Categories: 事件

石井舞ちゃん行方不明事件

事件概要

1991年7月25日早朝4時半、福島県船引町の建設会社で専務を勤めるIさん(37歳)は、自宅に併設されている事務所でその日の仕事の準備を始めていた。その時、夜間は施錠されているはずの2階玄関が無施錠である事を不思議に思ったという。

一時間程経ち、書類仕事を終えて居間へ戻ると、前々日からI家に宿泊している長女、舞ちゃん(7歳)の友人(正確には舞ちゃんの母親であるY子さん(27歳)の友人の娘(小学2年と同4年))二人が、慌てた様子でIさんに告げた。

福島民報1991年7月27日付

福島民報1991年7月27日付から引用

「舞ちゃんがいない!」

前日はいつもと変わらない、夏休みの1日だった。午前中、舞ちゃんは友人たちと庭のビニールプールで遊び、夕方にはIさん宅の住み込み従業員Kさん(22歳)の部屋でT Vゲームを楽しんだ。夜は女の子三人だけの寝室で就寝し、25日朝は皆で公園のラジオ体操に参加する予定だった。

Iさんは家族を起こして舞ちゃんの行方の心当たりを尋ね、また家の中、家の周辺を皆で必死に捜したが舞ちゃんの姿はどこにもなく、その日の午前6時5分、警察に通報した。

身代金要求等の連絡はなく、27日からは公開捜査に切り替えられている。 警察の捜査では、外からの侵入の痕跡が見つからない事、警察犬は家の前の道路で動かなくなり、車での連れ去りが濃厚である事、大人用Tシャツと下着だけで眠りについた舞ちゃんの他の衣類や靴がなくなっていない事、寝具に乱れがない事から、寝室に侵入した何者かが、ダブルベッドの上で川の字になって眠っていた女の子三人の中から、真ん中にいた舞ちゃんを選び、起こさずに抱き上げて連れ去った可能性が高いという事が分かった。

最も疑われたのは住み込み従業員であるKさんであった。

Kさんは24日夜外出していた。その際、一階玄関の施錠をしなかった。合鍵を預けられるような信用が無かった可能性が高いが、家人に行き先を告げて施錠を促すようなことも無かった。夜間外出は半年前、Iさんの会社で働き始めてから初めてのことだった。元暴走族で補導歴があり、シンナー嗜癖が抜けておらずIさんから叱責されていたという。家庭の事情でIさんが預かっていた姪(17歳)の恋人であり、その姪の願いで住み込み従業員としての職を得ていたが、Iさんとの仲は良好とは言えず、24日は恋人との旅行が計画されていた所へ、急遽Iさんにより仕事の予定を入れられ旅行は中止となっており、これが誘拐の動機になりうると考えられたからであった。

近藤昭二『消えた子供たちを捜して公開捜査続発した行方不明事件の謎』P63二見書房2000年6月

近藤昭二,著『消えた子供たちを捜して!<公開捜査>:続発した行方不明事件の謎』二見書房.2000年6月.P63から引用

また、I家は玄関が1階と2階に一つずつある二世帯住宅であり(内部は繋がっている)、7L D K+車庫・事務所併設という広さや構造の複雑さから、初見の侵入者が目標の部屋へ到達することは困難と思われた。

そして、普段、舞ちゃんは両親や弟たち二人と共に、24日眠りについた部屋とは違う隣の寝室で眠っており、23日夜から女の子三人だけが、もう一つの寝室を使っていることを知る者はごく限られていた。

つまり舞ちゃんの失踪は、I家の内情をよく知る者の関与が強く疑われる状況にあったのである。

しかし、完全ではないもののKさんには24日夜のアリバイ証言者が現れ、二週間の事情聴取から解放されている。その後、KさんはIさんの会社を辞め、県内にある実家へ戻っていった。時期は不明だが、Iさんの姪とも破局しているようだ。 勿論、家族の関与も疑われ、特に舞ちゃんの最終目撃者となった母親のY子さんへの取り調べは厳しいものとなったが、やはり疑い以上のものにはなっていない。

IさんはKさんへの疑念を打ち消すことは到底できず、会社の業務を縮小してまでもKさんを追ったという。探偵を雇ったとも、自ら尾行して行動を探り、時には直接問い糺したともいうが、関与の証拠や自白を得ることはできなかった。

I家やKさんはT Vの公開捜査番組に出演し、雑誌記者のインタビューにも応え、安全なはずの自宅から就寝中に姿を消すという、舞ちゃんの失踪の特異さについては全国的に周知なものとなったが、解決に導くような情報が寄せられる事はなく、2003年、失踪宣告審判が確定している。

福島県警は、2022年現在もホームページ上で舞ちゃんについての情報提供を呼びかけている。(リンク先は情報提供を呼び掛ける福島県警HPです)

手がかりとその検討

舞ちゃん宅の状況

I家の住人は、舞ちゃんの祖父・祖母(Iさんの両親)、Iさんの姪、Kさんの四人が1階の部屋で生活し、舞ちゃん、両親、弟二人の五人が2階で生活していた。2階の居間兼食堂と台所は共有で、1階のメンバーも2階の構造は把握していたとみて良いだろう。

2階は事件から六年前に増築されていた。2階に設置された建設会社事務所を訪れるには、1階玄関を入った所にある居住区の内階段とは別に造られた外階段を上がる必要がある。2階の居住区からも、2階玄関から一度出る必要があり、他の部屋からはやや孤立している。また、事務所という性質上恐らく固く施錠されていたであろう。

