映画『カッコーの巣の上で』正気と狂気の境界線を考察する

カッコーの巣の上でイメージ画像

ご注意:この記事には、映画『カッコーの巣の上で』のネタバレが含まれています。

映画『カッコーの巣の上で』は、1975年に全米公開されたヒューマンドラマです。

原作は1962年に発表されたケン・キージー(1935年9月17日-2001年11月10日)の同名小説です。原作者ケン・キージーがカリフォルニア州パロアルトの略称VA(正式名称:United States Department of Veterans Affairs:退役軍人省)下の病院施設(退役軍人と家族のための病院)「Veterans Administration Hospital」での体験を基に書かれた小説ともいわれています。

小説は大ベストセラーとなり満を辞しての映像化となりました。

映画史上、忘れられないラストシーンが描かれた映画『カッコーの巣の上で』を解説しながら、マクマーフィーが突きつける、正気と狂気の境界線などを考察します。

映画『カッコーの巣の上で』の概要

主演は『シャイニング』『バッドマン』『郵便配達は二度ベルを鳴らす』などで多彩な演技力を魅せる名優、ジャック・ニコルソン。看護師(婦)ミルドレッド・ラチェッド役を演じたルイーズ・フレッチャーは、アカデミー主演女優賞の栄冠を手にしました。

共演は大ヒットシリーズ『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のドグ役で有名なクリストファー・ロイド。本作『カッコーの巣の上で』は、クリストファー・ロイドの映画初出演作です。

刑務所の強制労働から逃れるために、精神病棟へ送り込まれたマクマーフィー、病棟では患者は人間としての尊厳を奪われ、自由奔放に生きようとするマクマーフィーと彼に感化された患者たち、そして何とか「規律」を重んじようとする看護婦長ラチェッドとの亀裂は深くなっていき、そして――。

『カッコーの巣の上で』は世界中で高い評価を受け、第48回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞を受賞しました。

今でも70年代のアメリカンニューシネマの代表格として、主演のジャック・ニコルソンの演技含め、根強い人気と名作として、称される映画でもあります。

映画『カッコーの巣の上で』のあらすじ

中年の男性のランドル・パトリック・マクマーフィーは、10代の少女に性的暴行をした疑いで刑務所へ送り込まれようとしていました。

しかし刑務所での長期間の強制労働に嫌気がさしたマクマーフィーは、更生施設でわざと暴れ回り、自分の凶暴性を精神異常だと主張して、刑務所から街から離れた静かな精神病院へ送り込まれることになりました。

緑豊かな施設でありながら、逃げられないように檻で囲まれた精神科病棟――。

マクマーフィーは、施設で「絶対的権力」を持つ、見た目穏やかな看護婦長ラチェッドを、はじめとして、施設の不思議で異様な雰囲気に密かに驚いていました。

定期的にラチェッドが主催する患者たちのグループセラピーに、マクマーフィーも参加させられます。そこで、ハーディング、ビリー、テイバー、マティーニ、チャーリー、フレドリクソンという患者たちと知り合いました。

グループセラピーとは、自分の状況や心の苦しみを語り合い理解し同和すること――でしたが、一方的なラチェッドの進行具合にマクマーフィーは嫌悪感を露わにしていました。

自由時間になり、マクマーフィーは2mを超える大男、ネイティブアメリカンで聾唖者のチーフ・ブロムデンをバスケットコートに誘い、ダンクやシュートを無理矢理教え、大喜びしましたが、チーフはなんとも言えない表情を浮かべていました。

さて毎日3回、ナースステーションの前ではラチェッドの目が光る中、ナースたちから向精神薬を1人1人与えられます。それを患者は受け取るとナースの目の前で口の中に入れると、水を飲み、「あーん」と口を開けて実際に飲んだかどうか確認してもらうのです。

