。その事が、実の両親や祖父、弟から、30年近くの間、子供や孫、姉を奪った償いには全くならないのだとしても――。


■参考資料
近藤昭二『消えた子供たちを捜して!<公開捜査>:続発した行方不明事件の謎』二見書房2000年6月
岩手県警察本部ホームページ 発見にご協力を!金子恵理(かねこえり)ちゃん
ゼンリン住宅地図「岩手県下閉伊郡普代村・田野畑村」1997年6月発行版
岩手日報 1997年7月4日、7月12日、7月29日付
朝日新聞(岩手版) 1997年7月4日付
読売新聞(東京朝刊・岩手) 2001年6月26日、2002年6月29日、2003年6月30日付


◆子どもの行方不明事件(事案)考察

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