言い換えれば、1階玄関さえ開いていれば、事務所以外全ての部屋へ侵入できる状態にあったと言える。恐らく洗面所(トイレ)は各階に一つずつ、バスルームは1階に一つある。

舞ちゃんが消えた!1991年7月24日夜の状況

Iさんの姪は24日昼頃、実家のある福島県郡山市へ出発した。Kさんが行けなくなった旅行に一人で行ったのか、そもそも旅行というのが共に郡山の実家を訪れる事であったのか、それとも旅行をキャンセルした代わりに実家に宿泊したのかは不明だが、当夜はI家に居なかった。Kさんは夕方までにIさんから言い付けられた仕事を終え、概要で述べた通り夕方は舞ちゃん達とT Vゲームに興じている。

祖父・祖母は21時20分頃、タクシーを呼び、行きつけのカラオケスナックへ出掛けていった。その際一階玄関を確かに施錠したと証言している。

翌朝も早いIさんはその頃既に晩酌を終えて、21時には舞ちゃんの弟二人を連れて寝室に入っていた。

舞ちゃん達三人は、21時半頃寝室へ入った。母親Y子さんは22時半頃、三人が眠っているのを確認し寝具を掛け直した。これが舞ちゃんの最後の目撃情報となっている。

Y子さんはその後2階洗面所を使い、1階の玄関の開閉音と共に、Kさんが外出するのを見ている。コンビニにでも出かけたのかと特に気にする事なく、2階玄関を施錠し(その日は友人の子供達二人を預かっている事もあり、戸締りは普段よりも意識していたというが、1階玄関の施錠については舞ちゃん祖父母の担当だったのか、恐らく気を回していない)。

Y子さんが1階のバスルームで入浴してしばらくすると(恐らく23時ごろ)、再び1階の玄関の開閉音と、内階段をトントンと2階へ上がる足音が聞こえてきたという。少々警戒心が薄いような気がするのだが、大所帯で多少の物音には慣らされてしまっていたのかもしれない。Y子さんはやはり気にせず、それからすぐ(足音から5分後という)2階へ上がり、居間を消灯してIさん達のいる寝室に入った。その後一時間程度は寝つかれずにいたというが、下りていく足音などは聞いていないようである。この時2階へ上がっていった足音の主が、2階玄関の鍵を内側から開けた可能性が高い。

二つの寝室のドアは開けたままだった。子供たちがトイレ等に起きる際、ドアの開閉音がしないようにするためなのだろうが、結果的には連れ去りの際の物音やドアノブの指紋等の証拠が残りにくいという役割も果たしてしまった。

舞ちゃんは怖がりであり、夜間トイレに起きる時は親を起こして付いてきてもらっていたようで、その移動をスムーズにするためという期間限定の試みであった可能性もあるが、子供は無頓着にドアを開閉しがちなものであり、毎晩開けっ放し出会った可能性がより高い。

関係者のアリバイ

舞ちゃんの祖父・祖母が帰宅したのは翌25日の午前2時頃。施錠したはずの1階玄関が開いていることとKさんがいない事に気づき、2階で寝ているIさんを起こしてその事を告げているが、Iさんは半覚醒状態で聞いていたのだろう。明日聞くからと答えてそのまま眠ってしまっている。祖父・祖母のアリバイが無いのはこの後Iさん起床までの二時間程度となる。

Kさんが帰宅したのは25日朝6時半。夜は用事があり外出し、終電を逃してしまった為タクシーで郡山へ向かい、仕事まで部屋で仮眠をとるべく、郡山からの始発電車で戻ってきたという。

用事というのは「親友が精神に異常をきたした」という知らせが入り、詳しく事情を聞くために、別の友人と郡山で会う約束をしたが、その友人はうっかり眠ってしまい約束の時間に現れなかったというもので、Kさんは仕方なく郡山のデパート(郡山駅付近にあるU百貨店か)前ベンチで夜を明かしたという。

友人はそんな約束はしていないと言っているものの、恐らく通話記録が調べられている事、23時頃にKさんを乗せたタクシーの運転手と、デパート前で声をかけたというポン引きからのアリバイ証言が出ている事、I家と郡山との距離、Iさんの起床時間を勘案すると、単独で舞ちゃんを連れ去り、隠匿する事が可能な程の時間は無いように思えるが、2階玄関の鍵を開ける、舞ちゃんを寝室から連れ出して協力者に手渡すといった犯行の一部を担うのであれば十分な時間がある。

尚、Kさんは自分の車を所有しており、I家の敷地に停めていたが、バッテリー上がりを起こしておりエンジンがかからない状態で放置していた。自然回復するものでもないと思うのだが、24日夜はエンジン始動を試みる等逡巡している間に終電を逃してしまったのだという。

自宅で子供たちと眠っていた舞ちゃんの両親には当然ながらアリバイと言えるようなものは無い。もっと言ってしまえばY子さんによる24日夜の(舞ちゃんの最終目撃を含む)証言さえ、信用性を担保する何らかの傍証や証言がある訳ではない。

