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大阪ニセ夜間金庫事件

知略縦横を働かせ自分よりも大きな組織などを相手に大胆不敵な犯罪を実行する者がいる。

「東の(府中)三億円事件、西の大阪ニセ夜間金庫事件」と並び称される同時代に発生した2つの事件は、時代を超え人々の好奇心を刺激する。

事件発覚直後に「日本版『黄金の七人』」とも報じられた(参考:「偽装夜間金庫」朝日新聞 1973年2月27日付)「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人像を遺留品や時代背景などから考察していこう。

なお、『黄金の七人』は、1965年に製作されたイタリア映画である。同映画は1967年から『漫画アクション』での連載が開始(テレビアニメのシリーズは、1971年から放送開始)された『ルパン三世』(原作、モンキー・パンチ)に大きな影響を与えたといわれるクライム・コメディ映画である。

事件概要

1973(昭和48)年2月25日の日曜日、阪急電鉄「大阪梅田」駅に併設された「阪急三番街」内に所在する「三和銀行阪急梅田北支店(当時の住所:大阪府大阪市北区小深町3-1 阪急三番街)」(「三和銀行」は、現在「三菱UFJ銀行」となる)は、休日のため朝から営業しておらず入口はシャッターで閉ざされていた。

西日本有数の繁華街を有する阪急電鉄「大阪梅田」駅に併設された「阪急三番街」内の店舗などの事業主などは、日曜日の売上を持ち「安心・安全」な銀行の夜間金庫に大切な現金を預け入れる。

同日の21時10分頃、衣料品店M(当時:24歳)の店長Y氏(参考:「銀行の通用口」に偽装夜間金庫 毎日新聞1973年2月27日付)が、当日の売上金30万円を持ち夜間貸金庫前に立った。

Y氏はいつものように銀行が夜間金庫利用者に貸与している金庫開閉の鍵を取り出しただろう。そして、夜間金庫に貼られた一枚のダンボールを目にしただろう。

そこには以下の文字が書かれていた。

「御利用の御客様へ 鍵の接損事故に因り、投入口開閉不能となりましたので、誠に御足労ですが、当銀行専用通用口の仮金庫迄御廻り下さい。 三和銀行」

文章を読み終えたY氏は、「専用通用口」に設置されているという「仮金庫」に歩き出す。

ニセ金庫事件・誘導貼紙・読売新聞夕刊・昭和48年2月27日付

「銀行」の指示に疑いの余地などない。Y氏は何も考えず「指示」に従ったのだろう。そう、Y氏の前にも68人の利用客が「銀行」の「指示」に従っている。

Y氏は69番目のニセ金庫の利用客だったのだ。

だが、Y氏がニセ金庫に現金を入れるとニセ金庫はそれまでに入れられた68店舗分の現金2576万680円とY氏の30万円の重みで破損してしまう。

毎日新聞・昭和48年2月28日付ニセ金庫事件現場略図

それは、未解決事件「大阪ニセ夜間金庫事件」が発覚した瞬間だったが、Y氏やY氏の後の客(70番目の利用者など)及び「仮夜間金庫」の破損の連絡を受けた「三和銀行阪急梅田北支店」の警備担当N社の警備員は、この時点では「仮夜間金庫」が偽物だとは気づいていない。

府中三億円事件の現金運搬人と同じように、彼らは完全に犯人に騙されてしまった。警備担当会社は、銀行が設置した「仮金庫」が壊れたと思い込んでいたようだ。警備会社が銀行に経緯を説明し、被害に気づいた銀行が警察に被害届を提出したのは翌日の26日月曜日のことだった。

被害届を受けた大阪府は、警曽根崎署に「三和銀行ニセ金庫事件捜査本部」を設ける。

犯人が設置した「ニセ夜間金庫」の分析が「三和銀行ニセ金庫事件捜査本部」により進められ、遺留品からの犯人の割出作業が始まり、利用客および警備会社N社からの警備報告記録「20時26分異常なし」から犯人が「ニセ夜間金庫」を通用口に設置した時間が推認、断定された。

大阪ニセ金庫事件・ニセ金庫のイメージ図

推認、断定された犯人によるニセ金庫設置時刻は2月25日の日曜日20時37分だった。犯人は多額の現金を奪うため、夜間金庫の利用客(店舗)の閉まる21時台を狙ったのだろう。

