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江東区小5女児誘拐殺人事件

江東区小5女児誘拐殺人事件とは、1969年(昭和44年)5月31日(土曜日)、17時30分頃、東京都江東区東雲1丁目内の某社社宅居住の小学校5年生E子ちゃん(10歳)が、買い物からの帰宅途中に車に乗った男に誘拐され、同年6月3日、午前11時頃、誘拐現場から南東方向へ直線距離で約1キロメートルの東京都江東区辰巳町東京湾十二号埋立地(現在の東京都江東区辰巳3丁目内付近)でE子の遺体が発見された(猥褻目的)未成年者略取、殺人、死体遺棄事件である。

一時は、本事件翌年の1970年6月3日(水曜日)に千葉県木更津市内で発生した小学校3年生女児誘拐事件で逮捕されたE容疑者(当時、千葉県木更津市在住の溶接工29歳)の関与が疑われたが、事件は未解決のまま、1984(昭和59)年5月31日、午前0時に時効が成立した。

事件の概要

事件発生

1969年(昭和44年)5月31日(土曜日)、17時30分頃、E子ちゃんは、母親に頼まれた夕飯のおかずを買うため、自宅近所(東京都江東区東雲2丁目内)の精肉店に向かう。

同精肉店で買い物を済ませたE子ちゃんは、同店前付近路上で同じ某社社宅(2人の住む棟は別)に住む友達のH君(当時、小学校1年生)と出会い二人は自宅方面に歩き出し、2人が某社社宅裏にあるM社駐車場前を通りかかったとき、若い男(以下、容疑者)に呼び止められる。

毎日新聞1969年6月3日夕刊被害者少女が誘拐された現場(上)被害者宅、誘拐現場、遺棄現場の位置関係図
1971年4月25日撮影 出典:国土地理院

その男は、2人に「M社に最近来た者だ」「M社社長に頼まれ東雲飛行場そばの駄菓子屋へ行きたいのだが、道順がわからない。教えてくれないか」と、話しかけてきたようだ。(参考:毎日新聞 昭和44年6月3日付 夕刊)

E子ちゃんとH君は道順がわからず困っている容疑者の車に乗り、目的地の方向を差しながら丁寧に道順を教えた。容疑者は首を傾げる素振りを交えながら「どうもよくわからない」などと言い、そのうち、H君に「キャンデーでも買ってきなさい」と、10円を渡し、H君だけ車から降ろすと、E子ちゃんを乗せたままの車を発進させた。

なお、H君が降りた際に、E子ちゃんは、精肉店で買った豚肉の包みをH君に預け、母親に渡すようにお願いしている。(参考:毎日新聞 昭和44年6月3日付 夕刊)

E子ちゃんが誘拐された直後、彼女と思しき児童を乗せた車が「東雲飛行場」(1980年まで現在の東京都江東区有明2丁目付近に所在)方面に走行するのを16歳の女児と複数の小学生が目撃しているが、その後の車の足取りに関する目撃情報はないようだ。

容疑者の車から降ろされたH君は、E子ちゃんから預かった肉を持ち、彼女の自宅を訪ねるが、彼女の母親は社宅内のマーケットに買い物に出ており不在だった。

H君が預かった肉を玄関に置き、歩き出すと、買い物を済ませたE子ちゃんの母親と会うことができた。H君はE子ちゃんの母親に一連の流れを説明したようだ。

H君からの説明を受けた母親は、E子ちゃんが見知らぬ男に連れ去られたことを知り、同日18時頃、警視庁深川警察署にその旨を届け出る。

同日20時30分頃及び45分頃、E子ちゃん家が普段利用させて貰っていた隣家の電話(昭和44年頃は電話のない家庭が多かった。隣家の電話を使わせて貰うことが多かった)に無言電話が入る。同電話は容疑者からの探り目的とも考えれるが、本事件との関係性は明らかになっていない。

同日21時頃、依然としてE子ちゃんの行方はわからない。深川警察署は警視庁捜査一課(殺人、強盗、誘拐等の重大事件・凶悪犯罪を担当)及び機動捜査隊(重大事件等の初動捜査を担当)に応援を要請する。

