9月 14, 1987
1987(昭和62)年9月14日(月:翌日は祝日)の午後4時から5時頃
群馬県高崎市内の自宅付近の神社に遊びに出かけたまま行方不明
9月 14, 1987
「昭和64年」――それは昭和天皇の崩御によりたった7日間――1月7日で終わった。
そして、昭和64年1月5日、一人の7歳の女児が誘拐、殺害された。事件は未解決のまま14年が経過、時効まで約1年に迫っていた。
この未解決事件を中心に描かれた横山秀夫の『D県警シリーズ 64ロクヨン』は、昭和の時代に実際に起きた未解決の幼児誘拐殺人をモチーフにした傑作小説だ。そして、この傑作小説を基に実写化された2つの作品がある。一つは2015年4月18日より放映されたNHK土曜ドラマ『64ロクヨン』、もう一つは2016年5月に公開された映画『64』である。
ここでは、原作の『D県警シリーズ 64ロクヨン』と内容の近いNHK土曜ドラマ『64ロクヨン』に触れながら作品のモチーフとなった「功明ちゃん誘拐殺人事件」および「北関東連続幼女誘拐事件」を検証しよう。
NHK土曜ドラマ『64ロクヨン』 小説『64』では社会、警察、マスコミなどが抱える様々な問題点が描かれている。
それは巨大組織警察にある硬直化した組織の問題であり、マスコミと警察、報道の自由と人権、行政組織の面子(保身)と失敗の隠蔽などだ。
交通事故の加害者となった妊娠8か月の女性の氏名を母体への影響を理由にマスコミに公表しない警察。主人公D県警察本部 警務部秘書課調査官(広報官)警視「三上義信」と記者クラブの『東洋新聞サブキャップ。H大卒。二十六 歳。思想背景なし。生真面目。敏腕記者症候群(引用:横山秀夫. 64(ロクヨン)(上) D県警シリーズ (文春文庫) (p.26). 文藝春秋. Kindle 版.)』の手嶋との対立の場面にはこんな台詞がある。手嶋は言う「(前略)説明になってませんよ。 住所も『 大糸市内』だけで所番地は伏せている。三十二歳の主婦A子 さん。 これじゃあ実在する人物かどうかもわからない。(中略)警察が勝手に 判断して名前や住所を隠すのがおかしいって言ってるんですよ。実名で書くか書かないか、それは我々 が公益性に照らして判断することです(引用:横山秀夫. 64(ロクヨン)(上) D県警シリーズ (文春文庫) (p.28). 文藝春秋. Kindle 版.)」
この東洋新聞サブキャップ手嶋の意見は非常に重要だ。その後の会話のなかで手嶋が指摘するように警察が匿名発表を自分達で判断するのならば、それを利用した事実の「隠蔽」やミスリードが容易になってしまう。
「隠蔽」――この作品のなかでとても重要な言葉である。組織を守るための隠蔽により事実が歪められ国民が悲しみを背負い、その悲しみが新たな――
この作品のもう一つの主題はわが子を誘拐し殺害した犯人を捜す親と家出した娘を探す「三上義信」とその妻が感じる抜け出せない泥沼のような不条理だろう。犯人を捜すことを人生の目的とする一人の父親がいる。彼は脅迫電話の声の主を捜すため、毎日、毎日、電話帳に記載された市内の全ての世帯に電話をかける。毎日、電話をかけ、相手の声を確かめ自分の記憶と照合する途方もない作業を繰り返す。
犯人を捜す父親がかけた電話は家出した娘の「生存」を信じる三上義信の家にもかかってくる。彼の妻はその無言電話を娘の「生存」の印だと感じる。犯人を捜す父親の人生の意味は「犯人を捜す」ことであり、家出した娘を探す家族の人生の意味は「生存」を信じることだろう。
なお、娘の家出の原因の一つは父親に似た自身の容姿と美しい容姿の母親に対するコンプレックスである。娘は自身のことを父親に似た醜い容姿だと思っている。NHK土曜ドラマ『64ロクヨン』では、この醜い容姿の父親「三上義信」をピエール瀧が見事に演じていた――と、思う。
では、次項からNHK土曜ドラマ『64ロクヨン』のモチーフとなった「功明ちゃん誘拐殺人事件」および「北関東連続幼女誘拐事件」を検証してみよう。
1970年代から1990年代にかけ、「北関東」と呼ばれる群馬県、栃木県、茨城県やその周辺地域の埼玉県、長野県などでは小学生以下の子どもが被害者となる誘拐、殺人事件が多発した。これらの事件には「北関東連続幼女誘拐殺人事件」と呼ばれる栃木県足利市や群馬県太田市で発生した女児誘拐(殺人)事件が含まれ、2010年(平成22年)3月26日に無罪が確定、冤罪(誤判)事件となった「足利事件」もあるが、これらの誘拐・殺人事件の多くが公訴時効成立により未解決事件となっている。
