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帝銀事件 検証 詐欺師の犯罪

帝銀事件の謎を考察・検証

帝銀事件 事件概要

帝銀事件の事件概要

事件現場旧帝国銀行椎名町支店
当時の所在地東京都豊島区長崎町1-33
年月日時1948年(昭和23)1月26日(月曜日)15時過ぎ頃
事件概要詳細不明の青酸化合物を使用した強盗殺人など
被害者数死亡者12名など
被害総額現金164,410円、小切手17,450円
「帝銀事件 検証 詐欺師の犯罪」資料 事件の概要

なお、帝銀事件の略地図の東側にある環状(道)路は、「山手通り」であり、後述する帝銀事件の関連事件の事件現場付近にも「山手通り」が通っている。

帝銀事件の時代背景

1945(昭和20)年8月15日、ポツダム宣言を受諾した日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下に置かれた。その後、1947(昭和22年)4月25日の第23回衆議院議員総選挙で日本社会党が第一党となり、日本社会党委員長率いる片山内閣が発足する。

空襲により焼け野原となった新宿には博徒系ヤクザ関東尾津組が「光は新宿より」のキャッチフレーズを掲げた大規模な闇市(尾津マーケット)が生まれ、闇市には多くの人が毎日のように食料、日用品、仕事などを求め集まっていたのだろう。そのような「戦後のど真ん中」の社会状況のなか、1948(昭和23)年1月26日(月曜日)、12名の死者を出した凶悪な強盗殺人事件「帝銀事件」は発生した。

この凶悪な帝銀事件で逮捕、起訴、死刑が確定したのは著名な画家「平沢大暲(本名:平沢貞通)」である。平沢貞通は無実を主張しながら約39年間を獄中で過ごし95歳で他界したが、帝銀事件にはいまだに冤罪説、複数犯説、GHQ関与説、旧日本軍の特務機関や731部隊の関与説など多くの疑問や謎が有ると指摘されている。なお、昭和23年には、死刑冤罪事件の「免田事件」、拷問的な取り調べによる自白強要が証拠となり一審で死刑判決などを受け、その後、無罪となった「幸浦事件」などの冤罪事件。アプレゲール犯罪といわれた「光クラブ事件」。多数の嬰児を殺した「寿産院事件」や複数の女性とその子を崖から落とし殺害した「おせんころがし殺人事件」などの凶悪事件などが発生している。

全てが変わった1945(昭和20)年8月15日から約3年の日本社会は混沌の時代だったのだろう。そのような社会情勢のなか、1948年(昭和23年)1月26日(月)15時過ぎ、厚生省技官医学博士の肩書と東京都の防疫課の名称が印刷された名刺を持ち、近隣で発生した集団赤痢の予防のためGHQの指示により来たと語る一人の男が「帝国銀行椎名町支店」(当時の住所:東京都豊島区長崎1-33)に現れ、子供を含む12名を青酸化合物とみられる薬物で殺害し、現金181,900円、小切手1枚(17,450円)の総額181,900円を奪った強盗殺人事件が発生した。この前代未聞の大事件――いまだに多くの疑問を残す戦後を象徴する事件――を検証・考察してみよう。

一人で多数を制圧した犯人

この前代未聞の凶悪犯罪「帝銀事件」は、本事件 (「帝国銀行椎名町支店」の強盗殺人) と2つの未遂事件と関係性が指摘される2つの事件、さらに本事件(帝銀事件)の翌日(1948(昭和23)年1月27日、14時40分頃)、本事件で詐取した小切手を換金した事件(「安田銀行板橋支店」を舞台とした事件)の合計6つの事件で成り立っている。なお、平沢貞通の犯行と裁判で認定されている事件は本事件 (「帝国銀行椎名町支店」の強盗殺人)とそれ以前の未遂事件2件、本事件の翌日に発生した小切手換金事件の合計4事件であり、松本清張や和多田進(ドキュメント帝銀事件 毒の告発,2013,solaru)などにより関係性が指摘される関連2事件は、その真偽などに不明な点もあるが、本サイトでは「帝銀事件」を考察するうえでのヒントとなる関係性事件として扱いたいと思う。

以下の図の赤枠が平沢貞通の犯行と認定された4つの事件である。なお、同図は(昭和23年1月28日付「帝国銀行員毒殺ニ干スル追加指示」(警視庁文書:参考文献, 「ドキュメント帝銀事件 毒の告発」,P39)および(森川哲郎著「秘録帝銀事件」2009年祥伝社,P372-373)を参考に作成した。

