Categories: 事件

マルセル盗難事件

◆ご注意

本記事は、1968(昭和43)年12月26日19時50分から27日9時40分の間に発生したロートレックの絵画『マルセル』盗難事件の事件概要及び経緯等の解説を目的とする記事です。

1975(昭和50)年12月27日午前0時に時効が成立した同事件は、約一ヶ月後の1976(昭和51)年1月29日、盗難された『マルセル』が発見されるという特異な形で決着しました。

本記事は『マルセル』を保管していた人物(A氏夫妻)や預けた人物(C氏)などを「犯人」、「容疑者」などと断定する記事ではありません。 また犯人考察を目的とするものでもありません。

事件概要

1968年は政治の時代だった。フランスでは5月革命(5月危機)が勃発し、国内では東大紛争等の左派系学生等による事件(活動)が勢いを増す。

1968年12月――日本犯罪史に残る二つの未解決事件が発生した。

それは、1968(昭和43)年12月10日に発生した「府中三億円事件」と本記事で解説する京都国立近代美術館を舞台にした「マルセル盗難事件」である。

フランス後期印象派の画家ロートレック(1864年11月24日-1901年9月9日)の名画約200点を集めた「ロートレック展」は、1968(昭和43)年11月4日から同年12月27日までを予定とし、同年から文化庁の所属機関となった「京都国立近代美術館」(京都府京都市左京区岡崎円勝寺町26番地1)で開催(共催:アルビ美術館、読売新聞社、後援:外務省、文化庁、フランス文化省、フランス外務省、フランス大使館、読売テレビ放送)されていた。

「京都国立近代美術館」の公式発表によれば、開催期間中の入場者数は、74,748人(一日平均1,779)とある。このことからも、「ロートレック(展)」の人気の高さを窺い知ることができる。(外部リンク:京都国立近代美術館HP

1階の展示室中央付近に展示されていた『マルセル』が忽然と消えていることに関係者が気づいたのは、最終日となる1968(昭和43)年12月27日午前9時40分頃だった。

それから7年後(窃盗の公訴時効は7年)の1975(昭和50)年12月27日午前0時、同事件は犯人未検挙のまま、時効が成立し、『マルセル』の行方もわからずじまいだった。

しかし、時効成立から約一ヶ月後の1976(昭和51)年1月29日、事件は急展開する。盗難された『マルセル』が大阪府内に居住する大手音響メーカー会社員(50歳代)T氏夫妻宅から発見されたのだ。

T氏夫妻の説明によれば、1972(昭和47)年秋または1973(昭和48)年の春頃、以前から知り合いのC氏(28歳)から紫色の風呂敷を預かった。T氏夫婦は中身を確認せず風呂敷と中身を保管していたらしい。

50歳代のT氏夫妻からすれば、当時28歳のC氏は息子のような存在だったのだろう。C氏からの預かり物を不審に思うことなど考えもしなかったのだろう。

だが、たまたま、T氏の妻が風呂敷の中を見たら時に美しい絵画に気づき、『マルセル』の絵ではないかと心配になったらしい。T氏の妻は旧知(T氏妻の兄の同級生)の朝日新聞東京本社経済部長に相談する。『マルセル』発見の端緒が開かれた。

T氏夫妻とC氏は、1964(昭和29)年頃ころから家族ぐるみの付き合いだという(T氏夫妻と知り合った当時のC氏は高校生だった)。

C氏は関西有名大学を卒業後、住宅関係の会社に就職し、退職後は大阪府内の公立中学校社会科の教師の職に就いていた。またC氏は大学在学中から民族派の政治活動を行っていた。

60年代、70年代は政治の季節だった。若者等は左右両陣営の側に立ち、「国」、「社会」、「政治」、「歴史」、「国際情勢」、「人々の生活」、「自分の生活」をより良くするために行動した時代だった。C氏は、その後も教師と政治活動を続けながら教育関係の本の執筆やTV朝日系列の有名討論番組に出演している。

