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千葉県千葉市若葉区女子中学生連れ去り事件(佐久間奈々さん失踪事件)

何者かが彼女を連れ去った。それは1991年(平成3年)10月26日(土曜日)から27日(日曜日)へと日付が変わった深夜のことであった。

連れ去られたのは彼女だけではない。彼女を愛する多くの人々の平穏な日常が連れ去られた。

本記事は、千葉県千葉市若葉区女子中学生連れ去り事件(佐久間奈々さん失踪事件)について考察し、事件の手がかりや関連情報を詳述し、解説するものである。

事件概要

1991年(平成3年)10月26日(土曜日)から27日(日曜日)の深夜――千葉県千葉市内――。

中間テスト期間を終えた中学生1年生の女子4人組は、メンバーのひとりである佐久間奈々さん(当時13歳・以降、奈々さん)が母親Hさん(当時42歳)と暮らしていた千葉県千葉市の自宅アパートに集結していた。「打ち上げ」のお泊まり会といった所であろう。

テスト期間最終日は部活も無く、仲間同士で予定を合わせる事も容易であっただろう。夜になり、奈々さんの母親は、奈々さんに見送られ出勤していった。

気の合う女子4人、深夜まで話の種が尽きる事は無かったであろうが、流石に空腹を覚えたのか、それとも眠気覚ましの為か、少女達は買い物のために外出する事に決めた。

1990年代は郊外にもコンビニ等、深夜営業の店舗が増え始め、日本人の生活は全体的に夜型になり始めていた。それは女子中学生であっても例外ではなかった。

奈々さんの自宅アパートは、閑静な住宅街である若葉区大宮台にあった。近所のコンビニエンスストアは、当時は24時間営業の店舗ではなく、4人が目指したのは自宅からおよそ4.5km、市道の大通りを直進するというほぼ一本道ではあるが、道のりは起伏に富み、15歳の少女たちが漕ぐ自転車では片道30分はかかるというミニストップ小倉台店であった。

目的地のコンビニがある小倉台もまた、千葉都市モノレール・小倉台駅周辺に広がる住宅街であり、二つの住宅街を結ぶ市道の脇には、当時、未だ雑木林の一部が残る、街灯が乏しい一帯があった。実際に深夜その場所を歩いたという者によると、暗さのあまり「互いの顔を視認するのも困難」な区間さえ存在したという。

深夜の住宅街に人通りはほぼ無かったが、女子中学生とはいえ4人組であり、全員が自転車に乗っていたという事もあって、道中恐怖を感じることは殆ど無かったであろう。

無事、コンビニでおにぎりやピザ、缶入りのウーロン茶等の夜食を購入した4人は、行きと同様自転車で帰路につき、アパートを出てから約1時間後の27日午前1時頃、市道と国道126号線が交わる「坂月町交差点」を渡った。

事件が起きたのはそこから約200m。自宅まであと10分程度の地点であった。

「坂月町交差点」のgoogleストリートビュー(2011年6月撮影)

帰り道の歩道上には、10月12日から13日にかけて房総半島に接近した、台風21号の影響と思われる折れた木の枝が転がっており、先頭を走っていた奈々さんは車輪をとられて自転車ごと転倒した。

後続の3人は自転車を停めて奈々さんに駆け寄ったが、幸い怪我らしき怪我は無かったと見え、4人は安堵すると共に互いに笑い合った。

新聞報道では「何が起きても、おかしくて笑ってしまう女子中学生」と表現されているが、実際のところどの程度のボリュームで、どの位の時間騒いでいたのか客観的な証言は存在しない。転倒地点は住宅街と住宅街の境目にあたり、人家の乏しい一帯であったからだ。しかも深夜である。しかし、その騒ぎを聞き咎めた者が居た。

<strong><a href=httpsclairvoyant reportcomwp contentuploads202406奈々さんの顔写真と犯人の似姿出典千葉県警千葉東警察署のHPページwebp target= blank rel=noopener title=>奈々さんの顔写真と犯人の似姿出典千葉県警千葉東警察署のHP<a><strong>