平沢貞通の犯行と認定された4つの事件 クリックすると大きな画像になります

帝銀事件の犯人として逮捕、起訴、死刑判決を受けた平沢貞通は、1947(昭和22)年10月14日の「安田銀行荏原支店」の事件で犯人が現場に残した名刺の主である厚生技官「松井蔚」と過去(1947(昭和22)年4月25日~27日の青函連絡船 景福丸の一等船室内 )、偶然に出会い名刺交換をした。その事実を突き止めた警視庁捜査一課の名刺班は、日本初のモンタージュ写真の犯人に似ているなどの理由と併せ平沢貞通を逮捕した。長期間に渡り勾留され、警察、検察からの厳しい取調べを受けた平沢貞通は犯行を自供するが、裁判では否認に転じる。そう、帝銀事件は4つの事件を同一犯と認定し、その4つの事件を平沢貞通の一人の犯行と認定している事件だ。

ここから、この4つの事件のうち本事件(帝銀事件)の翌日の小切手換金事件を除く3事件(未遂2事件)で使われた小道具と騙しの言葉を検証してみよう。なぜなら、この一連の事件は最少人数の実行犯がその知略と演技により多数の者を支配下に置いた事件――つまり、拳銃などで大人数を制圧する粗暴犯ではない詐欺事件だからだ。

名刺と腕章 騙すための小道具と言葉

1・昭和22年10月14日 15時30分頃~約1時間に発生した「安田銀行荏原支店」での未遂事件

同事件は「帝銀事件」の約三か月前に発生した一連の「帝銀事件」の最初の事件である。また、この事件では実在する厚生技官「松井蔚」の名刺が犯行に使用され、過去に同人と名刺交換をしていた平沢貞道が本事件(「帝銀事件」)の容疑者に浮上するきっかけとなる事件でもある。

以下は 「安田銀行荏原支店」の未遂事件で使用された名刺のイメージ。

帝銀事件 名刺 イメージ

また、同事件で犯人は「厚生省」と毛筆で書かれた白色腕章をしていたらしい(参考文献,ドキュメント帝銀事件 毒の告発 P43-44)
つぎに、この 昭和22年10月14日、15時30分頃~約1時間に発生した「安田銀行荏原支店」の未遂事件で犯人が同銀行関係者や犯人と直接会話した飯田巡査に語った内容をみてみよう。

「茨城の水害で悪疫が流行したので、現地に派遣され、コタコタに疲れて帰ってきました。ところが、今度は、水害地から子供を連れ小山三丁目のマーケットの裏の渡辺忠吾という家に避難してきた夫婦者が、赤痢にかかり、そこから集団赤痢が発生したのです。その消毒のためGHPのパーカー中尉と一緒にジープで来たのですが調べてみると、今日、午前中、そこの同居人が、この銀行に預金に来ていることが判明しました。そのため、この銀行のオール・メンバー、オール・ルーム、オール・キャッシュ、または、オール・マネーを消毒しなければなりません。金も帳簿もそのままにしておくように」

森川哲郎著「秘録帝銀事件」2009年祥伝社 P50

なお、「オール・メンバー、オール・ルーム、オール・キャッシュまたは、オール・マネー(中略)茨城」という言葉は、調べたかぎり荏原関係者の聴取書には見当たらない」( 引用,ドキュメント帝銀事件 毒の告発 P41)との説もある。

また、事件当日、犯人と直接会話した警察官飯田巡査の昭和23年3月2日の聴取書には以下の内容があるようだ。

「都のほうから連絡があって厚生省からきたのです」 「私は都のほうから電話がかかってきて、さっそくやって来たのです、警察が知らないということはないでしょう」

キュメント帝銀事件 毒の告発 P42

実在の「厚生技官」の名刺を使った昭和22年10月14日の「安田銀行荏原支店」の未遂事件の犯人は、その名刺の肩書に沿った「厚生省の腕章」を小道具として使い、東京都から連絡を受けGHQと一緒に消毒に来た厚生省の技官に擬変し会話をしていることがわかる。

以下は昭和22年10月14日、15時30分頃~約1時間に発生した「安田銀行荏原支店」の未遂事件の要点だが、冷静に考えれば「東京都から連絡を受けた厚生省の技官がGHQと一緒に現場に来て単身で作業をする」という設定に疑問が湧く。このような作業は東京都や区役所の仕事ではないか?なぜ、都や区の職員が同行していないのか?なぜ、厚生省の技官が単身で来たのか?また、犯人は実在しない赤痢発生現場住所を警察官に伝え、付近にGHQがいないことを確認される重大なミスを犯している。この失敗を踏まえ次の事件をみていこう。

帝銀事件「安田銀行荏原支店」の未遂事件の要点

  • 犯人は実在の厚生省技官の名刺を使用した。
  • 厚生省の文字のある腕章を使用した。
  • 東京都から連絡を受けGHQのパーカー中尉と一緒ジープで来た。
  • 警察官が赤痢発生場所住所を探したがその住所自体がない。GHQも付近にいないので怪しまれ未遂に終わった。