また、C氏は1987(昭和62)年から続いた未解決事件「赤報隊事件」の捜査対象者(参考:樋田毅『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』P91-P103,岩波文庫,2018.)だったが、警察(事件担当の兵庫県警)は「シロ」と判断したらしい。

C氏によれば、1972(47)年秋頃、『マルセル』が入っているとは知らずに京都在住の知人から預かり物をしたらしい。前述の通り民族派の政治活動をするC氏は、知人から「ちょっと、警察の捜索対象になるものだ」と言われたが、「ビラかなにかを入れた箱だと思っていた」(引用:「マルセル盗んだのだれ?」読売新聞1976年1月31日付)と当時の心境等を語っている。

C氏は預かり物(箱の中身)の詳細を意図的に確認しなかったのだろう。確認しないことが知人や自分を守ることになる。信用する人物からの何かを預かる。預ける側も信用しているからこそ預ける。それは、古き良き時代の価値観の一つかもしれない。日頃の政治活動により警察の捜査対象となる可能性の高いC氏等の左右両陣営の当事者達の当然の振る舞いだったのかもしれない。

盗まれた『マルセル』は、『マルセル』だと知らない数名の人物を介してC氏に渡り、C氏からT氏夫妻に渡ったのかもしれない。

C氏は『マルセル』を自分に預けた者の名前等を明かせば多くの者に迷惑がかかり、自殺者がでる可能性も考慮したとの理由により、その後も預けた者の名前や事件の真相に繋がる情報を語っていない。

本記事も冒頭に記した通り真犯人や事件の真相を考察しない。

本事件は公訴時効が成立した事件だ。

事件から50年以上の時が流れた現在でも、「多くの者に迷惑がかかり、自殺者がでる可能性も考慮した」と語ったC氏の言葉を受け入れる必要性を考えるが――さらに時が流れ――いつの日か、真相が「発見」される日を心待ちにしている。

知りたい理由は好奇心だが――。

ロートレックの『マルセル』

1894年にロートレックが描いた『マルセル』は、横46.5㎝、縦29.5㎝(8号)の厚紙に油彩で描かれている。

特徴的な少し上を向いた鼻の女性はダンボワーズ街の娼婦だといわれる。時間と国境を越え人々を魅了する横顔だ。

最高の芸術家が描いた美しい『マルセル』には、当時の金額で3500万円の保険金が掛けられていたが、時価総額は1億円とも2億円ともいわれている。

『マルセル』が忽然と消えた後、日本国内の某保険会社から3500万円の保険金が「アルビ美術館」に支払われた。このことから発見後の『マルセル』の所有権は某保険会社に異動したと考えらえる。

勿論、「アルビル美術館」は受取保険金3500万円と金利を保険会社に戻し、『マルセル』は、主催(共催)の読売新聞社に戻り、さらに美術館に戻った。

世界は再びロートレックの「魂」と『マルセル』の魅力的な横顔を見ることができるようになった。

事件経緯

『マルセル』が盗まれた日時には諸説あるようだが、1968年12月26日の閉館後19時50分から27日開館前の9時40分頃までの間に何者かにより盗まれた説が有力のようだ。

ただし、逆説的に言えば、最後まで盗まれた時間や侵入経路の特定には至らなかったともいえる。

当時の報道によれば、27日の朝7時30分頃までは普段通りに展示されていた『マルセル』が確認されていたとの話も散見されるが、1975(昭和50年)年7月5日に公開された容疑者のモンタージュ写真は、12月26日23時53分頃、「京都国立近代美術館」南側三条通りから不審な人物を乗せたタクシー運転手の目撃情報・証言により作成されている。

警察は公訴時効前の年(1975年)まで、『マルセル』は1968(昭和43)年12月26日の夜間に盗まれた可能性が高いと考えていたのだろう。

タクシーに乗車した不審な人物の特徴は、年齢30-35歳。身長160㎝程度。小太り。丸顔。頭髪は5分刈り。グレー(ねずみ)色の開襟シャツと色不明のカーディガンを着用していたという。師走も近い12月の夜中の服装にしてはあまりにも軽装だといえる。

