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大阪刑務所入試問題流出事件

昭和46(1971)年1月30日の朝、大阪府大阪市西区新町南通りの路上に駐車されていた高級外車の車内から胸等数十か所を千枚通し状の物で刺され首には絞められた跡のある不動産関連会社N商事経営の40歳男性日本名N(韓国語の読みはK)の遺体が発見された。

殺人事件と判断されるNの遺体状況から事件は1月29日の午後20時頃に発生したと推認された。

殺人事件を担当する大阪府警捜査一課が、殺されたNの経歴、交友関係、仕事関係の知人等を捜査対象にしたのはいうまでもないだろう。

高価な外車を乗り回し、複数の交際相手との派手な生活をしていたNの知人等への捜査が進むなか、捜査一課は驚くべきNと仲間達の犯罪行為を知ることになる。

それは、当時、大阪刑務所で印刷していた国立大阪大学(大阪府吹田市)、大阪市立大学(大阪府大阪市住吉区)の入試問題をN達が刑務所内から盗み出し、盗みだした入試問題を医師、小学校校長、会社経営者等を介し子供ら受験生に教え、昭和44(1969)年だけで約1億5000万円を手にしていたことだった。(1968年の府中三億円事件の被害額約三億円は現在の価値で10億円ともいわれる)

2023年の上半期……フィリピンの入管施設(ビクタン収容所)から特殊詐欺や連続強盗事件の指示を出していたとの容疑でルフィを名乗る指示役ら4名が逮捕されたことに多く日本国民が驚きを覚えただろう。

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海外の入管施設や刑務所の警備体制や管理体制の甘さや買収される役人の存在。それらは日本ではあり得ないことだと誰もが思っただろう。

だが、約半世紀前の日本の刑務所を舞台に大阪刑務所入試問題流出事件と呼ばれる前代未聞の事件が発生していた。

また、大阪刑務所入試問題流出事件の主犯格Nを殺めた者(達)は未逮捕のままであり、同殺人事件の真相は明らかになっていない。

元受刑者Nの死

発見された遺体状況からNは生存中に千枚通し状の物で身体の数十回箇所刺され、首を絞められるいう残虐な方法で殺害されたことが明らかになっている。

かなり強い殺意を持った犯人がNを殺害しただろうことは容易に想像できる。

では、Nという人物は何者なのか?ここからはNの経歴等について記していこう。

昭和5年に東京の下町地域で生まれたNは、昭和10年頃に母親と大阪府大阪市西成地域に転居した。

Nは少年の頃から窃盗等を繰り返していたといわれ、前歴(逮捕歴等)9回を有し、強盗、恐喝、窃盗等の前科(有罪判決)は4回を数え、昭和35(1960)年から昭和37(1962)年12月19日まで大阪刑務所に収監されていた。

大阪刑務所を仮出獄後のNは、職を得ても長続きせず生活は苦しかったようだ。しかし、昭和42(1963)年、突然に不動産業N商事を立上げ派手な生活が始まる。

Nは、妻子のため大阪府松原市内に戸建て住宅を購入し、自らは高級外車を乗り回し、飲食店勤務の複数の女性と関係を持ち、女性をマンションに住まわせ、自己資金で大阪府内に購入した土地に販売目的の複数の家屋を建てたといわれている。

警察はNの突然の生活の変化に着眼する。18歳の頃から約11年間も服役を繰り返し、仮出獄後も仕事が続かず生活困窮していたNの突然の変化の要因は何だろう?捜査を続ける警察はNが中心的役割を果たす前代未聞の犯罪を知ることになる。

捜査のなかで警察はN殺害事件の重要参考人となったNの経営先N社の39歳元社員のK(Kは妻の姓であり出生時の姓は別である)と奈良県在住の元社員46歳Oの2人が殺害されたNと同時期に大阪刑務所に収監されていたことを確認する。

Kは昭和30(1955)年12月26日に強盗殺人、死体遺棄で無期懲役刑が確定し仮釈放となる昭和43(1968)年12月13日まで、Oは昭和26(1951)年10月16日に強盗致死が確定し仮釈放の昭和43(1968)年9月6日まで大阪刑務所に収監されていた。

そして、KとO及び殺されたNを含む3人が大阪刑務所で印刷していた特殊印刷物(大阪大学、大阪市立大学等の入学試験問題用紙)を盗み出し、問題を受験生等に伝え多額の金を得ていたとの情報を掴む。

