Categories: 事件

世田谷一家殺害事件 検証-4 犯人像-2

世田谷一家殺害事件 犯人像に迫る

21年前の「2000年12月30日(土曜日)の午後11時頃から平成12年12月31日(日曜日)未明(引用・参考:警視庁ホームページ)」に発生した凶悪、非道な「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件」(通称「世田谷一家殺害(殺人)事件」)の犯人は、被害者A(夫)およびA家族の知人もしくは知人の親族なのか?それとも面識のない不特定多数を狙った所謂「流し」の犯罪なのか?この二つの読み筋によりその犯人像も大きく変わる。

本日(2021年12月30日木曜日)に配信された毎日新聞の記事「侵入経路は玄関か浴室か 世田谷一家殺害事件、解決へのカギ」に以下の言葉がある。

<報道>

犯人が被害者と顔見知りである「鑑(かん)」か、面識のない「流し」か――。捜査員の間でいまだに意見が割れている未解決事件がある。家族4人が犠牲になった世田谷一家殺害事件だ。捜査の方向性を決める「見立て」が定まらないのは、犯人の侵入経路が分からないことが背景にある。解決のカギとなる一つの謎を追った。事件は発生から30日で21年になる。 毎日新聞2021年12月30日付 配信記事

毎日新聞2021年12月30日付 配信記事

そう、この事件を「顔見知りの犯行」と考えるか、「面識のない者による犯行」と考えるかにより、事件の様相、背景、犯人像の「見立て」が大きく違ってしまう。

犯人が現場に残した衣類等
複製品のヒップバッグを装着し撮影したものベルトの長さ「83センチ」

犯人が現場に残した衣類等複製品のヒップバッグを装着し撮影ベルトの長さ「83センチ」 クリックすると大きな画像になります

写真は、「犯人が現場に残した衣類等「成城署特別捜査本部(改訂4版)」から。

写真ではジャンパー(エアテックジャケット)の前を開けているが、年末の気温などから犯行時(2000年12月30日から31日)の移動の際及び日常での着用時には前を締めていた可能性が高い。

ただし、ヒップバックを装着した場合は、前を締めると不自然なスタイルにもなるため、同ヒップバックを肩から掛けることもあっただろう。

世田谷一家殺害事件 犯人と被害者家族の関係

本サイトは、幼い子供にまで手を掛けたこの凶悪、非道な世田谷一家殺害事件の犯人を被害者A (夫)の知人もしくは知人の親族などの「顔見知り」だと推測する。

そして、その人物(犯人)は被害者A家族が1989年頃まで居住していた①東京都世田谷区の東急電鉄の某駅付近または各種報道などから同時期頃まで学習塾を営んでいたといわれる②東急電鉄目黒線『奥沢駅』の付近――半径3キロ以内――に居住などしていたとも推測する。

世田谷一家殺害事件の犯人は、事件当時、上記①②の東側、東京都世田谷区の東側から南東方面、所謂「城南地域」に自身が居住または親族が居住など関係していたと推測する。。

ここで公表されている犯人像について再確認してみよう。警視庁公表の犯人情報および各種過去報道によれば、世田谷一家殺害事件の推定される犯人は年齢15歳~20代、身長170cm前後のやせ型の人物といわれている。

ここで着眼したいのは、この犯人が被害者A(夫)の直接の知り合いだと想定した場合の両名の年齢差である。

被害者A(夫)の事件当時の年齢は44歳。その妻の事件当時の年齢は41歳。犯人の年齢を15歳から19歳の未成年と想定すると被害者A(夫)との年齢差は24歳~29歳となり、犯人を20代(21歳~29歳)と想定すると23歳~15歳となる。

この年齢差(最大29歳、最小15歳)はなにを意味するのか?推測されることを以下に記そう。

世田谷一家殺害事件 被害者と想定される犯人の年齢差

1・被害者A(夫)は、これまでの捜査で警察が把握している職場の年下の同僚、取引先の年下の関係者、私生活、趣味などで知り合った年下の関係者などの他に「幅広い年齢層のいる何らかのグループ、集団」に属し、そこで年下(最大29歳、最小15歳)の者と知り合った。そして、その者を家族のいる自宅に招きいれている(過去の報道などから、犯人は事件前にも被害者A宅を訪れていた可能性があるため)と考えるとその者は被害者Aの妻とも親しい、被害者Aの妻とも旧知であると考えられる。

2・被害者A(夫)は、そもそも、年齢差(最大29歳、最小15歳)の犯人の親族などと関係があり、その親族などを通じて世田谷一家殺害事件の犯人と親しくなった。

3・上記1,2の両方に共通する者。つまり、世田谷一家殺害事件の犯人は、被害者A(夫)とAの妻の両方が知る者である。そして、もともと被害者A(夫)はその犯人の親族(その親族と犯人との身分関係は親子、孫など)と知人だった。

世田谷一家殺害事件の犯人と被害者A(夫)に面識があったと仮定した場合の最大の疑問は、年齢差(最大29歳、最小15歳)のある二人の「知り合ったきっかけ」だが、そこには犯人の親族など第三者が関係していたと思われる。ここまでの推論は次のとおりである。

世田谷一家殺害事件の犯人と被害者A(夫)と犯人の親族との間に人間関係があった仮定するならば、その親族は被害者A氏の職歴・職業からは想定外の属性の者――なぜなら警察は被害者A氏の職歴・職業及び経歴、学歴などを基にする知人、友人への徹底的な捜査を行っていると思われるため。つまり、これまでの警察の捜査の想定外の属性人物の可能性が高い――である。

それは被害者A(夫)の私生活上の知り合い、趣味や思想信条など嗜好性を伴にする仲間またはそれらの紹介からの関係であり、家族にも紹介などが出来る属性の者(反社会勢力や不道徳な関係などではない)でもある。

世田谷一家殺害事件 遺留品などから推測される犯人の経済状況

世田谷一家殺害事件の現場には犯人の物と思しき多くの遺留品が残されている。事件当時の犯人は学生か?浪人生か?職業の有無は?アルバイトか?正社員か?収入の有無は?生活費の出所は?などを考察するため、この残された遺留品を値段などを見てみよう。警視庁ホームページ(リンク先:警視庁HP上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件)には、以下の参考値段が表記されている。

遺留品値段
1・ユニクロエアテックジャケット 3900円~5900円
2・クラッシャーハット約1900円
3・マフラー不明(ゲームセンターの景品か?)
4・ラグランシャツ(トレーナー)1480円~1900円
5・エドウィン社製ボア付きグローブ(手袋)1980円前後
6・スラセンジャー(靴)4000円前後
7・ヒップバッグ2900円
8・無印良品のハンカチ2枚1枚300円 合計600円
9・ドラッカーノワール(香水)30ml 3000円
10・関孫六 銀寿の包丁3500円
合計23,260円~25,680円
世田谷一家殺害事件<各遺留品の推定値段一覧と推定合計額>資料

犯人がこれらの品を盗んだ、他人から貰ったと考えなければ、世田谷一家殺害事件の犯人が現場に残した遺留品の合計額は 23,260円~25,680円である。だが、この総額自体にはあまり意味はないだろう。犯人がこれらの品を全て同時に購入したと仮定しないならば、問題は1点、1点の値段である。(ただし、警視庁の発表によれば、トレナーと帽子と手袋(合計5,360円~5,780円)は同一の店(マルフル)で販売していたともいわれるが、犯人が同時に購入した証拠はない。)

その1点、1点の値段は、5,000円以下、 トレナーと帽子と手袋を同時に購入したとしても合計金額は5,360円~5,780円であり、世田谷一家殺害事件の犯人が衣料品などに1回の買い物で使える平均金額は2,000円~3,000円の範囲かもしれない。

上記の金額を高いと考えるか、安いと考えるかは価値基準の問題だが、犯人はヒップバックやマフラーを比較的長期間使用していた可能性があるとの報道なども散見され、安く購入などした物を比較的長期間使う人間、金を掛けずに時代の流行(エアテックジャケットやラグランシャツ)を取り入れるどちらかというとお洒落に敏感な人間のように感じてしまう。

これらのことを勘案すると事件当時の犯人は、学生、浪人生、無職を含む収入の少ない不安定な就労状況だった可能性が推測される。

ここまでの推論は次のとおりである。

世田谷一家殺害事件の犯人が商品を購入する際の1点の金額は5,000円以下が多い。世田谷一家殺害事件の犯人が一回の買い物で使う金額は2,000円~3,000円の範囲の可能性がある。

このことから、事件当時の世田谷一家殺害事件の犯人は学生、浪人生、無職を含む収入の少ない不安定な就労状況だった可能性が推測される。

世田谷一家殺害事件 事件当時の犯人の住まい 一人暮らしか?賃貸か?持ち家か?

