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佐世保中学生失踪事件

佐世保中学生失踪 事件概要

1969年2月23日(日)14時頃、長崎県佐世保市に住む中学2年生H・Sさん(当時14歳男性・以下Hさん)は、自宅の縁側で取り組んでいた工作の手を止めると、「玉屋デパートまで工作の材料を買いに行く」と家族に言い残し、制服と制帽といういでたちで家を出た。玉屋デパートは佐世保市栄町にあり、S家からは歩いて20分程の距離がある。その際工作の道具は縁側に広げられたままであった。

発生年月日1969(昭和44)年2月23日(日)14時頃
発生場所長崎県佐世保市
事件内容行方不明/失踪事件
失踪人(行方不明者)当時佐世保市在住の14歳中学生
失踪宣告1992(平成4)年7月初旬
佐世保中学生失踪事件 概要

同じ日の18時台、S家近所の商店には、S家の場所を尋ねる者の訪問が二度あった。

一度目は3人組。二度目は制帽を手にした小柄な青年だった。青年のほうはその後18時30分頃、実際にS家を訪れている。青年はYと名乗り、応対したHさんの母親S子さんに制帽を見せた。

それは確かにHさんの持ち物だった。そしてYさんは告げた。

遡ること3時間前の同日15時30分頃。長崎地裁佐世保支部付近の道路で、溝に嵌まった90ccバイクを二人で引き上げようとしている少年たち(中学生と18歳位の二人組)に遭遇した。

(前略)中学生ら3人組に、現金46万5千円を内ポケットに入れたジャンパーを盗まれた(後略)

長崎新聞 1969(昭和44)年2月25日付

手伝いを頼まれたので、内ポケットに先述の現金が入ったジャンパーを脱ぎ、バイクを持ち上げている隙に二人組はジャンパーを奪って逃走した。自分は中学生が尻のポケットに挟んでいた制帽を掴み取ったものの、結局は逃げられた。バイクのある場所に戻ると、ハタチくらいの男がそのバイクに乗って走り去るところだった。制帽の名札からS家を特定して訪ねてきたのだ。と更にYさんは語った。

悪い友達にさそわれて、人のお金をとりました

家族は驚き、Hさんの通う中学校の教員たちに相談、共に心当たりを捜したが、Hさんを見つけることは出来ず、その日の22時頃にYさんと共に佐世保署に通報、家出人捜索願いも同時に提出した。

翌日24日から、警察は捜査員50人を動員して付近の住人や知人への聞き込み、警察犬を導入しての山狩り、周辺地域の旅館宿泊者確認等の捜査を開始したが、失踪当日の14時30分頃、名切バス停(S家最寄りと思われる現名切町バス停か)と、松浦バス停(S家から徒歩20〜30分程度の距離にある松浦町内のバス停のいずれかであろうか)で、バスを待っているHさんを見たという同級生の目撃証言、同じく同級生二人からの「失踪前日の22日、Hさんが家出したいと話していた」という証言以外の手がかりは得られなかった。

また、Hさんらに現金を奪われたというYさんの証言に辻褄の合わない所があるとして、事情聴取をしている。

同日14時頃。S家の郵便受けに、Hさんの父親宛ての一通の手紙が届けられた。それは消印から、前日の18時頃までには佐世保郵便局管内のポストに投函された事が判明しており、筆跡もHさんのものであることを家族が証言している(朝日新聞によると、警察の鑑定でも裏づけられたという)。

前略 心配かけてすみません 悪い友達にさそわれて 人のお金をとりました 中には四十万以上も入っていましたが、僕は少ししかもらっていません 学校の方は僕の気持ちがおさまるまで 病欠にしていてください すぐに帰っておわびいたします どうか探さないでください H(名前・かな書き・書き損じあり)

出典:朝日新聞夕刊のコラム「人間蒸発>5<」朝日新聞1973年11月6日付

26日午後から、捜査は公開捜査となり、Hさんの失踪はTVや新聞で周知された。母親S子さんは「Hが悪事を働いたなどとは信じられないが、もし悪い事をしていたとしても帰ってきて欲しい。皆心配している。せめて連絡だけでも欲しい」と地方紙(長崎新聞)上でHさんへ呼びかけている。

