三山のぼる漫画『メフィスト』と魔女狩り。そして、ヒトラーと拡大自殺

魔女

漫画『メフィスト』は、講談社発行の現在の週刊『モーニング(『メフィスト』連載開始当時は隔週発売の『コミックモーニング』)』に昭和59(1984)年から昭和63(1988)年まで連載された昭和の時代の漫画である。

なお、作者の三山のぼる(昭和31(1956)年1月7日-2007(平成19)年12月2日)は、心不全のため51歳の若さで他界した。

漫画『メフィスト』のあらすじ

物語はペストが猛威を振るう16世紀末のフランスから始まる。ペスト研究をする医師のジャンは、フランス・ロレーヌ地方の片田舎で妻のマドレーヌと暮らしていたが、ペストの猛威は妻マドレーヌにも襲いかかる。医師のジャンは、妻マドレーヌを助けるため自分の命と引き換えに妻の命を救うという契約を悪魔と交わしてしまう。

悪魔との契約は履行される。マドレーヌは病から回復するのだが――マドレーヌは予期せぬ妊娠をしてしまう。

毎夜、毎夜のようにうなされるジャン。悪魔が彼のもとを訪れているようだ。ジャンは悪魔祓いの儀式を行うが、マドレーヌは難産の後に亡くなってしまう。そして、マドレーヌの死と引き換えに生まれた子の身体には悪魔の花押の掻き傷があった。

アルマ・ラウネと名付けられたこの子が10歳の頃、父親のジャンが他界する。月日は流れ、アルマは父親ジャンの職業を受け継ぎ、村人の病を治し、時には錬金術で手に入れた黄金を貧しい村人に施す、心の優しい女性に成長する。

容姿端麗で慈悲深いアルマ・ラウネの噂は、実在した『悪魔礼拝』(1595年)の著者でフランス・ロレーヌ地方の領主であり、同地域の検事総長、治安判事(下級裁判官)でもあるニコラ・レミ(1530年 – 1616年)の耳にも入る。

権力と権威の頂点に君臨するニコラ・レミはアルマに魔女の嫌疑をかけ、彼女を逮捕し、拷問の末に火炙りにしてしまう。※1)

※1)当時の「異端審問官」(inquisitor)には、逮捕、尋問(拷問)、起訴、裁判の全権が与えられていた。現代の制度に置き換えれば、一人の人間が警察・検察・裁判官の権限を持ち、死刑執行人の役割も持つ――王権の上位に君臨する教皇(法王)に許可された絶対的な権力者だといえる。

年月は流れ、1980年代の日本に連続幼児誘拐事件が発生する。犯人流動玲二の目的は少年を生贄とし悪魔を降臨させ、「賢者の石」の秘密を手に入れることだった。彼は身重の恋人をも殺害し、その腹部を切り裂き、胎児を取りだし悪魔を降臨させようとするが――降臨したのは――アルマだった。

流動玲二の儀式により1980年代の日本に降臨したアルマ。幼少期に心に傷を負った連続誘拐殺人事件の犯人流動玲二とその流動玲二に両親を殺された元恋人。

コミック版の1-2巻は、アルマと流動玲二と元恋人の3人を中心に魔女狩りの嵐が吹きつける16世紀後半のヨーロッパと現代を行き来しながら物語は進むのだが――現代に戻った流動玲二は、殺人等の罪により死刑判決を受ける。

だが、「賢者の石」の秘密を知った彼は控訴せず、死の瞬間――死の瞬間を永久に転化し――時空の跳躍を試みることをアルマに告げる。

次の場面で描かれているのは、15世紀のフランス・ブルターニュで馬に乗るジル・ド・レ(参考:英雄から殺人鬼への変貌はなぜ起こったのか?ジャンヌ・ダルクがジル・ド・レに与えた影響を探る)姿だった。 3巻以降は都会の片隅の深夜営業の薬局の主となったアルマのもとを訪れる様々な人間の苦悩とアルマによる救済が描かれている。ただし、その救済は時には残酷な結果を招くこともあるが――。