マルセル盗難事件犯人のモンタージュ写真:出典:読売新聞1975年7月5日付夕刊

同男性(以下、X)は上着を所持していたのだろうか。気になる点である。

Xは、前述の通り「京都国立近代美術館」南側約400メートル離れた三条通りからタクシーに乗車し、同所から北方向へ直線距離で約1.5キロメートル離れた京都市左京区白川小倉町「京都大学農学部グランド」の東側で降車したらしい。

マルセル盗難事件:容疑者のタクシー乗車場所(国立京都近代美術館)と降車場所(京大農学部グランド付近)出典:Googlemap

以下はマルセル盗難事件の経緯概略である。

1968(昭和43)年12月28日、「ロートレック展」の共催(主催)「読売新聞社」が『マルセル』の発見者、協力情報に1000万円の賞金贈呈を告知する。

同年12月29日、「京都国立近代美術館」の館長が辞意を表明する。

マルセル盗難事件協力者に1千万円贈呈:出典:読売新聞1968年12月29日付
マルセル盗難事件:×印の場所は「マルセル」が展示されていた場所・京都国立近代美術館:出典:朝日新聞1976年1月30日付

翌日30日の13時18分頃、「京都国立近代美術館」から150m~300m離れた京都市左京区岡崎円勝寺町の某食品製造会社京都工場倉庫前の通路(「空地」と表現する報道もある)で、同社従業員(機械副主任)の44歳男性が盗まれた『マルセル』の額縁らしき白っぽい額縁を発見する。

同額縁は鑑定の結果、『マルセル』の額縁と断定される。発見場所付近には、犯人(Xまたは別の人物の可能性もある)のものと思しき「ズック靴」の足跡が残っていたと報道されている。

1969(昭和44)年1月4日午前9時頃、同美術館の警備員I氏(44歳)が自宅で自殺したことが明らかになった。亡くなった警備員(守衛)は、事件当日(26日から27日)の当直担当者だった。

京都府警は27日から30日にかけ、I氏に対して計3回の事情聴取を行っていた。京都府警は、犯人が同美術館地下通路から侵入したと考えていたらしく、事件当時の地下通路の施錠の有無等に関して1月6日にI氏への再聴取を予定していたともいわれる。

1969(昭和44)年12月25日、捜査本部が解散する。「京都国立近代美術館」には、合計4回の家宅捜索が入ったとの報道が散見されるため、捜査本部は犯人の侵入経路の特定等に至らなかったと推測できる。

1972(昭和52)年7月10日、警察庁は、『マルセル』の海外流失を考慮し、ICPO(国際刑事警察機構)に国際手配を要請する。

1974(昭和49)年6月27日、公訴時効を翌年に控え、警察は捜査本部を復活させる。

1975(昭和50年)年7月5日、容疑者のモンタージュ写真が公開される。

同年12月27日午前0時、公訴時効が成立する。

事件捜査に関わった捜査員は延べ13400人。

捜査対象者(参考人含)の人数は、約4700人。

そのうちの5人が容疑者として残ったらしいが、5人とも「シロ」と判断され、捜査の幕が下りた。

1976(昭和51年)1月29日、大阪府内在住のT氏夫妻宅から『マルセル』と思しき絵画が発見され、鑑定により『マルセル』と断定される。 その後、警察は、任意調査(捜査ではない)により、T氏夫妻及びC氏に協力を求めるが真相解明には至らなかった。またC氏はメディアの記者会見に応じるが、事件の真相解明に繋がる情報は語られなかった。

