Categories: 文化

市川團十郎襲名と河東節

先日、松竹株式会社から正式に2022(令和4)年11月、12月公演で「十三代目市川團十郎白猿襲名披露 八代目市川新之助初舞台」を行うことになったと発表があった。新型コロナがなければ、2020(令和2)年5月~7月の3か月に渡って行われる予定だった。

歌舞伎座ではまだ感染予防対策が取られており、席も間隔を取っているし、三部制となっているが、8月から花道脇以外は全部販売することになった。三部制はいつまでそうするのかはわからないが、襲名の11月、12月については昼夜二部制にて上演、との発表だった。

市川團十郎 歌舞伎の世界の特別な名前

市川團十郎という名前はとても大きい。江戸歌舞伎を代表する特別な名前であり、お家芸の荒事の創始者であることから、「市川宗家」と言って、歌舞伎の宗家というような意味も持つ名前である。

また、「歌舞伎十八番」というものを七代目團十郎(当時は五代目海老蔵)が選定した。現在よく舞台にかかるのは「助六」「勧進帳」「暫」。いずれも有名な演目である。「矢の根」「外郎売」「毛抜」「鳴神」も上演される。そしてごくたまに「景清」が上演されることもある。

しかし、それ以外の十演目は江戸時代からすでに内容がよくわからなくなっており上演されない。「不動」「関羽」「象引」「七つ面」「解脱」「嫐(うわなり)」「蛇柳(じゃやなぎ)」「鎌髭」「不破」「押戻」の十演目である。そのうち、2013(平成25)年に海老蔵が「関羽」「鎌髭」「景清」「解脱」を通し狂言『壽三升景清(ことほいでみますかげきよ)』として復活させた。「景清」はもともと残っているので復活とは言えないが三演目は一応復活させたことになっている。このことについては後で述べる。その後「鎌髭」だけを取り出して上演したこともある。

市川團十郎家(成田屋)の河東節『助六』

歌舞伎十八番のうち、『勧進帳』は他の家でもよく演じられるので、歌舞伎の代表的な演目となっている。「助六」も他の家でも演じることはできるが、市川團十郎家(成田屋)でしかできないことがある。それは、河東節で演じる、ということである。

河東節は江戸浄瑠璃のひとつで十寸見河東(ますみかとう)が作った、いかにも江戸前のキリっとした浄瑠璃である。成田屋が「助六」を演じる時は『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』という題で演じるが、他の家の場合は、例えば高麗屋では『助六曲輪江戸桜(すけろくくるわのえどざくら)』長唄連中、音羽屋は『助六曲輪菊(すけろくくるわのももよぐさ』清元連中、松嶋屋は『助六曲輪初花桜(すけろくくるわのはつざくら)』長唄連中、大和屋は『助六桜二重帯(すけろくさくらのふたえおび)』常磐津連中、澤瀉屋は『助六曲輪澤瀉桜(すけろくくるわのいえざくら)』長唄連中、と変わる。河東節で演じるのは成田屋だけである。

そして、この河東節が歌舞伎で聴けるのは成田屋の「助六」の時だけで、演奏しているのは成田屋の御贔屓の旦那衆、つまり素人なのである。「助六」のためだけに稽古をし、「助六」しか演奏しないので、「助六名取」と言われたりもする。しかし、素人が歌舞伎座の舞台に上がれるのはこの一演目のみ。現在は女性も多い。

河東節は「十寸見(ますみ)会」という大正時代にできた団体が守っている。一応プロの演奏家もいるが、河東節だけ演奏しているプロは、現在山彦千子師(人間国宝)のみで、ほかのプロと言える人は長唄や山田流箏曲が本業で副業的に河東節を演奏している。あとは魚河岸や老舗の店の旦那、財界人や文化人もいたりする。2020年に亡くなった作詞家のなかにし礼氏は「十寸見東礼」という名前を持っていて「助六」には名を連ねていた。

「助六」の幕が開くと、舞台は吉原の三浦屋の前。その下手側(舞台に向かって左側)は御簾になっている。まず観客に向かっての口上があり、そのあと、舞台の三浦屋の御簾内に向かって「河東節御連中様、どうぞお始め下さりましょう」と声をかける。すると御簾内が見えるようになって、演奏が始まり、芝居が始まる。

成田屋は「助六」をやることが決まると、正装で魚河岸会へ行き、江戸紫の鉢巻、つまり助六が頭に巻いている鉢巻の目録を受け取るということになっている。公演中も始まる前にきちんと十寸見会の楽屋へ成田屋が挨拶に来るそうだ。 三味線を弾くのは大変だが、浄瑠璃なら音痴じゃなければできるかもしれないので、歌舞伎座に出てみたいと思う人は多くいるだろうし、助六名取になって舞台にあがってみたいと思う人は多いだろう。

十三代目市川團十郎襲名 歌舞伎を愛する者が感じるいくばくかの不安

二年前に行われるはずだった襲名の時に発表された演目には、お祝い事なので、素晴らしい役者がずらりとならんで、演目もお祝いに相応しいものが選ばれていた。が、3か月のうち『勧進帳』と『助六由縁江戸桜』が2回。歌舞伎十八番は残っている八演目の内上演されるのは七つで「毛抜」はなかった。海老蔵(十三代目團十郎)が演じるのは歌舞伎十八番の中では『勧進帳』『助六由縁江戸桜』『暫』『景清』。勸玄君(八代目新之助)が『外郎売』。あとは他の役者たちが演じることになっていた。

今回の発表で2か月に減ってしまったので、『勧進帳』『助六由縁江戸桜』も1回ずつだろう。

襲名の口上では「ひとつ睨んでご覧にいれまする」というのが成田屋独特の口上であり、確かに海老蔵の顔は浮世絵にしたらいいだろうと思うくらいに團十郎らしい顔なのでさまになる。

だが、少し気になのは、二年前のチラシを見るとひとつも清元の演目が入っていないことだ。

また、上記で“海老蔵が「関羽」「鎌髭」「景清」「解脱」を通し狂言『壽三升景清(ことほいでみますかげきよ)』として復活させた”と述べたが、それに使った音楽は津軽三味線だった。歌舞伎に津軽三味線を使うのは長い歴史のなかで初となる。

その時の津軽三味線奏者は素晴らしい演奏家だが、伝統を重んじる歌舞伎愛好者のなかからは、賛否両論の様々な意見があった。

まだ演目や出演者詳細が出ていないので、何とも言えないが、いろいろ心配な「十三代目市川團十郎白猿襲名披露 八代目市川新之助初舞台」である。


★アイキャッチ画像:パブリックドメイン
説明:『象引』・『麻』・ 『外郎』・ 『六部』・『不動』・ 『助六』・ 『景清』・ 『五郞』(初代から八代目から市川團十郎)
日にち:1850年
出典:国立国会図書館デジタルコレクション
作者:歌川国貞 (1786–1865)


三島由紀夫(1925~1970)は小説家として有名で、新潮文庫で34冊も出ているくらい、多くの著作がある。戯曲も数多く執筆し、上演されなかった作品も含めると60作近くある。そのうち、歌舞伎作品は6作品である。日本を代表する現代作家三島由紀夫と日本の伝統芸能文化「歌舞伎」の関りから三島由紀夫と歌舞伎の魅力を紹介していきたいと思う。三島由紀夫の肖像、1955年。作者,土門拳 上記リンクをクリックすると大きな画像になります。三島由紀夫の最初の歌舞伎作品『地獄變』三島由紀夫は松竹の会長にまでなった永山武臣(1925~2001...
三島由紀夫の歌舞伎 - clairvoyant report
現在、普通に世界中の劇場で使われる舞台機構で、歌舞伎発祥のものがある。舞台機構以外にも歌舞伎発祥というものは多く、調べていくとあれもこれもとなって大変なので、とりあえず今回は舞台機構のみ取り上げる。廻り舞台一番は「廻り舞台」。日本では「盆」といったりする。演劇だけではなく、演奏会でも使われることもある。表で芝居や演奏をしている間に裏側で次の場面、曲の準備をしておくことができるため、転換に時間がかからないという大変便利な舞台機構である。歌舞伎では約90作の歌舞伎脚本を書いた並木正三(1730~73)が...
歌舞伎は舞台機構の発展に貢献ー解説ー楽しい仕掛けは歌舞伎のおかげ! - clairvoyant report

オオモリミキ

ナショナルなくしてインターナショナルなし。 【経歴】 ・國學院大學学文学部文学科日本文学専攻 卒業 ・1998年~2007年までビクター伝統文化振興財団(現:日本伝統文化振興財団)にディレクターとして所属 ・2007年から現在まで、フリーランスの伝統音楽公演の舞台制作、チラシ・プログラム編集、公演企画、録音、アーティストマネジメントなど伝統音楽に関すること全般を引き受ける「邦楽いろいろお手伝い」として活動中。 ・2009年より(公財)日本製鉄文化財団の主催邦楽公演(紀尾井小ホール)のチラシ・プログラム編集を担当、現在に至る。 ・2018年より、(一社)義太夫協会定期公演のチラシ・プログラム編集、SNS運用を担当。