魔女」と「魔女狩り」の時代 寛容の時代から弾圧の時代へ

「近ごろ、 北ドイツとライン諸地域で、多くの男女がカトリック信仰から逸脱し( 魔女と なって)男色魔、 女色魔に身をまかせ、もろもろのいまわしい妖術によって田畑の作物や果実を枯らし、胎児や家畜の子を殺し、人畜に苦痛と病気を与え、夫を性的不能、 妻を不妊にし、多数の人々の災厄の原因となっていることを、われわれははげしい悲しみと苦しみとをもって聞いている。われらの愛する息子ら、すなわちドミニコ会士、神学の教授、ハインリヒ・クラーメルとヤコブ・シュプレンゲルとは、 法皇書簡にしたがって同地方の異端審問官として派遣され現にその職にある。しかるに、同地域の聖職者と官憲とは魔女の罪の重大さを自覚せず、両人に十分の協力を示さないため彼らの任務の遂行が阻害されている。そこで、われらは、彼ら審問官が自由に、あらゆる方法をもって、なにびとをも矯正し、投獄し、処罰する権限をもつべきことを命ずる。」( ローマ法皇インノケンティウス 八世の長文の『法皇教書』 一四八四年 一二月五日付よりの抜粋。法皇派遣の異端審問官 が自由かつ強力に魔女狩りを実行しうるよう、各地の司教に協力を命じたもの。第Ⅱ章4 節参照)

森島 恒雄. 魔女狩り (岩波新書) (p.7-8). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

なお、ドミニコ会士は、説教修道会(ドミニコ修道会)の修道士を指す。当時のドミニコ会士は、禁欲と清貧を実践していた。有名な『魔女に与える鉄槌』(1485年)は、2人のドミニコ会士(ケルン大学の神学部長ヤーコプ・シュプレンゲル1436-1495とドイツの神学者ハインリヒ・クラーメル?-1505年)の共著である。

旧約聖書のモーゼの言葉「魔女を生かしておいてはならぬ」(『出エジプト記』 二二の一八)

『出エジプト記』 二二の一八

――(前略)ウォールタ・スコットは『悪魔論と妖術に関する書簡』(一八三〇年)で「書簡第二」の大部分をこの問題に費しているが、それによると、旧約聖書のもとの言葉、ヘブライ語の chasaph(またはkashaph)は「毒殺する者」という意味であり、モーゼの律法には後世(魔女裁判時代)におけるような「魔女と悪魔との契約」はみられず――(後略)

森島 恒雄. 魔女狩り (岩波新書) (p.22). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.

中世以前の「魔女」は、宗教的な異端の罪で裁かれたわけでなかった。呪術(毒物などを含む)を使い人畜に危害を与える者が世俗的な裁判により裁かれる時代だった。教会は彼(女)ら「魔女」を庇い寛容な態度を示し、民衆の魔女に対する私刑を批判していた。

だが、ローマ帝国崩壊後の中世のヨーロッパ(主に現在のスペイン、フランス、ドイツ)が、ローマ教会と教皇(法王) の権威を絶対化する聖なる(新大陸を含む)世界帝国の版図に組み込まれる1300年頃から「魔女」への弾圧が始まる。

それは、現世での富を得るための免罪符の売買などの堕落(俗化)が目立ち始めた教会や聖職者の権威を守るためのものでもあった。中世の南フランスなどでは堕落が始まった教会や聖職者の権威に(アルビ派など)民衆の反発、反抗が始まる。それに対抗するためにローマ教会が行った対策の1つがローマ教会への反抗を「異端」とすることである。

やがて、この「異端」の守備範囲(定義)は拡大されていき「魔女」も含まれていく。異端審問官が「魔女狩り(魔女裁判)」を始めるのはヨハネス22世(1244年 – 1334年12月4日)時代からといわれ、ヨハネス22世が「魔女狩り」解禁を宣言したのは、1318年である。さらに、ローマ教会は世俗的な政治とも結びつく。領主などは政敵の排除のため、政敵の財産を没収するために異端審問を後押しする。それは、すべての民衆が家族や友人や隣人の噂話や密告により「魔女」だと疑われ、異端審問官の拷問により「無い罪」を認めさせられ処刑される時代の到来でもある。

