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グリコ・森永事件

アイキャッチ画像は、キツネ目の男と脅迫(挑戦状に使用された和文タイプライターと「ハウス食品工業恐喝未遂事件(1984年11月14日)」の現場遺留品(犯人が使用した盗難ライトバン内に残されていた「カークリーナー」「サファリハット(モスグリーン地に灰色が混じる男性用Lサイズ)」「カジュアルバック(布製紺色・肩紐つき、ローヤル・インペリアルのロゴ入り)」が描かれた大阪府警察捜査本部のテレフォンカード

グリコ・森永事件

本記事はこれまで検証、考察などしたグリコ・森永事件の「まとめ記事」である。以下は各頁の主な内容。

グリコ・森永事件は本邦の犯罪史と人々の記憶に残る未解決事件の一つである。

怪人21面相を名乗る犯人グループはマスコミを利用しながら警察の捜査を攪乱し――時にあざ笑い――全ての消費者を人質にしながら食品製造会社を約1年6月にわたり脅しつづけた。

2000(平成12)年2月13日、怪人21面相を名乗る犯人グループが関与すると認定される全ての事件の公訴時効が成立した。

時効から約22年の歳月が流れたが――犯人(怪人21面相グループ)はどのようなグループなのか?脅迫電話で使われた子供(男児2名または3名及び女児1名と推認されている)は誰なのか?この子供達のその後の人生は?怪人21面相と裏取引をした企業はあったのか?怪人21面相の犯行目的はなんだったのか?等々――誤解を恐れずに言えば未だに多くの者の「好奇心」を刺激する特異な事件だ。

本サイトは過去の報道などからグリコ・森永事件を考察、検証を行い、犯人グループの行動が滋賀県から始まり滋賀県で終わったこと、大正11(1922)年に創業された江崎グリコ株式会社が怪人21面相の最初の犯行と認定される(昭和59)1984年3月18日(日曜日)21時頃に発生した社長誘拐事件の7-8年前から脅迫を受けていたことなどを記した。

江崎グリコ株式会社は、昭和51(1976年)年頃から黄巾族を名乗る者(達)に脅され、昭和53(1978)年には『昭和53年テープの男』に脅迫されている。

グリコ・森永事件不審な女のモンタージュ写真:出典読売新聞1986(昭和61)年9月16日付
グリコ・森永事件キツネ目の男 大阪府警察本部テレフォンカード

想定される怪人21面相の構成員

1昭和53年テープの男(脅迫状の筆者と同一人物か?)
2キツネ目の男(パンチパーマの男及び江崎グリコ社長宅の襲撃や拉致、淀川河川敷の男女襲撃の実行部隊の3人のうちの一人と同一人物か?)
3江崎グリコ社長宅の襲撃や拉致、淀川河川敷の男女3襲撃の実行部隊の1人(仮称A)
4江崎グリコ社長宅の襲撃や拉致、淀川河川敷の男女3襲撃の実行部隊の1人(仮称B)
5当時40歳前後の女性
6脅迫テープの中学生くらいの女児
7脅迫テープの男児2名~3名
グリコ・森永事件資料<想定される犯人グループの構成員>

黄巾族(賊)は「蒼天已死 黄天當立 歳在甲子」を掲げ184年の「黄巾の乱」を実行した一団だが、グリコ・森永事件が実行された1984(昭和59)年も「甲子」の年である。