社会経験が豊富な知略に長けた犯人だと言わざるを得ない。

残された遺留品

ここからは、犯人の遺留品(ニセ夜間金庫)と犯人のものと思しき遺留物について整理しながら用意周到な犯人像に迫ってみよう。

夜間金庫を利用する銀行利用客を騙すため巧妙なニセ金庫を作り、ニセ金庫に利用客を誘導し、ニセ金庫を本物だと思わせ、金を窃取するという特異な発想と大胆な行動力により実行された「大阪ニセ夜間金庫事件」には、当然ながら多くの遺留品が残されている。

過去報道及び「佐木隆三,著『事件百景―陰の隣人としての犯罪者たち』文藝春秋 ,1985.」から犯人がニセ金庫を作るために用意した物(遺留品)を解説、分析していこう。

なお、ニセ夜間金庫には、23種類の物品が使用されていたといわれているが、上記の報道などから確認された主な遺留品は以下のとおりである。

ニセ金庫製作のために用意された物(遺留品)一覧
ボール紙
合板ベニア2枚
ステンレス鋼板(厚さ0.1ミリ、18.8クローム)
角材
L字型下げ金具
ゴム紐
37本のスポンジテープ
赤色文字で「夜間金庫」と彫られた塩化ビニール製「エッチングプレート」(縦8センチ、横25センチ)
ナショナル・マイティライト
「SANWA4802(4802は昭和48年2月の意味だと思われる)」と刻印されたレシート代わりのプラスチック製の札(85枚)
ラジコン飛行機操作用の針金
犯人特定、犯人像に繋がる遺留物
上下一体の白色作業服Lサイズ(身長165から170センチ用サイズ)
長さ四センチの毛髪1本(作業服の右のポケットに混入)
対照可能指紋17個
ニセ金庫製作のために用意された物(遺留品)と犯人特定、犯人像に繋がる遺留物の一覧

上記からもわかるが、基本的な素材は2枚の合板ベニアとステンレス鋼板(厚さ0.1ミリ、18.8クローム)である。この粗末な素材で作られた奥行きのない(奥行きは19センチ)のニセ夜間金庫を重厚かつ信用性の高い「銀行」の仮金庫に見せるための創意工夫が随所に施された「作品」は、犯人が職人気質を持つ知能の高い人物であることを証明しているともいえる。

そう、犯人は前述のとおり社会経験が豊富な職人気質を持つ知能の高い人物であることに間違いはなさそうだ。犯人は銀行取引に慣れた人物。日頃の仕事にも妥協を許さない人物。さらには、銀行からの融資を受けたこともある人物――つまり、個人事業主や経営者だと推測される。

時代背景

「大阪ニセ夜間金庫事件」が発生した昭和48年は、戦後日本の大きな転換期だった。

そう、1973(昭和48)年は、1954(昭和29)年から約19年続いた高度経済成長が終わったといわれる年である。

昭和48年2月10日、為替レートが固定相場制から変動相場制に移行する。同年10月から始まった第四次中東戦争の影響による第一次オイルショック。11月にはトイレットペーパー(買い占め)騒動、12月14日には、豊川信用金庫の取り付け騒ぎ(発端は高校生の会話といわれる)が起こる。

商品棚から消えたトイレットペーパー

人々は高度経済成長という夢の終わりを肌で感じ始めたのだろう。夢の終わりは人々の不安と不満を目覚めさせる。やがて、人々の不安と不満が社会に放たれる。

法務省の「犯罪白書」昭和48年版(昭和47年中の認知事件からの統計と分析)によれば、刑法犯の認知件数は、昭和23年、昭和24年に160万件を超え、その後は、漸減、漸増を繰り返しながら、昭和45年に最高値の約193万件に達し、昭和46年からは、減少方向に向かうが(そもそも、昭和45年が戦後最高だった)、「大阪ニセ夜間金庫事件」が発生した昭和48年は、122万6,504件と戦後5位の高止まりとなっている。

法務省「昭和51年版犯罪白書」に以下の記述がある。

第3章 財産犯の動向 刑法犯を代表する第二の犯罪類型として,窃盗,詐欺,横領,背任等のように,人の財産に対する侵害を内容とするものがあり,これらを一般に「財産犯」と呼んでいる。この種の犯罪の動向は,経済成長,景気の好・不況,失業者の多寡といった経済状態によって直接影響を受けやすいと考えられる。 我が国における財産犯の動向を見ると,一般的には犯罪発生件数が減少する傾向にあるが,昭和49年以降はこの種犯罪が増加している。我が国の経済情勢は,48年末のいわゆる石油ショックを契機として,以後低迷を続けているので,最近における財産犯の増加は,経済の不況と何らかの関連があるのではないかという疑いもある。 そこで,本章では,最近までの我が国における財産犯の推移を統計的に概観するとともに,最近における増加現象の実態を明らかにすることとする。