石井舞ちゃん行方不明事件の史料(資料)の考察

石井舞ちゃん行方不明事件には「噂」を含めた様々証言、考察がある。それらの証言などを確認・考察していこう。以下は考察にあたって参考にした情報源(ソース)である。

『消えた子供たちを捜して!<公開捜査>:続発した行方不明事件の謎(近藤昭二著,二見書房,2000年6月.)』は、日本では起きないだろうと言われていた幼児誘拐・長期監禁事件である、新潟女児監禁事件の2000年1月の発覚を受け、若年者の未解決失踪事件を今一度思い出してもらい、情報を募るべく編まれた文庫本。福島民報との乖離もほぼなく、客観性が高い。犯人探し等はしておらずノイズが少ない印象を受ける。

『ドキュメント児童失踪(河合香織著,新潮社『新潮45』,2003年11月号.)』は、主にIさん一家とKさんの戦いに主眼を置いており、商業雑誌らしい印象を受ける。「Kさんが舞ちゃんに、夜の12時に遊びに行こうと誘っていた」という当日同じ部屋で眠った女の子から後日Y子さんが引き出した発言や「ホテルに行って一緒にシンナーをやった時、(Kさんが)“今皆が探している所に舞ちゃんはいない”と言った。怖くなって別れた」 という、Iさんの姪からY子さんが引き出した発言等、この事件を象徴する情報は、この同書を出典としている。

同書は、Kさんの反論にもかなりの文字数を割いてはいるのだが、「そんな事言っているの?」「あの後Iさんの姪とホテルには行っていない」「Iさんは(自分一人で追跡調査をしたような事を言っているがそうではなく)探偵を雇っていた」 会社をたたんでKさんの追跡に注力したとされるIさんではあるが、実際にはIさんの建設会社は稼働状態にあり、公共工事の入札等も行っているという。

Iさんは専務であり、社長は恐らくIさんの父親であるわけで、実際の工事は下請けに回す等するのであれば、稼働できたとしてもおかしくはないし、自分の仕事は畳んだのだと言われれば、それはその通りなのではあるが――。

「旅行の予定を入れていて自分は居ないはずだったのに前夜仕事を言いつけられた。とてもこんな事前計画の必要な犯行はできない」等の、ほぼ防戦一方の発言が多い。それでも、「会社の先輩も言っていたけれど、2階の居間は床が軋み音を出すので、気づかれずに横断して寝室までは行けない」という発言は、家族以外にもI家の構造を知る者がいる事を示唆しており無視できない。軋み音の件は、25日夜2時に祖父母が2階に上がっても、起こされるまで誰も目を覚さなかった訳で、たとえ事実であっても説得力には乏しい。

その他いくつかI家やKさんが出演したT V公開捜査番組のうち、2022年現在インターネット上に上げられている映像が一つある。

フジテレビ系『あの事件を追え!超ミステリー事件簿』『金曜エンタテイメント』1997年放送がそれで、特筆すべき点としては、同室で眠っていた女の子が「夜中に優しい声が聞こえた」とY子さんに後日話したという情報の初出は恐らくこの放送である事が挙げられる。

この番組以外の映像はネット上に上がっておらず、本事件を語る上で、現在当然の知識として語られている、TVの公開捜査番組でKが発言したという、「時が来たら、全てを話します」という発言は現在確認する事ができない。

なお、「時が来たら、全てを話します」というK氏の発言の出所は、テレビ朝日系『奇跡の扉 TVのチカラ』であるとされる事が多いが、『奇跡の扉 TVのチカラ』の放送開始は2002年であり、時期的にそれ以降の番組に、既に三十路であり、勤め人として2児の父となっているKが出演して、件の爆弾発言を投下する理由も利益も思い浮かばず、真偽は不明である。

また、参考程度の情報ではあるが、2015年に立てられたインターネット掲示板上の舞ちゃん事件のスレッドでは「時が来たら、全てを話します」発言についての言及は初期には皆無であり、2017年辺りから時々その発言が書き込まれ始めるが、ソースが不明であるとして、毎回ほぼ一蹴されている。しかし、その放送を見たという発言も現れている。

「時が来たら、全てを話します」は、マンデラ・エフェクトか?

集団的に虚偽記憶が保持される例として有名なものが、2013年まで生きた南アフリカの指導者ネルソン・マンデラ氏が、1980年代に獄中死した記憶を持っている者が多数現れたという現象であり、同氏の名を冠してマンデラ・エフェクトと呼ばれている。

その記憶は事実と反しているにも関わらず、追悼式や夫人による追悼演説の様子を含む具体的なもので、その具体性を他者と共有できるものでもあった。実際には1980年代に獄中死した、別の思想家のニュースが人々の記憶に干渉したものとされているが、それだけでは説明のつかない部分も多く「パラレルワールドの記憶が干渉」「我々を取り巻く仮想現実の綻び」と言った俗説が今も一定の説得力を持っている。

K氏の「時が来たら、全てを話します」に関連しそうな事件や発言としては、同じ幼女誘拐犯であるM元死刑囚が書いた被害者両親あての手紙の署名「今田勇子」は、有識者が「今だから言う」の意味ではないか?という推理を述べた件などが思い浮かぶが、やはりこれだけで説明できるものでもない。

実際には、ごく最近誰かの脳内で起きた虚偽記憶が、まとめサイトやS N S等で拡散し、TV番組で見たKさんの声や姿を記憶していた読者の中で合成、再生されたものではないか?1982年8月に発生した「松山ホステス殺害事件」の容疑者F元受刑者が留守番電話に『時効になったら全部話してあげる』の言葉を残したと記憶する者もいる。F元受刑者の音声が脳内で脳内で再構築され『時効になったら全部話してあげる』という言葉が再生されるという。だが、インターネット上にあった録音を確認するが、F元受刑者は、『時効になったら全部話してあげる』とは言っていなかった。