以下は「昭和53年テープの男」と黄巾族(賊)に関する過去の報道である。

51年にも「黄巾賊」など名乗りグリコ脅迫 21面相と同一 警察庁広域指定一一四号「グリコ・森永事件」で、江崎勝久・江崎グリコ社長誘拐事件が起きる八年前の昭和五十一年春「黄巾賊(こうきんぞく)」や「カルロス軍団」と名乗るグループから数回、同社役員宅に現金一億円を要求する脅迫状や脅迫電話があったことが十一日、わかった。大阪、兵庫府県警など合同捜査本部は手口が似ているなどから、このグループが「かい人21面相」と同一グループと断定した。調べでは、脅迫状は五十一年三月ごろ、大阪府豊中市の同社役員宅に届いた。差出人は「黄巾賊」で「われわれは現代の革命家だ。後漢(中国)末期の一八四年、乱世建て直しのため民衆が黄色の頭巾をかぶって立ち上がった『黄巾の乱』のグループにちなんで名付けた」とし、現代の世相を憂えた上で一億円を要求。受け入れない場合は江崎副社長(当時)を誘拐、チョコレートに青酸を混入してばらまくなどと脅迫する内容。その後一カ月余り、同役員宅に数回「黄巾賊」を名乗った男の声で同様の脅迫電話がかかったが、何も起きなかったという。さらに翌四月ごろ、今度は「カルロス軍団」と名乗るグループから同じ役員宅に脅迫状が届いたが、犯人側から接触はなく、事件も公表されなかった。合同捜査本部は1)二グループの脅迫内容がほぼ同じで、五十三年の脅迫テープとも酷似し、江崎社長ら致(五十九年三月)、グリコ本社などの放火(同四月)、青酸菓子ばらまき(同十月)と続いた一一四号事件の流れと一致2)脅迫状が一一四号事件や五十三年テープの時と同じ役員宅に届き、同社の人事、経営状態なども熟知--などの点を重視。犯人グループが五十一年から五十三年にかけ同社を脅迫したが失敗、計画を練り直したうえで六年後、江崎社長誘拐以降の一連の犯行に及んだと判断した。

毎日新聞社1989年9月11日付

グリコ事件 53年の脅迫テープ郵送 “21面相”犯行と断定 グリコ・森永事件の発端となった江崎勝久・江崎グリコ社長誘拐より六年前の五十三年、同社に一億七千五百万円を要求する脅迫テープが送られていたが、捜査当局はその内容などを検討した結果、この脅迫も「かい人21面相」グループによるものと断定した。これにより、テープ犯を割り出すことが「21面相」に直結するとして、声の主の集中捜査をはじめた。 脅迫テープは、五十三年八月一日、大阪府豊中市の藤沢和巳取締役宅に郵送された。調べでは、六十歳前後の男が五十六分間にわたって吹き込み、同社に一億七千五百万円の裏取引を迫っていた。 捜査当局は(1)テープ犯が、当時の大久保武夫社長(現会長)を狙わず、ナンバー2の江崎副社長を標的にしている(2)数多い役員の中から、現金運搬役に二度とも吉村保人取締役を選んでいる--ことから「テープ犯」と「21面相」は同一と結論づけた。テープの声の主は、言葉遣いから大阪・船場地区に育ったとみられ、演説に慣れた様子。身の上話を交えながら、くどい調子でしゃべり、二十二年に復員して、ある団体をつくり、会長をつとめている、と自己紹介してから要求を切り出している。それによると、「面倒を見ている三人の過激派が、グリコから三億円奪おうとしていた。作戦は、会社幹部の誘拐、放火、青酸混入キャラメルのばらまきなどを予定していた。作戦が行われたら大変なことになるので、私がグリコと話をつける、ということで三人を納得させた。三億円はふっかけすぎと思うので、一億七千五百万円に下げた。金を払う方が会社のためだ」という内容。 脅迫テープ事件は、大阪府警が極秘捜査、昨年八月、時効が完成したが、捜査当局は、両事件の共通点の詳細な分析を進めていた。

読売新聞社1986年11月12日

上記の2つの報道(「昭和53年の脅迫テープ」と黄巾族(賊)に関する過去の報道)からもわかるとおり、警察は過去2つのグリコへの脅迫事件がグリコ・森永事件に関係していると考えていたようだ。

3人の過激派の面倒を見ていると語る粘着的かつ完全主義者的で自己顕示欲の強い「くどい調子」のテープの男。1984年3月18日21時頃、兵庫県のグリコ社長に侵入し、社長を拉致したのは3人組の覆面の男たちだ。1984年6月2日の寝屋川河川敷アベック襲撃事件の現場実行犯も3人組の男たちだったのは偶然の一致だろうか――。

この過去の2つの脅迫には、過激派、革命、団体などの言葉並び、ある種の思想性や過激派など左翼思想、革命思想を中心にした集団とその集団を知る団体の代表を名乗る者が登場する。

これらの推察されることは以下のとおりだ。

1・グリコ・森永事件の主犯または集団構成員の全員に左翼的思想との親和性がある。

2・主犯は左翼的思想と親和性が高いマイノリティ集団の一員をほのめかしている。

3・グリコ・森永事件の主犯または集団構成員は捜査を攪乱するため左翼集団、左翼的な価値観を「わざと」全面に押し出しただけである。

未解決事件のため上記1-3の仮説の検証は永遠にできないが、本事件の犯人集団が思想的な集団にしろ、思想的な集団を装った集団にしろ――犯行の手口や行動から推察し――高度な訓練を受けた集団であることに間違いはなさそうだ。

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グリコ・森永事件の原点 グリコを脅す者たち本邦の犯罪史上、最も有名な未解決事件「警察庁広域重要指定114号事件(「グリコ・森永事件」)」の犯人像などについて公開情報(新聞、雑誌、書籍、報道番組、ネット情報、その他の公開された情報)などを分析、考察しながら個人的見解を述べていきたい。「警察庁広域重要指定114号事件(「グリコ・森永事件」)」は、1984(昭和59)年3月18日(日曜日)21時頃、3人組と思しき男達が「江崎グリコ株式会社」社長宅に侵入、同社社長を誘拐、その後、同社および他の食品製造・販売会社などを脅...
グリコ・森永事件 検証-1 事件は滋賀県から始まり滋賀県で終わった - clairvoyant report

『昭和22年に復員した男』

琵琶湖 怪人21面相の関係先の可能性

グリコ・森永事件「昭和53年テープの男」前回の(『事件は滋賀県から始まり滋賀県で終わった』)で記したとおり、「警察庁広域重要指定114号事件(「グリコ・森永事件」)」に「昭和53年テープの男」が関係していたと仮定した場合、「昭和53年テープ」の送り主は、「滋賀県の琵琶湖東岸地域を走る近江鉄道の電車音」の入る地域に土地鑑を持つ、当時50歳代から70歳代の関西弁の日本語を話す男性だと断定できる。動画から警察が公開した『昭和53年テープの男』と脅迫電話の『女(児)』『男児』の声が聞けます。グリコ・森永事件 グリコ...
グリコ・森永事件 検証-2『昭和53年テープの男』 - clairvoyant report

グリコ・森永事件に関係していた可能性が指摘される『昭和53年テープ』には、「滋賀県の琵琶湖東岸地域を走る近江鉄道の電車音」が入っていたといわれ、声の主は当時50歳代から70歳代の関西弁の日本語を話す男性だと断定できる。

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方言やアクセントから奈良県出身または奈良県在住ともいわれる『昭和53年テープの男』は、「私は昭和22年に復員してからある会をつくりまして、会長を務めておるものでございます」と自己紹介を交えながら、高野山の宿坊で過激派(新左翼)から聞いた3億円恐喝を阻止(仲裁)するとの名目で江崎グリコ株式会社に1億7500万円を要求していた。

昭和53(1978)年は、戦前、戦中、戦後の混乱の残り香の漂う時代。金拝主義と高度経済成長の矛盾のなか、新左翼の過激派、右翼、北朝鮮スパイが暗躍する時代だった。 グリコを脅迫する者はその時代に生きていた。

彼(女)らは、車を盗み、偽造ナンバーを使い、警察無線を傍受しながら武器を集め非合法活動を行っていた。敵対組織などを監視や尾行し、他人の戸籍を入手し、その他人になりすまし、住民票やパスポート、運転免許などの身分証明書を入手する。警察や敵対組織からの尾行、監視などに備え、日常の「点検作業(相手側からの行動確認、監視などの点検)」は手慣れている。そう、これらの特徴はグリコ・森永事件の犯人グループ(怪人21面相)と共通する。

『準備と計画』

怪人21面相を名乗るグループは、事前に江崎グリコ株式会社社長の世帯全員分と思料される住民票を入手し、事前に脅迫文章の作成に使用する日本パンライター社製の小型和文用「パンライターP45型またはM45型」を偽名と思しき氏名(山下と名乗った)と偽と思しき連絡先(都内の電話番号だが詳細は不明)を使用し東京都内で購入し、事件前年の昭和58(1983)年には、警察のアナログ無線の傍受や仲間内での意思疎通に使用した無線機及び江崎社長の肉声を録音する際に使用したカセットテープを東京の秋葉原で購入などした(盗んだ可能性もある)