マルセル盗難事件の被害者

前述の通り、マルセル盗難事件の事件発生時の宿直担当の守衛(警備員)は自殺している。

遺書等は残されていないため、自殺に至る心の葛藤はわからないが、自殺したI氏は、マルセル盗難の責任を強く感じていたと報道されている。

また、再三にわたる警察からの聴取(参考人聴取なのか被疑者聴取なのかは不明)と1969(昭和44)年1月6日の再度の聴取予定もI氏の心を追い詰めたのかもしれない。

1968(昭和43)年12月10日に発生した「府中三億円事件」でも、一時、容疑者と報道された男性が後に自殺しているようだ。

自殺したI氏は、マルセル盗難事件の被害者の一人だといえる。

また、1968(昭和43)12月29日に辞意を表明した「京都国立近代美術館」の当時の館長も被害者の一人だともいえるだろう。

では、被害者はこの二人だけだったのか。

世界中の人々を魅了する絵画を盗み出し死蔵する犯罪は、世界中の人々を被害者にする。

当時の文化庁長官・今日出海氏(在任期間:昭和43年6月15日-昭和47年7月1日)は、次のように語っている。

(前略)キミはこのマルセルを普通の窃盗犯と同じように盗みだしたのではないということだ。おそらくキミはこの絵に、異常な愛情と執着を持ったのに違いない。何度もこの絵の前にたたずみ、ながめ入り、そうして自分のそばに置きたくなったのだろう。だから、私はキミを犯人と呼びたくない。キミはおそらく犯罪者ではない。ロートレックの非常な愛好者であることにかけては、私とそっくり同じだろう。キミの気持ちもよくわかる。だからこそ、私の話を聞いてくれ。そうして、考え直してくれ。(中略)キミにわかってもらいたい。すぐれた芸術品は、世界中の人々全部の財産なのだ。それはみんなの目を楽しませるために、苦しみのなかから生み出されたものなのだ。(後略)

「名画マルセルを返して!今文化庁長官犯人に訴える世界の愛好者のため君は悪人ではないはずだ」読売新聞1968年12月29日付

今日出海氏の言葉は非常に重い――。

雑感

過去から現在まで、人類の宝ともいえる世界的な名画等が盗まれる事件は後を絶たない。

盗む側の動機には金銭、政治的な思惑、自分だけのコレクションにしたい、などがあるだろう。

さらに、主義主張の表明や政治的目的のために名画等の作品展示を妨害する者もいる。また、特定の思想信条、道徳価値からの規制を設け、優れた芸術を隠す試みの議論もある。

優れた創作物から受けるイメージは、人それぞれだ。イメージは受け手の心を豊かにもする。

多くの人が作者の魂や創作物を感じることが容易な世界を望む。

『マルセル』の魅力的な横顔は、永遠の宝だ。


◆参考文献
「海外への搬出を警戒マルセル盗難で警察庁」読売新聞1968年12月28日付(夕刊)
「名画マルセルを返して!今文化庁長官犯人に訴える世界の愛好者のため君は悪人ではないはずだ」読売新聞1968年12月29日付
「額ぶちだけ発見」読売新聞1968年12月31日付
「マルセル泥こんな男」読売新聞1975年7月5日付
「マルセル盗んだのだれ?」読売新聞1976年1月31日付
「マルセルのナゾ永遠に?私は貝になる!傷つく人が多すぎると」読売新聞1976年2月5日付
「―気流―マルセル盗難事件理解できない教師の態度」読売新聞1976年2月7日付