では、事件当時の世田谷一家殺害事件の犯人の住まいはどのようなところだったのか?地域的には前述のとおり、東京の城南地域が想定される。だが、東京の城南地域は都内でも人気の住宅街のため不動産価格や家賃は23区内でも高い地域だ。

事件当時の世田谷一家殺害事件の犯人が15歳~20代の男性であり、 学生、浪人生、無職を含む収入の少ない不安定な就労状況だった可能性を想定した場合の住居生活状況は以下が推測される。

世田谷一家殺害事件 犯人の住居、生活状況の推論

想定される世田谷一家殺害事件の犯人の住居、生活状況は以下のとおりである。

1・世田谷一家殺害事件の犯人の住居が賃貸だとしても本人が賃借人の可能性は低い。
2・世田谷一家殺害事件の犯人は不動産を所有していない(相続は仮定していない)
3・世田谷一家殺害事件の犯人の住居が賃貸の場合、親など世帯主と同居の可能性がある。
4・世田谷一家殺害事件の犯人の住居が賃貸の場合、 友人や交際相手が賃借人の可能性がある。
5・親族所有の不動産に親族と同居していた。
6・親族所有の不動産に何らかの理由で単身暮らしだった。
世田谷一家殺害事件資料<想定される世田谷一家殺害事件の事件当時の犯人の住居、生活状況>

上記1-6の想定のうち、1,2の場合、この犯人は住所不定となり、4の場合は事件後にその友人、交際相手が捜査機関に通報などしている可能性が高いと一般常識的には考えられる。

犯人の事件当時の住居生活状況として残る想定は、上記3,,5,6である。勿論、この親族が被害者A(夫)の元々の知人の可能性は高い。世田谷一家殺害事件の犯人は、その親族を通じて被害者A(夫)を知ったと思われる。

では、この親族はどのような人物なのか?価値の高い都内城南地域に不動産を持つと仮定するならば、1・代々、同地域に住んでおり、土地などを相続などした者。2・地価が高騰するバブル期以前に不動産を購入した者。3・投資目的でバブル期に不動産を購入した者だが、1の場合だと犯人が残したDNAからのこれまでの推論と矛盾する。

そして、2の場合だと年齢的に上の世代(犯人の親よりも上の世代)、3の場合だと年齢的に犯人の親の世代の可能性が高い。(そもそも、犯人の年齢を15歳~19歳の未成年と仮定すると被害者A氏とも親子のほどの年齢差だ。)

事件当時の世田谷一家殺害事件の犯人は学生、浪人生、無職を含む収入の少ない不安定な就労状況だった可能性が想定される年齢15歳~20代の男性だ。彼は自身の親族など通じて被害者A(夫)と知り合った可能性がある。