また、犯行の約一週間前には江崎社長宅近隣で不審者が目撃されていることから、江崎社長の家族構成、江崎社長宅の立地、家族の日常生活の行動や家族の生活状況などの情報収集をしていた可能性が高い。

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グリコ・森永事件 事件前 周到に準備された計画「検証 グリコ・森永事件①『事件は滋賀県から始まり滋賀県で終わった』」「検証 グリコ・森永事件②『昭和53年テープの男』」において「警察庁広域重要指定114号事件(「グリコ・森永事件」)」に「関係性があるのでは」とメディア等から指摘されているから「黄巾族:1976年(昭和51年)頃」「昭和53年テープの男:1978年(昭和53年)頃」に触れながら当時の時代背景などの検証を行った。昭和50年代は、学生運動、左翼過激派のゲリラ事件、外国からの工作員(スパイ)等が平穏な日常に...
グリコ・森永事件 検証-3 『事件前(周到に準備された計画)』 - clairvoyant report

金と時間をかけ事件を計画、準備していたと思われる怪人21面相グループ。

グリコ・森永事件は、金に困った者達の突発的な犯行だとは想像し難い。

『目撃された怪人21面相』

大津サービスエリア 入口

目撃などされた怪人21面相グループのなかでキツネ目の男やビデオの男(この二人を同一人物とする説もある)は有名だが、事件に関係のある可能性が考えられる40歳前後の女性も目撃されていた。

グリコ・森永事件 目撃された者たち「警察庁広域重要指定114号事件(「グリコ・森永事件」)」は、複数の人物が犯行に関与している。 そして、グリコ・森永事件を扱った多くの書籍、小説、報道、TV番組、映画などでその犯人像、犯人グループの人数、犯人グループのプロファイリングなどの検証、考察、推理が行われてきた。今回は、この世紀の未解決事件 (「グリコ・森永事件」) で目撃された犯人と思しき人物たちを中心に犯人グループの人数、犯人グループの 検証などを行いたいと思う。これまでの主流の説によると、犯人グループの...
グリコ・森永事件 検証-4 『目撃された者たち』 - clairvoyant report

この女性が目撃された日時場所は、1984年12月26日(水)、1985年2月12日(火)の名古屋市内だった。

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また昭和59(1984)年11月14日のハウス食品工業脅迫事件の現金受け渡し場所では、ライトバンの男と見張り役と思しき眼鏡を使用した男性が目撃され、その眼鏡の男は盗難自転車に乗っていた。

『甲子の年・昭和59(1984)年』

怪人21面相グループとの関係性が考えられる『昭和53年テープ』は、滋賀県の琵琶湖東岸地域を走る近江鉄道沿線で録音されたといわれている。

犯人グループが姿を見せた最後の事件現場、昭和59(1984)年11月14日ハウス食品工業脅迫の現金受取現場は「滋賀県」内だった。

現金奪取に失敗した犯人のうち眼鏡の男は、警察官の職務質問をかわし滋賀県栗東市岡地域で盗んだ自転車で滋賀県草津市方面に逃走した(参考:「『⾃転⾞の男』を⼀味と断定/グリコ森永事件合同捜査会議で 読売新聞 1987年11月14日付」)

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グリコ・森永事件を考察 事件は滋賀県から始まり滋賀県で終わった戦後日本の犯罪史に残るグリコ・森永事件(警察庁広域重要指定114号事件)。本サイトは過去4回にわたり「グリコ・森永事件」の検証・考察を行った。グリコ・森永事件 検証-1 事件は滋賀県から始まり滋賀県で終わったグリコ・森永事件 検証-2『昭和53年テープの男』グリコ・森永事件 検証-3 『事件前(周到に準備された計画)』グリコ・森永事件 検証-4 『目撃された者たち』この事件に関係するといわれる『昭和53年テープ』には、滋賀県の琵琶湖東岸地域を走る近江鉄...
グリコ・森永事件 検証-5『滋賀県から海外へ』 - clairvoyant report