「こんな所で何をしている」

身長は155cm程度と小柄でずんぐりした体型、40歳前後の中年であったというその男は、笑い合う少女達を追い越した少し先で振り返り、切れ長の目で一同を見回した。

「シンナーでも吸っているんだろう」

当時はシンナー遊びが非行少年少女達の間で流行していた。シンナーは吸引によりアルコール酔いのような酩酊感や幻覚、妄想を引き起こすといわれ、暗がりで楽しげに笑い声を立てている4人は、自分たちがそう誤解されても仕方がないと思ってしまったかもしれない。少なくとも、深夜外出を咎められた後ろめたさはあっただろう。

「16歳未満の者が23時以降に出歩いていると犯罪になる」

その男はもっともらしい口上と共に、自分が補導員であると告げ、派出所まで連行する旨を彼女らに申し渡した。

実際の補導員はボランティアの主婦も多く、活動は21時頃迄には切り上げる事、補導員が単独行動することはまずない事、補導員であることを示すバッジや腕章を着けている事、警察官のような権限はないため、指導内容は帰宅を促す等の注意喚起に留まる事等、事情に通じていれば指摘できる不審点はいくつもあったが、彼女らは非行とは無縁であり、それ故に男を疑う理由を見出す事が出来なかったと思われる。

「普通なら警察沙汰だが、話を聞くだけで許してやる。すぐ帰してやるから、お前が代表でついて来い」

男は、少女達を威圧する一方で、温情を示すかのように奈々さんを指し示した。奈々さんはその場に自転車を停め、素直に男の指図に従った。その時、コンビニで購入した夜食が入ったレジ袋は無くなっており、奈々さんが男に連れ去られた際、その手に携えていたとみられている。

またこの時、残された3人の中のひとりが、奈々さんの自転車はどうしたら良いか問いかけると、男が「後からトラックで運んでやる」と答えたというソース不明の情報がある。後に自転車は、連れ去りの現場に残されたまま見つかっている。

「他の3人は帰りなさい」

男は残された少女達にそう命じた後、奈々さんを連れて市道から伸びる細い脇道へと消えたとも、自宅からは逆の方向にあたる国道126号線の方向に歩いていったとも言われている。この時、会合場所であった奈々さんの自宅の鍵は、当然奈々さん本人が所持していた為、3人はアパートに戻っても室内には入れなかった。

その事を男に確認する余裕もない様な精神状態で、特にこのタイミングで確定させる必要に迫られているわけでもない、奈々さんの自転車の取扱いについての質問ができたのかという点については疑問を挟む余地があるだろう。

連れ去り地点付近のgoogleストリートビュー(2011年5月撮影):左側の細い道、あるいは画面奥方向に向かって、男と奈々さんは歩いて行ったという。

大宮台のアパートまで戻った3人は、玄関の前で奈々さんの帰りを待っていたが、すぐに帰すという男の発言に反して、彼女が戻る気配はなかった。心配ではあったが、とはいえ相談できる大人が側にいる訳でもなく、逡巡のうちに時刻は深夜3時近くにはなっていたものと思われる。

そこに、同じ中学校に通う同級生男子2人が通りかかった。彼らは事情を聞くと、「それはおかしい」「親に話したほうがよいのではないか」と事態の異常さを指摘し、我に返った3人はそれぞれの親に連絡した。

連絡を受けた親たちは、手分けして奈々さんの姿を探したが見つける事ができず、27日午前4時20分過ぎ、千葉東署に届け出た。

県警はわいせつ目的、あるいは身代金目的の誘拐事件の可能性を念頭において捜査を開始した。男の似顔絵を作成して聞き込み等を行なった結果、事件当日に現場周辺で奈々さんと男と思われる二人連れを見たという目撃情報はいくつか上がったものの、その行方や潜伏場所についての有力な手がかりは浮上せず、金銭を要求する電話等も無かった。

思春期の少女の連れ去りという事で、初期の捜査は奈々さんの将来を気遣う母親の希望により、また警察の一部からも、連れ去り犯人を刺激して奈々さんの身に危険が及ぶ事を避ける為、捜査は極力秘密裏に進めるべきだという意見が出された。

