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広島県安芸郡府中町主婦失踪事件

広島県安芸郡府中町主婦失踪事件 概要

2001年9月24日(月曜日)、午前10時ごろ、広島県安芸郡府中町青崎の、賃貸マンション3階に住む主婦N・Tさん(当時50歳・以下N子さん)は、友人Aさんからの電話を受けた。その用件は昼食への誘いであった。

N子さんはその時期、マンションの一室に一人で暮らしていた。知人たちからの印象では、結婚13年目のT夫妻の仲は良好であったようだが、子供は無く、当時N子さんの夫S郎さんは持病などにより入退院を繰り返しており、この頃も労災による指のケガで入院中であった。

N子さん自身も心臓病等いくつかの持病を抱えていたが、頻繁に夫の病室を見舞っており、友人Aさんも当然その辺りの事情は承知していた。恐らくは昼食を共にしてN子さんを元気づけ、その後一緒に病室を見舞うという心づもりであったのだろう。

動画は、記事の一部を音声化したClairvoyant report channel『広島県安芸郡府中町主婦失踪事件

N子さんは携帯電話も所持していたが、Aさんは、最初の誘いの電話は自宅の固定電話宛てに掛けた。N子さんの返答は以下のような内容であった。

「シャワーを浴びたいので、外出の準備ができたら電話する」

そして、恐らくAさんの携帯電話の通話履歴で11時20分頃、N子さん宅の固定電話からAさん宛に連絡があった。

「準備ができた」

Aさんは、これからマンションまで迎えに行く、着いたら電話する旨を伝えて切電。携帯電話を持って車に乗り込んだ。

丁度その頃、マンションのエレベーター内に設置された監視カメラが、50〜60歳程度の、青系統色でポロシャツ様の衣服を着用した男性の姿を記録している。但し、降りた階が3階では無かったために、後にN子さんの捜索願と情報提供を受けた警察は、関係者としてカウントしなかったのだという。

その後、男がエレベーターを使って階下に降りた記録は残っていない。建物に2ヶ所ある階段のいずれかを使って降りたか、自室へ帰宅する途中のマンション住人であった可能性もある。他に監視カメラは設置されていなかったようだ。

11時48分頃、まだ自宅で待っているはずのN子さんではあるが、何故か固定電話ではなく携帯電話の番号から、Aさんの携帯電話宛てに着信があった。

Aさんは運転中のこともあり、この電話を受けることが出来なかったが、そのまま運転を続け、マンションに着いた11時50分、N子さんの携帯電話宛に電話した。

「あー」

通話状態になった携帯電話の向こうから、Aさんの耳に不可解な声が聞こえてきた。恐らく通話時間にして3.5秒間、電話は切られた。切電したのはN子さん側か、もしくは電波不良によるものと考えられる。

正午頃、Aさんはもう一度、N子さんの携帯電話宛に電話した。携帯電話は再度、通話状態になったが、Aさんの耳に聞こえてきたのはまたしても不可解な、

「あー」「うー」

といった声であった。今回の通話時間は4.5秒間であった。

その声は、(恐らく、後から思い返してみると)悲鳴のようにも聞こえたというが、所謂「正常性バイアス」(パニックを抑制する為の心の機構だが、異常事態の無視または過小評価を招く事もあり、災害時の避難遅れの原因ともなる)によるものか、AさんはN子さんがじきにマンション入り口まで降りてくるだろうと車内で待ち続けた。

その間、AさんはN子さんの携帯電話宛てに2、3分おきに電話を掛け続けたが、呼び出し音は鳴るものの通話状態になる事は二度と無かった。

12時20分頃、N子さんから応答がないのを訝しんだAさんは、3階のN子さんの居室まで上がり室内へ呼びかけたが、玄関ドアは施錠されており、何らかの反応も無かった。その際、玄関の前に、隣室に住むN子さんの義母(夫の母親)が使っている車イスが広げて置かれているのを確認している。この義母は足が不自由であり、耳も遠かったといい、隣室の出来事についての発言も限られている。