N殺害にKとOが関与していると推察していた警察も突然の大阪刑務所入試問題流出事件の自供に驚いたことだろう。

昭和47(1971)年3月6日(土)の新聞各紙は大阪刑務所から大学入試問題が盗まれ、N殺害の動機が仲間割れではないか等との報道を始める。 同年3月11日(木)の国会法務委員会でも同事件が取り上げられ、法務省矯正局長等が事件の概況説明等を行い、その後も数回に渡り国会で同事件が取り上げられる事態となった。

発覚:大阪刑務所入試問題流出事件

昭和46(1971)年1月15日(成人の日)午前2時頃、梯子、ロープ、クリッパー、手袋等を用意したKとOが大阪刑務所第四区西側に現われた。事件発覚を遅らせるため刑務所の免業日(成人の日)を狙ったと考えられる。

刑務所の外塀に掛けた梯子をKが押さえるとOは梯子を上り刑務所内に侵入することができた。

刑務所内に侵入したOは、厳重に警備、警戒された特殊印刷物印刷工場に入るため渡り廊下の外側から屋根に登り、さらに東へ約10メートル移動し、印刷工場(大阪刑務所第4区)への侵入に成功した。

印刷工場の倉庫には、大阪大学、大阪市立大学の入学試験問題用紙及びその他の特殊印刷物約30万枚が置かれていた。

服役中は特殊印刷物の担当だったOは、暗闇のなかで過去の経験(紙質、倉庫内の保管場所、文字等からの選定だと思われる)を活かし、大阪大学の3科目の入学試験問題用紙を選び出す(別の場所に保管されていた英語と数学の入試問題は盗まれなかった)。

入学試験問題用紙を倉庫から盗みだしたOは、1月15日の夕刻まで工場内に残り、侵入の際に壊した金網等をペンチ等で補修し、再び屋根に登った。そう、1月15日は、成人の日であり、刑務所の免業日だった。

日付が変わり、1月16日午前3時頃、N(殺人の被害者)とKが大阪刑務所の外塀に梯子をかけロープを刑務所の内側に垂らするとOはロープを使い「塀の外」に脱出した。

一方、Oが盗んだ大阪大学の入学試験問題用紙を持ち大阪刑務所から脱出した1月16日午前3時頃(Oが大阪刑務所に侵入した1月15日午前2時頃という説もある)、大阪刑務所付近を走行していたタクシー運転手(通行人の説もある)が同刑務所の外塀に掛けられたままの梯子を発見し、大阪府警北堺警察署に110番通報する。

110番通報を受けた警察は直ちに大阪刑務所に連絡を入れた。通報を受けた刑務所側は同日10時頃まで受刑者(受刑者は約2000人)の脱走を念頭に刑務所内外の点検検査を行い、印刷工場内等でOが残したと思われるナイロンロープ、茶色手袋、O着衣からのものと思われる繊維痕、割られた倉庫の窓ガラス等を確認するが、倉庫の入口の鍵に破損等がなかったため、侵入者の目的は倉庫に保管されていた入学試験問題用紙ではなく、受刑者への不正な差し入れと判断する。

では、なぜ、殺されたN、逮捕されたK及びOは、大きなリスクを伴う大阪刑務所への侵入等を企てたのか?

逮捕されたK及びOの証言によれば、殺されたNを中心とするグループは少なくとも昭和42(1967)年頃から入学試験問題用紙の持ち出し(窃盗)を始めたという。

当初の手口は大阪刑務所収監中のKやOが穴を開けたソフトボール(バレーボールとの説もある)に入学試験問題用紙を詰め、監守の目を盗みボールを塀の外に投げ、既に仮出獄していたNが塀の外でボールを拾い回収したという。

刑務所に収監されている受刑者KとOが「塀の外」にいるNに入学試験問題用紙を何らかの方法で渡すという手口は、KとOが仮出獄するまで続けられ2人の仮出獄後は、強盗殺人死体遺棄の罪で服役していたMと強盗と殺人(2つの犯罪)で収監されていたYにその役目を引き継いたが、内部からの持ち出しが難しくなり、刑務所内に侵入し盗む手口に至ったといわれている。

刑務官の関与

前述のK及びOの証言にあるソフトボール(バレーボールとの説もある)に穴を開け「塀の外」に投げ出す方法には疑問点がある。

そもそも、受刑者は刑務官に常時監視されている。監視された状況で入学試験問題用紙を詰めたソフトボール(バレーボールとの説もある)を外に投げ出せるのか?