この時代から「魔女」は単なる刑法犯から思想犯になった。自らの魂を悪魔に売り飛ばし悪魔との契約を行う魔女。例え人を救うための白魔術であっても――悪魔との契約という大罪により罰せられるべき存在。ローマ教会に逆らいその教えや権威を否定する存在だから火炙りに処す――だから、アルマも処刑された。 そして、魔女狩りはナチ第三帝国以前の西ヨーロッパから中央ヨーロッパにおいて最もユダヤ人を迫害した蛮行だった。

漫画『メフィスト』第Ⅵ章その7「名もない俳優」復讐と拡大自殺

あらすじ

漫画『メフィスト』第三巻第Ⅵ章その7「名もない俳優」の主人公には名前がない。正確に言えば「名前を名乗るほどの男ではない」(引用:漫画『メフィスト』第三巻P165)

彼は不況を理由に10年間勤めた勤務先を解雇された男だ。彼には家族もいない。身寄りもいない。友人もいない。社会は自分を必要としていないと感じている男だ。

彼は一般的な幸福とは縁遠い自分を終わりにするためアルマの店で毒薬を購入しようとする。

自殺を考える彼に何が望みなのかと訊ねるアルマに彼は――誰か一人でも自分の名前を気にとめる人が――と、答える。

彼は自分が透明人間的な存在でないことを誰かに知って欲しいのだ。自分が生きていることを知って欲しいのだ。

その後、街を歩く彼に劇団「第三帝国」を名乗る者達が声をかける。それは、彼にヒトラーの役を演じて欲しいとのスカウトだった。

彼は役作りのためヒトラーに関する本を読み漁る。アドルフ・ヒトラー自身が著者となる『我が闘争(1925年)』やナチの思想家ローゼンベルグの『20世紀の神話(1930年)』を読み漁る。ヒトラーの生い立ち、ヒトラーの孤独、ヒトラーの思想、ヒトラーの歴史観、ヒトラーの世界観、ヒトラーの国家観、ヒトラーの強者への賛美、ナチ1000年帝国の偏った理念。

舞台の初日、完璧な役作りの彼がヒトラーの演説を始める。彼の鬼気迫る演技に飲み込まれる観客。彼はまさにヒトラーだ。彼はヒトラーのごとくオペラ発声法や身体表現で演説を続ける。その瞬間、彼は時空を超え、1930年代のニュルンベルクと思しきナチ党の党大会にいる。ナチ党員を目の前に演説をするヒトラーこそ彼だ。

その後も彼はヒトラー自身となり1930年代から40年代のドイツで暮らすのだが――現代を生きていた彼は――ヒトラーの思想の恐ろしさを知っている。ヒトラーの最後などの世界史を知っている。独善と社会に対する復讐心により世界中を苦しめたヒトラーになってしまった彼は自分自身に耐えきれず、ついには拳銃を手にするが――これらの現象は、すべてアルマの白魔術によるものだった。

ヒトラーと同化した彼の演技を超えた演技に対する鳴りやまぬ拍手のなか、彼は意識を失い舞台の上で卒倒してしまう。

彼に近づく観客が言う。

失礼ですがあなたのお名前は!?

