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グリコ・森永事件脅迫状の深層心理を考察:義賊か、悪党か

1984年、日本社会はグリコ・森永事件と呼ばれる前代未聞の事件に直面した。本事件(警察庁広域重要指定114号事件)では、江崎グリコをはじめとする大手菓子メーカーや森永製菓など、複数の企業が脅迫行為の対象となり、社会に深い衝撃を与え、後世に多くの教訓を残した。

本事件の『かい人21面相』を名乗る犯人グループは、脅迫対象の企業、企業役員、警察、マスメディアに対し多くの脅迫状(挑戦状)を送付した。それら脅迫状(挑戦状)には、企業や社会に対する深い不満や恨みが込められており、犯人が単に金銭を目的とした犯行ではなく、より複雑な動機に基づいて行動していたことを示唆していると考えられる。

本記事の目的

本記事の目的は、グリコ・森永事件の犯人が残した脅迫状を通じて、彼らの内心を探り、事件背後にある怨恨の深層を明らかにすることである。脅迫状(挑戦状)に書かれた言葉一つ一つが、事件の理解を深める手がかりとなり得るだろう。犯人の怨恨が強く感じられる脅迫状(挑戦状)の分析を通じて、犯人がどのような経験や感情を持っていたのか、そしてなぜ特定の企業を標的に選んだのかについて考察し、この分析と考察を通じて、未解決のまま残されたグリコ・森永事件の新たな理解の発見に繋がることを目指す。

江崎グリコ社長への脅迫状

1984年3月18日(日曜日)の夜21時ごろ、江崎グリコの社長である江崎氏は3人組の犯人グループによって拉致された。

約42時間後の3月21日(水曜日)14時30分頃、江崎氏は監禁されていた水防倉庫から自力で脱出した。しかし、その後も江崎グリコや江崎氏に対する攻撃は続いた。

江崎グリコへの攻撃の詳細は、画像リンク先の『グリコ・森永事件:かいじん21面相の思想背景を考察』を参照されたい。

記事『グリコ・森永事件とかいじん21面相の思想背景』アイキャッチ画像

本記事が着眼した江崎グリコ及び江崎氏に対する脅迫状は、1984年4月16日、江崎氏宅に届いた2度目の以下の一般未公開脅迫状の内容である。

宛先 江崎グリコ専務の江崎社長妻名(親展)
差出人:江崎グリコ社長名
消印:豊中 1984年4月14日(時間不明)
勝久え
おもえは そんなに 死にたいんか
死にたければ 死なせてやる 塩さんの ふろ よおいした
もう1ど さろうて ふろに つけたる 顔あらう だけでは すまん
けいさつの うごきは なんでも しってる
けいさつに ナカマが おるんや
8日は あほどもが あほなこと しておった
あほどもの あいて できるか
おまえは かんたには殺さへん わしらを なん回も うらぎりおった
ゆっくり くるしてめて 殺したろうと おもってる
けいさつなんか あてに するな あいつら あほばかりや
せかい中 どこえ にげても むだや
どうしても 死にたくなければ 金をだせ
わしらを うらぎったから 金は 2ばいに する
社長だけの せきにんや ないから 社長は 6000万 会社は6000万
つかいふるしの 1万円さつで よおいしろ×
1000万づつ ぬのぶくろに つめて 白のかわかばんに つめて
会社の 金こに よおいしろ おまえの ひみつは まもったる
金もろうたら おたがいに えんぎれや
金はらう気 あるなら 4月17日と 18日と 19日の マイニチ ヨミウリ
アサヒの たずね人 の こう告に 下のこう告を だせ
太郎 すぐかえれ 愛犬タローも まっている 妹より
つぎの れんらくは 手紙で だす でんわは 1どしか しない
いたずら でんわに だまされるな

出典:NHKスペシャル取材班「未解決事件グリコ・森永事件捜査員300人の証言」新潮社2018.

同脅迫状の内容をAIテキストマイニングにより「スコア順」、「出現頻度順」を可視化(分析には、株式会社SocialDogが運営するAIテキストマイニングを使用)した結果、「うらぎる」、「死ぬ」という言葉が強調され、「怒り」の感情が強く出た文章だということがわかる。また、犯人側の金銭要求に従えば、「江崎氏の秘密(誘拐時の脅迫手段だと思われる)は守る」、「縁切れ」の身勝手な提案を行いつつ、状況打破を模索していると推察される。

脅迫状分析スコア順
脅迫状 出現頻度順
脅迫状 感情分析

脅迫状に記された名詞や動詞の使用頻度を見ると、「あほ」と「死ぬ」が4回、「うらぎる」と「殺す」がそれぞれ2回使われている。この中で、「あほ」は主に警察組織への中傷として用いられ、警察では事件を解決できないため無駄なので通報しないようにという趣旨で使われたと思われ、「うらぎる」は江崎氏の監禁場所からの脱出や、4月8日に設定された最初の現金授受指定日における警察への通報と警察の行動を指していると推察できる。

これらの表現から、脅迫状の全体に見られる「怒り」の感情は、江崎氏と江崎グリコが犯人の指示に従わず警察に通報したこと、また4月9日に江崎氏が初めて出社したことに対する苛立ちからの「怒り」だと推察することができそうだ。

脅迫状で複数回使われた「動詞」

また、「社長だけの責任ではないから、社長は6000万、会社は6000万」という表現からは、犯人が江崎氏個人に対する「怒り」や「恨み」にとどまらず、江崎グリコの企業行動や経営方針に対しても罰を与える意図を持っている可能性が示されている。これは、犯人が社長個人だけでなく、企業自体も事件の原因や背景に関与していると見なし、そのように主張していることを意味する。犯人は、問題や状況を引き起こした責任が社長個人に限らず、会社全体にも及ぶと考えている可能性がある。

さらに、犯人グループが社長個人と会社に対して高額な金銭を要求することで、企業に対してより大きな経済的圧力をかけようとしていることが考えられる。これは、金銭を得ることを超えて、企業に影響力を行使し、企業をコントロールしようとする意図を示している可能性がある。会社の責任を強調することによって、社会と本事件の後に続いた一連の企業脅迫事件への警鐘やメッセージを発信しようとしているかもしれない。これは、企業の倫理的行動や社会的責任に対する議論を促進する意図がある可能性を示唆している。

事件が完全に解明されない限り、推測の域を出ないものの、この脅迫状からは本事件が単に金銭的利益を超えた複雑な動機や意図が存在することを示唆しているとも考えられる。それは、本事件の前から続いた「黄巾賊」、「カルロス軍団」、「昭和53年テープの男」からの江崎グリコへの脅迫と脅迫の動機に繋がる可能性が高いと推察され、江崎氏及び江崎グリコへの「怒り」、「恨み」は、同社のこれまでの経営方針や社会的行動に対する不満、あるいはより個人的な経験や遭遇に基づくものである可能性がある。

このような背景から、犯人は特定のメッセージを社会に送ること、あるいは企業や関係者に対して警告を発することを意図していると考えられる。したがって、脅迫状の内容を深く分析することで、犯人の心理や動機の一端を理解する手がかりを得ることができるかもしれない。

警察エリート層に対する敵意

『かい人21面相』を名乗るグリコ・森永事件の犯人グループが脅迫状を通じて警察上層部や東大卒の警察官僚に対する敵意を示し、一方で現場の警官や叩き上げの幹部には肯定的な言及をしている事実は、非常に興味深い側面を示している。この態度は、江崎グリコをはじめとする大企業やその経営陣に対する処罰感情と類似した側面があると考えられる。以下の点でその関連性を考察してみる。