法務省 昭和51年版 犯罪白書 第1編/第3章

また、「昭和50年警察白書」には、経済不況からの「犯罪の量的質的傾向」への影響の懸念が明記されている。

(前略)一方、深刻な経済不況が、犯罪の量的質的傾向にどのような影響を及ぼすかについても、今後注目しなければならない。一般に、経済の動向は犯罪の情勢に影響を及ぼすものであるが、日本熱学事件のような会社犯罪にみられるように、今後も経済界の不況に伴い、計画倒産等の会社犯罪、大規模な手形詐欺事件、受注をめぐる贈収賄事件等の知能犯罪の増加が予想される。(後略)

「昭和50年『警察白書』第1章 昭和49年治安情勢の概況(3)今後の課題―アー(ア)」

「大阪ニセ夜間金庫事件」は、高度経済成長が終わる時代の転換期に発生した事件だった。経済不況はそれまで真面目に生きてきた個人事業主、中小零細企業のオーナー社長などに大きなダメージを与える。

銀行からの融資の拒否、停止、引き上げ。取引先の不渡り、倒産など資金繰の悪化は個人事業主、中小零細企業のオーナー社長に大きな影響を与え、やがてそれは人間の善悪の判断を鈍らせる。

同一犯の可能性が高い他の事件

警察の捜査から未解決事件「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人が関係すると断定された事件がある。それは、「大阪ニセ夜間金庫事件」が偶然性からの未遂に終わった三か月後の昭和48年5月1日から6日までに発生した「大丸デパート恐喝未遂事件」と「そごうデパート放火事件」である。

「大阪ニセ夜間金庫事件」が偶然性からの失敗となり、約2600万円の現金奪取に失敗した犯人は、企業恐喝により多額の現金を手にしようと企てる。

そう、この時期の犯人は多額の現金(2000万円以上)を必要としていたのかもしれない。大阪ニセ夜間金庫事件で犯人が用意したレシート代りのプラスチック製の札85枚だ。85人の利用客から現金を窃取する計画だったと思われ、一人の客が平均20万円を預け入れた場合、約1700万円を窃取することになる。

1973(昭和48)年5月1日の火曜日、当時、大阪府大阪市南区に所在した「大丸デパート」に一通の手紙と黒い鞄が届く。

その手紙には、「3000万円を用意しろ。隣接する『そごうデパート』で起こる小さな事件が教訓になる」などと書かれ、実際に同月4日金曜日に「そごうデパート」内で商品のマットに火が放たれるという事件が起きる。

さらに犯人は、犯人が送った黒い鞄に現金3000万円を入れ、同月6日の日曜日の正午、女性従業員にそれを持たせ国鉄(現・JR)「大阪」駅の中央口で待て、との指示を出す。

「そごうデパート」の放火事件を知った「大丸デパート」側と警察は、指定された日時場所に指定の鞄を持った女性を立たせる。

そこに、犯人からの指示書とは知らない国鉄の赤帽(駅構内で利用客から荷物などを預かり運搬などする者。当時は旅客者からの手紙などの運搬も行っていた)の年配男性が犯人と思しき男性から運搬を頼まれた手紙を持ち現れる。

警察の尾行を確認するためだと推認される手紙(指示書)には、現金入りの鞄を持ち神戸市内の喫茶店に向かうことなどが記されていた。最終的に犯人からは2回の指示があり(2回目は「大阪」駅から移動指示があった神戸市内の喫茶店に入電された犯人の指示)、現金持人の2回の移動を監視していたと思われる犯人は、警察の追尾を確信し、ついにその姿を見せることなく未解決の闇のなかに消えてしまった。

この「大丸デパート恐喝未遂事件」で使われた盗難車(犯人の最終指示は同車のトランクに鞄を入れろだった)のトランクには巧妙な仕掛けが施され、仕掛けに使われた合板ベニアが「大阪ニセ夜間金庫事件」で使われた合板ベニアと同一のベニア板から切り出されたと大阪府警科学捜査研究所は結論したことにより、「大阪ニセ夜間金庫事件」と「大丸デパート恐喝未遂事件」さらに「そごうデパート放火事件」の3つの事件が同一犯の犯行だと推認された。