12時30分頃、AさんはN子さんが約束を反故にしたものと判断。当然ながら怒って帰宅してしまった。

同日夕方。AさんはN子さんの事が気になり始め、入院中のS郎さんと連絡を取り、昼間の件を話した。もしもN子さんが当日夫の見舞いに訪れていた、せめて連絡を取っていた事でも確認できれば、少々腹立たしくはあるが一安心といった所であったのだろうが、その日にそういった出来事はなく、事態の雲行きが怪しくなり始める。

同日夜8時頃、AさんとS郎さんは合流し、青崎の自宅マンションを訪れた。昼間、玄関の前に置かれていた義母の車イスは、元の場所(恐らく義母宅の玄関前)に畳んだ状態で戻されていたという。この車イスの移動について、義母自身は覚えが無いと語っているという。

約30分後、入院先に自宅の鍵を持ち込んでいなかったS郎さんは、「鍵屋」に解錠を依頼して自宅マンション室内に立ち入った。室内履きのスリッパがわずかに乱れていた他には、室内に荒れた形跡は無かったが、N子さんの姿も無く、見舞いの為の荷物(着替え等)は残されていたが、普段彼女が外出時に持ち歩いていた、携帯電話、財布、キャッシュカード等最低限の身の回り品の入ったバッグは無かった。

他に家からなくなっていたものとしては、見舞金等の現金25万円、S郎さんの障害者手帳が挙げられている。一方、N子さん愛用の化粧品や、持病に関わる病院の診察券が室内に残されており、単純な自発的失踪であると言い切る事もまた困難なものとしている。

室内を確認した二人は、事情を知っていそうなN子さんの友人8人に連絡したが、N子さんの居場所が判明することは無く、その日の夜10時、友人経由で連絡を受けた、N子さんの実兄であるTさんが広島市東警察署に通報した。

翌日改めて警察署を訪れたS郎さん、Aさん等友人達は、事態の事件性を訴えて捜査を依頼したが、成人女性の失踪ということもあり警察の動きは消極的で、家出人捜索願の受理に留まっている。

それでも、一応、N子さんの携帯電話が発する電波状況をキャリアに問い合わせており、最後の位置情報は9月25日夜9時10分。自宅から車で30分程度離れた広島県呉駅周辺であった事が分かっている。

確認されたN子さんの最後の位置情報JR『呉』駅近辺

9月29日朝。T家の郵便受けに、26日の、自宅のある青崎から車で1時間半程度の距離にある、福山郵便局の消印が押された封書が投函されているのが見つかった。位置関係としては、N子さんの携帯電話が発する電波が最後に発見された呉駅と、郵便局最寄りの福山駅は、J R呉線〜J R山陽本線沿いに存在しており、車を使わずとも移動は比較的容易である。差出人の名前は見当たらなかったが、ワープロ、またはP Cを用いて、

「私もやっと妻子と別れ、はれてN子と一緒になることが出来ました。ふたりを探さないで下さい」

そう記された手紙が封入されていた。

9月30日、S郎さん達は手紙とマンションの防犯カメラ映像を広島市東警察署に提供し、事件としての捜査を再度訴えた。手紙に若干不審な点(封筒に折り直し痕と変形)があった事を理由に(親族の件で警察への相談歴があった事も関係しているかもしれない)、警察は現場検証を行いはしたものの、争った形跡を発見出来なかった事から、結局事件化される事はなく、本格的な捜査が行われる事はなかった。

それから約4年後の2005年11月、T V朝日系の公開捜査番組「奇跡の扉 T Vのチカラ」にてN子さんの失踪事件が取り上げられた。その時点で、夫のS郎さんはN子さんとの再会が叶わぬまま既に死去しており、番組にはN子さんの実兄Tさんが出演している。