警察は、その後も家出、監禁の両面から捜査を続けたものの、新たな手がかりの発見はおろか目撃情報の1件さえ寄せられる事はなかった。

S家は1年後、他県へ転居していった。Hさんはその土地を知らないという。 時は流れ、1992年7月、母親S子さんが申立人となり、Hさんの失踪宣告審判が確定している。

佐世保中学生失踪事件 手がかりとその検討

Hさん

Hさんは近隣の公立中学校に通うS家の三男(朝日新聞によると4人きょうだいの次男)で、失踪当時には少なくとも両親、きょうだい2人、縁戚と思われる女性(兄嫁ともされるが不明)の5人と同居していた。家族との関係について直接の情報は無いが、父親も数日仕事を休んでHさんの捜索に加わり、母親は家で連日、炬燵や室内の明かりを付けっ放しでHさんの帰りを待っていると語る等、あからさまな冷淡さは感じられない。

とはいえ、一家が失踪後1年で他県へ転居してしまった事に対して、何らかの事情を見出そうとする者は多い。恐らく当時S家には固定電話が設置されておらず、郵便物が届かなくなれば簡便な連絡手段はほぼない。

父親Sさんの職業は海上保安官で当時52歳、母親S子さんは45歳。母親は長崎新聞の取材に応えて、(Hさんを)善悪の見極めがつくよう育ててきた事。父親が取締り関係の仕事をしており、家から悪い人を出してはならないと言い聞かせてきたので、現金強奪のような悪事を働くとは信じられない事。工作の道具を広げたまま外出したのだから、家出にしろ犯罪にしろ、計画的なものとは考えられないという事を語っている。しかし、後に、工作の材料は全て学校から支給されており、自前で購入する必要はなかったことが判明している。

学校では学級委員(朝日新聞では風紀委員とも)をつとめるほどの真面目な生徒で、成績も悪くはなかった。補導歴や外泊もなく、教師や級友からの信頼も厚かったという。ただし、<概要>で述べた通り、具体的な理由は不明ながら「家出したい」と語っていたとの証言がある。  少ない情報の中からでも、Hさんが真面目な性格であることは、日曜日に外出する際に当然のように制服制帽を着用している事から察せられる。たとえ校則でそのように決められていたとしても、唯々諾々と従う者ばかりではなかっただろう。

Hさんからの手紙

失踪翌日にS家に届いた手紙については、不審な点がいくつも指摘されている。

「前略」は中学生が手紙で使うような語彙ではなく、Hさんが手紙で使うのも見た事がないこと。それでいて署名はひらがなで書かれており、しかも書き損じがある事(Hさんは普段、手紙の署名には漢字の名前を用いていたという)。

文字が便箋の罫線を外れて歪んでいること(新聞記者たちは、脅され、無理矢理書かされたのではないかという印象を持ったようだ)。

仮に現金強奪事件を起こした後に書いたとして、封緘してポストへ投函するまで多めに見積もっても三時間程度しか無いにも関わらず、誤字脱字や支離滅裂な部分もほぼなく整っていること。

筆者の印象としては、伝えるべき事を過不足なくまとめており、あらかじめ練っておいた文面を見ながら一気に書き上げたかのように、筆圧も文字の大きさも一定に見える。

「前略」はいくらか背伸びしたのかもしれないが、結語は失念しており、単語の選び方も全体的に年齢相応で、大人の助言があるようには見えない。また、書き手の緊張は少なからず感じるものの、怯えとまで言えるかどうか。

便箋の罫線から逸脱している点については、Hさんの書いた他の手紙と比べてみないとなんとも言えない所である。

便箋の罫線が薄い場合はガイドラインとしてのみ使い、文字の大きさと配置のバランスを優先する書き手はそれなりに居るように思う。 署名のひらがな表記と書き損じについては、確かに訝しいところがある。普段から名前を漢字表記していれば、ひらがなで署名しようという発想にはなりにくいし、疲れて集中力が切れたのだとしても、Hさんの名前の漢字は決して画数の多いものではなく、ひらがなでの記入は手間が多いくらいである。封入時に署名もれに気づいた、Hさんの名前の漢字表記を知らない何者かが、上手く筆跡を真似て記入した可能性はある。