上記の現金受渡指示の後、犯人達の直接的な行動はなかった。

その後も怪人21面相グループの企業恐喝(脅迫)は続くが、犯人グループによる直接的な動きはない。つまり、怪人21面相グループの直接的な行動は滋賀県から始まり滋賀県で終わったともいえる。

報道によれば、警察は1987(昭和62)年に他界した北朝鮮工作員の非合法活動の黒幕的存在と思しき兵庫県芦屋市在住の貿易会社社長をグリコ・森永事件の重要人物とマークしていたという。また、同社長の周辺には、北朝鮮系の雑誌に寄稿したことのある考古学者がおり、同考古学者も北朝鮮の工作員といわれていたらしいが、1996(平成8)年頃、病死または北朝鮮に帰国したなどといわれている。(参考:「グリコ・森永事件『北』工作員グループの犯行 捜査関係者が確信 産経新聞 1997年7月4日付」)

同社長は、1984(59)年9月頃、金正成(1948年9月9日-1994年7月8日、北朝鮮の初代最高指導者)から北朝鮮国内の「雲山」金鉱山開発のための合弁事業の提案(要請)を受けたといわれる。同社長は、出資者を募り多額の資金を調達したが、同金山開発の計画は暗礁に乗り上げ、資金の出資者からの追求などを避けるため「金塊」を必要としていたとの報道がある(参考:「グリコ・森永事件 金山開発投資は故金日成からの指令 産経新聞 1997年7月4日付」など)

犯罪史――いや現代史に記録される怪人21面相グループによる一連の犯行は「甲子の年」――昭和59(1984)年――から始まった。 そして、昭和59(1984)年にはもう一つの歴史的な出来事があった。在日朝鮮人帰国運動の帰国船の最後の出航は1984年(昭和59年)7月だった。