捜査本部は、同年5月31日から6月1日にかけ、江東区内及び江戸川区内を中心に約2145軒の簡易宿泊所等への捜査を開始する。さらに、6月2日の夜間には、都内に所在する全旅館の捜査等の大規模捜査を展開するが、事件解決の糸口は掴めなかったようだ。

だが、同年6月3日、午前11時頃、東京都江東区辰巳町東京湾十二号埋立地の海上でE子ちゃんの変わり果てた姿が発見され、胃の内容物等の鑑定結果から、E子ちゃんは、連れ去れてまもなくの18時頃に暴行され首を絞められ殺害されたと推認された。

なお、E子ちゃんの当日の着衣等の一部は見つかっていない。容疑者が奪い去った可能性もある。このことから、容疑者が他の類似事件を起こすことも容易に想像できる。

報道協定

1969年(昭和44年)5月31日に発生した本事件は、警察から報道自粛の要請が日本新聞協会に入る。

人命尊重と捜査協力を第一と考えた日本新聞協会加盟の各報道社は、E子ちゃんの遺体が発見された同年6月3日の夕刊まで本事件の報道を控えていた。

錯綜する目撃情報

本事件の最重要目撃者は、E子ちゃんと一緒に容疑者の車に乗ったH君である。だが、H君は事件当時、小学校1年生の6歳だ。6歳の男児に容疑者の風貌、犯行に使われた車の詳細等の情報を求めるのは酷な話でもある。

また、本事件の他の目撃情報も他の児童からの聞き取り情報が主である。例えば、前述のE子ちゃんを乗せた容疑者の車が「東雲飛行場」方面に走行するのを目撃したの16歳の女児と6名の小学校6年生の男児であり、事件発生の直前の17時頃、E子ちゃんらが誘拐されたM社駐車場に駐車された車から容疑者に似た人物が降りるのを目撃したのは15歳の中学生男児と10歳の小学生男児だった。

H君や他の目撃児童等から証言による容疑者の特徴は、年齢26-28歳位、四角い顔、髪型は横分け、グレー色の背広または作業服(参考:毎日新聞 昭和44年6月4日付夕刊)を着用した、「若くてやさしい男」(参考:毎日新聞 昭和44年6月3日付夕刊)だといわれている。

容疑者が使用した車については、メーカー車種不明の「白色のライトバン」との目撃情報とともに、捜査本部が白色のトヨタ(ペット)・コロナ・デラックス(40年型1500CC、4ドア)と断定したとの報道もある(参考:毎日新聞 昭和44年6月4日付)。

上記の車種断定は、16歳の新聞配達少年の目撃情報が元になっている。同16歳の少年は、E子ちゃんを乗せたと思しき車が、M社駐車場から走り去るところを目撃したらしく、コロナの後部には、「赤い目玉が点滅する、ぬいぐるみのトラのマスコット・ライトが見えた」とも語っているようだ(参考:毎日新聞 昭和44年6月4日付)。

同トラのマスコット・ライト(長さ36センチ、縦19センチ、高さ14センチ)は、自動車用品店やガソリンスタンドで販売されていたが、1200円程度の手ごろな値段からか販売数が多く購入者の特定は出来なかったようだ。

さらに、1969(昭和44)年6月4日付「毎日新聞」には車に関する追加情報が掲載されており、「運転席はベンチシートだった」とのH君の証言から警察は容疑者の車をトヨタ(ペット)・コロナ・デラックス(40年型1500CC、4ドア)と推認したようだが、後述のとおり、捜査側は最後まで犯行に使われた車のメーカーや車種を特定できなかったようだ。

本事件は目撃者が未成年者、児童だということに大きな特徴がある。このことが捜査の進展を難しくした可能性が考えられる。それは、防犯カメラ、車載カメラ等の機器が普及していない時代に発生した他の未解決事件にも見られる特徴でもある。

類似事件の犯人

事件発生

E子ちゃんの遺体が発見されてから1年後の1970年(昭和45年)6月3日(水曜日)、16時50分頃、千葉県木更津市内の小学校3年生の8歳女児が、クリーム(黄)系色のマツダ・ファミリア・1000CCバンに乗った若い男性に誘拐されるという事件が発生した。

若い男は、友達5人と遊んでいた被害者女児に「百円あげるから学校への道を教えてくれ」(参考:朝日新聞 昭和45年6月4日付)などと言い、女児を車に連れ込んだ。だが、車に乗る前の女児は、機転を利かせ「道を教えてくるから車の番号を控えて知らせてネ」(参考:朝日新聞 昭和45年6月4日付)と友達に伝えた。