Yさん

Yさんは当時24歳、Tデパート付近のクリーニング店で住み込み店員として働く既婚者で、現金強奪事件の4ヶ月程前に2年間の少年院暮らしを終えたばかりという。

HさんやS家との面識はないが、実家も近隣にあるようで佐世保署の捜査に協力している。

しかし、数年後に奈良県で朝日新聞の取材を受けたYさんは関西弁を話しており、生まれも育ちも佐世保かどうかは不明である。

現金強奪事件

現在では、Hさんらに現金を奪われたというYさんの訴えは信用できないものとみなされている。

Hさんの失踪当初こそ、翌日に届いた手紙の内容との符合もあり、Yさんの証言に沿った捜査が行われたが、日曜日の官公庁街とはいえ決して人通りの少ない通りではないにもかかわらず、事件の他の目撃者が現れなかった事。バイクが溝に嵌った痕跡もなく、Hさん以外の犯人も、服装以外は不明でありバイクのナンバーも覚えていない事。奪われたジャンパーを、Yさんの家族も見た覚えがないと証言しているともなれば仕方ない事だろう。

さらに現金の出所の不審さがあった。少年院出所後4ヶ月でそれだけの貯金をするのは困難と考えられた。厚生労働省による統計では、1969年の大卒初任給は3万4千百円。同時期の長崎新聞掲載の求人情報では月給2万円台も珍しくない。

現金は少年院入所前からのもので実家の床下に埋めていた。(家族はそんな金は知らないと証言しているが)その日は金を銀行に預けるつもりだったとYさんは語ったが、当日は日曜日であり、当時としても金融機関の休業日である。Yさんは銀行が開いてない事に途中で気づいて、帰る途中で事件に遭ったのだと答えている。

朝日新聞の記事

この失踪事件の知名度を全国規模に押し上げたのは、1973年11月6日の朝日新聞夕刊のコラム「人間蒸発>5<」に依るところが大きい。

事件当時にリアルタイムで報道した長崎新聞の記事とは情報に細かな差異があるが、これが取材による訂正情報なのか、5年近い時間経過によるものかは不明である。

尤も、夕刊のコラム記事に、報道としての正確さを過大に期待してはならないのかも知れない。

この記事で注目すべきはYさんについての追加情報、特にインタビューであろう。

Yさんは事件後間もなく佐世保市を去り、トラック運転手として働き二児の父となっていた事。任意でポリグラフ(いわゆるウソ発見器)にかけられる等の厳しい取調べを受けたが、関与の決め手が出なかった事。奪われた多額の現金の出所についての質問には、言えないような金ではなく、(恐らく、警察にも明らかに出来なかった事実を、新聞記者があっさり突き止めてしまうのは)警察のメンツが立たないので教えるのが憚られる事。何故ジャンパーに現金が入れられている事を少年たちが気づいたのかという質問には、不思議やな、外からは見えないのに、とYさんはあくまで現金強奪事件の単なる被害者としてのスタンスを崩さず答えている。

最後に記者は、Hさんの身長がどの位だったかと問うており、Yさんは「自分と同じか、少し大きいくらい」と答えている。Yさんは小柄と言われてはいるが、トラック運転手は荷物の扱いも必要となる事から、160cm程度はあるものと考えて良いだろう。

一方失踪当時のHさんの身長は長崎新聞の記事では163cm、朝日新聞では168cmとしている。この質問で恐らく記者は、Yさんは実際にはHさんに会っていないのではないかと(即ち現金強奪事件も無かったのでは?)暗示しているが、短時間同じ空間にいただけの初対面の(少なくともその設定の)相手と、自分との身長差を正確に答えられる方が不自然であり、少し大きいくらいという認識の方が普通であるように思う。そもそも163cmという公開捜査当時の情報より、朝日新聞の記事で初めて現れた168cmという情報は少々信用性が低い。

時代背景

1969年の教育現場は荒れている。最高学府・東京大学が全国規模の大学闘争の一環で封鎖され、連日新聞の紙面を飾っていた。

また、高校生以下の若年層では、戦後の混乱による貧困要因による少年犯罪が経済成長によって沈静化したのも束の間、遊ぶ金欲しさのひったくり等、享楽的な非行が増加傾向にあった。

特に春先は、環境の変化も手伝って、中学・高校生の家出が例年急増するという。1969年3月13日長崎新聞(佐世保版)では、その原因を分析して、世間で若い労働者(いわゆる「金の卵」)の人手不足が発生しており、多少年齢や身元が怪しくても、住み込み仕事にありつけてしまうのも要因の一つであるとしている。

