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旭川市男子中学生失踪事件(佐藤智広くん行方不明事件)

旭川市男子中学生失踪事件 概要

2012年1月14日(土曜日)北海道旭川市緑が丘のとある住宅団地の一室。

発端は、ごくありふれた家庭内の諍いであったという。

気候の厳しい北海道の中学校の冬休みは長く、休業期間最後の週末となる。

気象庁の記録によるとその日も夕方頃まで降雪があった。特に未明〜朝方は風速10m/秒近いというから、もはや吹雪いていたと言って差し支えないであろう。

中学受験の難関校として道内でもその名を知られた、北海道教育大学の附属中学校に通う一年生、佐藤智広くん(以下智広くん・13歳)は、自宅でその夜に観るテレビ番組について、二つ歳上の姉のAさんとの間で口論になった。

Aさんによると、智広くんは海外映画を、Aさんは民放ドラマを観たいと主張して譲らず、やがて激しい言い争いになり、ついには口喧嘩の域を超え、智広くんは室内の壁を殴って穴を開け、自分の小遣いを貯めて購入した携帯ゲーム機(ニンテンドー DS)を破壊してしまう程の荒れ様であったという。

これらの他にも智広くんは室内の家具などの物に向けても怒りの感情を向けたようで、室内は雑然となった。

その後姉弟は和解あるいは決着に至らぬままテレビを消し、互いの寝室に退いたようで、荒んだ室内は翌日までそのままであった。その間、他の家族が仲裁に入ったという情報はない。母子家庭である佐藤家唯一の働き手である母親のMさんは介護の仕事に就いており、恐らく夜勤のシフトに入っていてその場には居なかったのであろう。

翌日2012年1月15日(日曜日)、異変に気がついたMさんは事の次第を子供たちに確認し、智広くんに室内の片付けを指示した。当初は渋々言いつけに従った智広くんであったが、Mさんは、無残に破壊された携帯ゲーム機がゴミ袋に放り込まれるのを見咎めた。

「なんでこんなんなってんの?」

Mさんは智広くんを問い詰めた。前後の事情を聞いてあげた上での叱責なのか、理由も聞かず頭ごなしに叱りつけたのかは分からないが、物に当たるという行為自体が一種の暴力であり、申し開きの機会もなく叱られたとしても仕方のないところではある。しかし、優等生であっても、大人びて見えたとしても智広くんはまだ13歳の子供であった。

「自分の金で買ったものをどうしようと勝手だろう!」

まさに売り言葉に買い言葉を吐き捨てて、智広くんは再び自室へと閉じ籠もってしまった。

Mさんも、智広くんは思春期の難しい年頃であり、その場で反省の言葉を引き出すよりも、一人で内省を促した方が良いと考えたようで、それ以上追求することはなくリビングでT Vを観るなどして普段通りに過ごしていた。

その日の21時30分頃。Mさんは何者かが玄関から外出する物音を聞いた。気配から智広くんである事にはすぐ気づいたが、呼び止めて行き先を尋ねるような事はしていない。

気象庁のデータによると、その日も未明から一日中、前日未明からの累計では既に約12cmの降雪があったが、ちょうどその時刻頃にようやく止んでおり、外出して散歩するなどして気持ちを切り替えようとしてこの時間になってしまったというのはそこまで不自然な事ではない。家庭環境からして、近所のコンビニ程度の距離であれば、単独での夜間外出に慣れていたことも十分に想定できる。

実際Mさんも、そのように考えたのか智広くんの外出を黙認している。

因みに、佐藤家の居住する団地の周辺は、徒歩20分圏内にコンビニ2軒、ファストフード店1軒、無人駅ではあるがJ Rの駅も存在し、北海道と聞いてまず想像するような暗い原野には程遠い。

街灯も多く付近にはショッピングモールや小、中、高校の校舎、交番もあり、主要な道路には毎日除雪車が走行するような地域である。

北海道旭川市全域と周辺地域の地図

また、家庭によっては、就寝前、明日に備えて車周りの除雪をしておこうという人々がいたはずで、夜間とはいえ人通りが皆無ということは無かったであろう。

しかし、それから1時間以上経っても智広くんは帰宅せず、心配したMさんは23時頃、車を出し、何時間も周辺を探し回ったがその姿を見つける事は出来ず、翌2012年1月16日(月曜日)朝、旭川東警察署に相談。夕方には捜索願を提出している。