一方で、早期に公開捜査に踏み切り、目撃者の記憶が新しいうちに証言を集めようという意見もあり、双方の間では議論が交わされた。10月30日の捜査会議の結果、一旦公開捜査は見送られたが、その後も有力な手がかりは集まらず、11月6日、県警は110人体制の捜査本部を設置、公開捜査が開始された。

この公開捜査は当初、母親の強い希望により、被害者である奈々さんの顔写真や実名が伏せられたままという異例のものであったが、捜査が行き詰まる中、1ヶ月後の12月5日には写真、名前共に公表に踏み切られた。

「かわいらしい」と評判の美少女であった奈々さんの姿と、いかにも変質者然とした、誘拐犯人とされる男の似顔絵の対比は見る者に強烈な印象を残し、その後のインターネットの普及と共に、発生から30年を超えた2024年6月現在も尚、事件は謎多き失踪事件として語り継がれている。

誘拐の手口や似顔絵から、独自に連れ去り犯人を考察、特定しようとする試みは今も絶えないが、3人の友人たちが見守る中、男に連れ去られる姿を最終目撃情報として残したきり、奈々さんの消息は勿論、遺留品の一つとして未だ見出されてはいない。

手がかりとその検討

ここからは、千葉県千葉市若葉区女子中学生連れ去り事件(佐久間奈々さん失踪事件)の手がかりとその検討について述べていこう。

奈々さんについて

佐久間奈々さんは前述の通り、失踪当時中学1年生であったが、体格は身長約150cm、作成された全身写真では細身〜中肉中背であり年齢相応であるが、整った顔立ちの為年齢よりも大人びて見えたという。部活はバスケットボール部で、クラスの人気者であった。また、近隣住民としっかり挨拶のできる礼儀正しさも持ち合わせていた。

異性関係や素行についての情報は無いが、自称「補導員」の嘘に簡単に操られてしまった所からは、奈々さんもその友人たちも、素行のよくない人物らとの付き合いは乏しい事が見て取れる。補導員との接触に慣れた者は、補導員の権限がほぼ一般人と変わらない事を知っている為、彼らの注意などは意に介さないのだという。

奈々さんの家は母子家庭であり、自宅アパートでは母親と祖母の3人暮らしであったという情報があるが、祖母からのコメント等は知られておらず、宿泊時に顔を合わせていたであろう友人たち3人が、奈々さんが誘拐された事がほぼ確実となった後も、奈々さんの祖母に助けを求めた等の情報は見当たらない。

祖母が病気等で伏せていた可能性もあるが、病人のいる家で「お泊まり会」が許可されるとは社会通念上考えにくい。祖母同居の情報は誤りであるか、祖母がメディア露出を控えているかのどちらかであろう。

しかしながら、中学1年生とはいえ、自分の留守中に子供たちだけでのお泊まり会を許す母親というのも、常識に照らして考えにくく、祖母は在宅していたが就寝しており、近所の迷惑を考えてアパートの玄関先で騒ぎ立てるのは慎んだという事なのかもしれない。

以上の情報から、奈々さんが半ば誘拐事件に乗じる形で家出を決行してしまうような問題を抱えた少女であったり、荒んだ家庭環境に置かれていたとは思われないが、母親が危惧したように、一旦男に連れ去られた女性が後日無事に保護されたとしても、公開捜査により顔と名前が全国紙で流布されてしまえば心無い噂等の標的となり、将来の幸福の妨げになる事は容易に想像できる。

彼女を誘拐した男がその事について言及し、もう地元で平穏に生きる事は叶わず、自分の保護下で名前を捨てて生きていくしかない旨を説いて依存させ、マインドコントロール下に置く事はあり得るように思われる。

目撃情報について

警察に寄せられた目撃情報の殆どは、誘拐犯人の似顔絵とよく似た男を見たというものであったという。

確かに、警察作成による、四角い顔にうすら笑いを浮かべた中年男の似顔絵、似姿は強烈なインパクトを放っており、深夜にこの男と遭遇、恫喝された少女たちの恐怖がイラストを通して伝わってくるようである。その一方で、身の回りで一度や二度は見かけた事があると思わせるような、特徴が有るようでいて無い風貌でもある。