K氏の「時が来たら、全てを話します」の真偽は不明だが、誰かの記憶違いなどが拡散され他の人と共有された可能性も考えられそうだ。

真相考察

犯行が可能な者には動機がなく、動機がある者には犯行が単独では不可能で、共犯者は影も形も見えない。犯行で利益が見込める者や、利益を得た者も見当たらない。

「不可能であることを消して、最後に残ったものがいかに奇妙なことであっても、それが真実である」という格言に従うのであれば、外部犯の可能性を持ち出さざるを得ない。

思えばI邸は豪邸と言って良い建物であり、価値のあるものが邸宅内に置かれていると常日頃からマークされていたとしても不思議ではない。実際に事務所内には金庫などが置かれており、ある程度の現金が常備されていただろう。しかし、流石に固く施錠されており隙がない。もしかしたら、内部からはもう少し楽に侵入できるのではないか?

窃盗犯は侵入できる入り口がないか、忍び込む隙ができる時間帯はないか等のアタリをつけ始めた。22時半の終電以降は、駅から徒歩2分のI家周辺も人通りは乏しくなる。24日夜には、ボンネットを開けたままの不審な白い車があったとの目撃証言が寄せられている。この車は25日朝には消えていたという。

そんな窃盗犯の目に、戸締りもせずに1階玄関を出るKさんの姿が目にとまった。そういえば、少し前にタクシーで誰かが出かけて行った。この家にはいつもより人が少ないはずだ。侵入者は2階を目指す。勿論事務所荒らしが本来の目的である。この時間帯はY子さんが入浴しており、1階も2階も消灯はされておらず初見の家でも迷いにくかった。他の家族は寝静まる頃であった。逃走時の便を考え、2階玄関の鍵を開けておく。

2階の居住スペースは事務所に繋がっていない。落胆した侵入者は他の部屋に金目のものが無いか探り始めた。かろうじて風呂上がりのY子さんの目を逃れた後、彼女が入っていかなかった方の部屋を覗くと、そこには熟睡する三人の女の子がいた。

「身代金誘拐」侵入者の脳裏をそんな言葉が掠めた。

1984年江崎グリコ社長誘拐事件発生。被害者は無事自宅に戻ったが、裏交渉で犯人が身代金を得たという噂が根強く残り、犯人も逮捕されていない。その余韻は1991年になっても残っていたであろう。

子供の誘拐ならもっと楽ではないか?死刑になった奴もいるけど、そいつは子供を殺したからだ。自分は殺さない。一番運び出しやすい姿勢の子供を選んだ。それは舞ちゃんだった。彼(女)には、この家に他の家の子供が眠っているという発想はなかった。子供の扱いには慣れていた。しかし、様子を見ているうちに事件は公開捜査となり、脅迫状を出すタイミングや身代金を受け取るまでの勝ち筋が見えなくなってしまった――。

舞ちゃんの母親Y子さんは近藤昭二氏のインタビューに応えて「舞がいなくなったとき、みんな夢中で家の中を探し回り、その過程で犯人の残した証拠を消してしまったのかもしれない」と悔やんでいる。

また、警察の捜査で、家からは住人以外の足跡や指紋が出なかったという現場検証の結果が発表されているが、仮にも自営業を営む家で、そのような事があるのだろうかと思う。全てがメールや電話、F A Xだけで完結するような時代でも業種でもない。広い家の中で、失われた、もしくは見落とされてしまった手がかりがあるのではないか。

舞ちゃんはどこに行ってしまったのか?

誰を犯人として担ぎ出しても、結局その謎が解けない。見逃された誘拐犯が居たのだとすれば、尚更謎は深まり糸口さえ消えてしまう。

「Kさんさえ、本当のことを話してくれたら……」

きっと全てが解決する。そんな大衆の願いが、「時が来たら、全てを話します」という虚偽記憶の根源なのかもしれない。

石井舞ちゃんが行方不明事件――事件(事案)の「真相を知る誰か」が時が来たら、全てを話す」ことを――これからも――多くの者が願っている。


★引用・参考文献
福島民報1991年7月27日付(画像化引用)
近藤昭二,著『消えた子供たちを捜して!<公開捜査>:続発した行方不明事件の謎』二見書房.2000年6月.P63(画像化引用)
河合香織,著「ドキュメント児童失踪」新潮社『新潮45』.2003年11月号.
『福島民報』1991年7月-8月の記事