目撃された犯人の人相と残された住所

ここからは、「大阪ニセ夜間金庫事件」及び関連事件「大丸デパート恐喝未遂事件」の犯人目撃情報などから犯人像に迫っていこう。

前述3つの事件から約四か月後の1973(昭和48)年9月15日、「大阪ニセ夜間金庫事件」及び関連事件「大丸デパート恐喝未遂事件」モンタージュ写真が公開され、モンタージュ写真の犯人は、「面長で、眉毛は薄く長い、一重瞼、ボサボサの頭髪、耳の大きな職人風の中年男性」などと評されている(参考:佐木隆三,著『事件百景―陰の隣人としての犯罪者たち』P135-137,文藝春秋 ,1985.)。

このモンタージュ写真を大阪府警が作成する際に参考にしたのが、「大阪ニセ夜間金庫事件」で使われた「夜間金庫」と彫られた塩化ビニール製「エッチングプレート」を犯人と思しき人物から作製を依頼(発注)された兵庫県神戸市の某スーパー内キー・コーナーの女性従業員の証言と前述の国鉄(現・JR)「大阪駅」の赤帽の年配男性の証言からだといわれている。

年齢不明の某スーパー内キー・コーナーの女性従業員は、「年齢30-35歳の中年の自営業のおっさん風」の人物と表現し、年配の国鉄の赤帽は「年齢35-40歳の身長175センチくらいがっちりした体格の男」と表現しているらしい。

大阪ニセ夜間金庫事件・ニセ夜間金庫の構造・昭和49年警察白書から引用

画像は昭和49年警察白書からの引用

ニセ金庫に取付られていたエッチングプレートを発注した「年齢30-35歳の中年の自営業のおっさん風」の人物は、1973(昭和48)年1月30日の火曜日、17時から18時頃に同店を訪れ製作依頼を行い、同年2月6日の火曜日18時頃に受取に再来訪したらしい。

同人物が犯人だとするなら同時期の犯人は、火曜日の17時以降、比較的自由になる(仕事などがない)生活だったのかもしれない。

「年齢30-35歳の中年の自営業のおっさん風」の人物がエッチングプレートを発注した際に残した連絡先住所がある。

それは、「兵庫県尼崎市西浪波町2-5」だったが、当然ながらそのような住所は実在しない。だが、人は偽名や偽住所を名乗り記載などする時には、それらの偽名や偽住所を忘れないために自分と関係性の高い氏名、住所(土地鑑のある場所)を使うことが多々ある。

偽名を使いこなす公務員(公務員は犯罪目的で偽名を名乗るわけではない。身分や所属組織を隠し「遊興」などする場合に使う。人間には「遊興」が必要だ。公務員が偽名を使い常識の範囲で遊興するのことは悪いことではない)のなかには、一つの偽名を何十年も使い続ける者もいる。

犯人が「大丸デパート恐喝未遂事件」で指示した2か所の場所は「兵庫県神戸市中央区三ノ宮」と「兵庫県尼崎市」内の近くに盗難車を置ける喫茶店だった。

そう、犯人は兵庫県に土地鑑がある人物だと推察される。

犯人像を考察する

これまでの考察の結果、未解決事件「大阪ニセ夜間金庫」と「大丸デパート恐喝未遂事件」等の犯人は、職人気質だが社会経験豊富な「年齢30-35歳の中年の自営業のおっさん風」または「がっちりした体格の男」の自営業、中小零細企業のオーナー社長であり、この人物は兵庫県に土地鑑を有する人物だと推察される。

高度経済成長が終わりを迎えた1973(昭和48)年、経営難による資金繰りの悪化がこの人物を犯罪へ走らせたのだろうか。

銀行、家族、友人、知人、取引先に頭を下げながら資金繰りのお願いをするが断られ続けた「自営業のおっさん」の困り果てた顔が目に浮かぶ。

では、犯人はこの「自営業のおっさん風」男性だけだろうか?

年配の国鉄の赤帽男性の証言にある「年齢35-40歳の身長175センチくらいがっちりした体格の男」と「自営業のおっさん風」男性は同一人物だろか?それとも犯人(実行犯)は、二人だったのだろうか?

犯人が作った「ニセ夜間金庫」を銀行通用口に設置する作業は一人だと難しい。そう考えるなら、実行犯は二名(30-35歳の男性と35-40歳の男性)となり、「ニセ夜間金庫」に貼られていたダンボール紙の文章に使われた「その儘」「猶」「成可なく」などの言葉から戦前、戦中の教育を受けた人物(同事件は1973年に発生した事件のため、戦前の1930年生まれの人物が関与した場合でも事件当時は43歳である)だと想定するならば、この二人組による犯行の可能性が高いと推察される。

グリコ・森永事件との関係性は?

未解決事件「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人は、その後の社会全体に大きな影響を与えた「グリコ・森永事件」の犯人と同一ではないかとの説が多方面で囁かれている。

知略を使った大胆な犯罪の方法や上場企業への放火、脅迫、恐喝、第三者(「大阪ニセ夜間金庫事件」では国鉄の赤帽。グリコ・森永事件では寝屋川アベック襲撃事件の被害者男性を現金奪取に利用した)を現場に送り込み犯人一味は姿を現さない手口。現金受取場所を頻繁に変え、捜査員を攪乱する手口。細やかかつ巧みな指示で人を動かす手口。

「大阪ニセ夜間金庫事件」では、現金を窃取した後に利用客に示す以下の文章が書かれたダンボール紙まで用意されていた。

本金庫復旧につき仮金庫閉鎖致しました。三和銀行

出典・引用:佐木隆三,著『事件百景―陰の隣人としての犯罪者たち』P126,文藝春秋 ,1985.

「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人は、照合可能な指紋を17点も残している。

また、グリコ・森永事件でも犯人グループの可能性のある指紋が発見されているとの報道が確認される(参考:「森永脅迫テープから指紋 犯人グループの可能性 不審者との照合を急ぐ 朝日新聞1984年10月10日付」、「挑戦状と逃走車から犯人の指紋、掌紋特定 毎日新聞1988年7月29日付」、「グリコ・森永事件の「どくいりきけん」シートから鮮明な指紋検出など 毎日新聞1989年3月18日付など)。

「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人(グループ)とグリコ・森永事件の犯人グループは「別のグループだ」と、大阪府警捜査三課(窃盗犯などを扱う課)元課長のY氏は、1995年1月9日の毎日新聞の紙上で述べているが、同紙には、「(前略)事件は時効が成立しているとはいえ、グループのだれかが仕掛けに指紋を残し、材料購入時に筆跡を残している。指紋も筆跡もコンピューター登録され、現在も新たな事件が起こるたび照合が続いていると聞く。事件から二十二年たっても犯人は警察から追われている(後略)」との記述もある(引用:「『戦後関西再見』記者の50年ニセ夜間金庫事件1973年2月25日」毎日新聞1995年1月9日付)

戦後の混乱期から高度経済成長の坂道を駆け上がった日本社会が不況の時代に突入する1973(昭和48)年2月に起きた「大阪ニセ夜間金庫事件」とバブル景気直前の1984(昭和59)年からのグリコ・森永事件の犯人グループに共通性があるのならば――強い絆で結ばれた「哀愁の共同体」だということかもしれない。

指紋を残しながら未解決に終わった「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人には前科・前歴はないだろう。「大丸デパート恐喝未遂事件」以降には、犯罪などに関係することもなかったのだろう。

つまり、「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人は、グリコ・森永事件の犯人グループ「かいじん21面相」グループではなかったのだろう。

「がっちりした体格の男」と「自営業のおっさん風」――金策に困りながらも家族経営の零細企業で働き続けた二人の姿を想像してしまう。


◆引用文献

読売新聞 昭和48年2月27日付
朝日新聞 昭和48年2月27日付
毎日新聞 昭和48年2月27日付
森永脅迫テープから指紋 犯人グループの可能性 不審者との照合を急ぐ 朝日新聞1984年10月10日付
挑戦状と逃走車から犯人の指紋、掌紋特定 毎日新聞1988年7月29日付
グリコ・森永事件の「どくいりきけん」シートから鮮明な指紋検出など 毎日新聞1989年3月18日付
『戦後関西再見』記者の50年ニセ夜間金庫事件1973年2月25日 毎日新聞1995年1月9日付

佐木隆三『事件百景―陰の隣人としての犯罪者たち』文藝春秋 ,1985.


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古美術店「無尽蔵」店主失踪事件 概要1982年8月24日より三越日本橋本店で開催されていた「古代ペルシア秘宝展」。黄金の皿、盃、装身具など絢爛たる47点の展示即売品は、総額21億円(当時)といわれ、折からのシルクロード・ブームの追い風も受けて盛況であった。しかし、会期半ばの8月29日。朝日新聞は一面で、これらの秘宝の大半が「ニセ物」であると報道する。これはスクープなどというものではなかった。天下の三越百貨店が、当然全てが本物であるとして、上は数億の値段をつけて売り捌こうとした自慢の「名品」の数々は全て、開催...
古美術店「無尽蔵」店主失踪事件 - clairvoyant report
湯河原町女性放火殺人事件(2015年4月21日発生)の犯人は、茨城一家殺傷事件(2019年9月23日発生)の被疑者として逮捕、起訴された岡庭由征被告ではないか?との説が散見される。この二つの事件には、動機不明な点や刃物で被害者の顔面や頭部を攻撃する残忍な手口など共通する点がある。また、神奈川県警察のHPにある『現場方向からJR湯河原駅に現れた人物で、事件について何らかの情報を持っていると考えられる』人物の特徴や動きが岡庭由征被告に似ているとの説もある。 湯河原町女性放火殺人事件の犯人と茨城一家殺傷事件の岡庭...
湯河原町女性放火殺人事件の犯人は?茨城一家殺傷事件との関係性は?などを考察 - clairvoyant report
横山ゆかりちゃん誘拐容疑事件(太田市パチンコ店女児失踪事件)概要1996年7月7日(日曜日)、群馬県大泉町に住むYさん(当時29歳)と家族(妻M子さん・同30歳、長女ゆかりちゃん・同4歳、次女・同生後8ヶ月)は、自宅から2kmほどの距離にある群馬県太田市のパチンコ店、「パーラー・パチトピア」(2022年現在は別名のスロット店として営業)を車で訪れた。本来はデパートへのお出掛けだったというが、「七夕感謝デー」の広告ハガキが来ていた事を思い出し、予定を変更したという。午前10時半頃、入店した一家は景品コーナーに立ち寄り、ショ...
横山ゆかりちゃん誘拐容疑事件(太田市パチンコ店女児失踪事件) - clairvoyant report
子供の行方不明事件は、行方がわからない当事者(本人)と残された親族だけの問題ではない。ある日突然、子供が家庭や学校や地域社会から忽然と消え、友人・親族の知人・学校・地域・社会全体に大きな衝撃を与える。残された親族の日常が一瞬で崩壊し、出口のない不安が心を支配し、暗闇の世界の全てを覆い尽くす。残された親族は行方不明の子供の安否を心配するとともに無事の帰宅を祈り続ける。解決の糸口さえ掴めない事案では行方不明となった「理由だけでも」知りたいと願うだろう。 山梨キャンプ場女児失踪事件(2019年9月21日16...
加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)事件 - clairvoyant report
日本(東京)から約7,500キロメートル離れたモスクワに世界初の社会主義国家・ソビエト社会主義共和国連邦が誕生した1922(大正11)年の10月、千葉県木更津市の開業医の四男として男は生を受けた。祖父の代から医者の家柄だった男の父は、千葉県木更津市の市長もつとめる名士だった。裕福な名家生まれの男は、父親や母親の期待に応えるかのように第一高等学校(現、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部等)に入学、22歳となる1943(昭和18)年、東京帝国大学法学部(現、東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)に進学した。男の...
光クラブ事件・裏切りを怖れる「偽悪者」山崎晃嗣を考察する - clairvoyant report
戦後の混乱期に発生(1948年1月26日)し、21世紀の現在でも検証が続けられる「帝銀事件」から約6年後、茨城県内で第二の「帝銀事件」ともいえる凶悪事件が発生した。茨城・徳宿村精米業一家殺害事件は、青酸性劇薬物を使い9人を殺害し、被害者宅に放火するという戦後史に残る凶悪事件である。本事件は、逮捕された容疑者自身も青酸性劇薬物により自殺したため、被害者が毒物を飲み(飲まされ)殺害された経緯などは未解明である。本記事は、第二の「帝銀事件」ともいえる「茨城・徳宿村精米業一家殺害事件」の概要、逮捕された容疑者像...
茨城・徳宿村精米業一家殺害事件 - clairvoyant report