受刑者の一連の不自然な動きを刑務官は黙認したのではないか?

大阪刑務所入試問題流出事件 概要

当然ながら捜査を担当した警察は刑務官の関与を想定した。また、昭和46(1971)年3月11日の国会法務委員会「大阪刑務所における大学入試問題盗難事件に関する件」の答弁で法務省羽山忠弘矯正局長も「ふしぎにおもいまして、いま鋭意調査中」と述べている。

昭和46(1971)年3月10日、大阪刑務所の看守部長S・N(55歳)と保安課S・M(39歳)が収賄の容疑で逮捕された。

同2名の逮捕は、殺されたNから複数回に渡り大阪キタの飲食店等での接待を受け、刑務所内から本や便箋の持ち出し等を許可等の収賄の容疑だった。

どうやら、持ち出された本や便箋に印刷工場から盗まれた入学試験問題用紙が入っていたようだ。

逮捕された2人の刑務官が入学試験問題用紙の存在を知っていたとの事実認定はされていない(窃盗罪は問われていないため)ようだが、刑務官がNを中心とする入学試験問題用紙 窃盗グループに便宜を図っていたことは大きな問題とし、国会でも数回に渡り取り上げられている。

依頼者たち

大阪刑務所から入学試験問題用紙を盗みだした5人のうち殺されたNを除く4人は窃盗等の罪で逮捕・起訴され有罪判決を受けた。

また、殺されたN等から金銭等(現金は3万円から10万円。その他、酒などの物品の授与や飲食店での接待もある)を受け便宜を図った大阪刑務所の看守部長等2名も収賄の罪で有罪判決を受けた。

だが、N等から不正入試の話を聞き、受験生に仲介した者達は刑を受けなかった。N等は大阪の繁華街キタ等の高級飲食店を舞台に仲介者を探していた。仲介者からN等が受け取った金額は一人500万円から1200万円といわれ、仲介者には大阪府某市の教育委員長、公立小学校校長、病院経営者(医療法人理事長等)、複数の有名高校高校教師、会社経営者等がいた。

Nは「この問題はえらい教授が教えてくれた」等と仲介者に語っていたようだ(参考:「盗まれた入試問題」朝日新聞1971年3月6日付)。

Nは彼らから紹介された受験生(彼らの子どもの場合もある)をホテルや文化住宅の一室に宿泊させ、盗みだした入学試験問題用紙の問題を受験生に暗記させた(入学試験問題用紙を渡してはいない)。

受験生は電話、手紙、外出を禁止され、勉強だけに集中した。受験生は合宿勉強だと思っていたのだろう合宿費の名目で一人10万円から30万円を支払ったといわれている。

大阪刑務所入試問題流出事件で大阪府警が把握した不正受験の人数は、昭和43(1968)年から昭和45(1970)年の間に36人だった。この36人のうち17人が国立大阪大学と大阪市立大学に合格したといわれ、約半数が合格したことになる。

国会質問

大阪刑務所入試問題流出事件は、社会に大きな衝撃を与えた。

そもそも、刑務所に賊が侵入し機密書類を盗み出すこと自体が衝撃的であるが、入学試験問題用紙の窃盗が数年前から行われ、間接的だが刑務官が関与し、情報を買った受験生側の親や仲介者に大阪府某市の教育委員長、公立小学校校長、病院経営者(医療法人理事長等)、複数の有名高校高校教師、会社経営者等の社会的地位のある人物達が絡んでいたことも驚きだ。

事件の概要や大阪刑務所内の警備、警戒体制の説明ため法務省幹部等が国会での質問に答える事態となる。

そう、不正な受験は合格者、不合格者の双方と社会全体に大きな被害を与えるのだ。

受験は金になる

N等が入学試験問題用紙を盗み出そうとした動機は金だ。子どもを医学部に合格させ医者にさせたいと願う親はいくらでも金を出す。N等はそれを知っていた。いや、多くの国民が知っている。

