Categories: 事件分析・調査

加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)事件

子供の行方不明事件は、行方がわからない当事者(本人)と残された親族だけの問題ではない。

ある日突然、子供が家庭や学校や地域社会から忽然と消え、友人・親族の知人・学校・地域・社会全体に大きな衝撃を与える。

残された親族の日常が一瞬で崩壊し、出口のない不安が心を支配し、暗闇の世界の全てを覆い尽くす。

残された親族は行方不明の子供の安否を心配するとともに無事の帰宅を祈り続ける。解決の糸口さえ掴めない事案では行方不明となった「理由だけでも」知りたいと願うだろう。

山梨キャンプ場女児失踪事件(2019年9月21日16時頃発生、2022年5月14日、死亡が確認)や千葉県流山市の事案(2022年9月23日昼頃発生、2022年10月6日死亡確認の報道(参考:千葉市川 川で見つかった遺体 行方不明の女児と確認 NHK NEWS WEB 10月06日13時40分配信)など2022年も子供の行方不明事案(事件)が耳目を集めた。

2022年11月の「現在」から約31年前(1991年3月15日)に発生した「加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)事件」。当時8歳の女児が自宅を出たまま所在不明となり約31年の歳月が流れた事件。

生年月日昭和57年5月9日生(当時8歳)
発生日時平成3年3月15日午後2時30分頃
発生場所三重県四日市市内の自宅を出たまま所在不明
着衣特徴水色地に水玉模様の長袖ブラウス
うす茶色スカート
黒色ビニール靴
出典:三県警察本部HP

後日、自宅に送られてきた「ミユキカアイソウ」などと書かれた不気味な怪文書の分析・検証を含め「加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)事件」を考察・検証する。

事件概要

1991(平成3)年3月15日金曜日。

三重県四日市市富田浜町内の会社員A氏(当時50歳)の三女、加茂前ゆきちゃん(以下、ゆきちゃんと記す)が行方不明となる。

ゆきちゃんが通学先の四日市市立T小学校から帰宅したのは14時頃だといわれ、夜勤明けの父親は仮眠中だった。

14時30分頃、母親が自宅に電話するとゆきちゃんがその電話に応対したといわれる。だが、ゆきちゃんの姉が帰宅した15時30分頃、ゆきちゃんの姿は自宅にはなかった。

ゆきちゃんは、母親が自宅に電話した14時30分頃以降から姉が帰宅した15時30分の間に自宅から姿を消したことになり、三重県警の公式ホームページにも「発生日時:平成3年3月15日午後2時30分ころ」とある。

同ホームページに記載された当日のゆきちゃんの着衣は、「水色地に水玉模様の長袖ブラウス、うす茶色スカート、黒色ビニール靴」、日頃から着用していた上着や自転車は自宅に置いたままだったらしく、「ゆきちゃんの自宅には、いつも着ていたジャンパーが残っており、ココアが飲みかけのままで、普段はカギをかけて外出するのに、この日はカギをかけていないことも分かった。(引用:行方不明の加茂前ゆきちゃん、手がかりなく1ヵ月  朝日新聞 1991年4月12日付 朝日新聞 1991年4月12日付)」などの報道が散見される。

国土交通省気象庁のホームページに掲載されている観測地点「津」の1991(平成3)年3月15日のデータ(リンク先は気象庁HP)によれば、同日の6時-18時の天気は「晴」、18時-翌日6時は「晴後曇一時雨」、平均気温は4.4℃、最高気温8.7℃、最低気温0.4℃。野外で長時間過ごすには、上着が必要だと思われる気温である。

事件当日の目撃情報からの考察

ゆきちゃんの行方がわからなくなった1991(平成3)年3月15日14時30分以降、いくつかの真偽不明の目撃情報に関する報道がある。

行方不明の加茂前ゆきちゃん、手がかりなく1ヵ月  四日市市富田浜町、溶接工加茂前芳行さんの3女、富田小学校2年ゆきちゃん(8つ)が、先月15日に行方不明になって、間もなく1カ月になる。四日市北署の対策本部は11日、ゆきちゃんに似た女の子が車に乗るのを見たなど、新たに寄せられた情報を公表したが、依然、はっきりした手がかりはつかめていない。ゆきちゃんの父親芳行さんは、この1カ月、仕事を休んだまま。「電話が鳴るたびに、どきっとする。なにを食べているのか、寒くはないか……。考えだすと眠れなくなる」と話している。対策本部に入った新しい情報では、15日午後3時半ごろ、ゆきちゃんの自宅から東へ約70メートル付近で白いライトバンから男性が降り、5分ほどしてゆきちゃんの自宅の方角から女の子を連れて戻り、10分ほど車内で話したあと、走り去った。女の子の背格好や服装の一部が、当日のゆきちゃんと似ていた。ただ、同じ時間帯に、ゆきちゃんが学校方面に歩いていたという情報もあり、同署は、車の持ち主を捜している。一方、同日午後4時半ごろ、小学校の校庭で、クラブ活動などの9人の児童がジャングルジムで遊んでいるゆきちゃんを目撃しているが、このうち2人が、校庭を横切って南門から十四川堤防道路に出て、東へ歩く女の子を見ていることも分かった。体形がゆきちゃんに似ているという。ゆきちゃんの自宅には、いつも着ていたジャンパーが残っており、ココアが飲みかけのままで、普段はカギをかけて外出するのに、この日はカギをかけていないことも分かった。対策本部は「あわてて出かける何かがあったということも考えられる」と、詳しく検討している。

朝日新聞 1991年4月12日付

上記の報道のうち、16時30分頃の小学校の校庭にあるジャングルジムで遊ぶ「ゆきちゃん」の目撃情報は、9人の児童による証言のため、信憑性の高い目撃情報だと言えそうだ。

警察の公開捜索が始まった1991年3月17日の読売新聞では「ゆきちゃんは十五日午後四時半ごろ、学校の運動場で友達と話しているのを上級生が見たのを最後に行方がわからなくなった(引用:三重・四日市で8歳の少女が行方不明)」と報じられ、事件から4年後の1995年3月17日の中日新聞でも小学校の「校庭で遊んでいるのを数人の児童に目撃された後、行方が分からなくなった(引用:どこへ消えた加茂前ゆきちゃん 四日市で行方不明まる4年 卒業証書渡したいが 今月退職の富田小校長 元気な姿を見せて)」と報道されている。 基本的にマスコミによる事件報道は、警察の記者クラブへの公式会見(通称、レク)または番記者による「夜討ち朝駆け取材」(記者が個人的に親しい捜査員の自宅などに訪問などして非公式を含む捜査情報などを得る手法)を情報源にする。

前述の「ジャングルジムで遊ぶゆきちゃんを9人の児童が目撃した」という報道は、目撃された女児を「ゆきちゃん」と断定する報道だが、「ゆきちゃんに体形の似た女児が、小学校の校庭を横切り、南門から十四川堤防道路に出て、同道路を東へ歩いていった」の目撃情報は「ゆきちゃん」との断定はない。

★地図は三重県四日市市富田浜町付近

ここで着眼したいのは、「ゆきちゃん」は、一人で遊んでいたのか?ゆきちゃんと思しき女児は一人で十四川堤防道路を東に歩いていったのか?の二点だろう。

仮にゆきちゃんが友達など複数の児童と遊んでいた場合は、「友人と遊ぶゆきちゃん」と報道され、当然ながら警察はその友達に事情を聞いているだろう。

「友人と遊ぶゆきちゃん」との報道が確認されない(警察の公式会見“レク”及び番記者の「夜討ち朝駆け取材」から得た「ゆきちゃん関連情報」のなかになかったのだろう)ことから、「ゆきちゃんは一人でジャングルジムにいた」と考えるのが自然である。

ただし、上記の目撃情報は、「ゆきちゃん」に関する一つの情報に過ぎない。思い込みを排除し、様々な視点から捜査、情報提供を考える三重県県警が、ホームページに「平成3年3月15日午後2時30分ころ」「三重県四日市市内の自宅を出たまま所在不明」と記載するのは当然である。

事故か?事件か?

ゆきちゃん失踪当日の目撃情報のなかでも比較的精度の高い情報に分類されうる「ジャングルジムで遊ぶゆきちゃんを9人の児童が目撃した」、「ゆきちゃんに体形の似た女児が、小学校の校庭を横切り、南門から十四川堤防道路に出て、同道路を東へ歩いていった」から考えれば、ゆきちゃんは14時30分から15時30分の間に自宅を出て、通学先のT小学校の校庭で遊び、16時30分過ぎ頃に南門から学校を出て、「十四川堤防道路」を東に歩いたと考えられる。

上記の仮説から、ゆきちゃんは、「十四川堤防道路」を東に向かい(自宅方向か?)、その途中で河川、海などに転落などした可能性が考えられる。

事件当時も「(前略)同署では、同九時五十分に家族からの捜索願を受け、同夜から捜索を始めたが、十六日夜現在、手がかりはつかめていない。同署では、事件、事故両面で捜索しているが、自宅が海に近いため、転落した可能性もあるとして、捜索には海保巡視艇も動員した。ゆきちゃんは身長一メートル二九、体重三十九キロ、丸顔の小太りで長髪。水色の水玉模様のブラウス、茶色スカート、黒色のズック靴姿。(引用:不明の小2女児は海に転落か 読売新聞 1991年3月17日付)」と報道され、1991年3月21日付の中日新聞は、事件、事故の両面を考慮しながら「行方不明になって以来、船やヘリコプターなども動員警察官延べ四百八十四人、同小PTAや地元自治会など延べ七百三十人が捜索にあたった。また約二万七千枚のチラシを配り、最後にゆきちゃんが目撃された自宅から北西約一キロの同市富田一の同小学校を中心に、臨海部から約十キロ入った山間部のダムまで捜索したが見つからなかった(引用:事件に巻き込まれる? 小2女児不明1週間 警察が対策本部 四日市)」と報じている。

ここでの最大の疑問は、ゆきちゃんが、「自宅が海に近いため転落」したとしても、自ら誤って転落したのなら事故となり、誰かに転落させられた(落とされた)のなら事件となる、だが――現在(2022年11月の時点)でもその手がかりはつかめていないようだ。

事件の可能性を考察

ゆきちゃんの自宅や通学先T小学校は三重県の四日市市の北部に位置する。前述のとおり、同地域が伊勢湾の富田漁港などに近い立地のため、ゆきちゃんが何らかの理由により河川、海などに誤って転落した可能性もあるが、第三者(犯人)により、誘拐などされた疑いもある。

1970年代~90年代は、日本の各地で児童誘拐や行方不明事件が多発した時代だった。(参考記事:『64(ロクヨン)』と功明ちゃん誘拐殺人事件

ゆきちゃんが失踪した1990年代の中部・東海地方の岐阜県内でも、ゆきちゃんが失踪した直後の1991年3月、岐阜市内在住の小学4年生女児(9歳)が行方不明となる事件(参考:岐阜の小4女児、行方不明に 3月末に自宅出たまま 朝日新聞 1991年4月6日付)が発生し、1994年には、三重県伊賀市内の女子中学生が被害者となる殺人事件(参考:三重・伊賀町 女子中学生のバラバラ遺体事件 新潟の29歳男を逮捕 NHKニュース1994年9月2日付)、同年5月には岐阜県内の小学2年生女児(7歳)が殺害される(参考:岐阜の小2女児殺害容疑、近所の20歳男性を逮捕 毎日新聞 1994年5月1日付)という痛ましい事件が確認される。

ゆきちゃんに関する目撃情報のなかに「ゆきちゃんの自宅から東へ約70メートル付近で白いライトバンから男性が降りた」、「5分ほどしてゆきちゃんの自宅の方角から女の子を連れて戻り、10分ほど車内で話したあと、走り去った」、「女の子の背格好や服装の一部が、当日のゆきちゃんと似ていた」などがあることから、ゆきちゃんが誰かに連れ去られた可能性もある。また、前述のとおり、ゆきちゃんが河川、海などに転落したと仮定する場合でも第三者が関与し、ゆきちゃんを転落などさせたことも考えられるが――「白いライトバン」の「情報提供のお願い」や「白いライトバン」の所有者を特定した、などの後追い記事などは確認できなかった。

怪文書「ミユキカアイソウ」を分析する

情報の出所は確認できなかったが(TV番組などで放映されたのだろうか?)、ゆきちゃんの失踪から3年後(1994年頃)、A氏宅に「ミユキカアイソウ」から始まる有名な怪文書が郵送されてきたという。

なお、A氏宅には、その後も福岡県在住の霊能力者を名乗る人物からの手紙やゆきちゃん失踪から12年後の2003年頃には、不審な中年男性からの電話があったともいわれている。

3枚の紙に書かれた「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書は、平仮名、カタカナ、漢字を組み合わせた約700字の文章である。手紙の宛先であるA氏の氏名を間違え、ゆきちゃんの名前を「みゆき」と間違え、作者が事件の犯人または関係者と推測する「股割レ」にも「股割レ/股ワレ」の二種類の表記がある。これらの間違い(違い)が意図的なものなのか、単なる勘違いなどによるものなのかは不明であるが、作者は「(み)ゆきちゃん」と「(み)ゆきちゃんを探す父母」を「カアイソウ」(かわいそう)と表現し、その悲しみの元凶である犯人または関係者を「股割レ」だと推測し告発している。

さらに、「ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタ ヒラヒラ サシテ ワガ子ヲサガシテ、広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル(みゆきちゃんの母親がか弱い羽根をバタバタ、ひらひら、させ、我が子を探している)」と安西冬衛の詩『春』(「てふ」は「蝶」のこと。春になると中国大陸から「韃靼海峡=間宮海峡」を越え日本にわたる蝶。その蝶を思い浮かべながら日本に帰れない自分を重ねた詩)を引用しながら母親の心情などを斟酌している。

「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書全文のPDF
怪文書全文 音声読み上げに対応しています

上記のPDFは「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書の全文である。「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書は、※一般的な怪文書とは異なり、特定の組織や個人を名指し、事件への関与・関係などを断定していない。

※一般的な怪文書の例:「松本サリン事件に関する一考察」「東電OL殺人事件の怪文書『日本の企業、司法、マスコミ、政府に抗議警告します』」などは、特定の団体、人物を名指しで攻撃している。

「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書は、「股割レ/股ワレ」が事件に関係していると「オモイマス」、「事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ」とあくまでも作者個人の見解を述べているだけだ。当然ながら「股割レ/股ワレ」は個人名ではない。「股割レ/股ワレ」が、暗号、アナグラム、暗喩、属性・風習・慣習などの記号の類なのだから、「股割レ/股ワレ」が犯人と断定しても良い筈だが、作者は断定していない。

また「確証ヲ掴ムマデ捜査機官に言フナ」「キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト」「事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。」とも述べている。作者は「股割レ/股ワレ」が犯人だという確証を得ていないが「股割レ/股ワレ」を告発したいと考えたのだろう。

以下は、「株式会社ユーザーローカル」が提供するAIテキストマイニングを使用した「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書の3行・5行・10行要約と重要な文のみを抜粋などしたハイライトである。

<3行要約>

ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタヒラヒラサシテワガ子ヲサガシテ、

モウ春、三回迎エタコトニナル

コンナコとヲシタノハトミダノ股割レトオモイマス

<5行要約>

ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタヒラヒラサシテワガ子ヲサガシテ、

モウ春、三回迎エタコトニナル

コンナコとヲシタノハトミダノ股割レトオモイマス

おっカアモカアイソウお父もカアイソウ

事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。

<10行要約>

ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタヒラヒラサシテワガ子ヲサガシテ、

モウ春、三回迎エタコトニナル

コンナコとヲシタノハトミダノ股割レトオモイマス

おっカアモカアイソウお父もカアイソウ

事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。

股ワレワダレカ、ソレハ富田デ生レタコトハマチガイナイ

一片の良心ガアル、罪悪ヲカンズルニヂカイナイ

時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガスコトモアル、

イま(ゑ)ハーケータショーノチカクデ四ツアシヲアヤツツテイル

広いダッタンノ海ヲワタッテイルノデアル

ユーザーローカルAIテキストマイニングによる分析

<ハイライト>

コンナコとヲシタノハトミダノ股割レトオモイマス

イま(ゑ)ハーケータショーノチカクデ四ツアシヲアヤツツテイル

感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動イ、タ。

ダッタン海キョウヲ、テフがコエタ、コンナ平和希求トハチガウ

ミユキノハハガカ弱イハネヲバタバタヒラヒラサシテワガ子ヲサガシテ、

股割レハ平気ナソブリ、時ニハ駅のタテカンバンニ眼ヲナガスコトモアル、

一片の良心ガアル、罪悪ヲカンズルニヂカイナイ

股ワレワダレカ、ソレハ富田デ生レタコトハマチガイナイ

事件ガ大キイノデ、決シテイソグテバナイトオモウ。 ヤツザキニモシテヤリタイ股割レ。、ダ。

ユーザーローカルAIテキストマイニングによる分析

AIテキストマイニングの要約などから、作者が「コンナコとヲシタノハトミダノ股割レトオモイマス」と感想を述べながら、行方不明の子と子を探す両親の悲しみにを想像し、引き合いに出し、「股割レ/股ワレ」を「ヤツザキニモシテヤリタイ」と激しく非難していることがわかる。

だが、「股割レ/股ワレ」の「犯行」動機については、「アサヤン」という人物と思しき「者」からの指示らしいと濁すだけであり、「アサヤン」の犯行動機も示されていない。

作者の「股割レ/股ワレ」に対する非難の矛先は、関与を疑う「加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)」事件だけに留まらない。非難の矛先は「股割レ/股ワレ」の人生、道徳観(貞操感)などにまで及んでいる。そこからは作者の「股割レ/股ワレ」に対する私怨が垣間見える。

では、「股割レ/股ワレ」は誰なのか?個人か?組織か?属性・風習・慣習などを現す記号か?

怪文書の1枚目と2枚目に「股割レ/股ワレ」の経歴と現況(作者が怪文書を作成した当時の現況)に関する以下の記述がある。

「股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタコトハマチガイナイ」
(「富田」は三重県四日市市内の地名だと思われる)
「学こうヲデテ シュンガノオモテノハンタイノ、パーラポウ ニツトめた」
(最終学歴は不明だが、何らかの学校を卒業後、「パーラー某」または「パーラーボウ」に就職した)
「イつノ日か世帯ヲ持チ、ナンネンカシテ 裏口ニ立ツヨウニナッタ」
(時期は不明だが、結婚などした)
「イま(ゑ)ハー ケータショーノチカクデ 四ツアシヲアヤツツテイル」
(現在は、何者か?を操っている。または、何者かを雇っている)
「ヒル間カラ テルホニハイッテ 股を大きくワッテ 家ノ裏口ヲ忘レテ シガミツイタ。
「感激ノアマリアサヤンノイフトオリニ動イタ。」

(アサヤンと不倫などの関係にある。アサヤンの指示に従い「事件」を実行した。ただし、アサヤンの「動機」は書かれていない)
加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)事件の資料

また、3枚目では再度、「股ワレワ ダレカ、ソレハ富田デ生レタコトハマチガイナイ」と富田出身だということを強調し、さらに、「キナガニ、トオマワシニカンサツスルコト」とA氏に助言していることから、「股割レ/股ワレ」が作者が創り出した架空の人物でないと仮定するなら、事件後もA氏の生活圏(三県県四日市市内など)にいることを示唆している。

「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書が「暗号文」などの類であり、その目的がA氏家族に犯人を教えることだと仮定すると、暗号解読の「鍵」となる言葉がある筈だ。

暗号解読の「鍵」は、平仮名、カタカナ、漢字を混ぜた言葉のなかにあるとも推察でき、A氏家族がそれらに気づき暗号文章を解読したのなら、「股割レ/股ワレ」の正体が暴かれ、既に事件は解決などしている可能性が高い。

だが、2022年現在でも事件が解決していない。つまり、「ミユキカアイソウ」から始まる怪文書は、作者が個人的に恨みを持つ「股割レ/股ワレ」なる人物を非難し、同人物を――慎重にだが――加茂前ゆきちゃん失踪(行方不明)事件に関連付け、攻撃(憂さ晴らしなど)するために書かれた文章だと思料され、事件解決には繋がらない「単なる怪文書」だと判断される。

考察のまとめ

ゆきちゃんが忽然と消えた1991(平成3)年3月15日金曜日、(「津の観測地点」)平均気温は4.4℃だった。

ゆきちゃんが16時30分頃まで学校の校庭にいたとするならば肌寒さを感じただろう。ゆきちゃんは上着を自宅に置いたままだったといわれている。

ゆきちゃんは寒さを感じながら「十四川堤防道路」を「一人」で東に向かったのだろうか?向かう理由はあったのか?帰宅しようと思い、その道を歩いたのか?

たしかに、山梨キャンプ場女児失踪事件(2019年9月21日16時頃発生)や千葉県流山市の事案(2022年9月23日昼頃発生)の児童も「現時点」では「一人」で行動したと考えられている(特に「千葉県流山市の事案」は、偶然、付近を走行した車のドライブレコーダーに児童が一人で河川の土手に上る児童の姿が映っていたと報道されている)。

飲みかけのココアを残したまま消えた児童――帰宅を待ちわびる家族の元に奇妙な怪文書や意味不明な電話がかかる。「失踪した理由」「原因」だけでも知りたいと願う家族は奇妙で不思議な手紙や電話に意味を求め、時に希望を感じ、時に絶望を感じ、結局はなにもわからず、心のなかに悲しみが沈殿し――家族の気持ちは察するに余りある。


◆引用・参考文献
千葉市川 川で見つかった遺体 行方不明の女児と確認 NHK NEWS WEB 10月06日13時40分配信
行方不明の加茂前ゆきちゃん、手がかりなく1ヵ月 朝日新聞 1991年4月12日付
三重・四日市で8歳の少女が行方不明 読売新聞 1991年3月17日付
どこへ消えた加茂前ゆきちゃん 四日市で行方不明まる4年 卒業証書渡したいが 今月退職の富田小校長 元気な姿を見せて 中日新聞 1995年3月17日付
不明の小2女児は海に転落か 読売新聞 1991年3月17日付
事件に巻き込まれる? 小2女児不明1週間 警察が対策本部 中日新聞 1991年3月21日付
岐阜の小4女児、行方不明に 3月末に自宅出たまま 朝日新聞 1991年4月6日付
三重・伊賀町 女子中学生のバラバラ遺体事件 新潟の29歳男を逮捕 NHKニュース1994年9月2日付
岐阜の小2女児殺害容疑、近所の20歳男性を逮捕 毎日新聞 1994年5月1日付


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その日、四人の家族は、昼過ぎから東京都世田谷区内の商店街に買い物に出かけた。翌日31日は大晦日。家族は年越しソバなどを買い、夕方、自宅に戻った。買い物に車を使ったともいわれるが車は自宅のガレージ(車庫)に駐車せず、翌日まで自宅前に路上駐車されていた。家族は年明け2001(平成13)年1月3日から二泊三日で箱根に旅行の予定だった。被害者A氏、妻、二人の子供、そして、被害者A氏の父親の5人での初めての旅行の予定だった(参考:奪われし夢世田谷一家殺害事件(上)「ケーキ食べに来て」孫の招待悲し最後のXマス祖父絶句...
世田谷一家殺害事件 推理 考察 なぜ狙われたのか 動機 - clairvoyant report
日本(東京)から約7,500キロメートル離れたモスクワに世界初の社会主義国家・ソビエト社会主義共和国連邦が誕生した1922(大正11)年の10月、千葉県木更津市の開業医の四男として男は生を受けた。祖父の代から医者の家柄だった男の父は、千葉県木更津市の市長もつとめる名士だった。裕福な名家生まれの男は、父親や母親の期待に応えるかのように第一高等学校(現、東京大学大学院総合文化研究科・教養学部等)に入学、22歳となる1943(昭和18)年、東京帝国大学法学部(現、東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)に進学した。男の...
光クラブ事件・裏切りを怖れる「偽悪者」山崎晃嗣を考察する - clairvoyant report
知略縦横を働かせ自分よりも大きな組織などを相手に大胆不敵な犯罪を実行する者がいる。「東の(府中)三億円事件、西の大阪ニセ夜間金庫事件」と並び称される同時代に発生した2つの事件は、時代を超え人々の好奇心を刺激する。事件発覚直後に「日本版『黄金の七人』」とも報じられた(参考:「偽装夜間金庫」朝日新聞 1973年2月27日付)「大阪ニセ夜間金庫事件」の犯人像を遺留品や時代背景などから考察していこう。なお、『黄金の七人』は、1965年に製作されたイタリア映画である。同映画は1967年から『漫画アクション』での連載が開...
大阪ニセ夜間金庫事件 - clairvoyant report
旭川市男子中学生失踪事件 概要2012年1月14日(土曜日)北海道旭川市緑が丘のとある住宅団地の一室。発端は、ごくありふれた家庭内の諍いであったという。気候の厳しい北海道の中学校の冬休みは長く、休業期間最後の週末となる。気象庁の記録によるとその日も夕方頃まで降雪があった。特に未明〜朝方は風速10m/秒近いというから、もはや吹雪いていたと言って差し支えないであろう。中学受験の難関校として道内でもその名を知られた、北海道教育大学の附属中学校に通う一年生、佐藤智広くん(以下智広くん・13歳)は、自宅でその夜に観るテ...
旭川市男子中学生失踪事件(佐藤智広くん行方不明事件) - clairvoyant report
江東区小5女児誘拐殺人事件とは、1969年(昭和44年)5月31日(土曜日)、17時30分頃、東京都江東区東雲1丁目内の某社社宅居住の小学校5年生E子ちゃん(10歳)が、買い物からの帰宅途中に車に乗った男に誘拐され、同年6月3日、午前11時頃、誘拐現場から南東方向へ直線距離で約1キロメートルの東京都江東区辰巳町東京湾十二号埋立地(現在の東京都江東区辰巳3丁目内付近)でE子の遺体が発見された(猥褻目的)未成年者略取、殺人、死体遺棄事件である。 一時は、本事件翌年の1970年6月3日(水曜日)に千葉県木更津市内で発生した小学校3...
江東区小5女児誘拐殺人事件 - clairvoyant report
貨幣・紙幣は国家の信用の上に成り立っている。特に国家による信用の裏付けのない紙幣は、単なる文字と絵が描かれた紙切れに過ぎない。1961(昭和36)年に最初の一枚が見つかった贋造紙幣「チ-37号」は、その精巧な造りから「贋造紙幣の最高傑作」、「最後の職人技」などと呼ばれ、1963(昭和38)年11月14日まで事件は続いた。国会でも取り上げられた「チ-37号事件」は、社会に大きな影響を与えた戦後の事件の一つでもある。警察は犯人検挙に向け異例の大規模捜査を行い、政府は新たな千円紙幣(伊藤博文像の紙幣)を発行し対応するが―...
チ-37号事件 - clairvoyant report