そして、被害者A(夫)はかなりの高学歴だ。その者は高学歴の被害者A(夫)と知人関係にある者。その者は価値の高い地域に不動産を所有する者。

つまり、その者がかなりの成功者であることは充分に考えられる。


あなたにお勧め 世田谷一家殺害事件シリーズ

世田谷一家殺害事件 犯人像 最新情報 ミレニアム(千年紀)の終わりに発生した未解決事件「世田谷一家殺害事件(警視庁の正式事件名:上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件)は、事件発生から20年以上の月日が流れるなか、未だに犯人の検挙には至っていない。今回は 「世田谷一家殺害事件 」の犯人像に迫ってみたいと思う。公開情報から被害者(以下、A)家族は、1989年頃まで東京都世田谷区の東急電鉄の某駅から近い場所に住み、東急電鉄目黒線『奥沢駅』前付近で学習塾を営んでいたといわれる。なお、同学習塾はAの妻の親族が経営し...
世田谷一家殺害事件 検証-1 最新情報 - clairvoyant report
世田谷一家殺害事件 DNA捜査の具体例前回(2021年11月23日)の記事で「世田谷一家殺害事件(警視庁の正式事件名:上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件)」の犯人は、「東京の城南地域のマンションに関係する日系移民の子孫だと思われる」と記した。この犯人は、日本人としては珍しいDNAの型を持つ人物である。また、過去の報道などから犯人または犯人の家族、親族、関係者は被害者Aまたは家族の知人の可能性があり、以前から被害者A宅を訪れていたとも考えられる。つまり、犯人は被害者AもしくはA家族の直接または間接的な知人の可能...
世田谷一家殺害事件 検証-2 最新情報-2 - clairvoyant report
世田谷一家殺害事件 犯人は顔見知りか?  2000年12月30日土曜日、東京都世田谷区上祖師谷。同日の東京の天気は9時-15時まで曇り。最高気温は朝から雨が続いた2012年12月30日(日)と同じ7.5度。最低気温2.2度。過去約20年間のうち最も寒い師走の1日だった。事件現場のある東京都世田谷区上祖師谷3丁目は、京王線『仙川駅』から南東方向へ直線距離で約1キロ。小田急線『成城学園前駅』北方向へ約1.5キロ。事件現場の北方面約1キロには東京都大田区羽田から世田谷区、杉並区、練馬区、板橋区、北区を結ぶ環状八号線(通称、環八)が通...
世田谷一家殺害事件 検証-3 犯人像 - clairvoyant report
その日、四人の家族は、昼過ぎから東京都世田谷区内の商店街に買い物に出かけた。翌日31日は大晦日。家族は年越しソバなどを買い、夕方、自宅に戻った。買い物に車を使ったともいわれるが車は自宅のガレージ(車庫)に駐車せず、翌日まで自宅前に路上駐車されていた。家族は年明け2001(平成13)年1月3日から二泊三日で箱根に旅行の予定だった。被害者A氏、妻、二人の子供、そして、被害者A氏の父親の5人での初めての旅行の予定だった(参考:奪われし夢世田谷一家殺害事件(上)「ケーキ食べに来て」孫の招待悲し最後のXマス祖父絶句...
世田谷一家殺害事件 推理 考察 なぜ狙われたのか 動機 - clairvoyant report
警視庁管内の平成三大未解決事件の一つといわれる世田谷一家殺害事件。事件発生から2022年までに述べ29万人の捜査員を投入したといわれている。世田谷一家殺害事件は、90年代、00年代を生きた人々や社会に、オウム真理教の一連の事件や酒鬼薔薇事件などの凶悪事件と同様の強烈な印象を与え、その後の社会のあり方や人々の意識を大きく変化させと言っても過言ではないだろう。世田谷一家殺害事件 考察世田谷一家殺害事件について考察していこう。本気記事内のリンクカードは、本事件に関する各項目の考察詳細を記した記事である。各項...
世田谷一家殺害事件 - clairvoyant report
2000年12月30日の深夜から翌日31日の未明にかけ発生した世田谷一家殺害事件には、これまでに多くの捜査員が動員され、多くの費用が投入され、照合された指紋は5000万件以上、DNA資料は約130万件にも上るといわれている(参考:[世田谷一家殺害20年]<上>照合した指紋は5000万件、今なお増える犯人資料 読売新聞オンライン2020年12月12日 05:00配信)一家4人を殺害した重大犯罪の解決にかける捜査員や関係者などの頑強な思いは必ず捜査を進展させるだろう。今回は、犯人が逮捕されない理由や「解決の鍵」などについて考察して...
世田谷一家殺害事件なぜ捕まらないのか? - clairvoyant report
世田谷一家殺害事件の犯人Xは、東急電鉄目黒線「奥沢」駅から東(東南、東北)方面半径3キロメートル内に所在する親族所有のマンションに住み、被害者A氏とは事件前から同親族を介する関係性を有し、事件当時は学生、アルバイト、無職の10代少年であり日常の移動手段は自転車だと推論する。ここで疑問となるのが、犯人Xの親族、知人、友人等の周囲の人間達はXの犯行知らないのか?知っているが警察に通報等しないのか?となる。上記の疑問は、犯人Xは親族所有マンションで一人暮らしだったのか?Xは知人・友人のいない孤独な少年、...
世田谷一家殺害事件:遺留品は何を語る - clairvoyant report
世田谷一家殺害事件の遺留品のなかで最も重要な遺留品は犯人XのDNAであろう。被害者A氏宅に残された犯人XのDNAは、Xが何者なのかを雄弁に語る。Xの両親が誰なのか、X自身の正体、そしてXがどこで生まれたのかといった情報が、そのDNAから解明されるかもしれない。外資系の会社に勤務していた高学歴者の被害者A氏は、日本語と英語を使いこなす人物だろう。被害者A氏と犯人Xに関係性があるならば、犯人Xは漢字を読み分け、少なくとも日本語と英語の二か国語を使いこなすことができる人物であり、日本と米国に土地勘がある可能性が高い。...
世田谷一家殺害事件: DNAから犯人を考察する - clairvoyant report
本サイトでは、2000年12月30日夜から31日未明に発生した世田谷一家殺害事件について、これまでに9回の詳細な考察を公開してきた。今回は、新たに元FBI行動科学課の主任プロファイラーであったロバート・K・レスラー氏の理論を参照し、犯人Xが持つ可能性のある特徴とその背景と事件との関連性を深掘りする。レスラー氏の方法は、犯人の行動パターンを分析することで、より具体的な犯人像を明らかにすることを目的としており、この理論を本事件の分析に応用することで、新たな見解が得られることを期待している。本記事で示される犯人Xの...
世田谷一家殺害事件:仮説的プロファイリング(日系米国移民の子孫とみずがめ座の... - clairvoyant report

Jean-Baptiste Roquentin

Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。 Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。 小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。 分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。