江東区小5女児誘拐殺人事件とは、1969年(昭和44年)5月31日(土曜日)、17時30分頃、東京都江東区東雲1丁目内の某社社宅居住の小学校5年生E子ちゃん(10歳)が、買い物からの帰宅途中に車に乗った男に誘拐され、同年6月3日、午前11時頃、誘拐現場から南東方向へ直線距離で約1キロメートルの東京都江東区辰巳町東京湾十二号埋立地(現在の東京都江東区辰巳3丁目内付近)でE子の遺体が発見された(猥褻目的)未成年者略取、殺人、死体遺棄事件である。 一時は、本事件翌年の1970年6月3日(水曜日)に千葉県木更津市内で発生した小学校3...
江東区小5女児誘拐殺人事件 - clairvoyant report
貨幣・紙幣は国家の信用の上に成り立っている。特に国家による信用の裏付けのない紙幣は、単なる文字と絵が描かれた紙切れに過ぎない。1961(昭和36)年に最初の一枚が見つかった贋造紙幣「チ-37号」は、その精巧な造りから「贋造紙幣の最高傑作」、「最後の職人技」などと呼ばれ、1963(昭和38)年11月14日まで事件は続いた。国会でも取り上げられた「チ-37号事件」は、社会に大きな影響を与えた戦後の事件の一つでもある。警察は犯人検挙に向け異例の大規模捜査を行い、政府は新たな千円紙幣(伊藤博文像の紙幣)を発行し対応するが―...
チ-37号事件 - clairvoyant report
事件史を紐解くと不思議な未解決事件に出くわすことがある。犯人はもとより、犯人の動機さえもわからない事件。戦後の復興期に発生した「謎のニセ札事件」について考察していこう。謎のニセ札事件 概要1954(昭和29)年12月初旬、東京都中央区新富町1丁目内に所在する個人営業の印刷屋に見知らぬ男(以下、X)が現れた。同店は、現在のJR東京駅八重洲口から南西方向へ直線距離で約500メートルの場所に位置する個人営業の印刷店だと思われる。Xは、某興信所の調査部長を名乗る(名刺を残した可能性があると思われる)が、年齢や特徴に...
謎のニセ札事件 - clairvoyant report
◆ご注意本記事は、1968(昭和43)年12月26日19時50分から27日9時40分の間に発生したロートレックの絵画『マルセル』盗難事件の事件概要及び経緯等の解説を目的とする記事です。1975(昭和50)年12月27日午前0時に時効が成立した同事件は、約一ヶ月後の1976(昭和51)年1月29日、盗難された『マルセル』が発見されるという特異な形で決着しました。本記事は『マルセル』を保管していた人物(A氏夫妻)や預けた人物(C氏)などを「犯人」、「容疑者」などと断定する記事ではありません。 また犯人考察を目的とするものでもありません。事...
マルセル盗難事件 - clairvoyant report
ご注意:本記事は1984(昭和59)年4月19日13時20分頃、東京都中央区銀座で発生した3人組と思しき犯人による宝石店強盗事件(金塊強奪事件)と同年3月から翌年(1985年)まで続いたグリコ・森永事件との関連性・関係性を「金塊」に着眼し考察する記事です。2023(令和5)年5月8日18時20分頃に発生した少年4人(2023年5月29日時点の逮捕者数)による銀座宝石店強盗事件に関する記事ではありません。事件概要1984(昭和59)年4月19日(木)13時20分頃、銀座通りに面した老舗の有名宝石店「Y」の店内に2人(以下、AとBと記す)の男が入って...
銀座宝石店金塊強奪事件とグリコ・森永事件の関連性・関係性を考察:金塊は海を渡る - clairvoyant report
「昭和」最後の年となった昭和63(1988)年の12月30日は金曜日だった。昭和天皇の体調に配慮する自粛ムード漂う年末だった。本記事では、「日常」を注意深く観察し、「日常」にある一瞬の隙と「非日常」の人間心理を狙ったと思われる神戸・現金輸送車乗り逃げ事件を解説しながら、昭和最後の年に発生した未解決事件を考察していこう。事件概要昭和63(1988)年の12月30日午前9時45分頃――。山陽電鉄「月見山」駅から南東方向へ直線距離で約40メートルの場所に位置する旧「太陽神戸銀行 須磨支店(現「三井住友銀行 須磨支店」)」(以下...
神戸・現金輸送車乗り逃げ事件 - clairvoyant report
2009(平成21)年11月25日水曜日、国立大学法人・三重大学人文学部文化学科I元教授の研究室前に置かれていたパプア・ニューギニアの木製の像が盗まれた。約5年後の2015(平成27)年6月8日、事件に関する記事が新聞・ネットに掲載されると、「強い呪いがかかり非常に危険です」という刺激的な貼紙の画像と共にSNS等で拡散される。 三重大学構内で発生したパプア・ニューギニアの木製の像窃盗事件は、「黒魔術」、「魔女」、「カニバリズム」の習慣、風習、文化を持つパプア・ニューギニアの神様の「強い呪い」という言葉と共にSNS等で拡...
強い呪いがかかり非常に危険です。国内で治療することは出来ません:三重大学パプ... - clairvoyant report