受験、入試が金になることは50年前も現在もかわらない。現在、予備校や学習塾等のCM・広告をTV、雑誌、ネット等で目にしない日はないくらいだ。

そう、いつの時代も親は子どもの未来を考えているのだろう。受験、入試は金になる。だが、不正な手段は結局、その大切な子を傷つけることになる。

大阪刑務所入試問題流出事件の発覚後、合格者は(自主)退学や除籍処分となった。

未解決のN殺害事件の犯人を考察する

大阪刑務所入試問題流出事件の発覚の端緒となるN殺害事件は未解決事件だ。

Nは高級外車の車内で殺害されている。このことから殺害の前にNが車の窓またはドアを開けたと推察できる。仮にドアを開け犯人を車内に入れたのなら犯人はNの知人、利害関係者等の顔見知りまたはそれに準じる者となる。

また、Nの遺体には胸等数十か所を千枚通し状の物で刺され首には絞められた跡があった。犯人はNに対して強い負の感情と殺意を抱いていたのだろう。

警察は大阪刑務所入試問題流出事件の共犯者でN経営先N商事の元社員KとOを殺人事件の容疑者と考えていた。2人に対する取調べは徹底的に行われただろう。

しかし、KとOは殺人事件について自供せずN殺害の物証も得られなかったのだろう。

少年の頃から犯罪に手を染め、仮出獄後も大胆な犯罪を実行し、犯罪で得た金で派手な生活をするNの周囲にはKとOの他にも闇の住民が多かったと推察できる。

また、大阪刑務所入試問題流出事件の仲介役の全貌にも不明な点が多い。K等の証言によれば昭和42(1967)年よりも前(昭和39年よりも前)から入試問題売買は行われていたようだ(事件が発覚した昭和46年の時点で既に時効)が、昭和42(1967)年以前は殺害されたNの共犯者KとOは大阪刑務所に収容されていた。

つまり、昭和42(1967)年以前の仲介者や受験生の情報はNだけが知っていたとも考えられる。

同時期に不正入試で合格した者のなかには医者になった者もいるだろう。

秘密を握り、派手な生活をするNを怖れ、恨み、嫉妬する者の数は多かったのだろう。

Nの死により誰が得をしたのだろうか? それは犯人の狙い通り、Nが死んだことにより永遠の謎となった。


◆参考資料
「大学入試問題盗まれていた」朝日新聞1971年3月6日付
「不正合格者は13人看守との関係も捜査」朝日新聞1971年3月7日付
「盗難に気づき放置?侵入道具刑務所が保管」朝日新聞1971年3月8日付
「模範受刑者もからむ・・・入試問題抜き取りを自供」朝日新聞1971年3月10日付
「看守部長もからんいた 大学入試売買事件 供応を受ける 盗み出しに一役」朝日新聞1971年3月10日付
「保安看守も大阪刑務所関係」朝日新聞1971年3月10日付
「法相あやまる 国会で追及」朝日新聞1971年3月7日付
「39年以前 窃盗も時効」朝日新聞1971年3月11日付
「看守部長ら逮捕 他の看守らにも波及か」朝日新聞1971年3月11日付
「42年以前にも抜き取りか看守部長宅などを捜索」朝日新聞1971年3月11日付
「看守宅からメモ大阪刑務所の看守部長抜取り役作りに一役」朝日新聞1971年3月12日付
「所長ら19人処分入試問題抜取りの大阪刑務所」朝日新聞1971年4月30日付
「抜取り全員実刑 大学不正入試事件 収賄の元看守も有罪」1973年1月25日付
「大阪発げんき発信水曜プラザ検証!ナニワの事件簿」新日本海新聞2018年9月12日付
木村元彦「伝令です。すぐ向かって下さい!」刑務官が遭遇した世紀の“大阪刑務所医学部入試問題流出事件”とは?シリーズ,文春オンライン2022年4月17日配信

昭和四十六年三月十一日(木曜日)午前十時二十分開会法務委員会(大阪刑務所における大学入試問題盗難事件に関する件)等


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Jean-Baptiste RoquentinはAlbert Camus(1913年11月7日-1960年1月4日)の名作『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartre(1905年6月21日-1980年4月15日)の名作『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場するそれぞれの主人公の名前からです。 Jean-Baptiste には洗礼者ヨハネ、Roquentinには退役軍人の意味があるそうです。 小さな法人の代表。小さなNPO法人の監事。 分析、調査、メディア、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルなど。