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古美術店「無尽蔵」店主失踪事件

古美術店「無尽蔵」店主失踪事件 概要

1982年8月24日より三越日本橋本店で開催されていた「古代ペルシア秘宝展」。黄金の皿、盃、装身具など絢爛たる47点の展示即売品は、総額21億円(当時)といわれ、折からのシルクロード・ブームの追い風も受けて盛況であった。

しかし、会期半ばの8月29日。朝日新聞は一面で、これらの秘宝の大半が「ニセ物」であると報道する。これはスクープなどというものではなかった。天下の三越百貨店が、当然全てが本物であるとして、上は数億の値段をつけて売り捌こうとした自慢の「名品」の数々は全て、開催前より日本国内の研究者、古美術商らから、事前配布のカタログを見た時点で指摘がなされる程の稚拙な贋作であったのだ。

この「ニセ秘宝事件」を含む、三越百貨店に関わる一連のスキャンダルは、当時「O天皇」と呼ばれるほどの権勢を振るった三越社長Oの解任劇「三越事件」へと発展する。

ところで、同年9月、朝日新聞によって、これらのニセ秘宝の供給源としてまず指摘されたのは、亡命イラン人の古美術商S兄弟を通じた海外ルートであったが、その後、三越展示品と同じ鋳型で製造されたと見られる品を日本国内で購入したというコレクターからの情報提供があった。秘宝展では450万円の値がついていたその銀製の金具とそっくりな品を、千葉県の古美術店にて10万円で入手したのだという。

さらなる取材の結果、S兄弟は三越へ納品したニセ秘宝の一部を、海外のみならず国内の某古美術店からも仕入れていた事が判明した。件の千葉の古美術商もまた、同店と取引関係があった事を認めている。

その店の名は、古美術「無尽蔵」といった。

読売新聞19821006

姿なき贋作商

話題の渦中に投じられた古美術店「無尽蔵」は1974年の開店以来、東京都豊島区にある雑居ビルの二階に店を構えていた。店主のN(当時56歳)は古美術界隈ではともかくメディア的には無名に近い人物であった。突如、三越ニセ秘宝の重要な関係者として浮上したNの容姿や人柄を、写真や映像に捉えるべく駆けつけた取材陣に対応したのは店員のS(当時30歳)で、彼が言うには、雇い主のNは2月末から姿を見せていないのだという。

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既に捜索願はSが4月1日付で提出していたが、成人男性の失踪という事もあり、これまで積極的に捜索が行われることはなかったようだ。

以降7ヶ月間、Sは独力で店を切り盛りしていたが、この騒ぎで店は開店休業状態に陥り、同年11月には店主N失踪のまま古物商営業許可取消。正式に閉店した。

翌年3月2日、Nは死亡扱いで、別件の古美術品を東京国立博物館へ納入する際の、担当美術課長への贈賄の疑いで書類送検されている。

「無尽蔵」殺人事件

同年12月4日警視庁捜査一課と池袋署は、「無尽蔵」の古美術品やその代金を詐取、横領した疑いで店員Sを逮捕した。これはよくある別件逮捕であり、本命はSによる店主Nの殺害容疑であった。Nの失踪時期と目された2月末は古美術商S兄弟が三越サイドから「秘宝」の代金の支払いを受けた時期にも合致しており、これに関連するトラブルが原因である可能性も取り沙汰された。

また、結果的に「三越事件」で再起不能となったものの、三越社長Oはその頃、「秘宝展」の件のみの引責で社長の座から一旦身を引いておけば傷が浅く済み、いずれ返り咲く機会もあるといった趣旨の助言を側近より受けており、敵対者がその退路を断つための陰謀を企てたのではないかと穿った見方もできないことはなかった。

しかし12月9日、店員Sは、2月24日19時40分頃にNを「無尽蔵」店内にて、大型の金属製ボルトで複数回打撃を加え殺害した事、理由は、Nからの男色行為の強要に耐えかねた末の衝動的なものであった旨を自供した。

5人の証言者

無尽蔵」殺人事件の捜査及び裁判は順調とはいかなかった。その理由の一つは、被害者Nの遺体を結局最後まで発見することができなかった事。Sは殺害から10日後の3月6日夜に、自らの実家に近い京浜運河から、Nの遺体を遺棄した旨を自白しているが、12月12日、21日の二度の捜索でも発見することができなかった。

もう一つは、SがNを殺害したという2月24日よりも後に、生きた被害者Nを目撃した、もしくは電話で会話したと証言する者が5人も現れた事によるものだった。この5人という人数は、後の裁判で採用された証人の人数であり、実際にはもっと多くの目撃者がいた可能性もある。

「無尽蔵」殺人事件は最高裁まで争われた。Sは当初のN殺害の自白を公判段階で翻し、否認に転じた。Sの弁護人は概ねSの主張に沿い、違法な長時間の取り調べによる自白には任意性が無い事、そもそもNの生死についての立証、殺害日時、方法についての立証が不足している事、アリバイの存在、Nの生存証人5人の証言を武器にSの無罪を主張したが、検察側によって物証や状況証拠を積み上げられ、証言の信用性も記憶の曖昧さや状況の不自然さ等を突かれて悉く崩される事となり、最終的には上告棄却。

但し、前科前歴がなく計画性もない事、動機や生い立ち、家族関係についてはSに有利に斟酌すべき事情もあるとされ、1990年6月21日、殺人罪に詐欺罪を併合した懲役13年の量刑が確定する事となった。

手がかりとその検証

「無尽蔵」店主Nについて

失踪したNは1926年生。Nの生家は明治まで公家の家臣を務めた家柄で、祖父は大蔵省職員であったようだが、N本人が業界誌に寄せたエッセイでは、「N家は公家の筆頭家老の家柄、祖父は大蔵官僚で、八幡製鉄の創設の功により町名に名前が残るほどであった」と完全な虚構ではないものの、かなりの装飾を加えている。父親は骨董趣味の人物であったようだが、この父親はNにとって愛憎半ばする人物でもあったようで、戦中戦後の貧困の中、亡くなった父親の遺した骨董品が二束三文で始末されていく様を目の当たりにしても「煩わしいものが消えてゆく」気持ちであったと同エッセイに記している。

戦後は米軍基地勤務、教師の職を経て、現代では「マクロビオティック」の重要人物として知られる桜沢如一の思想を学び、自然食専門の食堂を経営し財をなしたNは突然、池袋に女装バーを開店した。その頃のNは長身で細身の「ママ」であったが、やがてボディビルにのめり込み始めた。年齢的に「女性」として男性の相手を探すことが難しくなったのかもしれない。

父親と同じ骨董趣味に目覚め、「無尽蔵」店主となる頃には、元からの180cmの長身に加え、80kg近い立派な体格を身につけていた。外国の古美術商との商談が増えてきた頃には身なりにもこだわり始め、薄くなり始めていた髪は剃り落とし、コサック帽、白絹のチャイナ服、毛皮のコート等の目立つ衣類をその長身で着こなすようになっていたという。

そしてNは、同性の恋愛相手や、売春相手を求める男性達が集うゲイ・バー「E」に出入りするようになった。そこで男娼をしていたのが後に「無尽蔵」店員となるSであった。

「無尽蔵」店主としてのNは、独特のカリスマ性を放つユニークな人物であったという。元来骨董屋は大名など身分の高い人物が得意先であった為に、商談の際は「買って頂く」と遜った態度を取る一方で見込んだ客にはしつこくつきまとい、品物のよさを語り続けて辟易させる傾向があったが、Nは客に「貧乏人に売る物はない、帰れ」などの悪態をついたと言う。

一方で気に入った客には、所有する骨董を心ゆくまで黙って好きなだけ眺めさせてくれたといい、一定の贔屓客が存在した。また、「自分の店はゲテモノ屋」「骨董は人に夢を与えるものであれば偽物でも構わない」を持論とし、手はいつも真っ黒で、手持ちの骨董、古美術に手を加えていたことを示唆するものとなっている。

総じて自己顕示欲の強い人物像が浮かんでくる。商売人というよりは芸術家気質であり、他人の利益の為に言い含められて、もしくは贋作者との責めを恐れ、自分の店を捨てて姿を隠してしまうようなパーソナリティの持ち主であるとは思われないし、魅力的な報酬の前に一旦身を隠したとしても、その後、何らかの形で姿を現して、衆目を集めようという誘惑に勝てるような人物であるようにも思われない。

「無尽蔵」店員Sについて

N殺害の罪で裁かれた店員Sは1952年生、Nの遺体の投棄先として自白した京浜運河を擁する神奈川県川崎市の出身である。隣町の出身である同じ歳の妻、娘二人がいる既婚者であった。この妻を結婚前に自らが飲酒運転する車に同乗させ、交通事故に遭わせて失明寸前に追い込み、顔面に傷跡を残させたのがSの実父であり、以来実家とは疎遠となり始めた。ついで実母が癌で倒れ、二人分の医療費が家計を圧迫する中、Sが通う大学の授業料の支払いは滞るようになり、Sは実入りの良いアルバイトを探さざるを得なくなった。やがて実母の病死により、父親との確執は決定的なものとなっている。そのアルバイト先の一つが、Nとの出会いとなったゲイ・バー「E」であった。男性同性愛に興味があったわけではなく、金だけが目的だったと後にNは語ったという。

それでも、Sを気に入ったNは自らの経営する「無尽蔵」のアルバイト店員としてSを招き、そのまま正式な社員になるよう誘った。Sは心労から大学中退、商社への内定も流れた事でその勧誘を受諾する事となる。その後結婚、長女が生まれた事でSは「無尽蔵」での仕事に打ち込むようになり、Nは「いずれ店をSに譲るつもりだ」という発言を常連客にもするようになった。待遇は良かった。大卒初任給が13万円程度の時代に、月の給与は30万円、それとは別に多額の「小遣い」が与えられ、その金額は月に50万〜100万円にもなったという。恐らくはNの同性愛の相手をする事と引き換えであった。

しかし、と言うべきか、やはり、と言うべきか、Sの生活は乱れた。ホステスを愛人として囲い、高額なオーディオセットや高級外車、海外旅行に浪費するようになった。妻との間には次女も生まれていたが、Sが愛人との結婚を考え始めた事で別居、Nの失踪が発覚する頃には離婚調停が進められており、S逮捕の日には正式な離婚が成立する寸前であった。逆に言うと、逮捕時にはかろうじて妻との縁が切れておらず、この女性はSのために弁護士を手配している。彼女の評では、Sは困難な事態には背を向けることしかできない弱い人間であり、殺人などできる性格ではないのだという。

しかしながら、弱い者が追い詰められた際の反撃の苛烈さもまた指摘されている。著名な法医学者である上野正彦氏は著書で「滅多刺し等、一見残忍とも思える攻撃を行う者は、若年者、女性等の弱者である事が多い。殺しきれずに相手の反撃を一度でも許せば、自分には破滅しかないということを知っているからだ」と述べている。

愛人を囲い、妻子を裏切り、Nのいなくなった「無尽蔵」を思いのまま営業する等、一見図太くも見える行動が目立つSではあるが、これも彼の小心さが、長年連れ添って弱みも知られた妻よりも、そんな自分を知らない新しい愛人との生活に傾倒させ、自分には古美術店の切り盛りをする才覚がない事を直視できず、目の前の金銭以外は見ない振りをするという回避行動を取らせたものと説明することもできる。

Nの生存証言について

SがNを殺害したと自供した1982年2月24日夜よりも後に、生きているNを目撃、もしくは会話した証言者の発言は以下の通りである。

古美術商 K岡証言

「1982年6月か7月、知人と共に赴いた静岡県伊東市での会員制骨董市『親睦会』でNに会い、景気はどうだと挨拶を交わした。Nは純白で胸に模様のある詰襟を着用しておりよく目立った。Nを同行の知人に紹介もしている。Nに気づいたのはまた別の知人Tが教えてくれたからであり間違いない」

同行の知人は6月に骨董市へ同行したこととNを見たことは事実であると認めたが、知人Tや会場の他の参加者からは、これを補強する証言は得られなかった。

6月は既にNの失踪が知られていた時期であり、そんな状況でK岡の言うような目立つ恰好のNが居たのであれば、25名もの参加者の誰の記憶にも残らない事は考え難いとして裁判では記憶違いで片付けられているが、偽秘宝展で注目を浴びた8月以降ならばまだしも、6月の段階で、池袋で店を開いて8年程度のNが、伊東でどの程度知られていたのかと考えると、そう簡単に切り捨てるべきでは無いように思う。

尤も、Nは『親睦会』の会員ではなく、会員である同行者無しでこの骨董市に参加する事ができないのもまた事実であり、記憶違いとの指摘を的外れとまで言い切るには躊躇する。

無尽蔵」顧客 S藤証言

「1982年5月27日。その日は5月にしては蒸し暑い日だった。(公的な記録の裏付けがある。最高気温28度の記録が残っている)この日は池袋で、三年に一度の猟銃免許更新に伴う講習会があり、9時からの講習が始まる前に、開店前ではあるが『無尽蔵』を尋ねてみようと思い立った。Nの失踪の噂は知らなかった。店のシャッターは開いており、ショーケースの間を進むと、奥にNが一人で俯いていた。坊主頭ではなく髪は生えかけであった。Nは自分に気づいて一旦顔を上げたが、関わりを拒むように顔を伏せてしまった。講習会の時間が迫っていたので、声をかける事なく退散した」

裁判では仮に自らNが失踪したにしても、なぜ唐突にこの日だけ開店前の店に現れ、何らかの発言をすることもなく再び姿を消したのか説明できないとして信用性がないとされた。また、S藤が受けた前回1979年8月23日の講習会の記憶との混同であろうと理由がつけられた。