2・昭和23年1月19日 15時05分頃~約30分に発生した「三菱銀行中井支店」での未遂事件

同事件は「帝銀事件」の一週間前に発生した事件である。また、この事件の前、昭和23年1月15日頃、この事件で犯人が口実に使う「井華鉱業株式会社 落合寮」に「区の衛生係員を名乗る人物」が現れ、管理人A氏の妻に「便所の消毒に来たといい、腕章もつけず、何も持っていないので、怪しまれて姿を消した事実があり、四日後には約300メートル離れた三菱中井支店に現れたとき、このA氏方の名を使い、毒殺事件を演じたものである。引用:朝日新聞、昭和23年2月6日付」という一連の「帝銀事件」と関連性の高い事件があったようだ。

以下は 「三菱銀行中井支店」での未遂事件で使用された名刺のイメージ。

帝銀事件 名刺 イメージ

この 昭和23年1月19日、15時05分頃~約30分に発生した「三菱銀行中井支店」での未遂事件の際に犯人が腕章を使用したか否かは不明であるが、 約4日前の 「井華鉱業落合寮」に現れた「区の衛生係員を名乗る人物」と同一犯と仮定するなら、昭和23年1月19日時点では、腕章の準備ができなかったのかもしれない。

変化した騙しの言葉

法廷の平沢貞通

つぎに、 昭和23年1月19日、15時05分頃~約30分に発生した「三菱銀行中井支店」 の未遂事件で犯人が同銀行関係者に語った内容をみてみよう。

「私は都の衛生課からきましたが、この近くの井華鉱業落合寮で、七名ほどの集団赤痢が発生したのです。進駐軍が車で消毒にきていますが、その責任者の大谷さんという人が、今日、この銀行に預金にきたはずです。それで、人も、現金、帳簿、各室みな消毒しなければなりません。今日は現送はありましたか」

森川哲郎著「秘録帝銀事件」2009年祥伝社 P54

帝銀事件の最初の事件と認定されている昭和22年10月14日の「安田銀行荏原支店」の未遂事件の犯人は、実在の厚生省技官の名刺とその肩書に沿った「厚生省の腕章」を小道具として使い、東京都から連絡を受けGHQと一緒に消毒に来た厚生省の技官に擬変していたが、「三菱銀行中井支店」 の事件の犯人は、厚生省技官だが「東京都の衛生課」に所属(出向など)する架空の人物を名乗っている。これには2つの理由が考えられる。一つは実在の厚生省技官の名刺を「安田銀行荏原支店」の未遂事件現場で使ったため、その名刺に記載されていた正確な肩書などを忘れた。もう一つは、集団赤痢発生現場に厚生省から技官が単身で来る不自然さに気づいた。犯人がどちらを理由(両方かもしれない)で肩書を変えたのかはわからないが、「三菱銀行中井支店」の未遂事件は前回の 「安田銀行荏原支店」の未遂事件から設定や小道具が変化し、事前準備が周到になっている。今回の事件の口実に使うため、区の職員を名乗り事前に事件現場付近の会社寮の責任者の名前を把握し、「現送」という銀行員の業界用語を敢えて選び、出来るだけ役人に擬変しようと務めている。また、前回の事件から約三か月後の犯行にも意味があると思われる。犯人は前回の事件が報道され事件の手口の世間に認識される可能性を考えていたのではないか。前回の事件から約三か月の間、事件に関する報道は見られなかった。つまり、前回の騙しの手口は他の銀行などに共有されていない。だから、GHQ、集団赤痢予防などの設定を根本からは変更はせず、少しだけの変更で「三菱銀行中井支店」の事件を実行するが、偶然に居合わせた同銀行高田馬場支店長が犯人の指示を拒もうとして失敗した。

以下は 昭和23年1月19日、15時05分頃~約30分に発生した「三菱銀行中井支店」 の未遂事件の要点である。

帝銀事件「三菱銀行中井支店」の未遂事件の要点

  • 犯人は東京都防疫課を名乗った。
  • 犯人は事前に口実に使う社名や人名を確認していた。
  • 現送という業界用語を使い、銀行業務を知る役人を演じた。

実行された大量殺人

3・昭和23年1月26日 15時過ぎに発生した「帝国銀行椎名町支店」での強盗殺人事件

一般的に「帝銀事件」といわれる「帝国銀行椎名町支店」での強盗殺人事件は、前回の「三菱銀行中井支店」未遂事件から一週間後に発生した。この前回の未遂事件から一週間後の実行にも意味があると思われる。 一つは、犯人はこの時期に多額の金を必要とした。もう一つは、これまでの二度の未遂事件が報道などされ、その手口が世間に認識される前に実行、成功させる必要性があった。

以下は 帝銀事件(「帝国銀行椎名町支店」での事件)で使用された名刺のイメージだが、この名刺は犯人が事件現場から持ち去ったといわれているため、そこに書かれていた氏名は不明であり、記載されていた肩書にもいくつかの説があるようだ。今回は2つのパターンを紹介しよう。