それが病棟の当たり前とされた週間でした、マクマーフィーはそれを見て手渡された薬も飲み込むふりをして、他の皆の前で笑って吐き出して得意げです。

規律を重んじ、与えられたことだけをしていればいいというロボットのような生活を送ることが当たり前だった患者たちは、彼の行動に驚きます。

それを氷のように冷たい目で見つめるのは、ラチェッドでした。

いつものようにグループセラピーをしていた最中、その日はTVでワールドシリーズが行われています。

「こんな話し合いやめて皆で見て盛り上がろうぜ!」とマクマーフィーは声を上げます。

彼に同調したのは一部の患者たちだけ、他は怯えたように俯いてしまいました。

「ここは多数決で決めようぜ!」というマクマーフィーでしたが、結局ワールドシリーズは見れず無気力すぎる患者たちに呆れ果て、暴言を吐き捨てました。

徹底した管理された生活に嫌気がさしたマクマーフィーは、同調した患者たちを引き連れ病棟を抜け出して街に繰り出して酒でも飲みながらワールドシリーズ見ようぜ!と、患者たちに「賭け」を持ち出します。

それはバスルームにある大理石の噴水を持ち上げて、窓を壊して出ようという無謀すぎるものでした。

結局うまく行かず、マクマーフィーは悔しげに「やれることは俺はやった」と言い残すと部屋へ戻っていきました。

マクマーフィーという台風の目のような存在に、少しずつ感化されていく患者たち。次の日に、諦めきれないマクマーフィーは多数決でワールドシリーズの視聴権を取ろうとして、患者たちに語りかけますが看護婦長が怖くて票を集められません。

その時、1人の患者が静かに手を挙げます、それは大男のチーフでした。

マクマーフィーは、電源の入っていないTVを前にワールドシリーズがあたかも放送されているかのように実況をはじめます、その熱気に感化され盛り上がる患者たち、いつもは静かで落ち着いているセラピールームは大喝采で終わったのです。

そんな状況をラチェッドは、黙ってみているわけにはいきません。マクマーフィーとラチェッドの対立は決定的になりました。

精神病棟へやってきて1ヶ月が経つ頃、再検査を受けたマクマーフィーは異常性がないと言われ刑務所へ戻されそうになりますが、隙を見てレクレーション用のバスを乗っ取って、街へ他の患者たちと脱走します。

途中、見かけた女友達のキャンディも連れ、皆で魚釣りをしたりして、思い思いの時間を過ごします。

しかし、病院へ戻ったマクマーフィーたちを待ち受けていたのは、冷たく鬼の形相をしたラチェッドと警察でした。

マクマーフィーを更生施設に送り返すべきと意見が分かれますが、戻したとしても他人に彼を押し付ける、それは病院の違憲に関わるとして”治療”を続けることを選択します。

そしていつしか、チーフとマクマーフィーは心を通わせ、実は施設で生きるために聾唖者を装っていることを告白するのです。

ふと聞いた会話の中で、マクマーフィーは衝撃の事実を耳にします。彼の勾留期間は70日ほどで、その後はラチェッドの決断で病棟に置くか決められていたのです。

マクマーフィーは理不尽な扱いに暴れ回り、次第にそれは他の患者たちにも伝染していき、平和で穏やかに見えていた病棟は無茶苦茶になっていきます。

マクマーフィーはチーフと、ここからカナダに脱走しようと夢を語り合っていました。脱走の方法と日程が決まった夜、ラチェッドたちが当直でいない夜、警備員の男性を買収してキャンディたちを連れ込むと最後の宴を派手に病室で祝っていました。

マクマーフィーがチーフに逃げようと声を掛けると、彼は小さく首を横に振りました。

チーフの様子に絶望するも、1人だけでも脱走しようと準備をするマクマーフィーでしたが、キャンディに想いを寄せるビリーにいい思いをさせようと、2人を個室に残し、外で酒を飲みながら待っていました。

――しかし、次に目を覚ますと夜が開けていました。目の前には酒瓶と散らばっています。そして怒りの表情のラチェッドたちが立っていました。

脱走計画は、失敗してしまったのです。 その後、マクマーフィーは――。

現実と隔離された「精神科病棟」とは?