友達は咄嗟に持っていたテスト用紙に車の番号を書き込み、他の友達(小学校6年女児)が誘拐された女児の祖父に事の次第を伝えに行った。

孫が誘拐されたと聞いた祖父は、女児の通う小学校の担任教師らに連絡を取る。連絡を受けた教師はバイクで思い当たる場所(約5年前、他の児童が被害を受けた場所)を探し始め、女児の友達がテスト用紙に書いた車の番号と一致する車と車内いた被害者女児を発見し、被害女児は無事に保護された。

車の番号を控えた女児らの機転は、ちょうど1年前に起こった「江東区小5女児誘拐殺人事件」からの教訓だったのだろう。

逮捕されたE容疑者

同事件で逮捕されたのは、当時、千葉県木更津市在住の溶接工29歳のE容疑者である。E容疑者には、女児を誘拐した過去があった(参考:毎日新聞 昭和45年6月4日付)。

前述のとおり、E容疑者は、「約5年前、他の児童が被害を受けた場所」を知っていた。E容疑者は、犯罪に利用できそうな「死角」、「人通りの少ない場所」、「近隣に民家などが無い場所」などを知っていたのだろう。逮捕以前から同種の犯罪を繰り返していた可能性が想像でき、警察による厳しい余罪追及が行われたと推察できる。

なお、「朝日新聞 昭和45年6月4日付」には、頬骨が張った、やや眉の太い、四角い顔のE容疑者の顔写真が掲載されている。その風貌は、「普通の男性」だともいえそうだ。

江東区小5女児誘拐殺人事件との関係性

E容疑者の逮捕直後から、警察はE容疑者と江東区小5女児誘拐殺人事件の関連性を考えていたようだ。逮捕翌日の昭和45年6月4日、警視庁「江東区小5女児誘拐殺人事件 本部」の警察官が千葉県警木更津警察署に派遣されている。

以下は、江東区小5女児誘拐殺人事件と千葉県木更津市の事件の比較。

江東区小5女児誘拐殺人事件千葉県木更津市の女児誘拐事件
白色ライトバン
トヨタ・コロナ・デラックス(40年型1500CC、4ドア)
クリーム(黄)系色のマツダ・ファミリア・1000CCライトバン
タイヤタイヤ痕はブリヂストン社製ブリヂストン社製のタイヤ装着
年齢26-28歳位29歳
特徴と着衣四角い顔、髪型は横分け
グレー色の背広または作業服を着用
四角い顔
グレーの作業服を着用
手口「東雲飛行場へ行く道を教えてくれ」
「(10円玉を渡し)キャンデーでも買ってきなさい」
「百円あげるから学校への道を教えてくれ」
被害者小学校5年生の10歳女児小学校3年生の8歳女児
江東区小5女児誘拐殺人事件と千葉県木更津市の事件の比較

事件直後の報道には、E容疑者は、「江東区小5女児誘拐殺人事件の容疑者のモンタージュ写真にも似ている」、「江東区小5女児誘拐殺人事件の誘拐現場(M社駐車場)は、事件当時、建築工事が行われていたため、溶接工のE容疑者が同所に出入りしていた可能性がある」等の記事(参考:木更津の誘拐男人相手口そっくり 毎日新聞 昭和45年6月4日付)、がある。

上記の報道から、当時の警察、メディア等が、E容疑者と江東区小5女児誘拐殺人事件に強い関心を示していたことが伺える。

だが、その後、E容疑者が江東区小5女児誘拐殺人事件の容疑で逮捕等されることはなかった。

時効の壁

事件発生から2年2か月後には、有力な情報も得られず捜査本部が解散(参考:毎日新聞 昭和59年5月30日付夕刊)し、1984(昭和59)年5月31日、午前0時、江東区小5女児誘拐殺人事件の時効が成立する。

事件後、E子ちゃんの両親は江東区から千葉県内に引っ越し、さらに千葉県から生まれ故郷の福島県に引っ越したようだ。事件から数年後、両親は小さなお地蔵様を地元福島県内に建立したともいわれる。

(前略)お地蔵様を建立した時点で、もう犯人は捕まらないものとあきらめました。だから、時効といっても別に感慨はありません。犯人は、何らかの形で罪を償うはめになると信じています。(後略)

毎日新聞 昭和59年5月30日付夕刊

――犯人は、何らかの形で罪を償うはめになる――誰もが信じている。

江東区小5女児誘拐殺人事件の年表

  • 1969年(昭和44年)5月31日、17時30分頃 事件発生
  • 1969(昭和44)年6月3日、11時頃 E子ちゃんの遺体発見
  • 1970年(昭和45年)6月3日、16時50分頃、千葉県木更津市内で類似手口の誘拐事件発生
  • 1971(昭和46)年8月頃、捜査本部解散
  • 1984(昭和59)年5月31日、午前0時、時効成立

犯人像

ここからは、江東区小5女児誘拐殺人事件の犯人像を考察していこう。江東区小5女児誘拐殺人事件が発生した直後の1969(昭和44)年6月8日、東京都江東区内で2件の誘拐未遂事件が起きている。同事件のその後は不明だが、同時期、同地域に犯行を繰り返す誘拐犯がいたことになる。

江東区小5女児誘拐殺人事件の犯人は、被害者E子ちゃんの衣服類等の一部を持ち帰った可能性がある。これは、被害者、被害者の所持品の一部を収集、保管、保存し、自らの犯罪行為、被害者の様子などを思い出すための行為だとも考えられ、常習的に類似事件を起こす犯罪者の特徴の一つだともいえる。

誘拐の手口も、困ってる自分を演出し、人を助けたいと思う被害者の同情心を利用するなど、所謂、オーガナイズド型シリアルキラー(連続殺人犯人)と類似するとの推測も成り立つ。

事件当時、E子ちゃんの遺体が遺棄された「東京都江東区辰巳町東京湾十二号埋立地」は、東京サバク(砂漠)地帯と呼ばれる「砂、泥、草むらの広大な荒地」、「風が吹けばたちまち砂が移動し小山ができるし、雨が降ると沼地に変わってしまう」「東京の孤島」状態だった(引用:毎日新聞 昭和44年6月4日付)。

犯人はこの広大な荒地と東京湾の海を利用し、証拠隠滅を図ろうとしたのだろう。E子ちゃんが誘拐された地域と埋立地に土地鑑を有する者の犯行の可能性は非常に高い。

また、事件発生直後の報道では、「昭和37年初め頃、江東区内で少女4人を誘拐した前科・前歴を持つ23歳の男」、「事件現場M社東京工場の23歳の退職工員」、「昭和39年1月から4月にかけ、警視庁深川署管内で6人の少女の誘拐に関与した疑いのある30歳の出っ歯の男」などを容疑者に挙げている(引用:毎日新聞 昭和44年6月4日付)。

誘拐事件が多発した時代だ。科学捜査も充実していない。多くの容疑者が浮かんでは消えたのだろう。

本事件の犯人の特徴は、被害者の「情を利用し」、「誘拐し」、「暴行し」、「殺害し」、「遺体を発見され難い場所に遺棄し」、「被害者の衣服等の一部を持ち帰った」ことだ。つまり、それらは、犯人がオーガナイズド型のシリアルキラーの可能性を示唆している。

犯人が、「江東区小5女児誘拐殺人事件」以降も生きていた(いる)と仮定するなら、犯人は類似の犯罪(略取誘拐、殺人、死体遺棄)などを繰り返していた(いる)可能性もある。 「犯人は、何らかの形で罪を償うはめになる」ことを願うばかりだ。

まとめ

人々の善意が社会規範の基本にあった時代に人々の善意を悪用した犯罪が起きた。政治闘争、誘拐、殺人等の重大犯罪が頻発していた時代に少女が誘拐され、殺された。

街に防犯カメラの無い時代の事件目撃者は、児童だった。大量生産された車と車社会の出現は犯罪を広域化させ複雑にした。

江東区小5女児誘拐殺人事件から社会、親、教師、学校、地域は多くのことを学んだだろう。だが、児童誘拐はその後も頻発する。社会は、何度も何度も痛ましい事件からの教訓を再確認する必要がある。

それが、児童、子どもを犯罪の被害から守ることになる。


◆参考文献
毎日新聞 昭和44年6月3日付 夕刊
毎日新聞 昭和44年6月4日付
毎日新聞 昭和44年6月4日付 夕刊
朝日新聞 昭和45年6月4日付
朝日新聞 昭和45年6月4日付 夕刊
毎日新聞 昭和59年5月30日付 夕刊

◆参考映像
難航する捜査 ~恵美子ちゃん殺し~』中日映画社2021年01月26日登録


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戦後の混乱期に発生(1948年1月26日)し、21世紀の現在でも検証が続けられる「帝銀事件」から約6年後、茨城県内で第二の「帝銀事件」ともいえる凶悪事件が発生した。茨城・徳宿村精米業一家殺害事件は、青酸性劇薬物を使い9人を殺害し、被害者宅に放火するという戦後史に残る凶悪事件である。本事件は、逮捕された容疑者自身も青酸性劇薬物により自殺したため、被害者が毒物を飲み(飲まされ)殺害された経緯などは未解明である。本記事は、第二の「帝銀事件」ともいえる「茨城・徳宿村精米業一家殺害事件」の概要、逮捕された容疑者像...
茨城・徳宿村精米業一家殺害事件 - clairvoyant report
貨幣・紙幣は国家の信用の上に成り立っている。特に国家による信用の裏付けのない紙幣は、単なる文字と絵が描かれた紙切れに過ぎない。1961(昭和36)年に最初の一枚が見つかった贋造紙幣「チ-37号」は、その精巧な造りから「贋造紙幣の最高傑作」、「最後の職人技」などと呼ばれ、1963(昭和38)年11月14日まで事件は続いた。国会でも取り上げられた「チ-37号事件」は、社会に大きな影響を与えた戦後の事件の一つでもある。警察は犯人検挙に向け異例の大規模捜査を行い、政府は新たな千円紙幣(伊藤博文像の紙幣)を発行し対応するが―...
チ-37号事件 - clairvoyant report
事件史を紐解くと不思議な未解決事件に出くわすことがある。犯人はもとより、犯人の動機さえもわからない事件。戦後の復興期に発生した「謎のニセ札事件」について考察していこう。謎のニセ札事件 概要1954(昭和29)年12月初旬、東京都中央区新富町1丁目内に所在する個人営業の印刷屋に見知らぬ男(以下、X)が現れた。同店は、現在のJR東京駅八重洲口から南西方向へ直線距離で約500メートルの場所に位置する個人営業の印刷店だと思われる。Xは、某興信所の調査部長を名乗る(名刺を残した可能性があると思われる)が、年齢や特徴に...
謎のニセ札事件 - clairvoyant report
◆ご注意本記事は、1968(昭和43)年12月26日19時50分から27日9時40分の間に発生したロートレックの絵画『マルセル』盗難事件の事件概要及び経緯等の解説を目的とする記事です。1975(昭和50)年12月27日午前0時に時効が成立した同事件は、約一ヶ月後の1976(昭和51)年1月29日、盗難された『マルセル』が発見されるという特異な形で決着しました。本記事は『マルセル』を保管していた人物(A氏夫妻)や預けた人物(C氏)などを「犯人」、「容疑者」などと断定する記事ではありません。 また犯人考察を目的とするものでもありません。事...
マルセル盗難事件 - clairvoyant report
本記事は、GHQ統治時代の国鉄三大ミステリー(未解決・未解明事件)の一つに数えられる「下山事件」について事件当時の新聞・雑誌の報道、捜査資料、捜査担当者身が後に書き表した著書等から、激動の国内・国際・社会情勢(「下山事件」の資料には、「GHQの統治」、「シベリア帰還兵」、「共産主義勢力の台頭」、「人民列車」、「労働組合運動の激化」、「反共戦線」、「革命前夜」、「非常事態宣言用意」、「列車妨害」、「反共立法」、「熱海決議違法」、「反共指令第一号」、「対中共戦」、「反共戦は安全保障の戦い」等の言葉が散...
下山事件考察:時代に翻弄された真相 - clairvoyant report
ご注意:本記事は1984(昭和59)年4月19日13時20分頃、東京都中央区銀座で発生した3人組と思しき犯人による宝石店強盗事件(金塊強奪事件)と同年3月から翌年(1985年)まで続いたグリコ・森永事件との関連性・関係性を「金塊」に着眼し考察する記事です。2023(令和5)年5月8日18時20分頃に発生した少年4人(2023年5月29日時点の逮捕者数)による銀座宝石店強盗事件に関する記事ではありません。事件概要1984(昭和59)年4月19日(木)13時20分頃、銀座通りに面した老舗の有名宝石店「Y」の店内に2人(以下、AとBと記す)の男が入って...
銀座宝石店金塊強奪事件とグリコ・森永事件の関連性・関係性を考察:金塊は海を渡る - clairvoyant report
「昭和」最後の年となった昭和63(1988)年の12月30日は金曜日だった。昭和天皇の体調に配慮する自粛ムード漂う年末だった。本記事では、「日常」を注意深く観察し、「日常」にある一瞬の隙と「非日常」の人間心理を狙ったと思われる神戸・現金輸送車乗り逃げ事件を解説しながら、昭和最後の年に発生した未解決事件を考察していこう。事件概要昭和63(1988)年の12月30日午前9時45分頃――。山陽電鉄「月見山」駅から南東方向へ直線距離で約40メートルの場所に位置する旧「太陽神戸銀行 須磨支店(現「三井住友銀行 須磨支店」)」(以下...
神戸・現金輸送車乗り逃げ事件 - clairvoyant report
大きな過ちを犯した人間には罰が下る。事件が発覚すれば逮捕され、起訴された後には法の裁きを受け然るべき罰が与えられ過ちに対する責任を取らされる。しかし、罰は法による裁きだけではない。仮に過ちが露呈しなくとも大きな過ちを犯した者は自分の「良心」に責め立てられる。時に、自分の「良心」が与える自己罰は、法による罰よりも厳しい。 24時間、365日、罪悪感という名の罰は絶えず自分を苦しめる。事件から21年後、公訴時効後に真相の一端が明らかになった伊勢湾沿岸バラバラ殺人事件について解説する。伊勢湾沿岸バラバラ殺...
伊勢湾沿岸バラバラ殺人事件:女性の死体を隠し続け21年間 - clairvoyant report
1945年8月15日、日本は敗戦した。敗戦後の日本を統治したのはGHQだった。GHQ統治下に発生した「帝銀事件」は、旧刑事訴訟法の下で捜査された最後の事件だともいわれ、犯人と認定された平沢貞通には死刑判決が言い渡された。しかし、古くから平沢貞通犯人説、帝銀事件単独犯説には多くの異論が投げられ、真犯人とされる数名の人物の存在が実しやかに語られている。平沢貞道裁判の検察の論告に実名で登場する人物について解説など行い、帝銀事件が現代に残した宿題について考えていこう。帝銀事件:真犯と考えられた者たち帝銀事件の捜...
帝銀事件:真犯人の影を追え - clairvoyant report