参考, 和多田進著 「ドキュメント帝銀事件 毒の告発」
参考,森川哲郎著「秘録帝銀事件」

上記2つの名刺には若干の違いが認められるが、「東京都」の名称が使われている点は共通している。(一方は「衛生課」。もう一方は「防疫課」だ)。また、下の名刺のイメージは、 一週間前の「三菱銀行中井支店」未遂事件で使用された「山口二郎」の架空名刺に似ており、犯人はこの名刺を使用した可能性が高いと推測される。なお、名刺に「加藤某」の名前が記載されていたとの当時の報道も散見されたが、後日、誤報と指摘する記事があったようだ。また、犯人は犯行時、「白地に赤い印の都の防疫班のマーク入り腕章」を付け、その腕章には達筆な墨字で「防疫消毒員」との記載があったらしい(参考:「ドキュメント帝銀事件 毒の告発」 )。

つぎに、「帝銀事件」、 昭和23年1月26日、15時過ぎに発生した「帝国銀行椎名町支店」での強盗殺人事件で犯人が同銀行関係者に語った内容をみてみよう。

「実は長崎二丁目の相田という家の前の井戸を使用している所より4名の集団赤痢が発生し警察のほうへも届けられたが、このことがGHQのホートク中尉に報告され、中尉は、それは大変だ、すぐに行くからお前は一足先に行けと言われてきたが、調べてみるとその家へ同居している人が今日、この銀行へ来たことがわかった。ホートク中尉(あるいはホーネット中尉)は、後より消毒班を指揮してくることになっている。その消毒をする前に予防薬を飲んでもらうことになった」

和多田進著 「ドキュメント帝銀事件 毒の告発 」P30-31

「患者を診断した医者が、区役所とGHQに連絡したものですから、即日にやれという命令が出まして、ジープで飛んできました。いまジープは相田家にいます」

森川哲郎著「秘録帝銀事件」 P18

「これから薬の飲み方を教えます。この薬はGHPから出たもので、大変強いので歯にふれると琺ろう質を損傷しますから、舌をできるだけ歯の前に出して薬を包み、喉の奥に流しこむようにして一気に飲んでください。いま私がやってみますから」「次に、約1分おいて、セコンドの薬の方を中和剤として飲んでもらいます。これは普通の水のようにして飲んでかまいません」

森川哲郎著「秘録帝銀事件」 P20-21

帝銀事件 上記の犯人の会話で着目すべき以下の4点

  • 「セコンド(SECOND)」
  • 「4名の集団赤痢が発生し警察のほうへも届けられた」
  • 「患者を診断した医者が、区役所とGHQに連絡した」
  • 「いまジープは相田家にいます」

犯人はGHQとの関係を強調するため、第二薬の入った約一寸五分(45.45ミリ)の瓶に「SECOND」と英語で書いた紙を貼り、前二回の失敗(未遂)から学んだと思われる言葉――集団赤痢の発生は「警察」や「役所」も把握している――を使い、「ジープは相田家にいます」と言い(同日、実際にGHQが相田家に来ていた)、その小道具と言葉と演技力で完全に「帝国銀行椎名町支店」関係者を騙し、彼ら彼女らを意のままに動かし、青酸化合物を飲ませ制圧し、現金や小切手を奪い、逃走した。

不謹慎な表現だが、犯人は最初の「安田銀行荏原支店」の失敗(未遂事件)や二度目の「三菱銀行中井支店」の失敗(未遂事件)から失敗の原因を学習し、小道具や話術を改良し、前代未聞の大事件――「帝銀事件」――を実行したのだろう。

犯人は多人数を制圧し、金などを奪うための手段として青酸化合物を利用した。その制圧手段である青酸化合物をどのように飲ませるか。どうやって騙して飲ますか。そのために必要な小道具と話術と相手を信じ込ませるキーワードは何か。そのために必要な事前知識とその知識を下敷きとする演技には何が必要か。そう、帝銀事件の犯人は、それらを考え、実行するプロの詐欺師だと思われる。

なお、帝銀事件の犯人とされた平沢貞通は、「戦争のとき、兵隊は大量の殺人行為をやっても勲章をもらっている。オレは芸術のためにやるんだから許されるだろう」というドストエフスキーの『罪と罰』の主人公のような動機を語っているが、これは捜査側(警察、検察)の作文の印象が強い。なぜなら、前述のとおり、帝銀事件はプロの詐欺師の犯行……単純に制圧さえできればいいと思い、殺す覚悟はなかったのかもしれない、と思えるからだ。

単独犯か複数犯か

帝銀事件の謎を語るうえで最も注目される点は単独犯か複数犯かだろう。また、単独犯、複数犯の場合でも幾つかの説(仮定)が成り立つようだ。

帝銀事件 犯人に関する主な仮説

  • 平沢貞道の単独犯
  • 平沢貞道以外の者(目黒区の歯科医師、千葉県野田市の医師、元731部隊の将校、元特務機関の軍属、昭和29年、茨城県内で発生した青酸を使った殺人事件の容疑者)などの単独犯
  • 平沢貞道を含む複数犯(平沢は振り込め詐欺の出し子のようなイメージ)
  • 平沢以外の複数の者達の犯行(GHQなどの組織的な謀略も含む)