映画『カッコーの巣の上で』は、オレゴン州の「オレゴン州立病院(Oregon State Mental Hospital)」で撮影され、同病院のスタッフや当時の患者たちもエキストラとして参加しています。

『カッコーの巣の上で』の原作小説が書かれた、1960年前半頃の精神科病院(当時は「精神病院」と表記されました)や精神科医療は、治療と称する乱暴な行為も行われていたようです。

24時間、監視され、時には拘束され、飲む薬も確認される。勿論、自傷行為や他害行為などを予防することが目的でしょうが、仮に虐待などがあったとしても閉鎖された病棟の中の様子が外の世界に漏れ伝わることはなかったのかもしれません。

しかも、治療・入院している人たちは、言葉は悪いですが「狂人」です。狂人が何かを訴えても外の世界の「正気」の者は信じないかもしれません。

だからこそ、働く人々の虐待などが隠ぺいされるなど様々な問題が起きても見えにくいのかもしれません。見えないからこそ、弱者を痛めつける。これはどんな状況であっても許されてはいけません。

マクマーフィーは、多少乱暴ながら自分らしく好きなことをどんどんしていきます。ワールドシリーズの実況なんて、熱さそのものです。置かれた場所で満足せず、いつ抜け出そうか破ろうかを考えている男です。管理されることではなく、自分らしく。統一ではなく、少しでも自由に。

マクマーフィーが突きつける、正気と狂気の境界線

マクマーフィーは自ら「異常者」のフリをして、病棟に潜り込みました。しかし、やる気がなく無気力な患者たちに、刺激を与えていきます。マクマーフィーは、狂人なのでしょうか?正気なのでしょうか?

マクマーフィーは、病棟内の徹底した規律と平和を重んじ、患者たちを管理し、いつも清潔感があって髪型がきっちりしている微笑んでいても、目が全く笑っていない看護婦長ラチェッドと対立します。

彼女の背景は『カッコーの巣の上で』では一切語られません。(彼女の過去はNetflix配信の『ラチェッド』で詳しく描かれます。人間性が深く知りたい方はこちらをご覧くださいませ。外部リンク先:Netflix『ラチェッド』

彼女は病棟の安全性管理、入院患者の管理、トラブル回避などの与えられた自分の仕事に忠実な「普通」の「正気」の人なのでしょうか?それとも「狂人」なのでしょうか? 映画『カッコーの巣の上で』は、立場や立ち位置により変わる、「正気/狂気」、「善/悪」、「日常/非日常」、「正義/不正義」、「異常/正常」など境界線を私たちに問うているようにも思えるのです。

映画史に残る忘れられないラストシーン

映画『カッコーの巣の上で』は、精神科病棟を舞台にラチェッドの作り上げた平穏な王国に、マクマーフィーという正常者か異常者はわからないような異端の者が紛れ込み、彼女の王国を引っ掻き回す物語でもありますが、乱入者マクマーフィーにより影響を受け変化するネイティブアメリカンのチーフを描いた映画だとも思います。

はじめは、人種的な問題で、ろうあ者のフリをしていたチーフですが、自由奔放なマクマーフィーにバスケットボールを教えてもらい、少しずつ心を開きます。彼が電気ショック治療に連れていかれそうになった時に、はじめて――ありがとう――と、言葉を発します。

マクマーフィーは彼の事情を知り、一緒に施設を飛び出そうとしました。チーフにとっては刺激や変化も起きずとも、平穏な居場所だった精神病棟。自分のことを知られる「外の世界」は不安そのものでした。

それでもマクマーフィーと脱走の日時まで決めますが、行く直前に彼についていくことを拒みます。

――俺は、小さな男だ――

チーフは大柄な男性です。マクマーフィーは彼の力があれば1人では無理だった大理石を窓にぶつけて、外へ出られると思っていました。

でも、チーフは外の世界に出たいとは思えなかった。「自分」が他の人に外で受け入れられるとは思えなかった。だから自信を失くして直前で逃げてしまったのです。

そして、脱走計画は失敗します。マクマーフィーは自殺したビリーを追い詰めたラチェッドの首を締めて、拘束されてロボトミー手術をされてしまい「人間」としての機能を失くしてしまいました。

自由で賑やかで密かに憧れていたマクマーフィーが消えてしまいました。

――俺は、小さな男だ――

そう言っていたチーフは、壊れたマクマーフィーに一晩寄り添い、彼を枕で窒息死させます。

「こんな俺はもう俺じゃない、終わらせてくれ」と、彼に言われたような気がしたのでしょう。

そして、立ち上がると大理石の噴水を持ち上げると窓へ叩きつけました。外にはまだ薄暗い外の世界、チーフは真っ直ぐに前を見て外へ歩き出しました。マクマーフィーと2人で、彼は外へ一歩を踏み出したのです。

静かで今まで傍観者であったチーフが、自分を、病棟を、気持ち、を叩き割り、外へ歩き出す素晴らしいシーンだと思います。

彼が人を殺したという事実は消えず、脱走したという罪も消えません。人を殺した彼は狂人でしょうか?脱走した彼は異常者でしょうか?人を殺した異常者が脱走した。そうなのでしょうか?