漫画『メフィスト』第三巻P196

彼の目に涙が輝く。

アドルフ・ヒトラーと自殺

青年期のヒトラーは当時のオーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンで画家を目指しながらホームレスの生活をしていた。

当時のヒトラーは、ドナウ川に身投げして自殺すると周囲に語ったことがあったといわれている。

第一次世界大戦(1914年 7月28日-1918年 11月11日)にドイツ兵として参加した彼はドイツの敗北理由を「後ろからの一撃(裏切り)」だと考えるようになる。この裏切りはユダヤ人、共産主義者(民族、人種の枠を超え、国民国家を否定し世界革命を目指す共産主義もユダヤ人的価値観だとヒトラーは考えていた)の仕業と考える。

芸術の才能ある自分がホームレスのような生活をする一方で異民族のユダヤ人はドイツで財を成した。彼らはドイツ人から富を奪う。彼らは純真無垢な「ドイツ人女性」を襲い無理やりに子供を産ませ、「彼女」をドイツ民族から奪う。

だが、そう思ったのは彼だけではないのだろう。第一次世界大戦の敗戦国ドイツ人の多くがそう思ったのかもしれない。

ドイツ革命と戦後の経済不安のなか国民は左右両極端の政党に期待をかける。不幸な自分の人生を国家の歴史(1000年帝国)と同化させることから得られる至上の興奮。

ヒトラーは首相に就任した1933年1月30日から第二次大戦の西部戦線(対英仏戦)での連勝の時期までドイツの救世主的人物だった。だが、1942年6月から1943年2月のスターリングラードの敗北以降は※2)政治面でも軍事的戦略面でも精彩を欠いていく。

※2)東部戦線での敗北はもう一つの戦争(ユダヤ民族への戦争=ホロコースト)を加速させる。

1945年3月19日、ヒトラーは通称「ネロ指令」(正式名、ライヒ領域における破壊作戦に関する命令)を発令する。東西からドイツの首都ベルリンを目指す連合軍。ネロ指令は、進撃する連合軍にドイツ国内のインフラや資源、産業などを利用されないための焦土作戦だが、ヒトラーは自身の命と国家や民族の未来を一体化させようと思ったのではないのか。ヒトラーの死後の敗戦国ドイツやロシア人に敗北するドイツ人の運命を自身の命と同化させる。自分のいないドイツに未来はない。自分の期待を裏切り敗北するドイツ民族は三流の民族だ。そのような民族は滅んでしまえ。

ヒトラーの自殺は1945年4月30日である。

「ネロ指令」(正式名、ライヒ領域における破壊作戦に関する命令)は、ある種の「拡大自殺」(リンク先はWikipedia「拡大自殺」)だったのではないのか。

拡大自殺と頻発する事件

近年、「拡大自殺」が事件の要因ではないか、といわれる重大事件が発生している。

32歳の女、すれ違った中学生の首に後ろから切りつけ…「死刑になれると思った」 17日午後1時半頃、福岡市東区東浜1の商業施設「ゆめタウン博多」で、中学2年の男子生徒(13)が近くにいた女から包丁で切りつけられた。そばにいた生徒の父親(42)が女を取り押さえ、福岡県警東署に引き渡した。同署は女を殺人未遂容疑で現行犯逮捕。生徒は市内の病院に搬送されたが、命に別条はないという。逮捕されたのは、同県粕屋町甲仲原1、無職浦田恵美容疑者(32)。 発表によると、浦田容疑者は、店舗1階の通路で、背後から生徒に近づき、首や左の手のひらを包丁(刃渡り約20センチ)で切りつけ、殺害しようとした疑い。「死にたいと思っていて、たまたますれ違った男の子を刺した。子どもを殺せば死刑になると思った」と供述している。

読売新聞オンライン2022/07/17 20:46

自分の死に他人を巻き込む者がいる。彼(女)らは、さまざまの理由でその行為を肯定化するだろう。彼(女)らを止める方法を社会は模索しているが、未だ決定的な解決策は見つかっていない。だが、個人的に一つ感じることがある。それは、彼(女)らを少しだけでも気にかけることだろう。

失礼ですがあなたのお名前は!?

漫画『メフィスト』第三巻P196

名前はこの世界にたった一人の「特別な存在」の証なのだから。

★外部リンク 以下は厚生労働省のHPです。
「誰も自殺に追い込まれることのない社会の実現を目指してまもろうよ こころ|厚生労働省 (mhlw.go.jp)


★参考文献

森島恒雄著, 『魔女狩り』 (岩波書店) 1970


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Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。
Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。
小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。
分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。

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