広島市佐伯区植物公園職員失踪事件 概要2014年6月7日(土曜日)朝9時頃。広島市佐伯区の植物公園職員、藤野千尋さん(当時25歳・以降千尋さん)は、家族三人(母、弟)で暮らす自宅を出て、いつも通り佐伯区五日市駅南口からバスに乗り、職場である広島市植物公園へと出勤していった。千尋さんは運転免許証を持っていなかった。臨時職員として4月に採用されてから約二ヶ月が経過し、担当の植物(ベゴニア)も決まり充実した生活ぶりであった。少なくとも、同居の母親H子さんの目からはそう見えていた。自然を愛する千尋さんは子供の頃から植物...
広島市佐伯区植物公園職員失踪事件(藤野千尋さん行方不明事件) - clairvoyant report
室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件)概要2001年3月6日(火曜日)――暦の上では既に春であり、関東地方ではお花見の予定を立て始める時期でもある。しかし、その日、北海道の地方都市である室蘭市は依然ほぼ終日、肌寒い氷点下の気温であり日差しも乏しかった。日陰には所々雪も残っている。それでも世間は着実に「春」に向かって時を進めており、その日は公立高校の入学試験のため休校日であった。道内有数の進学校である、道立室蘭栄高校の一年生である千田麻未さん(ちだ あさみさん・以下麻未さん・当時16歳)はその日の...
室蘭市女子高生失踪事件(千田麻未さん行方不明事件) - clairvoyant report
1991年5月19日、50歳の男性が東京都内の病院で病死した。男性は末期ガンだった。男性の名前は「山森将智家」の筈だった。けれども男性の名前は「山森将智家」ではなかった。名前どころか、戸籍記載事項から勤務先まで全てが嘘(ウソ)だった。真実を欲する妻を取材した「夫はだれだった」というタイトル記事が朝日新聞に掲載されたのは、同年の11月のことだった。「夫はだれだった」の見出しと記事内容は、読み手の心を刺激したのだろう。後年、同記事をモチーフにした小説『嘘を愛する女』(岡部えつ,徳間文庫,2017年)が発表され、翌...
夫はだれだった:「山森将智家」と二人の妻『嘘を愛する女』の実話 - clairvoyant report
岡山県津山市19歳会社員失踪事件 概要2019年8月26日(月曜日)、岡山県津山市の土木関連企業の社員で、保守点検業務に就いていた中山裕貴さん(なかやま ひろたかさん・以下裕貴さん・当時19歳)はその日、4月に入社したばかりの職場に姿を見せなかった。事前または当日の連絡はなく、いわゆる無断欠勤であった。裕貴さんは2019年3月に岡山県岡山市の工業高校を卒業後、新卒で入社して以降、真面目な勤務態度で知られており、前の週である8月19日から23日も特に変わった様子もなく働いていたという。上司であるY氏の言を借りれば、「新入...
岡山県津山市19歳会社員失踪事件(中山裕貴さん行方不明事件) - clairvoyant report
2007年(平成19年)5月25日、名古屋家庭裁判所に申立がなされていた、ある母子の失踪宣告審判が確定した。 バブル景気と精神世界の探求、グローバル化と東西冷戦の終結など激変と混沌の1989年の夏に発生した名古屋母子・同居人失踪事件について解説・考察していこう。名古屋母子・同居人失踪事件 概要失踪した母子のうち母親であるS乃さん(失踪当時30歳)と、その息子であるDくん(当時3歳)は、失踪の四年ほど前の1985年に、S乃さんと国際結婚をしたオランダ人の夫(Dくんの父親)であるR氏と家族三人で暮らしていたが、S乃さんはその後約...
名古屋母子・同居人失踪事件 - clairvoyant report
1999(平成11)年8月13日(金曜日)17時50分頃、JR横浜線「成瀬」駅から北東方向へ直線距離で約100メートルの場所に所在した某レンタルビデオ店から一人の女性が出た。彼女はT美術大学で絵画を学ぶ18歳の井出真代さんだった。某レンタルビデオ店の従業員の記憶によれば、店を出た彼女は自宅とは逆方向のJR横浜線「成瀬」駅方面に向かったのではないかといわれている。発生から20年以上を経て未だに未解決の井出真代さん失踪事件(町田市美大生失踪事件)について考察していこう。※本記事の内容は全て個人的な考察と推察です。事件経緯...
井出真代さん失踪事件(町田市美大生失踪事件) - clairvoyant report
一人の男性が消えた。彼は働きながら正看護師を目指す23歳の准看護師だった。失踪の前、彼は携帯電話で誰かと話をしていたとも言われ、彼の失踪後、自宅に町役場の職員を名乗る者からの電話があったという。栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)は、北朝鮮の工作員による拉致事件の可能性も否定できないといわれる謎の多い失踪・行方不明事案(事件)である。栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件)概要2002(平成14)年4月30日(火)19時頃以降、栃木県下都賀郡K町(当時・現在は合併により栃木県下野市)在...