智広くんは中学一年生、13歳という年齢であり、携帯電話は自室に置いたまま、室内着(家屋の断熱や暖房設備が充実した北海道での冬の室内着は、スウェット上下程度の軽装であるのが現在では一般的と思われる)の上に薄手のダウンジャケットを羽織っただけの軽装で、持ち出した財布の中にも一夜を過ごすことができる施設を利用できる程のお金は無かった(Mさんによると千円程度+通学用のバス回数券300円券が数枚)と考えられたため、すぐに本格的な捜索が開始されている。  

警察は近隣の河川を捜し、コンビニや駅、バスの防犯カメラを改め、タクシー会社を通じて、該当する少年を乗せた者がいなかったか等の情報を収集したが、目撃情報や映像、事故の形跡等、手がかりは何一つ発見することができなかった。

雪解け後に行われた河川等の大規模な捜索によっても、亡骸や遺留品が発見されることはなく、外出後夜の街を彷徨った果てに低体温症を発症、死亡(凍死)して雪や氷の下に埋もれてしまったという可能性も低くなっている。

MさんやAさんら家族や親族は、2013年9月26日放送のT V朝日系「スーパーJチャンネル 真実の行方『13歳少年行方不明の謎』」を始めとするT Vの公開捜査番組に出演し、S N Sやブログも開設するなどして智広くんの情報を求め、東京都内のホストクラブ等水商売の世界での目撃情報が複数寄せられた事から、「既に智広くんが成人していて家族の元に戻ることを望んでいないだけで、秘密裏に事実上の解決をみたのではないか」との噂も一時流れたが、2023年1月にも、依然S N Sでの呼びかけがなされており、北海道警察ホームページでの「情報提供のお願い」も撤回されていない事から、少なくとも家族による確認を経てはいない事が伺える。

2022年9月16日のS N S情報によると、Mさん、Aさんは旭川市緑が丘にある失踪当時と同じ集合住宅で、智広くんが帰る日を待ちながら今も暮らしているという。

手がかりとのその検討

ここからは、「旭川市男子中学生失踪事件(佐藤智広くん行方不明事件)」の手がかりとその検討を考察していこう。

佐藤智広くんについて

智広くんは1998年9月生まれで失踪時は13歳。生存していれば2023年2月現在では24歳であり成人している。

生まれつき眉間に、全長2cmほどの、沖縄本島に似た形の痣があり、これを消すためには手術が必要であるとされているが、化粧品等で隠すことは可能に見える。

北海道警察等で公開されている顔写真の画像等で確認する限り、中学一年生ながら165cmの身長があり、写真の写り方によっては既に「イケメン」と言うべき雰囲気を備えた顔立ちをしており、この事が、数年後にホストクラブで生計を立てていたという目撃情報の説得力を増すことになっている。

また、Mさんによると「風邪をひいたようなハスキーボイス」だったという(この声は年齢を偽る際に一役買ったかもしれないが、年齢的にみて変声期特有のものに過ぎないかもしれない)。

しかし、公開捜査のT V番組で放送された、約一年前と思われる学芸会劇での姿を見る範囲では、確かに手足は長く背も高いものの、仕草や話し方は年相応に子供らしいとしか言えないもので、どんな職種であれ、すぐに年齢を誤魔化して働けるかというと無理があるように思われる。小学校時代の同級生からの印象も「明るくていつもふざけている」というものであった。

また、中学受験を経て、同じ団地内に住む幼馴染とも異なる教育大附属の中学校に通っている事から分かるように、小学校時代の成績が良い事は言うまでもなく、自分の将来について既に方向性を見定めていた事も伺える。

Mさんの話では、智広くんが小学校6年生の時、ひとり親で自分たち姉弟を育ててくれる自分を楽にしてあげたいと「お金が稼げる仕事は何か?」と智広くんから尋ねられ、Mさんが思いつきで「お医者さんかな?」と答えたところ、智広くんは元々学業成績が良かったこともあって医師を目指すようになり、勉強に本気で打ち込み始め、中学受験もその一環であったという。