「一千万円の懸賞金」朝日新聞1968年12月29日付
「額ぶちだけみつかる盗難のロートレックの絵」朝日新聞1968年12月31日付
「名画盗難事件美術館守衛が自殺」朝日新聞1969年1月4日付(夕刊)
「マルセル盗難の捜査本部解散」朝日新聞1969年12月25日付(夕刊)
「ICPO特別手配盗難名画マルセル」朝日新聞1972年7月11日付
「マルセル現れず盗難事件これも時効完成」朝日新聞1975年12月27日付
「盗難の名画マルセル発見時効から一ヶ月後大阪で届け出知らずに預かった専門家二氏本物と断定」朝日新聞1976年1月30日付
「どうなる法律上の責任」朝日新聞1976年1月30日付
「本物だ間違いないマルセル発見高貴な横顔も無事胸なでおろす関係者」朝日新聞1976年1月30日付
「鑑定結果に驚く夫妻押し入れに放置二年半」朝日新聞1976年1月30日付
「難解事件捜査及ばず遺留品もほとんどなく」朝日新聞1976年1月30日付
「つかめぬルートマルセル発見解明全力」朝日新聞1976年1月30日付(夕刊)
「えっ本当よかった仏関係者念押し喜びにわく」朝日新聞1976年1月30日付(夕刊)
「預けた人の名はいえぬマルセル発見気にとめなかったカギ握るCさんは語る」朝日新聞1976年1月30日付(夕刊)
「事実の解明は困難か所有者転々した疑いも」朝日新聞1976年1月30日付(夕刊)
「マルセル事件は終わったか美泥棒…潜む甘え直視したい文化的責任」朝日新聞1976年1月31日付
「入手経路語らずマルセル発見中学教諭が会見京都府警も事情を聴く」朝日新聞1976年1月31日付
「Cさんは元右翼団体員」朝日新聞1976年2月1日付
「ままならぬ真相究明マルセル事件任意【調査】に手を焼く」朝日新聞1976年2月5日付
「マルセルを返還読売新聞社に」朝日新聞1976年2月14日付(夕刊)
「定住外国人の参政権巡り討論 賛成派と反対派が一堂に」朝日新聞1994年5月16日付

「支局長からの手紙:マルセルあれこれ」毎日新聞2011年10月3日付
「テロのうごめき脈々(「時効」 朝日新聞襲撃事件3)」東京新聞2003年3月6日付

樋田毅『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』岩波文庫,2018.
井出守『迷宮入り事件の謎―ミステリーより面白い-時効直後に帰ってきた名画』雄鶏社 ,1994.
事件・犯罪編集委員会『最新版 事件・犯罪日本と世界の主要全事件総覧―国際・政治事件から刑事・民事事件』,教育社,1991.

アイキャッチ画像に使用した『マルセル』の出典:『ロートレック展カタログ1982-83』アートライフ1982.