◆昭和の事件考察・解説

戦後日本の混沌と暗闇の中に秘密資金が眠っている。秘密資金の眠る特別な場所の門を叩ける者は、資金を守る秘密組織に選ばれた者だけだ。その秘密資金は戦後復興の名の下、選ばれた者にのみ貸し与えられる。無担保、低金利、連帯保証人不要の好条件融資――これらの好条件が与えられるのは、この秘密資金を守る組織が、真に価値あると認めた企業だけだ。ただし、その代償として、総額の数パーセントの融資手数料などが必要となる。敗戦と戦後社会の裂け目から生まれたM資金詐欺について解説、考察をしていこう。序章:M資金詐欺とは何か...
考察・M資金詐欺: 人々を魅了する都市伝説と権威 - clairvoyant report

◆子どもを狙った事件

2024年3月11日、『冤罪被害者のための再審法改正を早期に実現する議員連盟』は衆議院議員会館で結成総会を開催し、発足した。設立趣意書には、冤罪犠牲者の速やかな救済には捜査機関が保持する証拠の活用、再審手続きの明確化と透明化が必要であり、冤罪の疑いが明らかになった際には迅速に裁判のやり直しが行えるよう法整備を行うべきだと記されている。再審事件の報道を契機に国民の再審制度への関心が高まり、法改正が喫緊の課題として認識されているため、制度改革に取り組む時期が来ていると述べられており、これを背景に議員連盟...
飯塚事件:日本の司法制度の課題と冤罪のリスク - clairvoyant report

Jean-Baptiste Roquentin

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。 Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。 小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。 分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。