あなたにお勧め 未解決事件シリーズ

赤城神社主婦失踪事件 概要1998年5月3日午前11時半ごろ、千葉県在住の主婦N・Sさん(当時48歳・以下Nさん)は家族6人(夫、義母、叔父、叔母、娘、孫)と共に2台の車に分乗し、群馬県宮城村三夜沢(当時・現在は前橋市三夜沢町)にある赤城神社へとツツジ見物のために訪れた。赤城神社おそらく参道で目的のツツジを鑑賞した後、一行は車を神社の駐車場に停めたが、あいにくの小雨のせいかそれとも疲労によるものか、参拝のため車を降りたのは夫と叔父の二人だけであった。しかし、間もなくNさんはひとり、「折角だからお賽銭をあ...
赤城神社主婦失踪事件 - clairvoyant report
佐世保中学生失踪 事件概要1969年2月23日(日)14時頃、長崎県佐世保市に住む中学2年生H・Sさん(当時14歳男性・以下Hさん)は、自宅の縁側で取り組んでいた工作の手を止めると、「玉屋デパートまで工作の材料を買いに行く」と家族に言い残し、制服と制帽といういでたちで家を出た。玉屋デパートは佐世保市栄町にあり、S家からは歩いて20分程の距離がある。その際工作の道具は縁側に広げられたままであった。発生年月日1969(昭和44)年2月23日(日)14時頃発生場所長崎県佐世保市事件内容行方不明/失踪事件失踪人(行方不明者)当時佐世...
佐世保中学生失踪事件 - clairvoyant report
アイキャッチ画像は、キツネ目の男と脅迫(挑戦)状に使用された和文タイプライターと「ハウス食品工業恐喝未遂事件(1984年11月14日)」の現場遺留品(犯人が使用した盗難ライトバン内に残されていた「カークリーナー」「サファリハット(モスグリーン地に灰色が混じる男性用Lサイズ)」「カジュアルバック(布製紺色・肩紐つき、ローヤル・インペリアルのロゴ入り)」が描かれた大阪府警察捜査本部のテレフォンカード。グリコ・森永事件本記事はこれまで検証、考察などしたグリコ・森永事件の「まとめ記事」である。以下は各頁の主な...
グリコ・森永事件 - clairvoyant report
警視庁管内の平成三大未解決事件の一つといわれる世田谷一家殺害事件。事件発生から2022年までに述べ29万人の捜査員を投入したといわれている。世田谷一家殺害事件は、90年代、00年代を生きた人々や社会に、オウム真理教の一連の事件や酒鬼薔薇事件などの凶悪事件と同様の強烈な印象を与え、その後の社会のあり方や人々の意識を大きく変化させと言っても過言ではないだろう。世田谷一家殺害事件 考察世田谷一家殺害事件について考察していこう。本気記事内のリンクカードは、本事件に関する各項目の考察詳細を記した記事である。各項...
世田谷一家殺害事件 - clairvoyant report
高度経済成長と学生運動の只中、大胆不敵な知能犯が日本犯罪史上に残る大事件を実行した。時間と手間を掛け、入念に計画された「その事件」は「時代」を象徴する事件となり、現在も語られ続け、小説、映画、ドラマ等の創作物となり、人々の好奇心を刺激し続けている。 「時代」の象徴と永遠の謎となった「その事件」――三億円事件の謎と犯人像について考察していこう。三億円事件 概要1968(昭和43)年12月10(火曜日)午前9時15分、旧「日本信託銀行国分寺支店」(東京都国分寺市本町2-12-6)から1台の車が発進した。発進したニッサン...
三億円事件の謎を考察 - clairvoyant report
NHK土曜ドラマ『64ロクヨン』 小説『64』「昭和64年」――それは昭和天皇の崩御によりたった7日間――1月7日で終わった。そして、昭和64年1月5日、一人の7歳の女児が誘拐、殺害された。事件は未解決のまま14年が経過、時効まで約1年に迫っていた。この未解決事件を中心に描かれた横山秀夫の『D県警シリーズ 64ロクヨン』は、昭和の時代に実際に起きた未解決の幼児誘拐殺人をモチーフにした傑作小説だ。そして、この傑作小説を基に実写化された2つの作品がある。一つは2015年4月18日より放映されたNHK土曜ドラマ『64ロクヨン』、もう一つは...
『64(ロクヨン)』と功明ちゃん誘拐殺人事件 - clairvoyant report
帝銀事件の謎を考察・検証帝銀事件 事件概要帝銀事件の事件概要旧帝国銀行椎名町支店と帝銀事件の犯人が銀行関係者などに毒物を飲ませる口実に使った相田宅及びGHQジープの位置関係の略地図「『疑惑α―帝銀事件 不思議な歯医者 佐伯省(1996年),P286から引用』」事件現場旧帝国銀行椎名町支店当時の所在地東京都豊島区長崎町1-33年月日時1948年(昭和23)1月26日(月曜日)15時過ぎ頃事件概要詳細不明の青酸化合物を使用した強盗殺人など被害者数死亡者12名など被害総額現金164,410円、小切手17,450円「帝銀事件 検証 詐欺師の犯罪」...
帝銀事件 検証 詐欺師の犯罪 - clairvoyant report
本記事は「東電OL殺人事件の真犯人を考察する」目的の記事です。被害者A氏、冤罪被害者B氏及び関係者の氏名を匿名で表記します。事件や関係者の匿名化は事件や被害者を血の通わない「記号」にすることにも繋がりますが、当該事件が非常に有名な事件であるため、既に多くの先人が被害者A氏や冤罪被害者B氏の人物像などを分析、考察、紹介などしています。「人間」被害者A氏や「人間」冤罪被害者B氏の詳細は、それらの書物、記事、論文などをお読みください。なお、文末に本記事の参考、引用文献リストを記す。本記事での表記一覧被害者A...
東電OL殺人事件 真犯人を考察する - clairvoyant report