この裁判は事件から約一年後の1983年4月から始まっている。講習会は更に一年前の記憶でありNの失踪も知らなかったのであれば、強く記憶に残ることもないであろうが、だからと言って、頻繁に講習を受けているならばともかく、三年も前の記憶と都合よく混同するものであろうか?しかし、Nが自分の生存を知らせる為に店先でパフォーマンスを行っていたと解釈しても、S藤ひとりに見せるだけでは説得力が不十分であると言わざるを得ず、事の真相は不明である。

東京国立博物館 美術課長 K松証言

「1982年2月26日午前、『無尽蔵』に電話を入れて今日夕方寄ると伝え、Nは応諾した。確かにN本人の声だった。その日の18時頃、妻とその友人を連れて店を訪れたが、店は閉まっていた」

K松はNと最も親しい人物の一人であり(「無尽蔵」開店以前からの友人という)、1982年の正月には共にエジプトを旅行する程の仲であった。N失踪の相談を受け、Sに捜索届を提出するよう促したのもK松であるという。先述の通りNが賄賂を贈ったとされる人物でもあるが、こうして検察側の見立てに反する証言をしても、収賄側として立件されることはついに無かった。

店の訪問が2月26日であることは手帳に残されており、26日朝にはK松の妻が「友人を連れて行くのだから、事前にお店に電話を入れておいて下さいね」と夫に注意を促した事も覚えていた。

尤も、オレオレ詐欺の例を出すまでもなく、家族であっても思い込みから他人の声を聞き分けられないという現象は起こりうる。Sがこれを利用し、NとしてK松と話したのではないかという疑いは拭えない。

裁判では「妻の友人の証言では、店を訪れる予定は何日か前にあったといい、当日26日になってから予約を入れるのは不自然」「NがK松ほどの商売上も重要な友人との約束を反故にして店を閉めるのはおかしい」として電話を入れた日付の記憶違いであるとしているが、これは少々難癖に近い印象がある。26日に電話で話していた事実を消したい検察側に裁判官が肩入れしたと言われても仕方がないところであろう。

日本画家(故人)元秘書 K山証言

「1982年秋頃、冬支度のためにコートを出してくると、ポケットに『無尽蔵』で支払った骨董品代金の納品書兼領収書が入っていた。日付は2月25日。筆跡は店員のものかもしれないが、自分はNさんがいない時に『無尽蔵』を訪れた事はないしお金を払った事もない」

この納品書は勿論現物が証拠品として存在しており池袋署に提出されているが、この骨董品購入はいわくつきのものであった。K山が秘書として仕えていた日本画家の日記を盗んだO医師は骨董趣味の人物であり、日記を公表して故人の名誉を汚すと、画家の親族でもあるK山を脅迫、贔屓の「無尽蔵」にて、好みの骨董を購入させていた。ついに自宅にまで押しかけるようになったOに恐怖したK山は刑事告訴を検討し、「無尽蔵」事件について証言を取りに来た池袋署の刑事Tにそのまま相談したという。

当初、K山は2月25日「無尽蔵」にN本人がいたかどうかについては曖昧な証言をしていた。しかし、刑事Tが紹介した弁護士の仕事は不自然に遅く、また刑事Tも2月25日にNが店にいなかった旨の証言を得ようと強引に迫ったため、両者の関連を不審に思ったK山は態度を硬化させ、冒頭の「Nさんがいない時に無尽蔵に行った事はない」証言に至ったようである。因みに同行したO医師は「Nはいなかったと思う」と消極的ながらK山の証言を否定している。

OがK山の言う通り卑劣な人物だったとしても、もはや刑事Tに迎合したところで刑事告訴を免れ得ない状況であり、特に嘘をつく利益は無いように思える。実際「いなかったと思う」といった不確かな証言を捜査段階から一貫して維持し続けており、裁判でK山より信用できると判断されたのは仕方のないことであろう。

古美術商 H野証言

「3月末か4月初め、自分の店にいた時、共用のピンク電話にNから2回、電話がかかってきた。1回目の電話は、電話の向こうでボソボソと何か話していただけで内容は聞き取れなかったが、Nだと声で分かった。

また電話すると言って切れた。2回目はだいたい1週間後で、時々自分(H野)の店がある建物を訪れる同業者S田が来ていないかという問い合わせだった。Nさんかと確かめたが答えはなかった。今S田はいないが、たまには店に来ないかと誘うとそのうちに、また電話すると答えて電話は切れた。Nさんが姿を消したという噂は聞いていたが、旅行か入院でもしているのだろうと思っていた」

前述「東京国立博物館 美術課長 K松証言」の証言でもそうであるが、案外電話の声に対する記憶は思い込みに左右される。しかも、今回の証言は電話が何処からかかってきたのか分からないものであり、H野宛かすら定かではなく、名乗りさえしていない。確信をもって言えるのはS田の知人であるという程度である。

物証及び状況証拠

店内からは大量の血液反応や人血痕が発見された。血液型はNと同じB型であり、飛沫の飛び散った方向や場所も、Sの証言と矛盾しないものだった。Nの失踪後、Sにより店の絨毯の交換が行われており、血液飛沫には清掃された痕跡もあったが、流しの事務所荒らしがNに発見され反射的に、もしくは何者かが怨恨からNを殺害したとして、Sの目を盗んでそのような隠蔽工作を完遂したというのはあまりにも不自然である。

最も重要なのは、これらの証拠が、Sが「ここでNを殺害した」と自供した後に発見された事であった。後にこの事は「秘密の暴露」に準ずるものとして裁判で認定されている。

また、SはNの愛用品であるネックレスを勝手に売却、Nの自宅を荒らす(N自身が慌てて自発的失踪を図ったためと説明できなくもないが、Nが旅行の際に使用するスーツケース等の品は自宅に残されたままだった)、店の売上金を私的に流用し生活費として消費する等、Nがもう戻ってこない事を知っているのではないかと思われても仕方のない行動をとっている。

一方で遺体の遺棄については証拠が揃えられていない。遺体が発見されなかったのはオモリの不足から遠くへ流されたとして説明がつくが、その説明ができたところでSの手によるものである事までは、Sの証言通りに遺体が発見されなかった以上は真実とは認められず、死体損壊・遺棄罪としての立件はされていない。

古美術店「無尽蔵」店主失踪事件 真相考察

当時、この事件は冤罪事件であるとされ、この主張は一定の支持を集めた。著名なルポライターによる著作も出版されている。ニセ秘宝、三越事件、男色、ホステスの愛人、捨てられた妻子、見つからない遺体、有名画家の親族を含む5人のN生存証人等、衆目を集める要素には事欠かず、しかし裁判はあまりにも検察側の筋書き通りに進み、Sを金の亡者、漁色家、殺人者とする既定路線を検察・司法・報道機関が束になって突き進んでいるように見えなくもなく、一定のブレーキがかかるのはむしろ健全とも言えた。

「疑わしきは被告人の利益に」(刑事裁判の鉄則)

「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」(日本国憲法第38条)

これらの原則が常に掲げられてはいても、守られているかどうかを決めるのは裁く側であり、日本では検察と司法の距離が近過ぎることが度々問題になる。

しかしながら、資料が揃った現代から俯瞰すれば、Sが早々に殺害を自供して、その通りに物証があがった時点でもはや裁判上の勝負はついていた感がある。5人の証言にもっと説得力があったとしても、ほんとうに生存していたNが名乗り出るような事態にでもならなければ、判決が覆る事は無かっただろう。

それでも、Nの特異なキャラクターには、なんとかして生き延びて、裏切った恋人の行く末を何処かで飄々と眺めているのではないか。そんな期待をさせるところがある。恐らく遺体が見つかる日が来るまでは、微かなものであれ、その望みも残り続ける。

失踪者は皆、自らの存在と引き換えに、消えない謎を置いていく。いつになるとも分からない、その日が訪れるまで――。


◆参考文献
・佐藤友之『夢の屍 無尽蔵殺人事件の謎を追う』立風書房 1985年4月
・『小さな蕾』創樹社美術出版 1977年6月号
・『噂の真相』株式会社噂の真相 1984年1月号、3月号
・『週刊文春』文藝春秋 1982年12月16日号、1983年11月24日号 
・朝日新聞 1982年8月29日、9月29日、10月3日、12月13日
・読売新聞 1982年9月27日、10月6日、11月13日、12月5、6、13、21日、
      1983年2月8日、3月1、4日、4月28日、1985年3月14日
・東京地方裁判所 昭和58年(刑わ)3804号 判決文
・東京高等裁判所 昭和60年(う)817号 判決文