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光クラブ事件・裏切りを怖れる「偽悪者」山崎晃嗣を考察する - clairvoyant report
知略縦横を働かせ自分よりも大きな組織などを相手に大胆不敵な犯罪を実行する者がいる。「東の(府中)三億円事件、西の大阪ニセ夜間金庫事件」と並び称される同時代に発生した2つの事件は、時代を超え人々の好奇心を刺激する。事件発覚直後に「日本版『黄金の七人』」とも報じられた(参考:「偽装夜間金庫」朝日新聞 1973年2月27日付)「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人像を遺留品や時代背景などから考察していこう。なお、『黄金の七人』は、1965年に製作されたイタリア映画である。同映画は1967年から『漫画アクション』での連載が開...
大阪ニセ夜間金庫事件 - clairvoyant report
戦後の混乱期に発生(1948年1月26日)し、21世紀の現在でも検証が続けられる「帝銀事件」から約6年後、茨城県内で第二の「帝銀事件」ともいえる凶悪事件が発生した。茨城・徳宿村精米業一家殺害事件は、青酸性劇薬物を使い9人を殺害し、被害者宅に放火するという戦後史に残る凶悪事件である。本事件は、逮捕された容疑者自身も青酸性劇薬物により自殺したため、被害者が毒物を飲み(飲まされ)殺害された経緯などは未解明である。本記事は、第二の「帝銀事件」ともいえる「茨城・徳宿村精米業一家殺害事件」の概要、逮捕された容疑者像...
茨城・徳宿村精米業一家殺害事件 - clairvoyant report
江東区小5女児誘拐殺人事件とは、1969年(昭和44年)5月31日(土曜日)、17時30分頃、東京都江東区東雲1丁目内の某社社宅居住の小学校5年生E子ちゃん(10歳)が、買い物からの帰宅途中に車に乗った男に誘拐され、同年6月3日、午前11時頃、誘拐現場から南東方向へ直線距離で約1キロメートルの東京都江東区辰巳町東京湾十二号埋立地(現在の東京都江東区辰巳3丁目内付近)でE子の遺体が発見された(猥褻目的)未成年者略取、殺人、死体遺棄事件である。 一時は、本事件翌年の1970年6月3日(水曜日)に千葉県木更津市内で発生した小学校3...
江東区小5女児誘拐殺人事件 - clairvoyant report
貨幣・紙幣は国家の信用の上に成り立っている。特に国家による信用の裏付けのない紙幣は、単なる文字と絵が描かれた紙切れに過ぎない。1961(昭和36)年に最初の一枚が見つかった贋造紙幣「チ-37号」は、その精巧な造りから「贋造紙幣の最高傑作」、「最後の職人技」などと呼ばれ、1963(昭和38)年11月14日まで事件は続いた。国会でも取り上げられた「チ-37号事件」は、社会に大きな影響を与えた戦後の事件の一つでもある。警察は犯人検挙に向け異例の大規模捜査を行い、政府は新たな千円紙幣(伊藤博文像の紙幣)を発行し対応するが―...
チ-37号事件 - clairvoyant report
事件史を紐解くと不思議な未解決事件に出くわすことがある。犯人はもとより、犯人の動機さえもわからない事件。戦後の復興期に発生した「謎のニセ札事件」について考察していこう。謎のニセ札事件 概要1954(昭和29)年12月初旬、東京都中央区新富町1丁目内に所在する個人営業の印刷屋に見知らぬ男(以下、X)が現れた。同店は、現在のJR東京駅八重洲口から南西方向へ直線距離で約500メートルの場所に位置する個人営業の印刷店だと思われる。Xは、某興信所の調査部長を名乗る(名刺を残した可能性があると思われる)が、年齢や特徴に...
謎のニセ札事件 - clairvoyant report
◆ご注意本記事は、1968(昭和43)年12月26日19時50分から27日9時40分の間に発生したロートレックの絵画『マルセル』盗難事件の事件概要及び経緯等の解説を目的とする記事です。1975(昭和50)年12月27日午前0時に時効が成立した同事件は、約一ヶ月後の1976(昭和51)年1月29日、盗難された『マルセル』が発見されるという特異な形で決着しました。本記事は『マルセル』を保管していた人物(A氏夫妻)や預けた人物(C氏)などを「犯人」、「容疑者」などと断定する記事ではありません。 また犯人考察を目的とするものでもありません。事...
マルセル盗難事件 - clairvoyant report
ご注意:本記事は1984(昭和59)年4月19日13時20分頃、東京都中央区銀座で発生した3人組と思しき犯人による宝石店強盗事件(金塊強奪事件)と同年3月から翌年(1985年)まで続いたグリコ・森永事件との関連性・関係性を「金塊」に着眼し考察する記事です。2023(令和5)年5月8日18時20分頃に発生した少年4人(2023年5月29日時点の逮捕者数)による銀座宝石店強盗事件に関する記事ではありません。事件概要1984(昭和59)年4月19日(木)13時20分頃、銀座通りに面した老舗の有名宝石店「Y」の店内に2人(以下、AとBと記す)の男が入って...
銀座宝石店金塊強奪事件とグリコ・森永事件の関連性・関係性を考察:金塊は海を渡る - clairvoyant report