子供の行方不明事件は、行方がわからない当事者(本人)と残された親族だけの問題ではない。ある日突然、子供が家庭や学校や地域社会から忽然と消え、友人・親族の知人・学校・地域・社会全体に大きな衝撃を与える。残された親族の日常が一瞬で崩壊し、出口のない不安が心を支配し、暗闇の世界の全てを覆い尽くす。残された親族は行方不明の子供の安否を心配するとともに無事の帰宅を祈り続ける。解決の糸口さえ掴めない事案では行方不明となった「理由だけでも」知りたいと願うだろう。 山梨キャンプ場女児失踪事件(2019年9月21日16...
加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)事件 - clairvoyant report
横山ゆかりちゃん誘拐容疑事件(太田市パチンコ店女児失踪事件)概要1996年7月7日(日曜日)、群馬県大泉町に住むYさん(当時29歳)と家族(妻M子さん・同30歳、長女ゆかりちゃん・同4歳、次女・同生後8ヶ月)は、自宅から2kmほどの距離にある群馬県太田市のパチンコ店、「パーラー・パチトピア」(2022年現在は別名のスロット店として営業)を車で訪れた。本来はデパートへのお出掛けだったというが、「七夕感謝デー」の広告ハガキが来ていた事を思い出し、予定を変更したという。午前10時半頃、入店した一家は景品コーナーに立ち寄り、ショ...
横山ゆかりちゃん誘拐容疑事件(太田市パチンコ店女児失踪事件) - clairvoyant report
湯河原町女性放火殺人事件(2015年4月21日発生)の犯人は、茨城一家殺傷事件(2019年9月23日発生)の被疑者として逮捕、起訴された岡庭由征被告ではないか?との説が散見される。この二つの事件には、動機不明な点や刃物で被害者の顔面や頭部を攻撃する残忍な手口など共通する点がある。また、神奈川県警察のHPにある『現場方向からJR湯河原駅に現れた人物で、事件について何らかの情報を持っていると考えられる』人物の特徴や動きが岡庭由征被告に似ているとの説もある。 湯河原町女性放火殺人事件の犯人と茨城一家殺傷事件の岡庭...
湯河原町女性放火殺人事件の犯人は?茨城一家殺傷事件との関係性は?などを考察 - clairvoyant report
古美術店「無尽蔵」店主失踪事件 概要1982年8月24日より三越日本橋本店で開催されていた「古代ペルシア秘宝展」。黄金の皿、盃、装身具など絢爛たる47点の展示即売品は、総額21億円(当時)といわれ、折からのシルクロード・ブームの追い風も受けて盛況であった。しかし、会期半ばの8月29日。朝日新聞は一面で、これらの秘宝の大半が「ニセ物」であると報道する。これはスクープなどというものではなかった。天下の三越百貨店が、当然全てが本物であるとして、上は数億の値段をつけて売り捌こうとした自慢の「名品」の数々は全て、開催...
古美術店「無尽蔵」店主失踪事件 - clairvoyant report
広島県安芸郡府中町主婦失踪事件 概要2001年9月24日(月曜日)、午前10時ごろ、広島県安芸郡府中町青崎の、賃貸マンション3階に住む主婦N・Tさん(当時50歳・以下N子さん)は、友人Aさんからの電話を受けた。その用件は昼食への誘いであった。N子さんはその時期、マンションの一室に一人で暮らしていた。知人たちからの印象では、結婚13年目のT夫妻の仲は良好であったようだが、子供は無く、当時N子さんの夫S郎さんは持病などにより入退院を繰り返しており、この頃も労災による指のケガで入院中であった。N子さん自身も心臓病等いくつか...
広島県安芸郡府中町主婦失踪事件 - clairvoyant report
日本(東京)から約7,500キロメートル離れたモスクワに世界初の社会主義国家・ソビエト社会主義共和国連邦が誕生した1922(大正11)年の10月、千葉県木更津市の開業医の四男として男は生を受けた。祖父の代から医者の家柄だった男の父は、千葉県木更津市の市長もつとめる名士だった。裕福な名家生まれの男は、父親や母親の期待に応えるかのように第一高等学校(現、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部等)に入学、22歳となる1943(昭和18)年、東京帝国大学法学部(現、東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)に進学した。男の...
光クラブ事件・裏切りを怖れる「偽悪者」山崎晃嗣を考察する - clairvoyant report
知略縦横を働かせ自分よりも大きな組織などを相手に大胆不敵な犯罪を実行する者がいる。「東の(府中)三億円事件、西の大阪ニセ夜間金庫事件」と並び称される同時代に発生した2つの事件は、時代を超え人々の好奇心を刺激する。事件発覚直後に「日本版『黄金の七人』」とも報じられた(参考:「偽装夜間金庫」朝日新聞 1973年2月27日付)「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人像を遺留品や時代背景などから考察していこう。なお、『黄金の七人』は、1965年に製作されたイタリア映画である。同映画は1967年から『漫画アクション』での連載が開...
大阪ニセ夜間金庫事件 - clairvoyant report
