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名古屋母子・同居人失踪事件

2007年(平成19年)5月25日、名古屋家庭裁判所に申立がなされていた、ある母子の失踪宣告審判が確定した。

バブル景気と精神世界の探求、グローバル化と東西冷戦の終結など激変と混沌の1989年の夏に発生した名古屋母子・同居人失踪事件について解説・考察していこう。

名古屋母子・同居人失踪事件 概要

失踪した母子のうち母親であるS乃さん(失踪当時30歳)と、その息子であるDくん(当時3歳)は、失踪の四年ほど前の1985年に、S乃さんと国際結婚をしたオランダ人の夫(Dくんの父親)であるR氏と家族三人で暮らしていたが、S乃さんはその後約三年の結婚生活を経た1988年に日本へ帰国。母子は名古屋市千種区S町に二人で暮らしていた。

S乃さんは息子Dくんがまだ目が離せない時期である為か働いておらず収入も無く、生活費は実家からの援助に頼る事になった。彼女の父親であるK氏は製薬系の会社を経営しており、裕福な家庭であったと思われる。

R夫妻の別居の原因は公表されていないが、母子の失踪が公開捜査となって以降も、夫R氏が日本を訪れたであるとか、捜査に協力したといった情報はなく、後に失踪宣告審判の申立人にもなっていない点からみて、円満なものでは無かったように思われる。

母子の姓は審判確定時も外国姓である「R」のままで、S乃さんの旧姓である「K」には戻されておらず、正式な離婚は成立していないと考えられるが、何かしらの情や復縁の余地を残していたというよりは、国際結婚の解消手続きの煩雑さや、夫婦の別居後の没交渉によるものである可能性が高い。

インターネットで世界中が結ばれ、一般人もその恩恵に浴することができる時代の到来は、もう少し先の事であった。

S乃さん・Dくん母子が消息を絶ったのは1989年7月26日午後9時頃以降と見られている。

7月26日午後9時頃、隣人であるニュージーランド人夫婦による、S乃さんと世間話をしたと言う証言が、現在のところ彼女の最後の目撃情報となっている。

会話の内容は、翌日からの四国旅行についてであったという。この旅行の予定については、同日の昼頃、父親から一ヶ月分の生活費を受け取ると共に、母親の勤務先を訪れたS乃さんが、

――三人で約一週間、四国に車でキャンプ旅行に行く――

と話していたこと、後日、自宅のゴミ箱から、S乃さんの直筆になる四国旅行計画についてのメモが発見された事、名古屋空港の駐車場に残された、彼女が所有するワンボックス車から、キャンプ用品や、キャンプ用の食料を収納するためという理由で友人から譲って貰った発泡スチロール製の箱が発見された事から存在が裏付けられている。

母子の家には無職の男性Nさん(当時34歳)が同居していた。S乃さんとNさんの出会いは、1989年3月頃、環境保護活動を通じて出来た友人から、

――Nさんを泊めてあげてほしい――

と、依頼されたのが始まりであったという。母子二人暮らしの家庭には、そう簡単に受け入れ難い頼みであるようにも思うが、環境問題等の興味関心のある分野の一致から意気投合したものか、それとも友人との間に何らかの上下関係が存在したのか、S乃さんはNさんを泊め、その後も生活を共にしていたようだ。母子家庭にとって信頼できる男手は有難いものである事は間違いなく、三人で旅行に行く事を母親に話している事からは親も認めた恋仲に発展していたようにも思われるが、一方で両親の証言では、

――Nさんからプロポーズを受けたが、応じるつもりはない、一週間後には出て行ってもらう――

とも話していたとあり、四国旅行を最後の思い出に、Nさんとは縁を切るつもりであった可能性も示唆されている。

しかし、翌日7月27日(28日であったとも)、26日にS乃さんと話したニュージーランド人夫婦が、Nさんが家に一人でいる所を確認している。前日の会話から、旅行に行ったのでは無かったのかと夫婦が彼に尋ねると、Nさんは、

――二人は先に旅行へ出発しており、自分は後から合流する予定だ――

と話したという。これがNさんの確実な最後の目撃情報となっている。

また、27日には三人の住む家の大家にNさんから電話があった。内容は家賃の振り込み先についての問い合わせであったという。大家が今すぐには口座番号がわからない旨を伝えると、Nさんは明日また電話すると答えて電話を切ったが、その後大家宛てに電話がかかってくる事も、家賃が支払われる事も無かったようである。そしてそれ以降Nさんの消息も途絶えてしまった。

S乃さんの父親であるK氏が、母子の失踪を警察に届け出たのは9月に入ってからの事であった。Nさんの失踪についての届出が彼の家族からされたかどうかは不明である(失踪宣告審判確定者の中にNさんの名前は確認できない)。