1969年の学校基本調査によると、中卒者の就職率は18.7%。年々減少の一途を辿っているにも関わらず、中卒者への求人数は増加傾向であり、この年は最大で求人倍率20%という売り手市場となりミスマッチが発生している。「買い手」にとっては人がいなくては生産ラインが動かないという死活問題であり、家族へ、学校へカネを積むといった「ブラック」な求人作戦も行われていたという。

佐世保中学生失踪事件 真相考察

Hさんは、これから自分が目指すと期待されている高等教育機関に嫌気が差していた。合格できるのか、良い学校に入れるのかという不安も当然あったが、何より、高校生や上級生、同年代の堕落した非行少年少女たち、最高学府に身を置きながら、勉学もせず思想闘争にうつつを抜かす大学生たち。あんな連中と一緒になりたくない、自分は一刻も早く自立した大人になりたい。すぐにでも働いて、自分の食い扶持は自分で稼ぎたい。

そんな、ある意味「真面目すぎる」少年に近づく悪い大人たちがいた。彼らと出会わなければ、遠からずHさんも事を荒立てずに、理想と現実の落とし所を見つけたかも知れない。しかし彼らはHさんに囁いた。自分は良い働き口を紹介できる。君のように真面目で、しかも独立心に富んだ若い労働者を、世の中は求めているのだと。

1969年2月23日、その日は「面接」の日と決められていた。二度と帰れないとは知らず、帰ったら工作の続きをするつもりで、バスで指定の場所に向かうと、既に「仕事」の紹介者であるYさんがいた。Yさんとは街で遊んでいる際に偶然知り合った。実家を出て住み込みで働いていると聞き、自分も家を出て働きたいと言うと、良い所を知っていると言う。

実は、Yさんは少年院でいわゆる「手配師」とのコネを得ていた。家出少年を本州の工場に紹介すればカネになると「手配師」は言っていた。誰か良い子がいないかとも。だから自分も一枚噛んでみようと思った。しかし「手配師」から貰える報酬など小遣い程度だと知っていたYさんは一計を案じた。逃亡の抑止にもなり、あわよくば少年の家族から口止め料を取れるかも知れない一石二鳥の作戦である。

唐突に、YさんはHさんに仕事の紹介料を要求した。50万円は中学生の小遣いで支払える額ではない。そう言うとHさんの家族から貰うと言う。なに、50万全部取ろうなんて言ってない。ほんの少しだけだから。家族に悪いと思うならこれから一生懸命働いていくらでも返済できる。今しかない、こんな機会は二度とないと宥めすかされて判断力を失ったHさんは、ついにあの「手紙」を書いてしまった。

ほどなくして「手配師」の一味が現れ、そのうち3人はHさんの「身元調査」のために、YさんはHさんから受け取った手紙と制帽を手に、ありもしない現金強奪事件でS家から金銭をせしめる為にS家へと向かった。「手配師」らはその日のうちにHさんを車に乗せ、県外へと去った。こうしてHさんは姿を消した。

上記の内容にはかなりの創作を含めているが、失踪当日〜翌日までの展開の速さや、手紙の内容と現金強奪事件の符合が、二人で打ち合わせなければ成立しないものである以上、Hさんが自発的失踪(家出)を果たしたこと、それをYさんが手伝ったものである可能性は高いとみている。警察が疑ったような誘拐、監禁をしたわけでもなく、奪われた現金も架空のものであったのであれば、事件の目撃者や痕跡が見つからなかった事も、恐らく誘拐、殺人等凶悪犯罪を想定した質問で構成されていたであろうポリグラフ検査を突破した事、Yさんの一貫した不敵な言動も説明が可能になる。家出自体は当初から疑われていたが、非行としての家出ではなく、真面目に自活手段を考えた末の「就職」であったのであれば、この時期の売り手市場のこと、就職先が便宜を図り、迅速に就業先への移動手段を提供し、その結果、失踪翌日から県内での目撃情報が全く出なくなった事にも頷ける。 ただ、工作道具を縁側に広げたままであった点、荷造りの形跡等に言及されていない点からは、その日が決行日であることをHさんが知らされていなかった事を意味している。それも、考える時間を与えることによる心変わりや、家族に荷造りを見咎められて引き留められるリスクを減らすための手口なのかも知れない。