身長が中学生女子とほぼ変わらない155cm程度というのも、ありふれているとまでは言えないものの、男の出生年代的にそこまで珍しい訳では無く、似顔絵が実際には特徴を捉え切れていなかったのだとすると、服装等で少し印象を変えるだけで、連れ去り犯に似た男としては認識されなくなった可能性がある。

信用性は噂程度ではあるが、元々この似顔絵は特定の人物をベースに描かれたという情報がある。情報源は千葉県警の捜査官であるといい、特定の人物とは、連れ去り現場にも近いガソリン・スタンドの雇われ経営者で、車から通行人に声をかけて保険の勧誘を行うような、奇行の多い人物であったという。

とは言え、その奇行と女子中学生連れ去りとの間に何らかの共通点が見出されているわけでもなく、これほどの近隣で、しかも定住している人物が連れ去り犯ではないかと警察にマークされていたとすると、最終的には3人の目撃者に面通しを済ませた上で「別人である」という判断が下された可能性が高い。

事件から1年ほどの間に寄せられた850件あまりの目撃情報のうち、有力と見做されたのは以下の4件であった。

①事件当日のほぼ同時刻頃、奈々さんら4人がコンビニからの帰り道に通過した「坂月交差点」で、奈々さんと犯人らしき二人連れが信号待ちをしていた。
②事件から約1時間後、千葉モノレール千城台駅周辺(小倉台駅から2駅先の駅であり千葉モノレールの終点。営業時間は既に終了している。連れ去り現場からは徒歩で35分程の距離)で、奈々さんと犯人らしき二人連れが歩いていた。
③事件から約3時間半後の午前4時半頃、事件前に奈々さんらが立ち寄ったミニストップ小倉台店付近を、奈々さんと犯人らしき二人連れが歩いていた。
④事件の前夜、事件発生地点から1kmほど離れた自動車学校付近の市道を、似顔絵によく似た中年男が徘徊していた。
千葉県千葉市若葉区女子中学生連れ去り事件(佐久間奈々さん失踪事件)有力と見做された目撃情報

有力とされた①の奈々さんと犯人の二人連れを目撃したという証言は、状況と時間帯からみて本人である可能性が極めて高いが、その後何らかの建物に入っていった、車に乗り込んだといった「行き先」を突き止められず、捜査は行き詰まった。

②③は、残された友人たちが我に返って追跡や警察への通報を試みる事も考えられる中で、深夜の住宅街を1時間〜3時間半に渡って連れ歩く利益が想像しにくく、人違いである可能性が高いと考える向きもある。

尤も、補導員を騙ったとは言え、少女を自分の後について歩かせているだけの段階で警察官に捕捉されたとしても、厳重注意程度で済んでしまう可能性も高く、男の「偽補導員慣れ」した態度からして何度か類似の手口を試しており、残された友人たちが深夜外出の罪悪感から、通報に至るまでの心理的ハードルは相当に高い事を当初から念頭に置いていたとも考えられる。

補導されたという緊張感の中で長時間歩かせる事で正常な判断力を失わせ、疲れ果てた所で優しい言葉をかけて懐柔する……という所までが手口の一部であった可能性も十分に考えられる。

④の情報については、仮に連れ去り犯と同一人物であったとしても、事件前夜はテスト期間中であり、夜間外出を試みる近隣の中学生を目当てに徘徊していたとすると、中間テストのスケジュールを調べる等の計画性や情報源は持ち合わせていなかったという事になる。

また、当時付近にはパチンコ店も存在し、単なる暇つぶしの為の外出であった可能性も高い。

4人が事件当日に訪れたミニストップ小倉台店跡のgoogleストリートビュー(撮影された2011年5月時点で既に閉店している)