7月最終週の一週間についてはあらかじめ旅行の予定がある事を聞いていたとは言え、三歳の子どもが一緒に姿を消しているにも関わらず、その後一ヶ月間警察への届け出を躊躇した理由については不明であるが、会社経営者であるK氏は資産家であり、その間、私財を投じて探偵等に依頼をし、調査をさせていたとしてもおかしくはない。

実際、S乃さんが四国旅行中に足を運ぶ予定があった自然食品関係のイベント「塩の祭り」にS乃さんが訪れていない事を突き止めているという。

しかし、警察の捜査が進むにつれ、そもそも三人が四国を訪れてさえいないのではないかという疑念が持ち上がってくる事になる。

まず10月には、S乃さん所有のワンボックス車が名古屋空港で発見された。記録によると預けられたのは7月29日午後3時頃で、8月10日までの駐車料金九千円が前払いされていた。受付をした係員は30代の男性が一人で手続きをし、福岡に向かうと話していた事を覚えていたが、(こういった客は珍しかったからであるという)年齢こそ一致するものの、この男性がNさんであったかどうかまでは明確になっていない。

前述した通り車内からはキャンプ用品等が見つかった。最近使用された形跡はなく。荷造りされたままの姿であったという。

車の燃料はほぼ空になっており、最後の給油が行われた7月20日から駐車場に預けられるまでの29日の間にタンク内の燃料がほぼ全て消費されたと考えられた。

その燃料で移動できる範囲は最大130km程であるというが、途中で給油をしていないという確証がある訳でもなく、目撃情報や、タイヤ等に付着した土の成分の分析等からS乃さんの車が立ち寄った地域を特定しようという試みも上手くはいかなかった。

名古屋空港から出発する国内線の記録も調べられたが、三人に該当する乗客の記録は見つからなかった。国際線についても、肝心のS乃さんらのパスポートが自宅から発見された事で、少なくとも正規の方法で出国する事は不可能である事が判明している。

11月には三人が住んでいた家が警察によって捜索され、二階の押入れの中の布団からは小さな血のシミ、畳からは血痕が発見された。その血液型はS乃さんと同じB型で、発見された血液の量は牛乳瓶一本分程度といい、それだけでは命に関わる量ではないとは言え大怪我には違いないが、保存状態が悪く、D N A鑑定でS乃さんのものであると確定することもできなかった。

部屋に争った形跡はなく、その出血が他者からの暴力によるものであるとすると、背後からの不意打ち等であるか、ある程度信用している相手からの思わぬ一撃である事が想定された。

S乃さんの身の回り品や財布は無くなっていたが、室内からは三十四万円の現金が見つかっている。そもそも元々室内にどの位の現金が保管されていたかが不明であり、見つかった現金にしてもどの程度の厳重さで保管されていたかも不明である為、金品目当ての賊ではなかった事を断言できる訳ではないが、母子家庭で大量の現金は不要かつ置いておくのは危険であり、S乃さんもNさんも無職であり生活費をほぼS乃さん(の父親からの援助)に頼っていた事を考えると、行きずりの強盗が現金三十四万円を敢えて残して三人を連れ去る、もしくは三十四万円の現金を惜しんで三人が現金のありかを秘密にした為強盗が満足せず、身代金目当て等で三人を連れ去る――といった状況も考えにくい。

更に奇妙なのは壁に掛けられた7月のカレンダーであった。

カレンダーには1日1日の経過を刻み込むように連日斜線が引かれ、7月26日と30日にはオランダ語と思われる単語が記されていた。

・26日 Vlucht  VER??? 斜線 矢印(解説:Vluchtは逃走・敗走・脱出・飛行の意味があるオランダ語の単語。VER???と見える単語は解読不能。予定と思しき文字が書かれているにも関わらず下半分には斜線も引かれており、翌日27日まで矢印が延ばされている)

・30日 VERTREK 2・PM AiRPort (解説:VERTREKは出発・出航の意味があるオランダ語の単語。後の二つは文字通り午後2時・空港の意か)

名古屋母子・同居人失踪事件失踪カレンダー

筆跡鑑定の結果、これらの文字はS乃さんの筆跡ではない事が明らかになっているが、この家の住人の中でオランダ語を扱えるのはS乃さん以外にはいない。

尤も、書かれているのはオランダ語の単語のみであり文法の知識は必要がない為、日蘭辞典等を用い、意味だけを頼りにオランダ語の単語を記入する事は可能であろう。

1990年1月25日――この名古屋母子・同居人失踪事件の公開捜査が開始され、全国規模でのチラシ配布、情報回覧等がなされたが、三人の失踪からは既に半年が経過しており、有力な情報が寄せられることは無かった。