なお、1996(平成8)年7月7日(日曜)、群馬県太田市のパチンコ店から4歳女児が行方不明となっている事件(太田市パチンコ店女児失踪事件)は、第三者による略取誘拐容疑の可能性がある。このため群馬県警は重要参考人としてパチンコ店の防犯カメラに映っている以下の人物の情報提供を呼び掛けている。
ゆかりちゃん誘拐容疑事件『白昼の死角』群馬県警察公式チャンネル
1980年代から90年代初め頃の過去報道によれば、1984(昭和59)年7月群馬県桐生市で生後間もない赤ちゃんの連れ去り事件(逮捕)、1989(平成1)年3月27日、群馬県草津市の2歳女児が母親の同僚女性に誘拐された事件(その後不起訴の報道もあるが詳細不明)、1990(平成2)年12月11日、群馬県新里村(現:群馬県桐生市)の10歳女児行方不明事件などがあり、10歳女児行方不明事件の前日(12月10日)には隣町の群馬県大間々町(現:群馬県みどり市)の小学4年生の女児が「髪を肩まで伸ばした男に無理やり白っぽい乗用車に乗せられそうになったが振り切って逃げた」(参考:不明の女子小学生の捜索 続行 隣町でも誘拐未遂事件 NHKニュース 1990年12月14日付)との報道もある。
さらに、1991(平成3)年3月13日、群馬県館林市内の10歳女児を自宅アパートに連れ込んだ略取誘拐の容疑で同市内のイラン国籍の男性(37歳)を逮捕(引用:少女誘拐容疑でイラン人逮捕 群馬県館林 朝日新聞 1991年3月13日付)、1993(平成5)年11月29日、群馬県太田市の会社員男性(41歳)が新潟県内の小学生6年生の女児を約1時間にわたり車に乗せ連れます猥褻目的誘拐の容疑で福島県警に逮捕されており、同容疑者は福島県内や「関東六県で同じような犯行をこれまでに約三十件繰り返していたことを自供しているという(引用:わいせつ目的誘拐容疑で会社員を再逮捕 朝日新聞 1993年11月30日付)」などが散見される。
これらの事件の他にも宮崎勤元死刑囚の犯行と認定された「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定117号事件)」などがあり、この時代は日本各地で児童略取誘拐事件が多発していたといえる。
「北関東連続幼女誘拐殺人事件」と呼ばれる栃木県足利市や群馬県太田市で発生した女児誘拐(殺人)のうち、1987(昭和62)年9月15日(火曜・祝日:なお同日は功明ちゃん誘拐事件の翌日)、現:群馬県太田市に住む小学2年生の女児が自宅付近の公園から行方不明、その後、白骨遺体で発見されるが公訴時効となった事件には、当初「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定117号事件)」で死刑判決を受けた元死刑囚宮崎勤が関与している疑いがあったらしい。
ただし、1989年(平成1年)10月6日、警察庁は1984(昭和59)年2月11日、神奈川県相模原市内で発見された7歳女児の殺人、遺体遺棄事件を含む関東県内の過去の3件(1984年11月17日栃木県足利市のパチンコ店から5歳女児が行方不明、その後遺体で発見の事件および前述の群馬県太田市の事件)の事件と宮崎勤元死刑囚との関連を無関係と断定している。断定の理由は①上記3件の現場付近に宮崎勤が現れた形跡がない。②宮崎勤と人相体形を異にする人物が容疑者として目撃されている、などらしい。
では、北関東連続幼女誘拐事件で目撃された容疑者の可能性がある人物はどのような人物なのか。1984年11月17日栃木県足利市のパチンコ店から5歳女児が誘拐され殺された事件では、1984年11月24日女児が通う幼稚園に40-50代と思しき男性から不審な電話があり、1987年9月15日現:群馬県太田市に住む小学2年生の女児が自宅付近の公園から行方不明となり殺害された事件では女児と一緒に自転車を押す30代の男性が目撃されている(足利事件はこの自転車の不審者を冤罪被害者A氏と誤認した)