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横山ゆかりちゃん誘拐容疑事件(太田市パチンコ店女児失踪事件)概要1996年7月7日(日曜日)、群馬県大泉町に住むYさん(当時29歳)と家族(妻M子さん・同30歳、長女ゆかりちゃん・同4歳、次女・同生後8ヶ月)は、自宅から2kmほどの距離にある群馬県太田市のパチンコ店、「パーラー・パチトピア」(2022年現在は別名のスロット店として営業)を車で訪れた。本来はデパートへのお出掛けだったというが、「七夕感謝デー」の広告ハガキが来ていた事を思い出し、予定を変更したという。午前10時半頃、入店した一家は景品コーナーに立ち寄り、ショ...
横山ゆかりちゃん誘拐容疑事件(太田市パチンコ店女児失踪事件) - clairvoyant report
湯河原町女性放火殺人事件(2015年4月21日発生)の犯人は、茨城一家殺傷事件(2019年9月23日発生)の被疑者として逮捕、起訴された岡庭由征被告ではないか?との説が散見される。この二つの事件には、動機不明な点や刃物で被害者の顔面や頭部を攻撃する残忍な手口など共通する点がある。また、神奈川県警察のHPにある『現場方向からJR湯河原駅に現れた人物で、事件について何らかの情報を持っていると考えられる』人物の特徴や動きが岡庭由征被告に似ているとの説もある。 湯河原町女性放火殺人事件の犯人と茨城一家殺傷事件の岡庭...
湯河原町女性放火殺人事件の犯人は?茨城一家殺傷事件との関係性は?などを考察 - clairvoyant report
広島県安芸郡府中町主婦失踪事件 概要2001年9月24日(月曜日)、午前10時ごろ、広島県安芸郡府中町青崎の、賃貸マンション3階に住む主婦N・Tさん(当時50歳・以下N子さん)は、友人Aさんからの電話を受けた。その用件は昼食への誘いであった。N子さんはその時期、マンションの一室に一人で暮らしていた。知人たちからの印象では、結婚13年目のT夫妻の仲は良好であったようだが、子供は無く、当時N子さんの夫S郎さんは持病などにより入退院を繰り返しており、この頃も労災による指のケガで入院中であった。N子さん自身も心臓病等いくつか...
広島県安芸郡府中町主婦失踪事件 - clairvoyant report
その日、四人の家族は、昼過ぎから東京都世田谷区内の商店街に買い物に出かけた。翌日31日は大晦日。家族は年越しソバなどを買い、夕方、自宅に戻った。買い物に車を使ったともいわれるが車は自宅のガレージ(車庫)に駐車せず、翌日まで自宅前に路上駐車されていた。家族は年明け2001(平成13)年1月3日から二泊三日で箱根に旅行の予定だった。被害者A氏、妻、二人の子供、そして、被害者A氏の父親の5人での初めての旅行の予定だった(参考:奪われし夢世田谷一家殺害事件(上)「ケーキ食べに来て」孫の招待悲し最後のXマス祖父絶句...
世田谷一家殺害事件 推理 考察 なぜ狙われたのか 動機 - clairvoyant report
日本(東京)から約7,500キロメートル離れたモスクワに世界初の社会主義国家・ソビエト社会主義共和国連邦が誕生した1922(大正11)年の10月、千葉県木更津市の開業医の四男として男は生を受けた。祖父の代から医者の家柄だった男の父は、千葉県木更津市の市長もつとめる名士だった。裕福な名家生まれの男は、父親や母親の期待に応えるかのように第一高等学校(現、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部等)に入学、22歳となる1943(昭和18)年、東京帝国大学法学部(現、東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)に進学した。男の...
光クラブ事件・裏切りを怖れる「偽悪者」山崎晃嗣を考察する - clairvoyant report
知略縦横を働かせ自分よりも大きな組織などを相手に大胆不敵な犯罪を実行する者がいる。「東の(府中)三億円事件、西の大阪ニセ夜間金庫事件」と並び称される同時代に発生した2つの事件は、時代を超え人々の好奇心を刺激する。事件発覚直後に「日本版『黄金の七人』」とも報じられた(参考:「偽装夜間金庫」朝日新聞 1973年2月27日付)「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人像を遺留品や時代背景などから考察していこう。なお、『黄金の七人』は、1965年に製作されたイタリア映画である。同映画は1967年から『漫画アクション』での連載が開...
大阪ニセ夜間金庫事件 - clairvoyant report
旭川市男子中学生失踪事件 概要2012年1月14日(土曜日)北海道旭川市緑が丘のとある住宅団地の一室。発端は、ごくありふれた家庭内の諍いであったという。気候の厳しい北海道の中学校の冬休みは長く、休業期間最後の週末となる。気象庁の記録によるとその日も夕方頃まで降雪があった。特に未明〜朝方は風速10m/秒近いというから、もはや吹雪いていたと言って差し支えないであろう。中学受験の難関校として道内でもその名を知られた、北海道教育大学の附属中学校に通う一年生、佐藤智広くん(以下智広くん・13歳)は、自宅でその夜に観るテ...