彼は外に歩いていきました、自分を超えて「小さな自分」を少しだけ捨て――静かなラストシーンは映画史に残る忘れられないラストシーンになりました。

日本の精神科病院内での最近の虐待事件例

文責:Jean-Baptiste Roquentin

2023年2月15日、東京都八王子市内の精神科病院50代の男性看護師が、入院患者に暴行した容疑で警視庁に逮捕されたとの報道がなされた。同病院内では逮捕された男性看護師を含む看護師、准看護師合計4名が暴行に関係した疑いが持たれていた。入院中の患者は「イジメにあっております。精神的につらいです。助けて下さい」などの手紙を外部の者(弁護士)に渡していたともいわれる(参考・引用:「東京 八王子 精神科病院を捜索 患者に暴行か 看護師を逮捕」NHK首都圏NEWS WEB 2023年2月15日18時48分配信)

2020年3月には、兵庫県神戸市西区内に所在する精神科病院内の「看護師、看護助手の計6人が、重度の統合失調症や認知症の人が入院する「B棟4階」の患者7人に対して、10件の虐待行為をしたとして、準強制わいせつ、暴行、監禁などの疑いで兵庫県警に逮捕された」(引用:「神戸・神出病院、凄惨な虐待事件から見えた難題」東洋経済 2021年4月15日 10:00配信)その後、6人は全員起訴され、3人に実刑判決、残りの3人は執行猶予の判決が下された。

同事件は、人間の尊厳を踏みにじる非常に悪質な行為だった。人間が人間を虐め倒す。人間が人間をおもちゃにする。人間が正義・管理・経済的合理性などを理由に自分の行為を正当化しながら日常的に生贄を探す。

2022年12月10日、精神科病院で行われる残酷な暴力行為の防止などを目的とする「精神科病院の患者虐待防止策義務づけ 改正精神保健福祉法」が成立した。 物理的に閉鎖的な空間、構成員が固定化される集団内では、「いじめ」がおきやすい。開かれた空間と構成員の流動性を意識しつつ、個々人が常に人間の尊厳を意識することが必要なのかもしれない。

映画『カッコーの巣の上で』は、「人間」を考えるうえで大切な普遍的名画である。これからも、映画『カッコーの巣の上で』は、様々な視点で語られ、議論され、「人間」の光となるだろう。


60年代-80年代の海外映画・社会派映画 考察シリーズ


あめこWebライター

投稿者プロフィール

人間の淡い感情や日常を描く事が、得意な物書きです。
寝ても覚めても根っからの映画好きです。
戦後から最近までの国内外の映画、アニメ、ゲームなどサブカルが得意です。
特に三船敏郎、志村喬という往年の東宝俳優が昔から好きで、昔はファンブログも書き綴っていました。

この著者の最新の記事

関連記事

おすすめ記事

  1. 記事『映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1981年)を徹底考察:欲望と破滅の愛憎劇』アイキャッチ画像
    1981年に公開された映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』は、エロティシズムとサスペンスに満…
  2. 記事『グリコ森永事件真相と犯人の一考察』のアイキャッチ画像
    1984年に発生した『グリコ・森永事件』は、犯人の大胆不敵な犯行手法と高度に洗練された計画…
  3. 記事『群馬県東吾妻町主婦失踪事件山野こづえさん行方不明事件』アイキャッチ画像
    群馬県東吾妻郡の小さな集落で、一人の若い母親が突如姿を消した。彼女は、生後間もない娘Aちゃ…
  4. 記事世田谷一家殺害事件に迫る警察の視線警察は犯人に接近しているのかアイキャッチ画像
    世田谷一家殺害事件は、多くの遺留品とともに犯人のDNAまで残されながら、長年未解決のままで…
  5. 記事『夢と現実の狭間~映画インセプションを考察~』アイキャッチ画像
    人によることは分かっているが、筆者にとって、夢の中にいることは水の中にいるようなものだ。妙…

スポンサーリンク

ページ上部へ戻る