未解決事件・昭和の事件 考察・解説シリーズ

アイキャッチ画像は、キツネ目の男と脅迫(挑戦)状に使用された和文タイプライターと「ハウス食品工業恐喝未遂事件(1984年11月14日)」の現場遺留品(犯人が使用した盗難ライトバン内に残されていた「カークリーナー」「サファリハット(モスグリーン地に灰色が混じる男性用Lサイズ)」「カジュアルバック(布製紺色・肩紐つき、ローヤル・インペリアルのロゴ入り)」が描かれた大阪府警察捜査本部のテレフォンカード。グリコ・森永事件本記事はこれまで検証、考察などしたグリコ・森永事件の「まとめ記事」である。以下は各頁の主な...
グリコ・森永事件 - clairvoyant report
警視庁管内の平成三大未解決事件の一つといわれる世田谷一家殺害事件。事件発生から2022年までに述べ29万人の捜査員を投入したといわれている。世田谷一家殺害事件は、90年代、00年代を生きた人々や社会に、オウム真理教の一連の事件や酒鬼薔薇事件などの凶悪事件と同様の強烈な印象を与え、その後の社会のあり方や人々の意識を大きく変化させと言っても過言ではないだろう。世田谷一家殺害事件 考察世田谷一家殺害事件について考察していこう。本気記事内のリンクカードは、本事件に関する各項目の考察詳細を記した記事である。各項...
世田谷一家殺害事件 - clairvoyant report
高度経済成長と学生運動の只中、大胆不敵な知能犯が日本犯罪史上に残る大事件を実行した。時間と手間を掛け、入念に計画された「その事件」は「時代」を象徴する事件となり、現在も語られ続け、小説、映画、ドラマ等の創作物となり、人々の好奇心を刺激し続けている。 「時代」の象徴と永遠の謎となった「その事件」――三億円事件の謎と犯人像について考察していこう。三億円事件 概要1968(昭和43)年12月10(火曜日)午前9時15分、旧「日本信託銀行国分寺支店」(東京都国分寺市本町2-12-6)から1台の車が発進した。発進したニッサン...
三億円事件の謎を考察 - clairvoyant report
帝銀事件の謎を考察・検証帝銀事件 事件概要帝銀事件の事件概要旧帝国銀行椎名町支店と帝銀事件の犯人が銀行関係者などに毒物を飲ませる口実に使った相田宅及びGHQジープの位置関係の略地図「『疑惑α―帝銀事件 不思議な歯医者 佐伯省(1996年),P286から引用』」事件現場旧帝国銀行椎名町支店当時の所在地東京都豊島区長崎町1-33年月日時1948年(昭和23)1月26日(月曜日)15時過ぎ頃事件概要詳細不明の青酸化合物を使用した強盗殺人など被害者数死亡者12名など被害総額現金164,410円、小切手17,450円「帝銀事件 検証 詐欺師の犯罪」...
帝銀事件 検証 詐欺師の犯罪 - clairvoyant report
本記事は「東電OL殺人事件の真犯人を考察する」目的の記事です。被害者A氏、冤罪被害者B氏及び関係者の氏名を匿名で表記します。事件や関係者の匿名化は事件や被害者を血の通わない「記号」にすることにも繋がりますが、当該事件が非常に有名な事件であるため、既に多くの先人が被害者A氏や冤罪被害者B氏の人物像などを分析、考察、紹介などしています。「人間」被害者A氏や「人間」冤罪被害者B氏の詳細は、それらの書物、記事、論文などをお読みください。なお、文末に本記事の参考、引用文献リストを記す。本記事での表記一覧被害者A...
東電OL殺人事件 真犯人を考察する - clairvoyant report
湯河原町女性放火殺人事件(2015年4月21日発生)の犯人は、茨城一家殺傷事件(2019年9月23日発生)の被疑者として逮捕、起訴された岡庭由征被告ではないか?との説が散見される。この二つの事件には、動機不明な点や刃物で被害者の顔面や頭部を攻撃する残忍な手口など共通する点がある。また、神奈川県警察のHPにある『現場方向からJR湯河原駅に現れた人物で、事件について何らかの情報を持っていると考えられる』人物の特徴や動きが岡庭由征被告に似ているとの説もある。 湯河原町女性放火殺人事件の犯人と茨城一家殺傷事件の岡庭...
湯河原町女性放火殺人事件の犯人は?茨城一家殺傷事件との関係性は?などを考察 - clairvoyant report