ここでは、平沢貞通元死刑囚を犯人と断定せず、犯人を仮称Aと表し、A(犯人は男性だと認定されている)は単独犯か?Aには仲間がおり複数犯だったのか?を推理してみよう。着眼点は前述でも記したこのプロの詐欺師は、未遂に終わった事件から、失敗の原因を研究し、小道具や話術を改良した点だろう。直接の所属を「厚生省」から「東京都」 に変え、会話の中に「警察」と「区」を入れ、帝銀事件の現場では、「GHQのジープが相田家に来ている」と、言った犯人。そう、事件当日、「相田家」にGHQの第八軍公衆衛生課アーレン中尉と通訳の日本人1名および豊島区役所の医師と技師の合計4名が来ていた。これは偶然だろうか?この相田家へのアーレン中尉の視察訪問の謎と同中尉などGHQ関係者や都京都の職員の関与の可能性などについては多くの者が考察している。ここでは2つの可能性を考えてみよう。最初の犯行(「安田銀行荏原支店」未遂事件)の失敗の原因は、「赤痢発生場所住所を警察官に伝えたがその住所自体が嘘の住所でり、GHQも付近にいないので警察官に発覚しそうになった」だろう。

この失敗から犯人は、「実際に集団赤痢などが発生した場所」かつ「その場所にGHQ軍属が東京都、区の職員などを連れ視察、消毒などする」などの事前情報の入手を必要とした可能性がある。

この事前情報の入手には二つの手段がある。一つはGHQ、東京都、区役所の関係者からの情報入手。もう一つはGHQ軍属の尾行である。犯人AがGHQ、東京都、区役所の関係者からの事前に情報を入手していた可能性については、 森川哲郎著「秘録帝銀事件」を引用しよう。

平成5年(1993年)、当のアーレンには、ジャーナリストのウィリアム・トリプレットを通じて。インタビューすることができた。トリプレットは、その内容を手紙にしたためた。それによると、「アーレン氏はつぎのように応えました。明らかに帝銀事件の犯人は、東京における公衆衛生局に勤め、働いていました。(中略)我々が得たオリジナルな情報は、その犯人が東京の防疫監視人の一員として、一年以上働いていたことです」

森川哲郎著「秘録帝銀事件」 P461-462

上記のアーレン(元)中尉と思しき人物へのインタビューおよびその内容の真偽はわからない。そもそも、この証言自体がアーレン(元)中尉の推測、推理かもしれない。

最後に一つだけ気になる点を指摘しておこう。前述のとおり、犯人Aが事前情報を入手したとするのならその手段は2つある。その手段の一つである尾行の可能性。そう、一連の帝銀事件の犯行現場は山手通りに近い。この事件が複数犯による事件だと仮定するなら、犯人は逃亡などの移動手段に車を使っていた可能性もある。

外にも二人――目撃者の話 朝日新聞 昭和23年1月28日付 単独犯説が捜査本部で有力視されているが、これを不安定なものとする次のような話もある。すなわち長崎神社近くの某君が見た話。「ちょうど事件が起こったころ、銀行の前に自動車がとまっていて二人の男がみはりのようなかっこうで立っていました。ぼんやりわたしがながめているとその男があっちへ行けとすごい目でニラみつけたのでこんどは社務所(長崎神社)の便所の窓から見ていると、新聞にでているような人相の人が出てきて、三人が一緒になり、待たせてあった自動車に乗っていってしまいました。村田さんがはいだして大騒ぎになったのはそれからまもなくです」

森川哲郎著「秘録帝銀事件」 P321

上記の報道の真偽は不明だが、この目撃者が某君となっていることから子供の目撃証言だと推察される。また、「村田」さんは帝銀事件の被害者の名前である。

犯人は逃亡などの移動手段に車を使い、事前情報の入手のためにGHQ関係者や東京都、区役所の担当職員を車で尾行していた可能性……帝銀事件は永遠の謎である。


★引用・参考文献
・書籍
『秘録帝銀事件 森川哲郎 2009年 祥伝社』
『ドキュメント帝銀事件 毒の告発  和多田進 2013年 solaru』
『小説帝銀事件 新装版 松本清張 2009年 角川文庫』
『疑惑α―帝銀事件 不思議な歯医者 佐伯省 1996年』
・映像
『帝銀事件 死刑囚 1964年 日活』
・アイキャッチ画像 パブリック・ドメインFile Teigin case.jpg 作成:1948年 警視庁