なお、ジャーナリストの清水潔氏は著書『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―新潮社2016,6』で、上記の1987年9月15日現:群馬県太田市に住む小学2年生の女児誘拐殺人事件および「太田市パチンコ店女児失踪事件」の重要参考人についてある男性の可能性を指摘し、その男性の容姿や動きが有名漫画の主人公に似ていることから仮称「ルパン」と呼んでいる。
事件概要:身代金要求の略取誘拐・殺人
事件日時:1987(昭和62)年9月14日
事件現場:群馬県高崎市筑縄町 神社
被害者数:5歳男児 1名
容 疑 者:不明 2002年9月4日時効
犯行動機:2000万円(後に1000万円)要求
動画から警察が公開した犯人の声が聞けます。
1987(昭和62)年9月14日(月曜日、翌日の火曜日は祝日)の午後4時から5時頃、当時5歳の幼稚園男児の功明ちゃんが群馬県高崎市内の自宅付近の神社に遊びに出かけたまま行方不明となった。その約10分後、功明ちゃん家族が付近神社などを探すが功明ちゃんの姿を見つけることができず、同日の午後6時30分頃、父親が群馬県警高崎署に捜索願を提出する。だが、その約10分後の午後6時40分頃、功明ちゃん宅に男性の声で「2000万円を払わなければ殺す。警察には連絡するな」などと脅迫する電話がかかってくる。
その後、功明ちゃんの自宅には、事件から2日後の1987(昭和62)年9月16日の朝までに無言電話やコールだけの電話が合計17回あり、事件当日の1987(昭和62)年9月14日、午後8時3分の3回目の電話では、誘拐された功明ちゃん自身が電話口に出て「これから帰るよ」などと話すが、1987(昭和62)年9月16日12時35分頃、群馬県高崎市鼻高町を流れる碓氷川支流寺沢川(川幅5-6メートル、水深は浅い)で遺体となった功明ちゃんが発見された。功明ちゃんの死亡推定時刻は1987(昭和62)年9月15日の午前10時以前であり、前述のとおり、この卑劣な犯人は功明ちゃん殺害後の9月16日の朝にも功明ちゃん宅に身代金要求の脅迫電話をかけたことになる。なお、犯人は9月16日の午前7時50分の4回目の脅迫電話で身代金の金額をそれまでの半分の1000万円に減額している。
この卑劣で卑怯な犯罪は2002(平成14)年9月14日に公訴時効が成立し、戦後、小学生以下の幼児が被害者となり殺害された誘拐事件(被害者数は20人以上)のなかで唯一の未解決の身代金目的の誘拐殺人となってしまったが、群馬群馬県警のモバイルサイトには「功明(よしあき)ちゃん誘拐殺人事件手配 昭和62年9月14日、高崎市筑縄町の「地神社」付近で荻原功明ちゃん(当時5歳)が誘拐され、昭和62年9月16日高崎市鼻高町少林山近くの寺沢川にかかる入の谷津橋下で、遺体で発見されました。公訴時効の期間は経過しましたが、引き続いて情報をお待ちしています。◆連絡先 群馬県高崎警察署特別捜査本部027-328-0110/027-326-8714」との記載が確認される(2022年2月9日現在)
そう、警察は諦めていない。社会はこの卑劣な犯罪を風化させてはならない。
「付記」記事を書くにあたり、功明(よしあき)ちゃんの名前を実名にするか匿名(Yちゃん)にするか非常に迷いました。当初はご遺族のプライバシーや功明ちゃんの尊厳を守るために匿名で書いていましたが、たった5年しか生きられなかった一人の男の子の恐怖や苦しみを思いながら書き進めるうち、やはり実名で書くべきだと思いました。人には名前がある。名前は特別な存在の証です。NHKドラマ『64』を再視聴しながらそう思いました。なお、今後、匿名にする可能性もあります。
功明ちゃん誘拐殺人事件はいくつかの犯人と思しき不審者の目撃情報がある。また、犯人の声、犯人が使用していた車の車種および犯人が脅迫電話をかけたおおよその地域などが特定されているようだ。過去の報道から犯人の情報を整理してみよう。
上記7のNTT群馬支社長野局管内は群馬県北西部地域であり、警察は同地域の1万1000世帯にローラー作戦を実施しているとの報道も散見される。また、功明ちゃん誘拐殺人事件のあった1987年の5月には、群馬県高崎市筑縄町の神社(功明ちゃんが誘拐された場所と考えられる神社)から約1.5キロメール離れた場所に所在する公立中学の女子生徒2名が警察や新聞記者を名乗る中年男性から声をかけられ車に連れ込まれそうになる事件があったとの報道も見受けられ(参考:「警察だ」と女生徒誘う 高崎・園児誘拐現場近く 5月に2件、車の不審者 読売新聞 1987年9月26日付)、以前から児童を狙う者がいたようだ。