知略縦横を働かせ自分よりも大きな組織などを相手に大胆不敵な犯罪を実行する者がいる。「東の(府中)三億円事件、西の大阪ニセ夜間金庫事件」と並び称される同時代に発生した2つの事件は、時代を超え人々の好奇心を刺激する。事件発覚直後に「日本版『黄金の七人』」とも報じられた(参考:「偽装夜間金庫」朝日新聞 1973年2月27日付)「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人像を遺留品や時代背景などから考察していこう。なお、『黄金の七人』は、1965年に製作されたイタリア映画である。同映画は1967年から『漫画アクション』での連載が開...
大阪ニセ夜間金庫事件 - clairvoyant report
戦後の混乱期に発生(1948年1月26日)し、21世紀の現在でも検証が続けられる「帝銀事件」から約6年後、茨城県内で第二の「帝銀事件」ともいえる凶悪事件が発生した。茨城・徳宿村精米業一家殺害事件は、青酸性劇薬物を使い9人を殺害し、被害者宅に放火するという戦後史に残る凶悪事件である。本事件は、逮捕された容疑者自身も青酸性劇薬物により自殺したため、被害者が毒物を飲み(飲まされ)殺害された経緯などは未解明である。本記事は、第二の「帝銀事件」ともいえる「茨城・徳宿村精米業一家殺害事件」の概要、逮捕された容疑者像...
茨城・徳宿村精米業一家殺害事件 - clairvoyant report
江東区小5女児誘拐殺人事件とは、1969年(昭和44年)5月31日(土曜日)、17時30分頃、東京都江東区東雲1丁目内の某社社宅居住の小学校5年生E子ちゃん(10歳)が、買い物からの帰宅途中に車に乗った男に誘拐され、同年6月3日、午前11時頃、誘拐現場から南東方向へ直線距離で約1キロメートルの東京都江東区辰巳町東京湾十二号埋立地(現在の東京都江東区辰巳3丁目内付近)でE子の遺体が発見された(猥褻目的)未成年者略取、殺人、死体遺棄事件である。 一時は、本事件翌年の1970年6月3日(水曜日)に千葉県木更津市内で発生した小学校3...
江東区小5女児誘拐殺人事件 - clairvoyant report
貨幣・紙幣は国家の信用の上に成り立っている。特に国家による信用の裏付けのない紙幣は、単なる文字と絵が描かれた紙切れに過ぎない。1961(昭和36)年に最初の一枚が見つかった贋造紙幣「チ-37号」は、その精巧な造りから「贋造紙幣の最高傑作」、「最後の職人技」などと呼ばれ、1963(昭和38)年11月14日まで事件は続いた。国会でも取り上げられた「チ-37号事件」は、社会に大きな影響を与えた戦後の事件の一つでもある。警察は犯人検挙に向け異例の大規模捜査を行い、政府は新たな千円紙幣(伊藤博文像の紙幣)を発行し対応するが―...
チ-37号事件 - clairvoyant report
事件史を紐解くと不思議な未解決事件に出くわすことがある。犯人はもとより、犯人の動機さえもわからない事件。戦後の復興期に発生した「謎のニセ札事件」について考察していこう。謎のニセ札事件 概要1954(昭和29)年12月初旬、東京都中央区新富町1丁目内に所在する個人営業の印刷屋に見知らぬ男(以下、X)が現れた。同店は、現在のJR東京駅八重洲口から南西方向へ直線距離で約500メートルの場所に位置する個人営業の印刷店だと思われる。Xは、某興信所の調査部長を名乗る(名刺を残した可能性があると思われる)が、年齢や特徴に...
謎のニセ札事件 - clairvoyant report
ご注意:本記事は1984(昭和59)年4月19日13時20分頃、東京都中央区銀座で発生した3人組と思しき犯人による宝石店強盗事件(金塊強奪事件)と同年3月から翌年(1985年)まで続いたグリコ・森永事件との関連性・関係性を「金塊」に着眼し考察する記事です。2023(令和5)年5月8日18時20分頃に発生した少年4人(2023年5月29日時点の逮捕者数)による銀座宝石店強盗事件に関する記事ではありません。事件概要1984(昭和59)年4月19日(木)13時20分頃、銀座通りに面した老舗の有名宝石店「Y」の店内に2人(以下、AとBと記す)の男が入って...
銀座宝石店金塊強奪事件とグリコ・森永事件の関連性・関係性を考察:金塊は海を渡る - clairvoyant report
「昭和」最後の年となった昭和63(1988)年の12月30日は金曜日だった。昭和天皇の体調に配慮する自粛ムード漂う年末だった。本記事では、「日常」を注意深く観察し、「日常」にある一瞬の隙と「非日常」の人間心理を狙ったと思われる神戸・現金輸送車乗り逃げ事件を解説しながら、昭和最後の年に発生した未解決事件を考察していこう。事件概要昭和63(1988)年の12月30日午前9時45分頃――。山陽電鉄「月見山」駅から南東方向へ直線距離で約40メートルの場所に位置する旧「太陽神戸銀行 須磨支店(現「三井住友銀行 須磨支店」)」(以下...