犯人は、社会や組織内の上層部、つまり権力を持つ層やエリート層に対して強い敵意を抱いている可能性がある。これは、権力者やエリートが社会的な不公正や不平等の象徴と見なされることがあるためだ。そのような不公正や不平等に対する反発が犯行の動機の一部となっている可能性がある。一方で、現場の警官や叩き上げの幹部に対しては、彼らがより「庶民的」で「現実に根ざした労働」をしているという観点から共感や敬意を示している可能性がある。

これは、犯人自身が社会的・経済的階層の中での位置づけや経験に基づいて、労働階級や庶民に対して親近感を持っていることを示唆しているかもしれない。

大衆心理を利用する歪んだ正義

1984年6月2日に発生した『寝屋川アベック襲撃事件』では、江崎グリコからの現金を奪取する目的で、無関係な男女2人が襲撃され、男性が現金の奪取及び運搬役にされた。この事件の際、グリコ・森永事件の犯人(現場実行犯は3人)は、偶然巻き込まれた女性にタクシー代として2000円を渡している。

この行為は、犯人グループの複雑な心理や動機を浮き彫りにするものである。被害者に対する配慮や義理を感じさせるこのような行動は、一見して犯人が自己を「義賊」や正義の執行者とみなしている可能性を示唆する。また、大衆心理を巧みに利用し、大衆を味方につけようとする思惑があったとも考えられる。

そもそも、義賊とは、不正や社会の不平等に対して戦うという理念のもと、法を犯しながらも道徳的、倫理的な正義を追求する人物のことである。本事件の犯人グループが国民を傷つけず、事件に巻き込まれた無関係の人物に対してある程度の配慮を示した事実は、彼らが自らの行動に一定の正当性や正義感を持っていた可能性を示唆しているだろう。

しかし、犯人が無関係な女性に示した配慮は、彼らが完全に非情で無差別な害を与える意図がなかったことを示す一方で、彼らの行動や目的に対する社会からの理解や同情を得ることは難しい。グリコ・森永事件における脅迫や企業への犯行は、社会に大きな不安と混乱を引き起こした。犯人グループがもし「義賊」を自認していたとしても、その行動が社会全体や無関係の人々に与えた影響は否定的なものであり、その方法は一般的な道徳観や法に反している。「義賊」としての自認があったとしても、その行動は彼らの意図した正義が社会的に受け入れられる形で実現されたとは言い難いだろう。 彼らが「義賊」を自認したとしても、一般的な正義や道徳観からは乖離しているため、全てが独善的な振る舞いとなってしまう。これは、多くの犯罪行為を行った新左翼との類似点でもある。

結論

グリコ・森永事件の犯人グループ『かい人21面相』が残した脅迫状や、犯人が無関係の女性に示した態度は、彼らの心理や動機を理解する上で貴重な手がかりを提供している。その理由は、脅迫状が当時の社会状況や権力構造に対する深い不満や批判を反映しており、無関係の女性への態度が彼らの善悪の基準を示しているとともに、義賊を好む大衆の心理に訴えかけ、大衆を味方につけようとした可能性があるからである。

また、本記事で着眼した未公開の脅迫状には、江崎氏への恨みとともに、江崎グリコへの恨みや処罰の感情が表れている。これは、本事件の前から続いていた江崎グリコへの脅迫の動機と類似していると考えられる。少なくとも『かい人21面相』の中には、江崎グリコへの長年の恨みを抱える者と、金銭を目的とする者が混在していると推測される。

事件が未解決であるため、これらの推測は確定的なものではない。しかし、複雑な思想や動機に光を当てることが可能であり、このような分析を通じてグリコ・森永事件への新たな理解がもたらされることを期待する。


◆参考文献
NHKスペシャル取材班「未解決事件グリコ・森永事件捜査員300人の証言」新潮社2018.
朝日新聞大阪社会部「グリコ・森永事件」新風舎2004.


◆グリコ・森永事件及び関連性が指摘される事件

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