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本記事は「東電OL殺人事件の真犯人を考察する」目的の記事です。被害者A氏、冤罪被害者B氏及び関係者の氏名を匿名で表記します。事件や関係者の匿名化は事件や被害者を血の通わない「記号」にすることにも繋がりますが、当該事件が非常に有名な事件であるため、既に多くの先人が被害者A氏や冤罪被害者B氏の人物像などを分析、考察、紹介などしています。「人間」被害者A氏や「人間」冤罪被害者B氏の詳細は、それらの書物、記事、論文などをお読みください。なお、文末に本記事の参考、引用文献リストを記す。本記事での表記一覧被害者A...
東電OL殺人事件 真犯人を考察する - clairvoyant report
事件概要1991年7月25日早朝4時半、福島県船引町の建設会社で専務を勤めるIさん(37歳)は、自宅に併設されている事務所でその日の仕事の準備を始めていた。その時、夜間は施錠されているはずの2階玄関が無施錠である事を不思議に思ったという。一時間程経ち、書類仕事を終えて居間へ戻ると、前々日からI家に宿泊している長女、舞ちゃん(7歳)の友人(正確には舞ちゃんの母親であるY子さん(27歳)の友人の娘(小学2年と同4年))二人が、慌てた様子でIさんに告げた。福島民報1991年7月27日付福島民報1991年7月27日付から引用「舞ち...
石井舞ちゃん行方不明事件 - clairvoyant report
横山ゆかりちゃん誘拐容疑事件(太田市パチンコ店女児失踪事件)概要1996年7月7日(日曜日)、群馬県大泉町に住むYさん(当時29歳)と家族(妻M子さん・同30歳、長女ゆかりちゃん・同4歳、次女・同生後8ヶ月)は、自宅から2kmほどの距離にある群馬県太田市のパチンコ店、「パーラー・パチトピア」(2022年現在は別名のスロット店として営業)を車で訪れた。本来はデパートへのお出掛けだったというが、「七夕感謝デー」の広告ハガキが来ていた事を思い出し、予定を変更したという。午前10時半頃、入店した一家は景品コーナーに立ち寄り、ショ...
横山ゆかりちゃん誘拐容疑事件(太田市パチンコ店女児失踪事件) - clairvoyant report
湯河原町女性放火殺人事件(2015年4月21日発生)の犯人は、茨城一家殺傷事件(2019年9月23日発生)の被疑者として逮捕、起訴された岡庭由征被告ではないか?との説が散見される。この二つの事件には、動機不明な点や刃物で被害者の顔面や頭部を攻撃する残忍な手口など共通する点がある。また、神奈川県警察のHPにある『現場方向からJR湯河原駅に現れた人物で、事件について何らかの情報を持っていると考えられる』人物の特徴や動きが岡庭由征被告に似ているとの説もある。 湯河原町女性放火殺人事件の犯人と茨城一家殺傷事件の岡庭...
湯河原町女性放火殺人事件の犯人は?茨城一家殺傷事件との関係性は?などを考察 - clairvoyant report
古美術店「無尽蔵」店主失踪事件 概要1982年8月24日より三越日本橋本店で開催されていた「古代ペルシア秘宝展」。黄金の皿、盃、装身具など絢爛たる47点の展示即売品は、総額21億円(当時)といわれ、折からのシルクロード・ブームの追い風も受けて盛況であった。しかし、会期半ばの8月29日。朝日新聞は一面で、これらの秘宝の大半が「ニセ物」であると報道する。これはスクープなどというものではなかった。天下の三越百貨店が、当然全てが本物であるとして、上は数億の値段をつけて売り捌こうとした自慢の「名品」の数々は全て、開催...
古美術店「無尽蔵」店主失踪事件 - clairvoyant report
広島県安芸郡府中町主婦失踪事件 概要2001年9月24日(月曜日)、午前10時ごろ、広島県安芸郡府中町青崎の、賃貸マンション3階に住む主婦N・Tさん(当時50歳・以下N子さん)は、友人Aさんからの電話を受けた。その用件は昼食への誘いであった。N子さんはその時期、マンションの一室に一人で暮らしていた。知人たちからの印象では、結婚13年目のT夫妻の仲は良好であったようだが、子供は無く、当時N子さんの夫S郎さんは持病などにより入退院を繰り返しており、この頃も労災による指のケガで入院中であった。N子さん自身も心臓病等いくつか...
広島県安芸郡府中町主婦失踪事件 - clairvoyant report
日本(東京)から約7,500キロメートル離れたモスクワに世界初の社会主義国家・ソビエト社会主義共和国連邦が誕生した1922(大正11)年の10月、千葉県木更津市の開業医の四男として男は生を受けた。祖父の代から医者の家柄だった男の父は、千葉県木更津市の市長もつとめる名士だった。裕福な名家生まれの男は、父親や母親の期待に応えるかのように第一高等学校(現、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部等)に入学、22歳となる1943(昭和18)年、東京帝国大学法学部(現、東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)に進学した。男の...