神戸・現金輸送車乗り逃げ事件 - clairvoyant report
2009(平成21)年11月25日水曜日、国立大学法人・三重大学人文学部文化学科I元教授の研究室前に置かれていたパプア・ニューギニアの木製の像が盗まれた。約5年後の2015(平成27)年6月8日、事件に関する記事が新聞・ネットに掲載されると、「強い呪いがかかり非常に危険です」という刺激的な貼紙の画像と共にSNS等で拡散される。 三重大学構内で発生したパプア・ニューギニアの木製の像窃盗事件は、「黒魔術」、「魔女」、「カニバリズム」の習慣、風習、文化を持つパプア・ニューギニアの神様の「強い呪い」という言葉と共にSNS等で拡...
強い呪いがかかり非常に危険です。国内で治療することは出来ません:三重大学パプ... - clairvoyant report
昭和46(1971)年1月30日の朝、大阪府大阪市西区新町南通りの路上に駐車されていた高級外車の車内から胸等数十か所を千枚通し状の物で刺され首には絞められた跡のある不動産関連会社N商事経営の40歳男性日本名N(韓国語の読みはK)の遺体が発見された。殺人事件と判断されるNの遺体状況から事件は1月29日の午後20時頃に発生したと推認された。殺人事件を担当する大阪府警捜査一課が、殺されたNの経歴、交友関係、仕事関係の知人等を捜査対象にしたのはいうまでもないだろう。高価な外車を乗り回し、複数の交際相手との派手な生活をして...
大阪刑務所入試問題流出事件 - clairvoyant report
東京銀行の職員などがスイス連邦銀行から送られたロウ封印付きの2つのダンボール箱を開封したのは1971(昭和46)年9月16日だった。2つのダンボール箱には、東京銀行が国内のドル紙幣補充のためスイス連邦銀行から「輸入」した30万ドル(当時の為替レート:約1億円)が入っている筈だった。2つのダンボール箱の中を見た銀行の出納係は驚きの声を上げたかもしれない。30万ドル紙幣が入っている筈の箱のなかには30万ドル分のドル紙幣の代わりにフランスで発行されている新聞が入っていた。 ここからチューリッヒ空港、フランクフルト空港...
事件:消えた30万ドル チューリッヒから羽田へ - clairvoyant report
グレー/緑色系ジャンバーに黒系色ズボンを着用した男性と思われる人物(以下、犯人X)が「さくら銀行大阪北支店:現・三井住友銀行」を訪れたのは1993年4月12日(月曜日)午前11時15分頃だといわれる。身長160センチ位の小柄な男性と思われる犯人Xは英国ブランドの帽子を被り、白マスクとメガネ(サングラスとの説もある)で顔を隠し、手には茶系のセカンドバックを持っていた。Xの年齢は50代から60代位だと考えられている。。犯人Xは5枚のニセ1万円札を両替機に入れ、券と両替した。要した時間は数分だろう。騙された機械/機械を欺...
和D-53号事件:騙された機械 - clairvoyant report
戦後日本の混沌と暗闇の中に秘密資金が眠っている。秘密資金の眠る特別な場所の門を叩ける者は、資金を守る秘密組織に選ばれた者だけだ。その秘密資金は戦後復興の名の下、選ばれた者にのみ貸し与えられる。無担保、低金利、連帯保証人不要の好条件融資――これらの好条件が与えられるのは、この秘密資金を守る組織が、真に価値あると認めた企業だけだ。ただし、その代償として、総額の数パーセントの融資手数料などが必要となる。敗戦と戦後社会の裂け目から生まれたM資金詐欺について解説、考察をしていこう。序章:M資金詐欺とは何か...
考察・M資金詐欺: 人々を魅了する都市伝説と権威 - clairvoyant report

Jean-Baptiste Roquentin

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。 Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。 小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。 分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。