失踪当時も同じ志を維持していたかは不明であるが、レベルの高い中学校に入って同等以上のレベルの同期に揉まれて自信を失い、安易に医師を目指した自分、ひいては気まぐれで医師になれと言った母親に恨みを募らせ、家出を考える……と言うほどの時間は、一学年目2学期終了時点では流石にまだ経っていないように思われるし、家出できる先という逃げ道があるのであれば、家庭内で物に当たるほどに荒れ、翌日までそれを引き摺る必要性も乏しいように思う。 とは言え、智広くんは小学校3年時から続けていたサッカーや、自分の小遣いで携帯ゲーム機を購入するほどゲームを好んでおり、これらをいつまで勉強と両立できるのかと言うプレッシャーを既に感じており、失踪前日のチャンネル争いやゲーム機の破壊はその苛立ちの発露であったと言うことは考えられる。

それは家族に救いや慰めを求めるメッセージであったのだが、これを姉との口論や母親の叱責によって拒絶された事で一時的にストレスが認容の限界を迎え、解離性障害に陥り、遁走したのではないかという可能性である。

警察による捜索について

旭川東警察署が、智広くんの失踪について相談を受けたのは失踪翌日朝のことであった。2012年1月15日夜間から16日早朝にかけての旭川市の気温はマイナス14℃〜マイナス19℃と強烈な冷え込みを記録しており、これは仮に何の備えもなく一晩中屋外にいたのであれば、それだけで生命の危険がある程の気象条件である。

人体には運動、震え等による熱産生によって体温を保とうとする働きが備わっているが、元来の体力、外気温や衣類、エネルギー源(食料の補給や栄養状態)にも依存するものの、2009年トムラウシ山遭難事故での記録では、北海道の夏山において、体感温度マイナス10℃の状態で風雨に晒された登山者が1時間程度で低体温症を発症し始め、その後2時間程度で死に至ったとの記録が残されており、悪条件が揃えばあっという間に手遅れになってしまう事もあるようだ。

また、凍死者全体の統計では、意外にも自宅内における高齢者によるものが8割を占めているともいい、山岳遭難での発症は、低体温症全体から見るとむしろレアケースであるようである。

旭川市は路面などもよく整備された都市ではあるが、冬季の乾燥した気候とはいえ、転倒して雪まみれになり、体温で溶けた雪で衣類が濡れる等した場合は急速に体温が奪われ、熱産生の副作用で脳の血流も途絶え、思考能力を失って、早い段階で身動きが取れなくなることも考えられる。

しかし、そもそもの話、マイナス14℃〜マイナス19℃と言う外気温というのは、ゴーグルやマスク、十分な防寒装備無しには20分も歩いていられない程の寒さである。呼気中の水分が凍ってまつ毛や鼻毛を凍りつかせ、深呼吸をすれば鼻腔内や肺が痛むほどになる。

このような状態であるから、警察の捜索も徒歩圏内のごく狭い範囲で留められたのも尤もな事と言える。例えば、自宅の最寄り駅である緑が丘駅(無人駅であり待合室に暖房設備は無い)の防犯カメラを見たという情報はあっても、宿泊施設や深夜営業の店舗等が充実しているであろう、自宅から徒歩で1時間程度の距離にある旭川駅やその付近の防犯カメラを見たという情報はない。

歩いて旭川駅に向かうのは無理であろう事を前提として、2本ある旭川方面行き最終バス(21時台)やJ R北海道富良野線旭川行き最終(23時01分)に乗車していないかどうかの調査はされており、どちらも外出時間的に利用が不可能(車載カメラも確認済み)、または緑が丘駅の防犯カメラに映っていない事から判断して、旭川駅へ向かうことは難しいと判断されているようだ。

これらの情報や、近所のコンビニの防犯カメラ、ファストフード店でも目撃情報がない事から、「スーパーJチャンネル 真実の行方『13歳少年行方不明の謎』」中で、有識者として見解を求められた元兵庫県警刑事の飛松五男氏も、「寒さのあまり正常な判断力を失った智広くんが、恐らくは自宅からそう離れていない路上で、通りすがりの車に誘い込まれて連れ去られたのではないか」という趣旨の事を述べている。