旭川市男子中学生失踪事件 概要2012年1月14日(土曜日)北海道旭川市緑が丘のとある住宅団地の一室。発端は、ごくありふれた家庭内の諍いであったという。気候の厳しい北海道の中学校の冬休みは長く、休業期間最後の週末となる。気象庁の記録によるとその日も夕方頃まで降雪があった。特に未明〜朝方は風速10m/秒近いというから、もはや吹雪いていたと言って差し支えないであろう。中学受験の難関校として道内でもその名を知られた、北海道教育大学の附属中学校に通う一年生、佐藤智広くん(以下智広くん・13歳)は、自宅でその夜に観るテ...
旭川市男子中学生失踪事件(佐藤智広くん行方不明事件) - clairvoyant report
江東区小5女児誘拐殺人事件とは、1969年(昭和44年)5月31日(土曜日)、17時30分頃、東京都江東区東雲1丁目内の某社社宅居住の小学校5年生E子ちゃん(10歳)が、買い物からの帰宅途中に車に乗った男に誘拐され、同年6月3日、午前11時頃、誘拐現場から南東方向へ直線距離で約1キロメートルの東京都江東区辰巳町東京湾十二号埋立地(現在の東京都江東区辰巳3丁目内付近)でE子の遺体が発見された(猥褻目的)未成年者略取、殺人、死体遺棄事件である。 一時は、本事件翌年の1970年6月3日(水曜日)に千葉県木更津市内で発生した小学校3...
江東区小5女児誘拐殺人事件 - clairvoyant report
貨幣・紙幣は国家の信用の上に成り立っている。特に国家による信用の裏付けのない紙幣は、単なる文字と絵が描かれた紙切れに過ぎない。1961(昭和36)年に最初の一枚が見つかった贋造紙幣「チ-37号」は、その精巧な造りから「贋造紙幣の最高傑作」、「最後の職人技」などと呼ばれ、1963(昭和38)年11月14日まで事件は続いた。国会でも取り上げられた「チ-37号事件」は、社会に大きな影響を与えた戦後の事件の一つでもある。警察は犯人検挙に向け異例の大規模捜査を行い、政府は新たな千円紙幣(伊藤博文像の紙幣)を発行し対応するが―...
チ-37号事件 - clairvoyant report
広島市佐伯区植物公園職員失踪事件 概要2014年6月7日(土曜日)朝9時頃。広島市佐伯区の植物公園職員、藤野千尋さん(当時25歳・以降千尋さん)は、家族三人(母、弟)で暮らす自宅を出て、いつも通り佐伯区五日市駅南口からバスに乗り、職場である広島市植物公園へと出勤していった。千尋さんは運転免許証を持っていなかった。臨時職員として4月に採用されてから約二ヶ月が経過し、担当の植物(ベゴニア)も決まり充実した生活ぶりであった。少なくとも、同居の母親H子さんの目からはそう見えていた。自然を愛する千尋さんは子供の頃から植物...
広島市佐伯区植物公園職員失踪事件(藤野千尋さん行方不明事件) - clairvoyant report
室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件)概要2001年3月6日(火曜日)――暦の上では既に春であり、関東地方ではお花見の予定を立て始める時期でもある。しかし、その日、北海道の地方都市である室蘭市は依然ほぼ終日、肌寒い氷点下の気温であり日差しも乏しかった。日陰には所々雪も残っている。それでも世間は着実に「春」に向かって時を進めており、その日は公立高校の入学試験のため休校日であった。道内有数の進学校である、道立室蘭栄高校の一年生である千田麻未さん(ちだ あさみさん・以下麻未さん・当時16歳)はその日の...
室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件) - clairvoyant report
1991年5月19日、50歳の男性が東京都内の病院で病死した。男性は末期ガンだった。男性の名前は「山森将智家」の筈だった。けれども男性の名前は「山森将智家」ではなかった。名前どころか、戸籍記載事項から勤務先まで全てが嘘(ウソ)だった。真実を欲する妻を取材した「夫はだれだった」というタイトル記事が朝日新聞に掲載されたのは、同年の11月のことだった。「夫はだれだった」の見出しと記事内容は、読み手の心を刺激したのだろう。後年、同記事をモチーフにした小説『嘘を愛する女』(岡部えつ,徳間文庫,2017年)が発表され、翌...
夫はだれだった:「山森将智家」と二人の妻『嘘を愛する女』の実話 - clairvoyant report
岡山県津山市19歳会社員失踪事件 概要2019年8月26日(月曜日)、岡山県津山市の土木関連企業の社員で、保守点検業務に就いていた中山裕貴さん(なかやま ひろたかさん・以下裕貴さん・当時19歳)はその日、4月に入社したばかりの職場に姿を見せなかった。事前または当日の連絡はなく、いわゆる無断欠勤であった。裕貴さんは2019年3月に岡山県岡山市の工業高校を卒業後、新卒で入社して以降、真面目な勤務態度で知られており、前の週である8月19日から23日も特に変わった様子もなく働いていたという。上司であるY氏の言を借りれば、「新入...
岡山県津山市19歳会社員失踪事件(中山裕貴さん行方不明事件) - clairvoyant report
2007年(平成19年)5月25日、名古屋家庭裁判所に申立がなされていた、ある母子の失踪宣告審判が確定した。 バブル景気と精神世界の探求、グローバル化と東西冷戦の終結など激変と混沌の1989年の夏に発生した名古屋母子・同居人失踪事件について解説・考察していこう。名古屋母子・同居人失踪事件 概要失踪した母子のうち母親であるS乃さん(失踪当時30歳)と、その息子であるDくん(当時3歳)は、失踪の四年ほど前の1985年に、S乃さんと国際結婚をしたオランダ人の夫(Dくんの父親)であるR氏と家族三人で暮らしていたが、S乃さんはその後約...