功明ちゃん誘拐殺人事件は犯人からの複数回の脅迫電話がかかってきている。だが、その脅迫電話を逆探知する際に不備があったのではないかともいわれている。『64ロクヨン』では逆探知の失敗と失敗の隠蔽が物語の底流に流れている。
では、当時の報道をみてみよう。
逆探知解除問題で県警とNTT会見 功明ちゃん誘拐殺人
朝日新聞社 1987.10.04
群馬県高崎市で起きた幼稚園児荻原功明ちゃん(5)誘拐殺人事件で、群馬県警とNTT群馬支社が電話の逆探知態勢を途中で一部解除していた問題で、群馬県警特捜本部長の阪本照寿刑事部長は3日の記者会見で、「逆探知は、高度に技術的なことなのですべてNTTに任せた。仮定の話だが、群馬長野局で4回目の脅迫電話の時に逆探知をやっていれば、かけてきた電話機までたぐる可能性はあったと思う。一部解除したかどうかについてはコメントできない」と述べた。また、鈴木正誠NTT群馬支社長は、「逆探知の配置はもともと荻原さん宅をカバーする問屋町分局だけに限定したもので、解除という事実はない」とした。
上記の記事では、警察は4回目(既に功明ちゃんは殺されていた)の際に「NTT群馬支社長野局」での逆探知が行われていたのなら犯人の自宅などを割り出せた可能性を述べている。この逆探知問題の真相は不明点が多いが犯人逮捕の大きなチャンスであったことは間違いなさそうだ。
功明ちゃん誘拐殺人事件の犯人はどのような人物だろうか。この卑劣な犯罪の目的は「金」だろうか?犯人は具体的な身代金の受け渡し方法を伝えていない。また、非常に残忍な殺害方法などから「金以外」の動機を仮定する報道なども散見されるが、功明ちゃん誘拐殺人事件の犯人像を推測するため着眼点はやはり身代金の要求だろう。問題はこの身代金の要求を金融機関が休業する祝日の前日(事件当日)とその翌日(祝日)にしていることだろう。実際、犯人からの電話に対応した功明ちゃんの親族は「金融機関はやすみだろ」と犯人に言っている(参考:脅迫電話のやりとり内容「警察に知らせたか」犯人 功明ちゃん「これから帰るよ」 功明ちゃん誘拐殺害事件 初動捜査遅れた 苦しい弁明県警本部長 最悪事態無念の捜査陣 中日新聞 1987年9月17日付)
この具体的な受け渡し手段を伝えない身代金要求はなにを意味するのか?いくつかの推理がなりたちそうだ。そのいくつかの推理を以下に記す。
犯人が上記1,2に当て嵌まるなら、犯人は比較的若い人物が想定され、3.ならば①被害者は2000万円を現金で持っている。②多額の現金を持つ親類などから借入できる。③金融機関が事情を鑑みて休業中に融資などする。を想定したことになる。
群馬・高崎の園児誘拐殺人 同姓別人と間違え? 近くに“2千万入金”の家 群馬県高崎市の私立むつみ幼稚園児、荻原功明(よしあき)ちゃん(5つ)誘拐殺人事件で、功明ちゃん宅周辺の同姓の別人が昨年土地を売却、最近になってこの人が約二千万円の現金を得たとのうわさが広まっていたことが三日、明らかになった。犯人は一回目の身代金要求の電話で「二千万円よこさなければ殺すぞ。子どもが二千万円あると言っている」と、幼稚園児である功明ちゃんが知り得ないような金額を提示しており、二回目の電話でも「二千万円よこせ」と要求している。このため同県警特捜本部は、現金収入のうわさを知った犯人が土地を売った人の子どもと間違えて功明ちゃんを誘拐したとの見方を強めると同時に、地元の事情に詳しい者の犯行とみて、捜査を進めている。土地は昨年十二月、約二千五百万円で売却され、最近になってこの土地に住宅が新築された。このころから、この人が税金や手数料を差し引いた現金二千万円を手にした--とのうわさが周辺に広がったという。功明ちゃんの自宅がある同市筑縄地区には同姓の「荻原」が十四軒あり、土地を売却した家を含めて五軒が土地持ちといわれている。これに対し功明ちゃんの父親、光則さん(43)は、消防署員でサラリーマン。特捜本部では、当初、犯人はなぜ資産家とも言えない光則さん宅を狙い、一回目の脅迫電話で「子供が二千万円あると言っている」と唐突に話したのか疑問視していた。しかし、これも同姓で男の子がいる「荻原」を間違え功明ちゃんを誘拐してしまったとみることで筋道が通るとしている。光則さん宅の家人も「よし君は二千万円なんていう言葉は知らない。だから、(犯人に)言うはずがない」と近所の人にもらしていた。特捜本部は、犯人が、「荻原家」が土地を売って二千万円の金を持っていたことを知り得たのは筑縄地区の事情に極めて詳しいか、あるいは不動産ブローカーなどの情報を手に入れやすい立場にあったとの見方を強め、徹底的な聞き込み捜査を続けている。