すぐに帰っておわびいたします

朝日新聞夕刊のコラム「人間蒸発>5<」朝日新聞1973年11月6日付

それから、既に50年以上の年月が経ってしまった。

ついに帰ってきたとしても、我々が真実を知ることはないのだろうが、それでもいつの日にか――できれば近いうちに――Hさん本人によって失踪宣告の取消しが申立てられる事を、願わずにはいられない。


★参考文献
長崎新聞 1969年2月25日付など
夕刊のコラム「人間蒸発>5<」朝日新聞1973年11月6日


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江東区小5女児誘拐殺人事件 - clairvoyant report
貨幣・紙幣は国家の信用の上に成り立っている。特に国家による信用の裏付けのない紙幣は、単なる文字と絵が描かれた紙切れに過ぎない。1961(昭和36)年に最初の一枚が見つかった贋造紙幣「チ-37号」は、その精巧な造りから「贋造紙幣の最高傑作」、「最後の職人技」などと呼ばれ、1963(昭和38)年11月14日まで事件は続いた。国会でも取り上げられた「チ-37号事件」は、社会に大きな影響を与えた戦後の事件の一つでもある。警察は犯人検挙に向け異例の大規模捜査を行い、政府は新たな千円紙幣(伊藤博文像の紙幣)を発行し対応するが―...
チ-37号事件 - clairvoyant report
広島市佐伯区植物公園職員失踪事件 概要2014年6月7日(土曜日)朝9時頃。広島市佐伯区の植物公園職員、藤野千尋さん(当時25歳・以降千尋さん)は、家族三人(母、弟)で暮らす自宅を出て、いつも通り佐伯区五日市駅南口からバスに乗り、職場である広島市植物公園へと出勤していった。千尋さんは運転免許証を持っていなかった。臨時職員として4月に採用されてから約二ヶ月が経過し、担当の植物(ベゴニア)も決まり充実した生活ぶりであった。少なくとも、同居の母親H子さんの目からはそう見えていた。自然を愛する千尋さんは子供の頃から植物...
広島市佐伯区植物公園職員失踪事件(藤野千尋さん行方不明事件) - clairvoyant report
室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件)概要2001年3月6日(火曜日)――暦の上では既に春であり、関東地方ではお花見の予定を立て始める時期でもある。しかし、その日、北海道の地方都市である室蘭市は依然ほぼ終日、肌寒い氷点下の気温であり日差しも乏しかった。日陰には所々雪も残っている。それでも世間は着実に「春」に向かって時を進めており、その日は公立高校の入学試験のため休校日であった。道内有数の進学校である、道立室蘭栄高校の一年生である千田麻未さん(ちだ あさみさん・以下麻未さん・当時16歳)はその日の...
室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件) - clairvoyant report
岡山県津山市19歳会社員失踪事件 概要2019年8月26日(月曜日)、岡山県津山市の土木関連企業の社員で、保守点検業務に就いていた中山裕貴さん(なかやま ひろたかさん・以下裕貴さん・当時19歳)はその日、4月に入社したばかりの職場に姿を見せなかった。事前または当日の連絡はなく、いわゆる無断欠勤であった。裕貴さんは2019年3月に岡山県岡山市の工業高校を卒業後、新卒で入社して以降、真面目な勤務態度で知られており、前の週である8月19日から23日も特に変わった様子もなく働いていたという。上司であるY氏の言を借りれば、「新入...
岡山県津山市19歳会社員失踪事件(中山裕貴さん行方不明事件) - clairvoyant report
2007年(平成19年)5月25日、名古屋家庭裁判所に申立がなされていた、ある母子の失踪宣告審判が確定した。 バブル景気と精神世界の探求、グローバル化と東西冷戦の終結など激変と混沌の1989年の夏に発生した名古屋母子・同居人失踪事件について解説・考察していこう。名古屋母子・同居人失踪事件 概要失踪した母子のうち母親であるS乃さん(失踪当時30歳)と、その息子であるDくん(当時3歳)は、失踪の四年ほど前の1985年に、S乃さんと国際結婚をしたオランダ人の夫(Dくんの父親)であるR氏と家族三人で暮らしていたが、S乃さんはその後約...
名古屋母子・同居人失踪事件 - clairvoyant report