昭和46(1971)年1月30日の朝、大阪府大阪市西区新町南通りの路上に駐車されていた高級外車の車内から胸等数十か所を千枚通し状の物で刺され首には絞められた跡のある不動産関連会社N商事経営の40歳男性日本名N(韓国語の読みはK)の遺体が発見された。殺人事件と判断されるNの遺体状況から事件は1月29日の午後20時頃に発生したと推認された。殺人事件を担当する大阪府警捜査一課が、殺されたNの経歴、交友関係、仕事関係の知人等を捜査対象にしたのはいうまでもないだろう。高価な外車を乗り回し、複数の交際相手との派手な生活をして...
大阪刑務所入試問題流出事件 - clairvoyant report
東京銀行の職員などがスイス連邦銀行から送られたロウ封印付きの2つのダンボール箱を開封したのは1971(昭和46)年9月16日だった。2つのダンボール箱には、東京銀行が国内のドル紙幣補充のためスイス連邦銀行から「輸入」した30万ドル(当時の為替レート:約1億円)が入っている筈だった。2つのダンボール箱の中を見た銀行の出納係は驚きの声を上げたかもしれない。30万ドル紙幣が入っている筈の箱のなかには30万ドル分のドル紙幣の代わりにフランスで発行されている新聞が入っていた。 ここからチューリッヒ空港、フランクフルト空港...
事件:消えた30万ドル チューリッヒから羽田へ - clairvoyant report
戦後日本の混沌と暗闇の中に秘密資金が眠っている。秘密資金の眠る特別な場所の門を叩ける者は、資金を守る秘密組織に選ばれた者だけだ。その秘密資金は戦後復興の名の下、選ばれた者にのみ貸し与えられる。無担保、低金利、連帯保証人不要の好条件融資――これらの好条件が与えられるのは、この秘密資金を守る組織が、真に価値あると認めた企業だけだ。ただし、その代償として、総額の数パーセントの融資手数料などが必要となる。敗戦と戦後社会の裂け目から生まれたM資金詐欺について解説、考察をしていこう。序章:M資金詐欺とは何か...
考察・M資金詐欺: 人々を魅了する都市伝説と権威 - clairvoyant report
本記事は、1984年に発生したグリコ・森永事件の犯人組織「かいじん21面相」の思想的背景を探り、事件における「江崎グリコ」への怨恨説を考察するものである。事件の幕開け:江崎グリコ社長誘拐事件1984年3月18日(日曜日)、夜21時ごろ、兵庫県西宮市の静かな住宅街で、不穏な事件が幕を開けた。江崎グリコ社長、江崎氏の実母が住む家に、拳銃のような物と空気銃または散弾銃のような物を手にした2人の男が侵入した。これは単なる侵入事件ではなかった。家の外には車(赤系色のクーペ)で待機するもう1人の男がおり、彼ら3人は計画的...
グリコ・森永事件:かいじん21面相の思想背景を考察 - clairvoyant report
1984年、日本社会はグリコ・森永事件と呼ばれる前代未聞の事件に直面した。本事件(警察庁広域重要指定114号事件)では、江崎グリコをはじめとする大手菓子メーカーや森永製菓など、複数の企業が脅迫行為の対象となり、社会に深い衝撃を与え、後世に多くの教訓を残した。本事件の『かい人21面相』を名乗る犯人グループは、脅迫対象の企業、企業役員、警察、マスメディアに対し多くの脅迫状(挑戦状)を送付した。それら脅迫状(挑戦状)には、企業や社会に対する深い不満や恨みが込められており、犯人が単に金銭を目的とした犯行ではな...
グリコ・森永事件脅迫状の深層心理を考察:義賊か、悪党か - clairvoyant report

◆関西の未解決事件

グレー/緑色系ジャンバーに黒系色ズボンを着用した男性と思われる人物(以下、犯人X)が「さくら銀行大阪北支店:現・三井住友銀行」を訪れたのは1993年4月12日(月曜日)午前11時15分頃だといわれる。身長160センチ位の小柄な男性と思われる犯人Xは英国ブランドの帽子を被り、白マスクとメガネ(サングラスとの説もある)で顔を隠し、手には茶系のセカンドバックを持っていた。Xの年齢は50代から60代位だと考えられている。。犯人Xは5枚のニセ1万円札を両替機に入れ、券と両替した。要した時間は数分だろう。騙された機械/機械を欺...
和D-53号事件:騙された機械 - clairvoyant report

Jean-Baptiste Roquentin

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。 Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。 小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。 分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。