1995年春、T V朝日系の公開捜査番組『水曜特バン!緊急生放送!謎の未解決事件大追跡』にて三人の失踪事件が取り上げられた。

1995年という年は「地下鉄サリン事件」が起きた年であり、オウム真理教の教団が起こした誘拐・殺人を含む凶悪な事件が次々に白日の元に晒され世間を震撼させていた。

特に「坂本弁護士一家殺害事件」の真相を実行犯の一人が自白し、教団が小さな子どもの殺害も厭わない組織であることが明らかになりつつあった。

また、「公証人役場事務長逮捕監禁致死事件」は資産家の女性信者を強制的に出家させて財産を奪うために、居場所を知る家族を拉致して自白剤を過剰投与して殺害。遺体を焼却・溶解させてほぼ完全に隠滅したという残虐なものであり、S乃さんが資産家の娘である事や、S乃さんやNさんがヨガ、宗教、自然食品に対する興味からオウム教団と接触した過去もあった事から、三人の失踪事件も教団との関連を連想させるものとなった。

特に、失踪当時のNさんの姿としては、長髪にヒゲ、着用している衣類は教団の出家信者と酷似した白い法服のようなものを身につけた写真が使われており、あからさまに教団との関連を匂わせる番組構成となっている。

しかし、やはり三人の失踪についての有力な手がかりが寄せられる事はなく、番組の放送から十一年、発生から一七年を経た2006年、失踪宣告審判の申立がなされた。申立人はS乃さんの両親ではなく、彼らは2006年時点で既に故人であると見られる。

S乃さんの父親であるK氏は先述の公開捜査番組の中で取材を受けており、

――たった一人の娘と孫なので、早く見つけてやりたい。生死はともかく何があったのかだけでも知りたい――

と話していたが、その願いは未だに叶っていない。

手がかりとその検討

ここからは、名古屋母子・同居人失踪事件の人物背景と時代背景から本事件の手がかりとその検討に移りたいと思う。

S乃さん、Dくん母子について

先述の通りS乃さんは会社社長であるK氏の一人娘であり、海外留学経験がある、もしくは海外で高等教育を受けたものと思われる。夫となったR氏とも海外で出会って結ばれたと思われるが、S乃さんの興味は欧米の文物に留まらず、ヨガや自然食品、環境保護や新興宗教にまで及んでいた。とは言え世は世紀末が近づいており、バブル景気の狂騒に対するカウンターカルチャーとしても、宗教・超能力・自然回帰的な思想へと傾倒する者が当時は決して少数ではなかった。

オウム真理教の出家信者たちもその一部であると言って過言ではない。Dくんの名前も、恐らくはチベット仏教の高名な転生ラマに由来するものである。

しかしS乃さんがDくんやNさんと共に人知れず「出家」を考えていたという前兆は見つかっていない。 S乃さんら三人は自然食品や環境保護とは対極の印象がある製薬会社の社長、K氏からの援助によって生計を立てており、真剣に現代文明に背を向けて宗教生活に入りたいと考えていたのであれば、その援助を忌避する何らかの行動が見られても良さそうなものである。

Nさんについて

Nさんは大学を中退後、デザイン関係の会社に就職したが、やはり宗教や自然食品、環境保護といった分野に傾倒しており、同じ志向を持つ共通の知人を介してS乃さんと知り合った。宗教団体の法服を着た写真が残っている所から見ても、宗教団体に所属していた経験があるか、宗教的なセミナーに参加した過去があるのは間違いなさそうである。

結果的に数々の凶悪事件を経て、現在はカルト教団の恐怖が社会全体に刻まれており、宗教的なものに対する嫌悪感が醸成されてしまっているが、彼らが失踪した1989年当時は、既に水面下では一部の出家信者を中心として非合法な団体への変貌が進行していたとは言え、未だオウム真理教の書籍が普通の書店や図書館に並んでいるような時期であり、「ノストラダムスの大予言」「ムー」といったオカルト趣味の書籍や雑誌と同様にありふれたものであった。

出家信者ですらないNさんがオウムの先兵として当時から非合法活動に従事していたとは考えにくい。

カレンダーの文字について

カレンダーに書かれたオランダ語の筆跡がS乃さんのものではないとすると、もう一人の大人の住人であるNさんが書いたとしか考えられない。

自分の元から息子(Dくん)を強奪、逃亡した妻(S乃さん)を報復目的で追って来たオランダ人夫R氏の手によるものと考える事もできるが、仮にそのような行動を取る可能性がある夫であったのであれば、自分の居場所をS乃さんが知らせているとは思えない上、オランダ人夫に名古屋の土地勘があるとも考えにくく、万が一居場所を突き止めて侵入を果たしたとしてもカレンダーに行動予定を記していく理由が見つからない。