読売新聞1987.10.04
上記の記事は、功明ちゃんが同姓人物の家族と犯人から誤認され誘拐された可能性を指摘している。また、殺害後も執拗に身代金要求する犯人の行動などからも犯人の動機に「金」があることは容易に推測できる。なお、殺害後の身代金の減額からは犯人の心の動揺と駆け引きや取引に不慣れな人物像が思い浮かばれる。
犯人は多額の金を必要としていた。必要とした理由はなんだろうか。また、現金を奪えなかった犯人のその後はどうなったのか?破産などしている可能性もある――そう考え事件後の群馬県北西部地域の破産者などを洗ってみようとも思ったが――それは止めておいた。当然ながら警察も同じことを考えていた可能性が高い。そして、結局は――犯人に辿り着いていない。
犯人を捜す親と行方不明の子を探す親を描いたドラマ『64(ロクヨン)』そして、『64(ロクヨン)』は、実際の事件『功明ちゃん誘拐殺人事件』をモチーフにしている。
そう、現実にも多くの子供を探す親、子供の帰宅を待つ親、犯人を捜す親、犯人の手掛かりを捜す親がいる。
功明ちゃん誘拐殺人事件、北関東連続幼女誘拐殺人事件――子供を対象にした誘拐事件、殺人事件――風化させてはならない。
参考・引用文献
『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件― 清水潔,著 新潮社 2016年6月』
『64(ロクヨン)(上) D県警シリーズ 横山秀夫,著 文藝春秋 2015年2月など』
足利の不明女児、誘拐の疑いで捜査 自宅へ不審な電話 朝日新聞 1984年11月22日付
小2少女不明に 若い男が連れ去る?/群馬・尾島町 読売新聞 1987年9月16日付
5歳男児誘拐頃殺される 男の声2000万円要求群馬・高崎川の中、裸で発見 遊びに出て14日から不明 中日新聞 1987年9月16日付
脅迫電話のやりとり内容 「警察に知らせたか」犯人 功明ちゃん「これから帰るよ」功明ちゃん誘拐殺害事件 初動捜査遅れた 苦しい弁明県警本部長 最悪事態無念の査陣 中日新聞 1987年9月17日付
群馬の誘拐・殺人事件、犯人は中年以上の男性か 毎日新聞 1987年9月18日付
功明ちゃん誘拐殺人、一般加入電話から脅迫電話 毎日新聞 1987年9月19日付
園児誘拐殺人「犯人は群馬・新潟南部・埼玉北部の出身者」脅迫電話を金田一氏分析 NHKニュース1987年9月24日付
布団カバーから小型犬の毛/高崎・園児誘拐殺人 読売新聞 1987年10月2日付
「警察だ」と女生徒誘う 高崎・園児誘拐現場近く5月に2件、車の不審者 読売新聞 1987年9月26日付
群馬・高崎の園児誘拐殺人 同姓別人と間違え? 近くに“2千万入金”の家 読売新聞 1987年10月4日付
白い車はクレスタGX71=功明ちゃん誘拐 毎日新聞 1987年10月12日付
逆探知解除問題で県警とNTT会見 功明ちゃん誘拐殺人 朝日新聞 1987年10月4日付
最近の赤ちゃん誘拐、犯人はいずれも逮捕 毎日新聞 1987年12月30日付
幼女連れ出す 草津のホテル従業員、誘拐の疑いで逮捕 群馬 毎日新聞 1989年3月1日付
不明女子小学生の捜索 続行 隣町でも誘拐未遂事件(群馬・新里村)NHKニュース 1990年12月14日付
少女誘拐容疑でイラン人逮捕 群馬県館林 朝日新聞 1991年3月13日付
自転車の男とは 憶測に揺れた地元 朋子ちゃん事件きょう2年 群馬 朝日新聞 1989年9月15日付
未解決の幼女殺害3事件と宮崎は無関係-捜査当局が断定 北海道新聞 1989年10月6日付
わいせつ目的誘拐容疑で会社員を再逮捕/群馬 朝日新聞 1993年11月30日付
映像
NHK土曜ドラマ『64』(2015年)
映画『64-ロクヨン- 前編/後編』(2016年)
お時間のある時に以下の記事もご覧ください。
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