名古屋母子・同居人失踪事件 - clairvoyant report
1999(平成11)年8月13日(金曜日)17時50分頃、JR横浜線「成瀬」駅から北東方向へ直線距離で約100メートルの場所に所在した某レンタルビデオ店から一人の女性が出た。彼女はT美術大学で絵画を学ぶ18歳の井出真代さんだった。某レンタルビデオ店の従業員の記憶によれば、店を出た彼女は自宅とは逆方向のJR横浜線「成瀬」駅方面に向かったのではないかといわれている。発生から20年以上を経て未だに未解決の井出真代さん失踪事件(町田市美大生失踪事件)について考察していこう。※本記事の内容は全て個人的な考察と推察です。事件経緯...
井出真代さん失踪事件(町田市美大生失踪事件) - clairvoyant report
一人の男性が消えた。彼は働きながら正看護師を目指す23歳の准看護師だった。失踪の前、彼は携帯電話で誰かと話をしていたとも言われ、彼の失踪後、自宅に町役場の職員を名乗る者からの電話があったという。栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)は、北朝鮮の工作員による拉致事件の可能性も否定できないといわれる謎の多い失踪・行方不明事案(事件)である。栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)概要2002(平成14)年4月30日(火)19時頃以降、栃木県下都賀郡K町(当時・現在は合併により栃木県下野市)在...
栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件) - clairvoyant report
1984年9月30日、大阪のホテルでの滞在記録(クレジットカード利用明細による推定)を最後に、ある老夫婦が消息を絶った。著名な経済学者・著述家の岡崎次郎氏(当時80歳・以降岡崎氏)とその妻Kさん(当時86歳)である。岡崎次郎夫妻失踪事件 概要岡崎氏は、社会主義思想の巨人カール・マルクスの著作『資本論』の翻訳で知られた経済学者・著述家であり、生年は1904年。旧制一高・東京帝国大学というエリートコースを経たものの、卒業後は定職に就かず断続的に翻訳・著述業に携わっていた。1933年から東亜経済調査局に勤務するが、在職中、...
岡崎次郎夫妻失踪事件 - clairvoyant report
「魔」は突然に訪れる。約40秒の「魔」が一人のあどけない子と家族に訪れた。「平成」という新たな時代の初めに発生した未解決行方不明事案(事件)「徳島県貞光町4歳男児失踪事件(松岡伸矢くん行方不明事件)」について解説、考察していこう。概要1989年(平成元年)3月6日、茨城県U市在住の会社員Mさんと妻のK子さん、その子供たち(当時4歳の伸矢くん、伸矢くんの姉と弟)の家族五人は、徳島県小松島市を訪れていた。K子さんの実母が再婚先である小松島市で急死し、その葬儀に参列する為であった。そこがK子さんの実家であれば、...
徳島県貞光町4歳男児失踪事件(松岡伸矢くん行方不明事件) - clairvoyant report
2011年9月12日(月曜日)、人口2万8千人程の大分県日出町で、35歳の主婦・光永マチ子さん(以降マチ子さん)が忽然と姿を消した。その日、マチ子さんは朝から体調を崩していたといい、そのために10歳の長男と7歳の長女の朝の支度をさせるのが遅れ、小学校まで車で二人を送って行くことになったという。小学校までは、車で10分程度の距離であった。大分県日出町主婦失踪事件 概要その道のりは、子供の足では一時間近くかかってもおかしくない距離のため、送り迎えは毎日の日課であった事も考えられる。マチ子さんの自宅は田畑や雑木林に囲...
大分県日出町主婦失踪事件 - clairvoyant report
陽が傾き始め、景色が夜と入れ替わる逢魔時(おうまがとき)――1人の女児が忽然と消えた。それは、魔物の仕業だろうか――人間の仕業だろうか――。1983年に発生した未解決事件「宮城県川崎町女児失踪事件(渋谷美樹ちゃん行方不明事件)」について考察していこう。事件概要1983年(昭和58年)11月1日(火曜日)夕方4時頃。事件は保育園からの帰り道に起きた。宮城県柴田郡川崎町で農業を営む柴田家のKさん(当時59歳)は、孫の渋谷美樹ちゃん(以降美樹ちゃん・当時2歳)を保育所まで車で迎えに行き、助手席に乗せて帰宅する途中だった。美樹ちゃ...
宮城県川崎町女児失踪事件(渋谷美樹ちゃん行方不明事件) - clairvoyant report
1965年7月3日(土曜日)、静岡県伊東市の海岸沿いに広がる半農半漁の集落、初津(はづ)在住の小学2年生、当時7歳の鈴木俊之(としゆき)くん(以下、俊之くん)は、土曜日の授業を終えて下校後、自宅で母親のYさん、1歳7ヶ月の弟と昼食を摂り、午後は外に遊びに出た。事件概要静岡県伊東市7歳男児失踪事件(鈴木俊之くん行方不明事件)の事件概要について述べていこう。帰らなかった少年当初、俊之くんは釣りに行きたがったといわれているが、Yさんに止められ、最終的には「虫取りに行く」と、『茶アメの箱』を携えて外出したという。『茶ア...
静岡県伊東市7歳男児失踪事件(鈴木俊之くん行方不明事件) - clairvoyant report

Tokume-Writer

兼業webライターです。ミニレッキス&ビセイインコと暮らすフルタイム事務員。得意分野は未解決事件、歴史、オカルト等。クラウドワークスID 4559565 DMでもご依頼可能です。文学・歴史・犯罪心理・メンタルヘルス・オカルトなど。