おそらく智広くんは丸一日まともに食事を摂っておらず、体力の消耗は早かったものと考えられる(外出の理由自体が、空腹による買い出しが目的であった事も十分に考えられる)。

その後の情報

2019年10月29日21時放送の日本T V系「世界仰天ニュース」内で、佐藤智広くん行方不明事件が取り上げられた。新しい情報としては、2015年頃の、東京都内(新宿)での智広くん目撃情報や、同じく2015年頃からMさんの携帯電話宛に掛かってくるようになった無言電話、公衆電話から「タスケテ!トモヒロ!」というS M Sメッセージが2016年、2019年の2回に渡ってMさんの携帯電話宛てに送信されてきたというものがあった。

目撃情報や無言電話はともかく、S M Sメッセージについては公衆電話からドコモS M Sセンター(有料)に掛け、送り先の携帯電話番号と、年齢的に智広くんが習熟しているとは思われない「ポケベル打ち」によるメッセージを入力するという煩雑な手順を必要とする、送信文面のような緊急の連絡をしたい場合には全く不向きなサービスであり、悪質な悪戯である可能性が非常に高い。

個人的には、東京での目撃情報にはやや唐突さを感じる。陸路、海路、空路いずれのルートを採って上京したにせよ、旭川や札幌といった道内の都市部での目撃情報が全くないのは不自然である。

仮に、医師並みかそれ以上に「稼げる」と思い定めた新宿歌舞伎町のホストとして身を立てる事を、智広くんが自らの新しい目標として掲げたとしても、まずは札幌等の夜の街で旅費や当座の生活資金稼ぎも兼ね、適性の確認、話術や営業方法について学ぶ等の段階を踏むのが順当であるように思う。

家出であったとすれば協力者が身近に居た可能性が高いが、それならば尚更、その人を頼みに一旦は道内に生活拠点を築く事を考えるであろう。

旭川市男子中学生失踪事件 真相考察

智広くんは、自宅を飛び出した後〜翌日にかけて低体温症か交通事故により危機的状況に陥った可能性が高いとも思われる。

目撃情報が無いのは、智広くんは解離性障害もしくは激しい怒り等の影響下から、市街地とは逆の、警察が想定しない方向へ歩いて行ったからであり、智広くんが発見されないのは、発見者が何らかの理由により――例えば身体に暴行の痕跡を残してしまった、故意ではないにせよ車で轢いてしまい、あるいは善意から救助したものの、低体温症への手当てを誤った等の理由で、責任を問われる事を恐れた事から、車両を用いて土地勘のある山林へ隠匿、遺棄したという事態を想定している。

低体温症は中等度以上の場合、急激に温めると血流増加による循環器への負担等から「レスキュー・デス」と呼ばれる容態の悪化を招く危険性が知られている。

最終的には法的な責任を問われない可能性が高いとしても、発見者に性犯罪の前科がある、刑罰の執行猶予期間である、または一日でも拘束されればそれだけで職を失う可能性がある等の立場に置かれていたとしたらどうであろうか。

その場に放置するのもひとつの策ではあろうが、現代は科学捜査についての知識が一般に膾炙しており、用心深い者であって、他に目撃者がいない等の状況が許すのであれば、そのリスクを念頭において行動するであろう。

また、これは北海道に限らないだろうが、野生動物が人里に降りてくる地域であれば、血痕や事故跡が少々路上に残っていたとしても、それらの不運な動物たちによるものと考えてしまい、特にその場に死骸がない場合であれば、既に保健所が処分したものと解釈して改めて通報などは行わない可能性も高い。

これらの情報を持っている者がいたとしても、智広くんのように生存情報が優勢な案件で、敢えて記憶の底から忌まわしい思い出を掘り出してまで情報提供しようとは考えないであろう。

子供の失踪事件の常として、この事件でも母親等の家族が疑いの目を向けられている。

家族が出演したT V番組においても、姉のAさんが取材を受けている間、背景に笑顔で映り込んだ母親Mさんの姿や、アイメイク(まつ毛エクステ)を施して出演したMさんの姿に批判や疑いの目が向けられている。これらの映像は生放送ではなく録画によるものであり、素の姿を写したものではない事をまずは思い出すべきである。