1999(平成11)年8月13日(金曜日)17時50分頃、JR横浜線「成瀬」駅から北東方向へ直線距離で約100メートルの場所に所在した某レンタルビデオ店から一人の女性が出た。彼女はT美術大学で絵画を学ぶ18歳の井出真代さんだった。某レンタルビデオ店の従業員の記憶によれば、店を出た彼女は自宅とは逆方向のJR横浜線「成瀬」駅方面に向かったのではないかといわれている。発生から20年以上を経て未だに未解決の井出真代さん失踪事件(町田市美大生失踪事件)について考察していこう。※本記事の内容は全て個人的な考察と推察です。事件経緯...
井出真代さん失踪事件(町田市美大生失踪事件) - clairvoyant report
一人の男性が消えた。彼は働きながら正看護師を目指す23歳の准看護師だった。失踪の前、彼は携帯電話で誰かと話をしていたとも言われ、彼の失踪後、自宅に町役場の職員を名乗る者からの電話があったという。栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)は、北朝鮮の工作員による拉致事件の可能性も否定できないといわれる謎の多い失踪・行方不明事案(事件)である。栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)概要2002(平成14)年4月30日(火)19時頃以降、栃木県下都賀郡K町(当時・現在は合併により栃木県下野市)在...
栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件) - clairvoyant report
1984年9月30日、大阪のホテルでの滞在記録(クレジットカード利用明細による推定)を最後に、ある老夫婦が消息を絶った。著名な経済学者・著述家の岡崎次郎氏(当時80歳・以降岡崎氏)とその妻Kさん(当時86歳)である。岡崎次郎夫妻失踪事件 概要岡崎氏は、社会主義思想の巨人カール・マルクスの著作『資本論』の翻訳で知られた経済学者・著述家であり、生年は1904年。旧制一高・東京帝国大学というエリートコースを経たものの、卒業後は定職に就かず断続的に翻訳・著述業に携わっていた。1933年から東亜経済調査局に勤務するが、在職中、...
岡崎次郎夫妻失踪事件 - clairvoyant report
「魔」は突然に訪れる。約40秒の「魔」が一人のあどけない子と家族に訪れた。「平成」という新たな時代の初めに発生した未解決行方不明事案(事件)「徳島県貞光町4歳男児失踪事件(松岡伸矢くん行方不明事件)」について解説、考察していこう。概要1989年(平成元年)3月6日、茨城県U市在住の会社員Mさんと妻のK子さん、その子供たち(当時4歳の伸矢くん、伸矢くんの姉と弟)の家族五人は、徳島県小松島市を訪れていた。K子さんの実母が再婚先である小松島市で急死し、その葬儀に参列する為であった。そこがK子さんの実家であれば、...
徳島県貞光町4歳男児失踪事件(松岡伸矢くん行方不明事件) - clairvoyant report
2011年9月12日(月曜日)、人口2万8千人程の大分県日出町で、35歳の主婦・光永マチ子さん(以降マチ子さん)が忽然と姿を消した。その日、マチ子さんは朝から体調を崩していたといい、そのために10歳の長男と7歳の長女の朝の支度をさせるのが遅れ、小学校まで車で二人を送って行くことになったという。小学校までは、車で10分程度の距離であった。大分県日出町主婦失踪事件 概要その道のりは、子供の足では一時間近くかかってもおかしくない距離のため、送り迎えは毎日の日課であった事も考えられる。マチ子さんの自宅は田畑や雑木林に囲...
大分県日出町主婦失踪事件 - clairvoyant report
陽が傾き始め、景色が夜と入れ替わる逢魔時(おうまがとき)――1人の女児が忽然と消えた。それは、魔物の仕業だろうか――人間の仕業だろうか――。1983年に発生した未解決事件「宮城県川崎町女児失踪事件(渋谷美樹ちゃん行方不明事件)」について考察していこう。事件概要1983年(昭和58年)11月1日(火曜日)夕方4時頃。事件は保育園からの帰り道に起きた。宮城県柴田郡川崎町で農業を営む柴田家のKさん(当時59歳)は、孫の渋谷美樹ちゃん(以降美樹ちゃん・当時2歳)を保育所まで車で迎えに行き、助手席に乗せて帰宅する途中だった。美樹ちゃ...
宮城県川崎町女児失踪事件(渋谷美樹ちゃん行方不明事件) - clairvoyant report

Tokume-Writer

兼業webライターです。ミニレッキス&ビセイインコと暮らすフルタイム事務員。得意分野は未解決事件、歴史、オカルト等。クラウドワークスID 4559565 DMでもご依頼可能です。文学・歴史・犯罪心理・メンタルヘルス・オカルトなど。