旭川市男子中学生失踪事件(佐藤智広くん行方不明事件) - clairvoyant report
江東区小5女児誘拐殺人事件とは、1969年(昭和44年)5月31日(土曜日)、17時30分頃、東京都江東区東雲1丁目内の某社社宅居住の小学校5年生E子ちゃん(10歳)が、買い物からの帰宅途中に車に乗った男に誘拐され、同年6月3日、午前11時頃、誘拐現場から南東方向へ直線距離で約1キロメートルの東京都江東区辰巳町東京湾十二号埋立地(現在の東京都江東区辰巳3丁目内付近)でE子の遺体が発見された(猥褻目的)未成年者略取、殺人、死体遺棄事件である。 一時は、本事件翌年の1970年6月3日(水曜日)に千葉県木更津市内で発生した小学校3...
江東区小5女児誘拐殺人事件 - clairvoyant report
貨幣・紙幣は国家の信用の上に成り立っている。特に国家による信用の裏付けのない紙幣は、単なる文字と絵が描かれた紙切れに過ぎない。1961(昭和36)年に最初の一枚が見つかった贋造紙幣「チ-37号」は、その精巧な造りから「贋造紙幣の最高傑作」、「最後の職人技」などと呼ばれ、1963(昭和38)年11月14日まで事件は続いた。国会でも取り上げられた「チ-37号事件」は、社会に大きな影響を与えた戦後の事件の一つでもある。警察は犯人検挙に向け異例の大規模捜査を行い、政府は新たな千円紙幣(伊藤博文像の紙幣)を発行し対応するが―...
チ-37号事件 - clairvoyant report
広島市佐伯区植物公園職員失踪事件 概要2014年6月7日(土曜日)朝9時頃。広島市佐伯区の植物公園職員、藤野千尋さん(当時25歳・以降千尋さん)は、家族三人(母、弟)で暮らす自宅を出て、いつも通り佐伯区五日市駅南口からバスに乗り、職場である広島市植物公園へと出勤していった。千尋さんは運転免許証を持っていなかった。臨時職員として4月に採用されてから約二ヶ月が経過し、担当の植物(ベゴニア)も決まり充実した生活ぶりであった。少なくとも、同居の母親H子さんの目からはそう見えていた。自然を愛する千尋さんは子供の頃から植物...
広島市佐伯区植物公園職員失踪事件(藤野千尋さん行方不明事件) - clairvoyant report
室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件)概要2001年3月6日(火曜日)――暦の上では既に春であり、関東地方ではお花見の予定を立て始める時期でもある。しかし、その日、北海道の地方都市である室蘭市は依然ほぼ終日、肌寒い氷点下の気温であり日差しも乏しかった。日陰には所々雪も残っている。それでも世間は着実に「春」に向かって時を進めており、その日は公立高校の入学試験のため休校日であった。道内有数の進学校である、道立室蘭栄高校の一年生である千田麻未さん(ちだ あさみさん・以下麻未さん・当時16歳)はその日の...
室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件) - clairvoyant report
岡山県津山市19歳会社員失踪事件 概要2019年8月26日(月曜日)、岡山県津山市の土木関連企業の社員で、保守点検業務に就いていた中山裕貴さん(なかやま ひろたかさん・以下裕貴さん・当時19歳)はその日、4月に入社したばかりの職場に姿を見せなかった。事前または当日の連絡はなく、いわゆる無断欠勤であった。裕貴さんは2019年3月に岡山県岡山市の工業高校を卒業後、新卒で入社して以降、真面目な勤務態度で知られており、前の週である8月19日から23日も特に変わった様子もなく働いていたという。上司であるY氏の言を借りれば、「新入...
岡山県津山市19歳会社員失踪事件(中山裕貴さん行方不明事件) - clairvoyant report
2007年(平成19年)5月25日、名古屋家庭裁判所に申立がなされていた、ある母子の失踪宣告審判が確定した。 バブル景気と精神世界の探求、グローバル化と東西冷戦の終結など激変と混沌の1989年の夏に発生した名古屋母子・同居人失踪事件について解説・考察していこう。名古屋母子・同居人失踪事件 概要失踪した母子のうち母親であるS乃さん(失踪当時30歳)と、その息子であるDくん(当時3歳)は、失踪の四年ほど前の1985年に、S乃さんと国際結婚をしたオランダ人の夫(Dくんの父親)であるR氏と家族三人で暮らしていたが、S乃さんはその後約...
名古屋母子・同居人失踪事件 - clairvoyant report
1999(平成11)年8月13日(金曜日)17時50分頃、JR横浜線「成瀬」駅から北東方向へ直線距離で約100メートルの場所に所在した某レンタルビデオ店から一人の女性が出た。彼女はT美術大学で絵画を学ぶ18歳の井出真代さんだった。某レンタルビデオ店の従業員の記憶によれば、店を出た彼女は自宅とは逆方向のJR横浜線「成瀬」駅方面に向かったのではないかといわれている。発生から20年以上を経て未だに未解決の井出真代さん失踪事件(町田市美大生失踪事件)について考察していこう。※本記事の内容は全て個人的な考察と推察です。事件経緯...