例えば、母親の写り込みは取材クルーが「絵的に奥行きが欲しい」「画面に何か動きを入れたい」といった他愛もない意図でMさんに依頼したものである可能性があるし、笑顔やアイメイクも、社会生活・家庭生活を営む上で、例え事件や震災の被害者であっても、特に女性にはペルソナとして要求される傾向があるものである。

家族が失踪した事件の被害者らしい態度を観察者は求めるが、そのような態度を完全無欠に備えた被害者が現れたとしたらそれはそれで「演技過剰で被害者らしくない」という批判が向けられるのであろう。

2019年の山梨キャンプ場女児失踪事件の失踪女児の母親は、専門家である弁護士を雇い代理人として立ててさえも「被害者らしくない」という批判を最後まで払拭することが出来なかった。

佐藤智広くんが実際には生存しており、いつか家族との再会を果たすことができればそれが最善であると勿論願ってはいるものの、公開されている情報のみで判断するならば、智広くんはゲーム機を誕生日やクリスマスのおねだりではなく、自分のお小遣いを貯めて購入し、母親を楽にできるのがお金であることも理解している等、その重要性を十分に認識しており、また自分自身に未だ稼ぐ力がない事も承知しているからこそ、勉強して稼げる職業に就こうと考えていたわけで、例え一時的に母親に対する反発心や疑念を抱いたとしても、13歳で母親の庇護下から離れた後の事を想像できないほど愚かな少年ではないように思う。

それにも関わらず、彼は徒手空拳で極寒の夜に姿を消し、2023年1月15日を以て11年が経過した。

智弘くんの帰宅を願う家族の心境は察するに余りある。

様々な可能性が考えられる中、「ただいま!」と帰宅する智弘くんの姿を思い描いてしまう。


◆参考資料
・T V朝日系「スーパーJチャンネル 真実の行方『13歳少年行方不明の謎』2013年9月26日放送(YouTubeにて閲覧)
・日本T V系「ザ・世界仰天ニュース」ホームページ O Aまとめ 2019年10月29日公開 『最愛の息子はどこへ行った』 
北海道警察ホームページ
・佐藤智広くん親族のTwitterアカウント
・トムラウシ山遭難事故調査特別委員会『トムラウシ山遭難事故報告書』2010年3月1日発行


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2011年9月12日(月曜日)、人口2万8千人程の大分県日出町で、35歳の主婦・光永マチ子さん(以降マチ子さん)が忽然と姿を消した。その日、マチ子さんは朝から体調を崩していたといい、そのために10歳の長男と7歳の長女の朝の支度をさせるのが遅れ、小学校まで車で二人を送って行くことになったという。小学校までは、車で10分程度の距離であった。大分県日出町主婦失踪事件 概要その道のりは、子供の足では一時間近くかかってもおかしくない距離のため、送り迎えは毎日の日課であった事も考えられる。マチ子さんの自宅は田畑や雑木林に囲...
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陽が傾き始め、景色が夜と入れ替わる逢魔時(おうまがとき)――1人の女児が忽然と消えた。それは、魔物の仕業だろうか――人間の仕業だろうか――。1983年に発生した未解決事件「宮城県川崎町女児失踪事件(渋谷美樹ちゃん行方不明事件)」について考察していこう。事件概要1983年(昭和58年)11月1日(火曜日)夕方4時頃。事件は保育園からの帰り道に起きた。宮城県柴田郡川崎町で農業を営む柴田家のKさん(当時59歳)は、孫の渋谷美樹ちゃん(以降美樹ちゃん・当時2歳)を保育所まで車で迎えに行き、助手席に乗せて帰宅する途中だった。美樹ちゃ...
宮城県川崎町女児失踪事件(渋谷美樹ちゃん行方不明事件) - clairvoyant report

Tokume-Writer

兼業webライターです。ミニレッキス&ビセイインコと暮らすフルタイム事務員。得意分野は未解決事件、歴史、オカルト等。クラウドワークスID 4559565 DMでもご依頼可能です。文学・歴史・犯罪心理・メンタルヘルス・オカルトなど。