また、警察が事件捜査の過程で調べるのはまず夫の入国記録である筈で、公開捜査がされる以前に「家庭内の問題」である可能性は潰されていると見て良いだろう。

カレンダーに記された単語の意味自体は単純なものであり、議論があるとすれば解読不能の7月26日の文字である「 Vlucht(逃走・敗走・脱出・飛行)  VER???(解読不能) 斜線 27日にかけての矢印」の解釈であろう。

まずVER???であるが、これは蘭VERPESTEN(英SCREW UP)(日 失敗する、しくじる)であると考える。

「逃走に失敗したため実行は27日に延期(矢印)26日は斜線を引いて消化」といった意味であろう。本来は26日に逃走を予定していたが(夜、S乃さんが隣人のニュージーランド人夫婦と遭遇したために)決行に失敗した(決行を取りやめた)という体にしたのではないだろうか。

勿論、Nさんはこれを記入したのがS乃さんであるという前提で記入している(筆跡鑑定によって見破られてしまっているが)。S乃さんが四国旅行に見せかけて7月27日に(自分から)逃げ出して自発的失踪を果たし、30日午後2時に空港から出発するという筋書きである。

名古屋母子・同居人失踪事件 真相考察

Nさんは、S乃さんの気持ちが次第に自分から離れつつあるのを感じていたと思われる。知り合った当初は、話し相手になってくれる、代わりに車を運転してくれる、Dくんの遊び相手になってくれる程度の事でも、夫と訣別したばかりのS乃さんにとっては心強く、自信を与えてくれるものであったのだろうが、シングルマザーとしての生活にも慣れ、Dくんも日々成長していくにつれて、働きもせずS乃さんが親から受け取る生活費に寄生するNさんへの不満が抑えられなくなりつつあったのかもしれない。

NさんはS乃さんにプロポーズをすると共に、四国へのキャンプ旅行(婚前旅行)を提案して、楽しい思い出を上書きする事でS乃さんの好意を取り戻そうと考えたが、彼女はこれが最後の思い出作りであり、楽しい記憶を残して同居を解消したいと申し出たのだろう。

S乃さんは、「遊び相手や話し相手としてはNさんを気に入っている。しかし、生活を共にする同居人としては既に愛想が尽きている」とNさんにはっきりと告げたのかもしれない。

恋人(夫)や父親がわりとして二人に尽くしてきたと考えていたNさんにとって、それは手酷い拒絶であり裏切りであった。

Nさんは二人に対する復讐の計画を立て、実行したのではないだろうか。対外的には三人が一緒に、S乃さん主導で姿を消したように見えるように考えをめぐらせた。筆跡が分からないように崩したオランダ語をカレンダーに記入する。

オランダ語を使えるのはS乃さんだけであり自分に疑いが向く事はない。そう、自分たち三人が二度と人前に姿を見せることさえなければ――Nさんは27日、28日の二日間をかけて二人に別れを告げた。そして7月29日、カレンダーに記した翌日30日の「午後2時・空港からの出発」の予定に合わせて、名古屋空港の駐車場に車を預けた。福岡へ行くというのは口から出まかせであったが、本当にそうしても良いかもしれないと彼は考え始めていたかもしれない。

世の中は未だバブル景気であり、素性を隠して就ける実入りの良い仕事にも不自由しない時代であった。

この事件は1989年の事件であり、仮に殺人事件であったとしても、既に公訴時効が成立してしまっており、犯人が海外逃亡しているような場合を除き、もはや犯人を罪に問うことは出来なくなっている。

本件がオウム真理教関連の事件であり、彼女らが財産目的で出家させられ、教団内に囚われているかもしれないというわずかな希望も、教団壊滅と共にほぼ潰えてしまっている。

せめて母子をその両親、祖父母の元に返してあげたいという願いももはや叶うことはないのかもしれない。

それでも、こうして忘れずに語り継いでいく事で、いずれはその無念が癒やされる可能性も決してゼロではないし、奇跡――例えば何も知らずに別の名前で成長したDくんが、これは自分の家族の事かもしれないと気づき、密かに残した手記が発見されるような事も起こり得るかもしれない。

それが、自らの目で確かめる事ができない程の、遠い未来の事であったとしても――。


◆参考資料
T V朝日系 「水曜特バン!「緊急生放送!謎の未解決事件大追跡」1995年
読売新聞 不明の3人を公開捜査へ 母子と同居人/名古屋 1990年1月26日付


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Tokume-Writer

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