番組内では、N子さんが夫S郎さんの親族(兄弟)から、義母が相続した一家の財産の取扱いについて「殺す」と脅迫されていた事、防犯カメラの映像に残された人物がその脅迫者に似ている事。その人物に局として取材を申し入れたが、応じては貰えなかった事を暗示。N子さんの体をどのようにマンション外に運び出したのかという検証がなされ「限りなく殺人事件に近い」という友人達の主張に沿った番組構成となっている。

しかし、視聴者からの情報提供としては、手紙にあったような不倫を匂わせるような広島の観光名所、宮島での目撃情報、兵庫県でN子さんと一緒に働いているという人物からの、自発的失踪を示唆する情報も寄せられている(情報の裏は取れていない)。

番組スタッフは、改めて広島市東警察署へ取材結果を提供、事件としての捜査を依頼したようではあるが、その意見が容れられる事はやはりなかった。 その後、何らかの事実が公表される事はなく、2010年2月、実兄Tさんにより前年申し立てがされていた、N子さんの失踪宣告審判が確定している。

手がかりとその検討

N子さんについて

N子さんは1951年生、この年代生まれの女性として、1988年(当時36歳)で初婚というのは少々珍しいのではないかと感じるが、それ以前の婚姻歴、職歴、学歴等は公表されていない。T V番組で若い頃の写真が取り上げられた際には感嘆の声が上がる程の美貌の持ち主であった。

幼い頃から心臓病を抱えていたとも考えられるが、写真等を見るに、行動に大きな制限があった様子は伺えず、服薬が欠かせなかったという情報も出ていない。失踪当時も一人暮らしが出来ており、隣室の義母の介護、夫の入院生活のサポート、8人の友人達との交際も維持できている等、日常生活への支障も見当たらないが、マンションでは必ずエレベーターを用いていたという。

尤も、健康な人間でも階段の昇り降りは億劫になりがちなものであり、マンションは5階建てであり待ち時間もそう長くはなかったと思われる為、健康上エレベーターの利用が必須であったかどうかは不明である。

賃貸マンションの3階に居を構えている事からは、階段の使用(少なくとも下降)がまったく不可能な程の病状であったとは考えにくい。非常時にはエレベーターは使えず、徒歩での避難が必要になるだろうからである。また、乳がん、咽頭がんの既往歴もあるとされるが、年齢や生活ぶりからすると、治療中というよりは、治療終了後の観察期間である可能性が高い。

T家の事情について

前述の『概要』で述べた通り、当時T家は遺産相続についての軋轢を抱えていた。とは言え標的になっていたのは相続人になる夫のS郎さんではなくその妻のN子さんであったようであり、マンションに押し掛けられ、玄関ドアを蹴られる、「殺すぞ」等の罵声を浴びせられる等の嫌がらせを受け警察を呼んだ事もあったという。T V番組内では、N子さんの消息を最後に確認した友人Aさんが、失踪の約2ヶ月前、マンション自室前でN子さんと共に、親族男性に実際に詰め寄られた事を証言している。

こういった事情はN子さんの実家でも把握しており、娘を心配した父親は(恐らく、いつでも逃げ出して当面の生活が成り立つよう)Nさん名義の通帳に一千万円を振り込み贈与していた(失踪後、この口座に動きはないという)。N子さん側の人々は、あわよくばこの一千万円も親族男性が狙っていたのではないかと疑っているが、常識的に考えて夫のS郎さんはともかく、親族男性にこの情報を与えていたとは考えられず、諍いの原因はマンション隣室の義母の処遇など、どちらかと言えば感情的なものであった可能性が高い。例えば、なぜ同居して世話をしないのか(賃貸マンションで別生計では遺産の減りも急速であろう事も含む)といった事である。

失踪当日について

失踪当日のマンション内における不審点は、まず義母の車イスの移動が挙げられる。義母宅前に置かれていた車イスを持ち出し、N子さんを連れ去ろうと考えた後に、階段で車イスを使うのは無理があると気づき、かといってエレベーター内には監視カメラがあることを思い出して使用を諦めたのだとすると、連れ去りは計画的なものではなかったことが推測できる。

しかし、そもそも連れ去りには、N子さん自身の意思で玄関ドアを開けさせる必要があり、それが穏便に可能な人物であれば、マンション外の自分の車や、息のかかった施設等へ彼女を呼び出す事も可能なのではないかと思われる。N子さんが監視カメラに単独で写ることまで忌避する理由は見つからないし、少なくとも、N子さんが一人でいる時に、普段から不仲である相手に自らドアを開けるとは思われない。

不運にも外出の為ドアを開けた瞬間に押し入られたとも考えられるが、そのような意図の侵入であっても、連れ去りの必要性を見出す事は難しい。その場で脅して金品を奪うなり、何らかの念書にサインさせる等で事足りるはずだからである。

仮にその場で死亡、昏倒させてしまった場合であっても、連れ去るよりはその場に残して指紋などの証拠を隠滅して逃走するなり、救急センターへの通報を行なおうという判断に至る方が自然である。人間は急な判断を迫られた際には、最も手数の少ない行動を取りがちであるという。

連れ去りは考えにくいとすると、少なくともマンション外に出たのはN子さん本人の意思である可能性が高い。しかし、子供がいない事、夫や自分自身の健康問題、義母の介護、夫の親族とのトラブル等自発的失踪に至る理由は十分にあると言って良い状況であるが、友人Aさんとの約束をしたその日に敢えて決行するとは思われない。すぐさま何らかの捜索活動が始まってしまう事が容易に想像できるからである。

広島県安芸郡府中町主婦失踪事件 真相考察

N子さんはその日、夫の入院先へ荷物を運ぶ為に、義母の車イスを台車がわりに借りようと考えた。幸いその日は友人Aさんが一緒であるし、エレベーターで1階まで運べばその後は車に乗せてもらう事もできる。そこで隣室から車イスを持ち出して自宅玄関前に広げ、自室に荷物を取りに戻ろうとバッグから鍵を取り出すと、内階段の方向からこちらへやってくる人の気配がする。

嫌な予感がし、それは的中した。N子さんは非常階段の方向へ逃げ、携帯電話でAさんに助けを求めようとした。しかし運転中のAさんは電話に出ることができなかった。何とか非常階段を降りている途中でAさんから電話がかかってきたものの、恐怖と胸の苦しさから意味のある声が出せず、勿論、大声を出す事もできず電話やその場で助けを求めるのは諦めた。もう近くにAさんが来ているのかもしれないが、また身内のゴタゴタで怖い思いをさせてしまうのも憚られた。

一方、追跡側はN子さんの追跡を早々に諦めていた。十分に怖い思いはさせたし、何やら携帯電話で話をしていたようでもある。助けに誰かを呼んだかもしれない。持ち主に不便があってはならないと、車イスを畳んで隣室の定位置へ戻す。

人心地ついたN子さんは、これからどうしたら良いのか思案した。あの部屋に戻るか、電話でAさんか夫に助けを求めるか、実家に帰ってしまうか――それでも、あの人との縁が簡単に切れるわけではない。

ふと、バッグの中に見舞金25万円があることを思い出した。その気になれば父親がくれた一千万円があることも。平気なふりをして日常に帰ったとしても、見通しの立たない未来しかないのであれば、いっその事――。

暫しの逡巡の後、N子さんは、最寄り駅である呉線向洋駅に向かって歩き始めた。

2000年台初頭の失踪者は、届け出があったものだけでも年に10万人近く、狭い日本の中であっても、その全ての行方が判明しているわけではない。

また、比較的近年の傾向になるが、家庭内不和による失踪は、認知症によるものに次いで2番目に多いという。

平成29年-令和3年行方不明者の推移原因・動機別

警察庁HP:令和3年における行方不明者の状況平(成29年-令和3年の原因・動機別)から作成(原因・動機は、行方不明者届受理時に届出人から申出のあったものを計上)

N子さんは失踪前には命に関わる重病の既往歴から、医療機関へのアクセスの必要性が高かったとされ、一般的には、それが困難になる失踪者の道を自ら選ぶことはありえないと見做されている。

しかし、先が見えている(少なくとも、そう考えている)のであれば、逆に思い切って、短期間であっても、不自由な病院通いや人間関係のシガラミから解放されたいと望むかもしれないし、それを止める方が残酷な事であるのかもしれない。家族や友人達は自分の事を心配していると分かっていたとしても、いや、だからこそ自ら背を向けた事を伝える事が出来なかったと説明することができる。

数日後に投函されたワープロ打ちの手紙もN子さん自身によるものと考える方が自然である。失踪から投函までの期間が短すぎる上、実際には夫S郎さんの死去までは婚姻関係が成立し続けていたわけで「はれて一緒になって」いると表現するのは無理がある。また、これを送ることで、N子さん以外の誰かの利益になるわけでもない。

仮に、何者か、特に本物の不倫相手がいたとして、N子さんを生きたまま連れ去ったとした場合、このようなぼんやりした手紙ではなく離婚届を書いて(書かせて)同封するであろうし、万が一死亡させていた場合には、犯罪の物証になりかねない余計なものを送りつけるとは益々考えにくい。

社会問題としての「孤独死」は、憐れみの目を向けられつつも自業自得であるとして後ろ指を差されるが、後始末をしてくれる縁者に囲まれて、病院のベッドから去る時が来たとしても、その時は結局一人であり、それは「孤独」な死ではない事を必ずしも保証しない。

N子さんの失踪について、真相は一つなのであろうが、この考察がその幾許かに辿り着いているかといえば正直その自信はない。 それでもN子さんが現在「孤独」ではないこと、できれば「自由」で「安心」できる居場所を手に入れている事を、切に願っている。


★参考資料
・N子さん実兄の友人のHP「友人の妹さんの行方を探しています」(ウェイバックマシンによるデジタルアーカイブ)
・T V朝日系『奇跡の扉 T Vのチカラ』WEBサイト「SOS−114 50歳妻が謎失踪」(同上)
・TV朝日系『奇跡の扉 T Vのチカラ』2005年11月


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江東区小5女児誘拐殺人事件とは、1969年(昭和44年)5月31日(土曜日)、17時30分頃、東京都江東区東雲1丁目内の某社社宅居住の小学校5年生E子ちゃん(10歳)が、買い物からの帰宅途中に車に乗った男に誘拐され、同年6月3日、午前11時頃、誘拐現場から南東方向へ直線距離で約1キロメートルの東京都江東区辰巳町東京湾十二号埋立地(現在の東京都江東区辰巳3丁目内付近)でE子の遺体が発見された(猥褻目的)未成年者略取、殺人、死体遺棄事件である。 一時は、本事件翌年の1970年6月3日(水曜日)に千葉県木更津市内で発生した小学校3...
江東区小5女児誘拐殺人事件 - clairvoyant report
貨幣・紙幣は国家の信用の上に成り立っている。特に国家による信用の裏付けのない紙幣は、単なる文字と絵が描かれた紙切れに過ぎない。1961(昭和36)年に最初の一枚が見つかった贋造紙幣「チ-37号」は、その精巧な造りから「贋造紙幣の最高傑作」、「最後の職人技」などと呼ばれ、1963(昭和38)年11月14日まで事件は続いた。国会でも取り上げられた「チ-37号事件」は、社会に大きな影響を与えた戦後の事件の一つでもある。警察は犯人検挙に向け異例の大規模捜査を行い、政府は新たな千円紙幣(伊藤博文像の紙幣)を発行し対応するが―...
チ-37号事件 - clairvoyant report
広島市佐伯区植物公園職員失踪事件 概要2014年6月7日(土曜日)朝9時頃。広島市佐伯区の植物公園職員、藤野千尋さん(当時25歳・以降千尋さん)は、家族三人(母、弟)で暮らす自宅を出て、いつも通り佐伯区五日市駅南口からバスに乗り、職場である広島市植物公園へと出勤していった。千尋さんは運転免許証を持っていなかった。臨時職員として4月に採用されてから約二ヶ月が経過し、担当の植物(ベゴニア)も決まり充実した生活ぶりであった。少なくとも、同居の母親H子さんの目からはそう見えていた。自然を愛する千尋さんは子供の頃から植物...
広島市佐伯区植物公園職員失踪事件(藤野千尋さん行方不明事件) - clairvoyant report
室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件)概要2001年3月6日(火曜日)――暦の上では既に春であり、関東地方ではお花見の予定を立て始める時期でもある。しかし、その日、北海道の地方都市である室蘭市は依然ほぼ終日、肌寒い氷点下の気温であり日差しも乏しかった。日陰には所々雪も残っている。それでも世間は着実に「春」に向かって時を進めており、その日は公立高校の入学試験のため休校日であった。道内有数の進学校である、道立室蘭栄高校の一年生である千田麻未さん(ちだ あさみさん・以下麻未さん・当時16歳)はその日の...
室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件) - clairvoyant report
1991年5月19日、50歳の男性が東京都内の病院で病死した。男性は末期ガンだった。男性の名前は「山森将智家」の筈だった。けれども男性の名前は「山森将智家」ではなかった。名前どころか、戸籍記載事項から勤務先まで全てが嘘(ウソ)だった。真実を欲する妻を取材した「夫はだれだった」というタイトル記事が朝日新聞に掲載されたのは、同年の11月のことだった。「夫はだれだった」の見出しと記事内容は、読み手の心を刺激したのだろう。後年、同記事をモチーフにした小説『嘘を愛する女』(岡部えつ,徳間文庫,2017年)が発表され、翌...
夫はだれだった:「山森将智家」と二人の妻『嘘を愛する女』の実話 - clairvoyant report
岡山県津山市19歳会社員失踪事件 概要2019年8月26日(月曜日)、岡山県津山市の土木関連企業の社員で、保守点検業務に就いていた中山裕貴さん(なかやま ひろたかさん・以下裕貴さん・当時19歳)はその日、4月に入社したばかりの職場に姿を見せなかった。事前または当日の連絡はなく、いわゆる無断欠勤であった。裕貴さんは2019年3月に岡山県岡山市の工業高校を卒業後、新卒で入社して以降、真面目な勤務態度で知られており、前の週である8月19日から23日も特に変わった様子もなく働いていたという。上司であるY氏の言を借りれば、「新入...
岡山県津山市19歳会社員失踪事件(中山裕貴さん行方不明事件) - clairvoyant report
2007年(平成19年)5月25日、名古屋家庭裁判所に申立がなされていた、ある母子の失踪宣告審判が確定した。 バブル景気と精神世界の探求、グローバル化と東西冷戦の終結など激変と混沌の1989年の夏に発生した名古屋母子・同居人失踪事件について解説・考察していこう。名古屋母子・同居人失踪事件 概要失踪した母子のうち母親であるS乃さん(失踪当時30歳)と、その息子であるDくん(当時3歳)は、失踪の四年ほど前の1985年に、S乃さんと国際結婚をしたオランダ人の夫(Dくんの父親)であるR氏と家族三人で暮らしていたが、S乃さんはその後約...
名古屋母子・同居人失踪事件 - clairvoyant report
1999(平成11)年8月13日(金曜日)17時50分頃、JR横浜線「成瀬」駅から北東方向へ直線距離で約100メートルの場所に所在した某レンタルビデオ店から一人の女性が出た。彼女はT美術大学で絵画を学ぶ18歳の井出真代さんだった。某レンタルビデオ店の従業員の記憶によれば、店を出た彼女は自宅とは逆方向のJR横浜線「成瀬」駅方面に向かったのではないかといわれている。発生から20年以上を経て未だに未解決の井出真代さん失踪事件(町田市美大生失踪事件)について考察していこう。※本記事の内容は全て個人的な考察と推察です。事件経緯...
井出真代さん失踪事件(町田市美大生失踪事件) - clairvoyant report
一人の男性が消えた。彼は働きながら正看護師を目指す23歳の准看護師だった。失踪の前、彼は携帯電話で誰かと話をしていたとも言われ、彼の失踪後、自宅に町役場の職員を名乗る者からの電話があったという。栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)は、北朝鮮の工作員による拉致事件の可能性も否定できないといわれる謎の多い失踪・行方不明事案(事件)である。栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)概要2002(平成14)年4月30日(火)19時頃以降、栃木県下都賀郡K町(当時・現在は合併により栃木県下野市)在...
栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件) - clairvoyant report
1984年9月30日、大阪のホテルでの滞在記録(クレジットカード利用明細による推定)を最後に、ある老夫婦が消息を絶った。著名な経済学者・著述家の岡崎次郎氏(当時80歳・以降岡崎氏)とその妻Kさん(当時86歳)である。岡崎次郎夫妻失踪事件 概要岡崎氏は、社会主義思想の巨人カール・マルクスの著作『資本論』の翻訳で知られた経済学者・著述家であり、生年は1904年。旧制一高・東京帝国大学というエリートコースを経たものの、卒業後は定職に就かず断続的に翻訳・著述業に携わっていた。1933年から東亜経済調査局に勤務するが、在職中、...
岡崎次郎夫妻失踪事件 - clairvoyant report
「魔」は突然に訪れる。約40秒の「魔」が一人のあどけない子と家族に訪れた。「平成」という新たな時代の初めに発生した未解決行方不明事案(事件)「徳島県貞光町4歳男児失踪事件(松岡伸矢くん行方不明事件)」について解説、考察していこう。概要1989年(平成元年)3月6日、茨城県U市在住の会社員Mさんと妻のK子さん、その子供たち(当時4歳の伸矢くん、伸矢くんの姉と弟)の家族五人は、徳島県小松島市を訪れていた。K子さんの実母が再婚先である小松島市で急死し、その葬儀に参列する為であった。そこがK子さんの実家であれば、...
徳島県貞光町4歳男児失踪事件(松岡伸矢くん行方不明事件) - clairvoyant report
2011年9月12日(月曜日)、人口2万8千人程の大分県日出町で、35歳の主婦・光永マチ子さん(以降マチ子さん)が忽然と姿を消した。その日、マチ子さんは朝から体調を崩していたといい、そのために10歳の長男と7歳の長女の朝の支度をさせるのが遅れ、小学校まで車で二人を送って行くことになったという。小学校までは、車で10分程度の距離であった。大分県日出町主婦失踪事件 概要その道のりは、子供の足では一時間近くかかってもおかしくない距離のため、送り迎えは毎日の日課であった事も考えられる。マチ子さんの自宅は田畑や雑木林に囲...
大分県日出町主婦失踪事件 - clairvoyant report
人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う。この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか。太宰治『惜別』概要2018年7月4日の深夜から、翌日5日の早朝4時半頃にかけて、若い女性が自室から姿を消した。千葉県佐倉市在住(当時)の、山野下せい香さん(以降せい香さん・当時21歳)である。彼女は千葉駅前にある焼き鳥店で、週に5日働いていた。家族によると、失踪当日である7月4日も出勤日であり、せい香さんはいつもより遅く帰宅した上、最後に姿が確認された23時半頃になる前にも、何度か外出と帰...
千葉県佐倉市21歳女性失踪事件(山野下せい香さん行方不明事件) - clairvoyant report

Tokume-Writer

兼業webライターです。ミニレッキス&ビセイインコと暮らすフルタイム事務員。得意分野は未解決事件、歴史、オカルト等。クラウドワークスID 4559565 DMでもご依頼可能です。文学・歴史・犯罪心理・メンタルヘルス・オカルトなど。