誘拐犯とみられる男

男は事件当日深夜、目立つ荷物も持たず市道上を大宮台に向かって徒歩で歩いていたと考えられる。モノレール駅が近いとはいえ、どちらかというと界隈は車社会であり、近隣住民の中年男性であれば、深夜外出には車を用いたドライブを選択しそうである。

前夜の目撃情報が男本人であったと特定されている訳ではないが、事件直後の目撃情報も合わせて考えると、男が意図的に徒歩で長時間に渡り移動するという手段を敢えて選んでいる可能性は高い。車で頻繁に徘徊すれば、型式やナンバーから所有者として特定されてしまう恐れが出てくるが、深夜に徒歩であれば視認すら困難になる。

(奈々さんの自転車を)「後からトラックで運んでやる」という発言が事実であると信じられていた頃には、男は仕事の合間に散歩か買い物に出た長距離トラックの運転手であり、その日に偶然奈々さんと遭遇、衝動的に遠隔地に連れ去ったと考える向きも優勢であった。

しかし、その補導員への擬態の巧妙さや、ある程度以上の土地勘を備え、目撃情報も現場周辺に限られている点から見て、彼は周辺地域にある自宅で一人暮らしをしており、奈々さんを隠匿しておける環境にあった可能性が高い。

そして、実際に補導員であった過去があるか、教師、警察官等の「補導」という行為に近しい職業に就いていた、もしくは頻繁に補導を受ける少年時代を過ごしたものと考えるのが自然であろう。

もしかすると、彼自身も横暴な補導員から何らかの被害を受けた経験があり、長じて後に自らも、それを犯罪の手口として確立してしまったのかもしれない。

真相考察

奈々さんは連れ去り犯である男に監禁、洗脳状態に置かれて生活を共にしていた可能性が高い。このような長期監禁事件は、近所付き合いが濃密な日本ではまず発生しないものと、2000年(平成12年)の「新潟少女監禁事件」の発覚までは考えられていた。

奈々さんは本来、補導や家出といった非行には無縁な少女であったが、連れ去り後、男と生活を共にし、自分自身が対外的にはどのように見えるか、警察に保護されて家族の元に戻れば、世間からどのような仕打ちを受けるかといった厳しい現実を誇張した形で突きつけられて平常心を失い、または生き延びる為に従順さを選択する事で、現状から逃げ出すことが困難になったと考えられる。

当時は家出した中学生をホステスとして働かせるような店を探す事も特段難しい事ではなく、そうやって働く中で、更に元の生活に戻りにくくなってしまうという悪循環に陥ったことも考えられる。

1991年当時で連れ去り犯の男の年齢が40代だったとして、2024年現在では70代であり、奈々さんは46歳になっている。男は年齢と共に弱っていくだろうが、それに連れて奈々さんの洗脳が解けていくとは限らない。

仮に男が生存しているとして、その罪に相応しい何らかの罰を与える事ができるのかは分からない。少なくとも未成年略取・誘拐罪の時効は成立してしまっている。また、奈々さんに帰る場所があるのかどうかも分からない。奈々さんの母親は事件から数年後、経営していた店を閉め、大宮台のアパートを引き払って転居していったという。

それでも、形式を問わず、いずれ連れ去り犯の罪が裁かれると共に、事件の顛末が明らかにされ、奈々さんに市民としての真の自由が保障される日が来る事を願ってやまない。

何者も彼女の人生と彼女を愛する多くの人々の希望と願いを連れ去ることはできないのだから――。


■参考資料
・朝日新聞(千葉版) 1991年11月7日、8日、14日、12月5日、1992年10月27日、1993年10月27日付
・読売新聞 1991年11月7日付
・千葉日報 1991年11月7−10日、1991年11月29日、12月5日、19日付
・ゼンリン住宅地図 千葉市若葉区 1992年2月 株式会社ゼンリン
千葉県警・千葉東警察署のホームページ


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Tokume-Writer

兼業webライターです。ミニレッキス&ビセイインコと暮らすフルタイム事務員。得意分野は未解決事件、歴史、オカルト等。クラウドワークスID 4559565 DMでもご依頼可能です。文学・歴史・犯罪心理・メンタルヘルス・オカルトなど。

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