「昭和」最後の年となった昭和63(1988)年の12月30日は金曜日だった。昭和天皇の体調に配慮する自粛ムード漂う年末だった。本記事では、「日常」を注意深く観察し、「日常」にある一瞬の隙と「非日常」の人間心理を狙ったと思われる神戸・現金輸送車乗り逃げ事件を解説しながら、昭和最後の年に発生した未解決事件を考察していこう。事件概要昭和63(1988)年の12月30日午前9時45分頃――。山陽電鉄「月見山」駅から南東方向へ直線距離で約40メートルの場所に位置する旧「太陽神戸銀行 須磨支店(現「三井住友銀行 須磨支店」)」(以下...
神戸・現金輸送車乗り逃げ事件 - clairvoyant report
東京銀行の職員などがスイス連邦銀行から送られたロウ封印付きの2つのダンボール箱を開封したのは1971(昭和46)年9月16日だった。2つのダンボール箱には、東京銀行が国内のドル紙幣補充のためスイス連邦銀行から「輸入」した30万ドル(当時の為替レート:約1億円)が入っている筈だった。2つのダンボール箱の中を見た銀行の出納係は驚きの声を上げたかもしれない。30万ドル紙幣が入っている筈の箱のなかには30万ドル分のドル紙幣の代わりにフランスで発行されている新聞が入っていた。 ここからチューリッヒ空港、フランクフルト空港...
事件:消えた30万ドル チューリッヒから羽田へ - clairvoyant report
グレー/緑色系ジャンバーに黒系色ズボンを着用した男性と思われる人物(以下、犯人X)が「さくら銀行大阪北支店:現・三井住友銀行」を訪れたのは1993年4月12日(月曜日)午前11時15分頃だといわれる。身長160センチ位の小柄な男性と思われる犯人Xは英国ブランドの帽子を被り、白マスクとメガネ(サングラスとの説もある)で顔を隠し、手には茶系のセカンドバックを持っていた。Xの年齢は50代から60代位だと考えられている。。犯人Xは5枚のニセ1万円札を両替機に入れ、券と両替した。要した時間は数分だろう。騙された機械/機械を欺...
和D-53号事件:騙された機械 - clairvoyant report
2001(平成13)年3月期――日銀は総額68億円の特別損失を計上した。68億円の損失処理は、1990(平成2)年1月31日に発覚した「天皇陛下御在位六十年記念硬貨(金貨)大量偽造事件」の被害総額である。海外から持ち込まれた(※1)10万3000枚(※2,103億円)の「偽造」金貨は世界でも類を見ない被害を日本経済、日本社会、日本国の威信に与えた。※1)押収された偽造金貨は10万7900枚(107億9000万円)との説もある。 ※2)同金貨は10万円の臨時補助通貨のため使われている純金20グラムの市場価格(時価)との差額(68億円)が実際の被害額であ...
天皇陛下御在位六十年記念硬貨(金貨)大量偽造事件 - clairvoyant report
戦後日本の混沌と暗闇の中に秘密資金が眠っている。秘密資金の眠る特別な場所の門を叩ける者は、資金を守る秘密組織に選ばれた者だけだ。その秘密資金は戦後復興の名の下、選ばれた者にのみ貸し与えられる。無担保、低金利、連帯保証人不要の好条件融資――これらの好条件が与えられるのは、この秘密資金を守る組織が、真に価値あると認めた企業だけだ。ただし、その代償として、総額の数パーセントの融資手数料などが必要となる。敗戦と戦後社会の裂け目から生まれたM資金詐欺について解説、考察をしていこう。序章:M資金詐欺とは何か...
考察・M資金詐欺: 人々を魅了する都市伝説と権威 - clairvoyant report
本記事は、1984年に発生したグリコ・森永事件の犯人組織「かいじん21面相」の思想的背景を探り、事件における「江崎グリコ」への怨恨説を考察するものである。事件の幕開け:江崎グリコ社長誘拐事件1984年3月18日(日曜日)、夜21時ごろ、兵庫県西宮市の静かな住宅街で、不穏な事件が幕を開けた。江崎グリコ社長、江崎氏の実母が住む家に、拳銃のような物と空気銃または散弾銃のような物を手にした2人の男が侵入した。これは単なる侵入事件ではなかった。家の外には車(赤系色のクーペ)で待機するもう1人の男がおり、彼ら3人は計画的...
グリコ・森永事件:かいじん21面相の思想背景を考察 - clairvoyant report
1984年、日本社会はグリコ・森永事件と呼ばれる前代未聞の事件に直面した。本事件(警察庁広域重要指定114号事件)では、江崎グリコをはじめとする大手菓子メーカーや森永製菓など、複数の企業が脅迫行為の対象となり、社会に深い衝撃を与え、後世に多くの教訓を残した。本事件の『かい人21面相』を名乗る犯人グループは、脅迫対象の企業、企業役員、警察、マスメディアに対し多くの脅迫状(挑戦状)を送付した。それら脅迫状(挑戦状)には、企業や社会に対する深い不満や恨みが込められており、犯人が単に金銭を目的とした犯行ではな...
グリコ・森永事件脅迫状の深層心理を考察:義賊か、悪党か - clairvoyant report

Jean-Baptiste Roquentin

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。 Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。 小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。 分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。