井出真代さん失踪事件(町田市美大生失踪事件) - clairvoyant report
一人の男性が消えた。彼は働きながら正看護師を目指す23歳の准看護師だった。失踪の前、彼は携帯電話で誰かと話をしていたとも言われ、彼の失踪後、自宅に町役場の職員を名乗る者からの電話があったという。栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)は、北朝鮮の工作員による拉致事件の可能性も否定できないといわれる謎の多い失踪・行方不明事案(事件)である。栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)概要2002(平成14)年4月30日(火)19時頃以降、栃木県下都賀郡K町(当時・現在は合併により栃木県下野市)在...
栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件) - clairvoyant report
1984年9月30日、大阪のホテルでの滞在記録(クレジットカード利用明細による推定)を最後に、ある老夫婦が消息を絶った。著名な経済学者・著述家の岡崎次郎氏(当時80歳・以降岡崎氏)とその妻Kさん(当時86歳)である。岡崎次郎夫妻失踪事件 概要岡崎氏は、社会主義思想の巨人カール・マルクスの著作『資本論』の翻訳で知られた経済学者・著述家であり、生年は1904年。旧制一高・東京帝国大学というエリートコースを経たものの、卒業後は定職に就かず断続的に翻訳・著述業に携わっていた。1933年から東亜経済調査局に勤務するが、在職中、...
岡崎次郎夫妻失踪事件 - clairvoyant report
「魔」は突然に訪れる。約40秒の「魔」が一人のあどけない子と家族に訪れた。「平成」という新たな時代の初めに発生した未解決行方不明事案(事件)「徳島県貞光町4歳男児失踪事件(松岡伸矢くん行方不明事件)」について解説、考察していこう。概要1989年(平成元年)3月6日、茨城県U市在住の会社員Mさんと妻のK子さん、その子供たち(当時4歳の伸矢くん、伸矢くんの姉と弟)の家族五人は、徳島県小松島市を訪れていた。K子さんの実母が再婚先である小松島市で急死し、その葬儀に参列する為であった。そこがK子さんの実家であれば、...
徳島県貞光町4歳男児失踪事件(松岡伸矢くん行方不明事件) - clairvoyant report
突然、一人の男性が消えた。父親は探し続けた。時は流れたが男性は未だに発見されていない。男性が消えた理由もわからない――。概要2003年10月6日(月曜日)の朝、大阪府の職員(行政職・デザイン技師)である高見到(たかみ いたる)さん(当時43歳・以下到さん)は、職場である大阪府産業デザインセンターに出勤しなかった。 事前の休暇申請や当日の連絡はなく、無断欠勤であった。失踪の経緯その日の午後には、職場の上司(当時60歳)が、到さんが一人で暮らしをしている自宅マンションのある兵庫県尼崎市の交番を訪れ、到さんの自室に入り、...
大阪府職員失踪事件(高見到さん行方不明事件) - clairvoyant report
2011年9月12日(月曜日)、人口2万8千人程の大分県日出町で、35歳の主婦・光永マチ子さん(以降マチ子さん)が忽然と姿を消した。その日、マチ子さんは朝から体調を崩していたといい、そのために10歳の長男と7歳の長女の朝の支度をさせるのが遅れ、小学校まで車で二人を送って行くことになったという。小学校までは、車で10分程度の距離であった。大分県日出町主婦失踪事件 概要その道のりは、子供の足では一時間近くかかってもおかしくない距離のため、送り迎えは毎日の日課であった事も考えられる。マチ子さんの自宅は田畑や雑木林に囲...
大分県日出町主婦失踪事件 - clairvoyant report
日常のなか、人が突然蒸発する。蒸発した理由は誰にもわからない。残された者は失踪者を探し、理由を求め、浮かんでは消える可能性に希望をみつける。事件概要2013年3月7日(木曜日)20時20分頃、東京都大田区在住の会社員、遠田高大さん(えんた・こうだい さん、以降 高大さん・当時21歳)はJR盛岡駅を訪れた。岩手県の県庁所在地・盛岡市にあるこの駅には秋田・東北新幹線が乗り入れており、列車を選べば東京まで2時間20分程度で移動が可能であった。業務内容次第では、日帰りでの出張も可能である。高大さんも日帰り出張であっ...
東京都大田区会社員失踪事件(遠田高大さん行方不明事件) - clairvoyant report

Tokume-Writer

兼業webライターです。ミニレッキス&ビセイインコと暮らすフルタイム事務員。得意分野は未解決事件、歴史、オカルト等。クラウドワークスID 4559565 DMでもご依頼可能です。文学・歴史・犯罪心理・メンタルヘルス・オカルトなど。