栃木青年看護師失踪事件(永島康浩さん行方不明事件) - clairvoyant report
1984年9月30日、大阪のホテルでの滞在記録(クレジットカード利用明細による推定)を最後に、ある老夫婦が消息を絶った。著名な経済学者・著述家の岡崎次郎氏(当時80歳・以降岡崎氏)とその妻Kさん(当時86歳)である。岡崎次郎夫妻失踪事件 概要岡崎氏は、社会主義思想の巨人カール・マルクスの著作『資本論』の翻訳で知られた経済学者・著述家であり、生年は1904年。旧制一高・東京帝国大学というエリートコースを経たものの、卒業後は定職に就かず断続的に翻訳・著述業に携わっていた。1933年から東亜経済調査局に勤務するが、在職中、...
岡崎次郎夫妻失踪事件 - clairvoyant report
「魔」は突然に訪れる。約40秒の「魔」が一人のあどけない子と家族に訪れた。「平成」という新たな時代の初めに発生した未解決行方不明事案(事件)「徳島県貞光町4歳男児失踪事件(松岡伸矢くん行方不明事件)」について解説、考察していこう。概要1989年(平成元年)3月6日、茨城県U市在住の会社員Mさんと妻のK子さん、その子供たち(当時4歳の伸矢くん、伸矢くんの姉と弟)の家族五人は、徳島県小松島市を訪れていた。K子さんの実母が再婚先である小松島市で急死し、その葬儀に参列する為であった。そこがK子さんの実家であれば、...
徳島県貞光町4歳男児失踪事件(松岡伸矢くん行方不明事件) - clairvoyant report
2011年9月12日(月曜日)、人口2万8千人程の大分県日出町で、35歳の主婦・光永マチ子さん(以降マチ子さん)が忽然と姿を消した。その日、マチ子さんは朝から体調を崩していたといい、そのために10歳の長男と7歳の長女の朝の支度をさせるのが遅れ、小学校まで車で二人を送って行くことになったという。小学校までは、車で10分程度の距離であった。大分県日出町主婦失踪事件 概要その道のりは、子供の足では一時間近くかかってもおかしくない距離のため、送り迎えは毎日の日課であった事も考えられる。マチ子さんの自宅は田畑や雑木林に囲...
大分県日出町主婦失踪事件 - clairvoyant report
陽が傾き始め、景色が夜と入れ替わる逢魔時(おうまがとき)――1人の女児が忽然と消えた。それは、魔物の仕業だろうか――人間の仕業だろうか――。1983年に発生した未解決事件「宮城県川崎町女児失踪事件(渋谷美樹ちゃん行方不明事件)」について考察していこう。事件概要1983年(昭和58年)11月1日(火曜日)夕方4時頃。事件は保育園からの帰り道に起きた。宮城県柴田郡川崎町で農業を営む柴田家のKさん(当時59歳)は、孫の渋谷美樹ちゃん(以降美樹ちゃん・当時2歳)を保育所まで車で迎えに行き、助手席に乗せて帰宅する途中だった。美樹ちゃ...
宮城県川崎町女児失踪事件(渋谷美樹ちゃん行方不明事件) - clairvoyant report

★独自視点の怪文書考察

松本サリン事件 怪文書 『松本サリン事件に関する一考察』サリン事件は、オウムである『松本サリン事件に関する一考察』この衝撃的な一文から始まる『松本サリン事件に関する一考察』は、その後の裁判で「オウム真理教」の犯行と認定された一連のテロ事件のうち、最初に実行された化学兵器サリンを用いた「松本サリン事件」(1994年6月27日)の実行者を名指しで指摘した所謂「怪文書」である。この『松本サリン事件に関する一考察』は、「HtoH&T.K」を名乗る者(集団)により書かれ、文末には、この怪文書が書かれた時期と思...
『松本サリン事件に関する一考察』を考察! - clairvoyant report

Jean-Baptiste Roquentin

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。 Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。 小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。 分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。