光クラブ事件・裏切りを怖れる「偽悪者」山崎晃嗣を考察する - clairvoyant report
知略縦横を働かせ自分よりも大きな組織などを相手に大胆不敵な犯罪を実行する者がいる。「東の(府中)三億円事件、西の大阪ニセ夜間金庫事件」と並び称される同時代に発生した2つの事件は、時代を超え人々の好奇心を刺激する。事件発覚直後に「日本版『黄金の七人』」とも報じられた(参考:「偽装夜間金庫」朝日新聞 1973年2月27日付)「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人像を遺留品や時代背景などから考察していこう。なお、『黄金の七人』は、1965年に製作されたイタリア映画である。同映画は1967年から『漫画アクション』での連載が開...
大阪ニセ夜間金庫事件 - clairvoyant report
戦後の混乱期に発生(1948年1月26日)し、21世紀の現在でも検証が続けられる「帝銀事件」から約6年後、茨城県内で第二の「帝銀事件」ともいえる凶悪事件が発生した。茨城・徳宿村精米業一家殺害事件は、青酸性劇薬物を使い9人を殺害し、被害者宅に放火するという戦後史に残る凶悪事件である。本事件は、逮捕された容疑者自身も青酸性劇薬物により自殺したため、被害者が毒物を飲み(飲まされ)殺害された経緯などは未解明である。本記事は、第二の「帝銀事件」ともいえる「茨城・徳宿村精米業一家殺害事件」の概要、逮捕された容疑者像...
茨城・徳宿村精米業一家殺害事件 - clairvoyant report
江東区小5女児誘拐殺人事件とは、1969年(昭和44年)5月31日(土曜日)、17時30分頃、東京都江東区東雲1丁目内の某社社宅居住の小学校5年生E子ちゃん(10歳)が、買い物からの帰宅途中に車に乗った男に誘拐され、同年6月3日、午前11時頃、誘拐現場から南東方向へ直線距離で約1キロメートルの東京都江東区辰巳町東京湾十二号埋立地(現在の東京都江東区辰巳3丁目内付近)でE子の遺体が発見された(猥褻目的)未成年者略取、殺人、死体遺棄事件である。 一時は、本事件翌年の1970年6月3日(水曜日)に千葉県木更津市内で発生した小学校3...
江東区小5女児誘拐殺人事件 - clairvoyant report
貨幣・紙幣は国家の信用の上に成り立っている。特に国家による信用の裏付けのない紙幣は、単なる文字と絵が描かれた紙切れに過ぎない。1961(昭和36)年に最初の一枚が見つかった贋造紙幣「チ-37号」は、その精巧な造りから「贋造紙幣の最高傑作」、「最後の職人技」などと呼ばれ、1963(昭和38)年11月14日まで事件は続いた。国会でも取り上げられた「チ-37号事件」は、社会に大きな影響を与えた戦後の事件の一つでもある。警察は犯人検挙に向け異例の大規模捜査を行い、政府は新たな千円紙幣(伊藤博文像の紙幣)を発行し対応するが―...
チ-37号事件 - clairvoyant report
事件史を紐解くと不思議な未解決事件に出くわすことがある。犯人はもとより、犯人の動機さえもわからない事件。戦後の復興期に発生した「謎のニセ札事件」について考察していこう。謎のニセ札事件 概要1954(昭和29)年12月初旬、東京都中央区新富町1丁目内に所在する個人営業の印刷屋に見知らぬ男(以下、X)が現れた。同店は、現在のJR東京駅八重洲口から南西方向へ直線距離で約500メートルの場所に位置する個人営業の印刷店だと思われる。Xは、某興信所の調査部長を名乗る(名刺を残した可能性があると思われる)が、年齢や特徴に...
謎のニセ札事件 - clairvoyant report
◆ご注意本記事は、1968(昭和43)年12月26日19時50分から27日9時40分の間に発生したロートレックの絵画『マルセル』盗難事件の事件概要及び経緯等の解説を目的とする記事です。1975(昭和50)年12月27日午前0時に時効が成立した同事件は、約一ヶ月後の1976(昭和51)年1月29日、盗難された『マルセル』が発見されるという特異な形で決着しました。本記事は『マルセル』を保管していた人物(A氏夫妻)や預けた人物(C氏)などを「犯人」、「容疑者」などと断定する記事ではありません。 また犯人考察を目的とするものでもありません。事...
マルセル盗難事件 - clairvoyant report
本記事は、GHQ統治時代の国鉄三大ミステリー(未解決・未解明事件)の一つに数えられる「下山事件」について事件当時の新聞・雑誌の報道、捜査資料、捜査担当者身が後に書き表した著書等から、激動の国内・国際・社会情勢(「下山事件」の資料には、「GHQの統治」、「シベリア帰還兵」、「共産主義勢力の台頭」、「人民列車」、「労働組合運動の激化」、「反共戦線」、「革命前夜」、「非常事態宣言用意」、「列車妨害」、「反共立法」、「熱海決議違法」、「反共指令第一号」、「対中共戦」、「反共戦は安全保障の戦い」等の言葉が散...
下山事件考察:時代に翻弄された真相 - clairvoyant report
ご注意:本記事は1984(昭和59)年4月19日13時20分頃、東京都中央区銀座で発生した3人組と思しき犯人による宝石店強盗事件(金塊強奪事件)と同年3月から翌年(1985年)まで続いたグリコ・森永事件との関連性・関係性を「金塊」に着眼し考察する記事です。2023(令和5)年5月8日18時20分頃に発生した少年4人(2023年5月29日時点の逮捕者数)による銀座宝石店強盗事件に関する記事ではありません。事件概要1984(昭和59)年4月19日(木)13時20分頃、銀座通りに面した老舗の有名宝石店「Y」の店内に2人(以下、AとBと記す)の男が入って...
銀座宝石店金塊強奪事件とグリコ・森永事件の関連性・関係性を考察:金塊は海を渡る - clairvoyant report
「昭和」最後の年となった昭和63(1988)年の12月30日は金曜日だった。昭和天皇の体調に配慮する自粛ムード漂う年末だった。本記事では、「日常」を注意深く観察し、「日常」にある一瞬の隙と「非日常」の人間心理を狙ったと思われる神戸・現金輸送車乗り逃げ事件を解説しながら、昭和最後の年に発生した未解決事件を考察していこう。事件概要昭和63(1988)年の12月30日午前9時45分頃――。山陽電鉄「月見山」駅から南東方向へ直線距離で約40メートルの場所に位置する旧「太陽神戸銀行 須磨支店(現「三井住友銀行 須磨支店」)」(以下...
神戸・現金輸送車乗り逃げ事件 - clairvoyant report
東京銀行の職員などがスイス連邦銀行から送られたロウ封印付きの2つのダンボール箱を開封したのは1971(昭和46)年9月16日だった。2つのダンボール箱には、東京銀行が国内のドル紙幣補充のためスイス連邦銀行から「輸入」した30万ドル(当時の為替レート:約1億円)が入っている筈だった。2つのダンボール箱の中を見た銀行の出納係は驚きの声を上げたかもしれない。30万ドル紙幣が入っている筈の箱のなかには30万ドル分のドル紙幣の代わりにフランスで発行されている新聞が入っていた。 ここからチューリッヒ空港、フランクフルト空港...
事件:消えた30万ドル チューリッヒから羽田へ - clairvoyant report
大きな過ちを犯した人間には罰が下る。事件が発覚すれば逮捕され、起訴された後には法の裁きを受け然るべき罰が与えられ過ちに対する責任を取らされる。しかし、罰は法による裁きだけではない。仮に過ちが露呈しなくとも大きな過ちを犯した者は自分の「良心」に責め立てられる。時に、自分の「良心」が与える自己罰は、法による罰よりも厳しい。 24時間、365日、罪悪感という名の罰は絶えず自分を苦しめる。事件から21年後、公訴時効後に真相の一端が明らかになった伊勢湾沿岸バラバラ殺人事件について解説する。伊勢湾沿岸バラバラ殺...
伊勢湾沿岸バラバラ殺人事件:女性の死体を隠し続け21年間 - clairvoyant report
戦後日本の混沌と暗闇の中に秘密資金が眠っている。秘密資金の眠る特別な場所の門を叩ける者は、資金を守る秘密組織に選ばれた者だけだ。その秘密資金は戦後復興の名の下、選ばれた者にのみ貸し与えられる。無担保、低金利、連帯保証人不要の好条件融資――これらの好条件が与えられるのは、この秘密資金を守る組織が、真に価値あると認めた企業だけだ。ただし、その代償として、総額の数パーセントの融資手数料などが必要となる。敗戦と戦後社会の裂け目から生まれたM資金詐欺について解説、考察をしていこう。序章:M資金詐欺とは何か...
考察・M資金詐欺: 人々を魅了する都市伝説と権威 - clairvoyant report

◆本サイト内で引用した関係記事

2023年6月21日、香川県坂出市西庄町の37歳無職女性M容疑者が、2022年7月-8月頃、当時生後2-3ヶ月の親族の乳幼児に劇物の酢酸鉛を混ぜたミルクを飲ませ慢性鉛中毒にさせた傷害罪の容疑で逮捕された。またM容疑者は容疑を認めているという。酢酸鉛入りミルクを飲んだ乳幼児は命に別状はないものの、「全治2カ月の貧血症状」と報道されている(引用・参考:「粉ミルクに劇物「酢酸鉛」混入か、女児鉛中毒に親族の女逮捕」産経新聞2023年6月21日16時01分配信)。生後まもない親族の赤ちゃんのミルクに劇物・毒物を入れるという残酷な事件...
粉ミルク劇物混入事件(香川県坂出市):毒を使う犯罪と女性 - clairvoyant report

Jean-Baptiste Roquentin

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。 Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。 小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。 分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。