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映画『ゴジラ-1.0』が描く人間と破壊:考察~「対抗できないほどの破壊」にみまわれたとき、人間はどうするのか~

「ゴジラ」といえば、日本が誇る怪獣の1体だ。シリーズ作品の数も多く、子供の頃にワクワクしながら見てきた大人たちも多いことだろう。

今回取り上げるのは、そんなゴジラシリーズの最新作『ゴジラ-1.0』だ。本作はこれまでのゴジラを踏襲しながらも、他には無い作品に仕上がっている。

今回は、そんな本作を「破壊」と「人間」というキーワードから解説していきたいと思う。

映画『ゴジラ-1.0』の作品概要

『ゴジラ-1.0』は、2023年に公開された怪獣映画である。『シン・ゴジラ』からは7年ぶりの、ゴジラシリーズとしては37作目にあたる。

本作は戦後まもなくの日本を舞台とした作品で、徐々に復興していく日本と、それを無常にも焼き払っていくゴジラの姿が描かれている。

人々はゴジラを倒そうとするものの、戦後のため物資は少なく、戦える人員も多くはない。まさに、「絶望的」な状況なのだ。

それでも人々はあきらめない。その姿をしっかりと描いているために、本作はただの怪獣映画とは一味違う作品となっている。

映画『ゴジラ-1.0』あらすじ

★ご注意:映画『ゴジラ-1.0』のネタバレが含まれています。

太平洋戦争も集結間近の1945年。特攻隊員である敷島は、壊れた零戦の修理のため、大戸島の守備隊基地に着陸していた。

しかし、整備兵である橘が彼の零戦を点検したところ異常は見当たらない。

敷島は特攻で死ぬことを恐れ、零戦が故障したと嘘を付いていたのだった。

出典・引用:東宝MOVIEチャンネル

橘に嘘を見透かされた敷島は、1人で海の方向にあるいていく。海には大量の深海魚が浮いていた。

その夜のこと。敷島と整備兵たちは巨大な怪物の襲撃を受ける。敷島は橘に零戦の兵器を使って撃退するように言われるものの、恐怖から何もできなかった。その夜を生き延びたのは、橘と敷島の2人だけだった。 敷島は戦争を生き延びた。しかし、戦時中の記憶や大戸島での出来事は、彼に深いトラウマを残すことになった。

「人間」を描いたパニック映画

日本の怪獣映画はおもしろい。ヒロイックなモスラに、作品によって善悪が揺らぐゴジラにガメラ、そして、完全な悪役として描かれるキングギドラ。みな独特の魅力を持っており、古くとも愛され続ける作品が少なくない(ちなみに、筆者はモスラシリーズが大好きである)。

それでは洋画に目を向けてみよう。外国にも、怪獣映画と似たようなジャンルがある。代表的なものは『キング・コング』や『トレマーズ』だろう。巨大な怪物が暴れまわり、人々が逃げ惑う。いわゆる「モンスター・パニックもの」だ。

しかし、怪獣映画とモンスター・パニックはどこか違う。これが違う!とはっきり断定するのは難しいのだが、その作品性が大きく異なることは分かるはずだ。

その点、『ゴジラ-1.0』は、怪獣映画の雰囲気を保ちつつ、モンスター・パニックに近い構造を持つ稀有な作品だ。

人間の味方として描かれることも多いゴジラではあるが、本作のゴジラは完全なる悪役である。むしろ、悪役よりも天災に近いかもしれない。ゴジラが巻き起こす被害は尋常なものではなく、人間の小ささが浮き彫りになるからだ。

この辺りの描き方は、かなりモンスター・パニックものに近い。特に映画序盤、大戸島でのゴジラ登場は、モンスター・パニック映画で見る様子そのものである。

それでいて、危険を顧みないビル屋上での実況中継など、ゴジラっぽさも多分に含まれている。このゴジラっぽさとモンスター・パニック風味の融合が非常に楽しいのだ。

また本作では、本来主題であるゴジラよりも「人間」の描き方に重きを置いている。ゴジラの脅威やそれらがもたらす被害に対し、ちっぽけな人間がどのように対応していくかが克明に描かれているのだ。

主人公の敷島のことを考えてみよう。

敷島は特攻から逃げ出した人間だ。現在の倫理観において、自身の死に怯え、逃げ出してしまうのは当たり前の反応だ。しかし、当時はそうではなかった。「特攻できなかった人間」=「生き恥をさらした」のである。つまり、戦時中から戦後すぐの人々にとって、彼の行動は許すべからざる行動なのだ。

この認識は、戦後も敷島を追い詰めていく。自分が幸せになることを否定し、大戸島の守備隊の敵であるゴジラを、「特攻」で倒すべきだと考えてしまうのだ。

筆者は本作を見ながらハラハラしてしまった。このままいくと、敷島の思い込みが遂げられてしまうのではないか。自己犠牲的なヒロイックが達成されることで、「ゴジラ」でも「戦争映画」でもない作品ができあがるのではないかと考えたのだ。

しかし、結論は全く違った。敷島を一番恨んでいるであろう大戸島守備隊の橘本人が、敷島に生きる道を示したからだ。

死ぬことしか頭になかった人物に生きる道を説く。こう書くと、ありきたりな筋書きである。それでも、相手が強大な「ゴジラ」である本作では、少し違う印象を残す。

橘は敷島に対し、「決して死ねない道」を課したのではないだろうか。それは許しではなく、もっと過酷な道である。皆の無念を、皆の業を背負い、生き延びていく道である。それでも、生き延びていく先に新たな幸せを見つけられる道でもあるだろう。

ここに書いた橘の感情は、作中で明確に描かれているものではない。筆者が本編を見ながら勝手に彼の立場になって考え、勝手に解釈したものだ。しかし、人の心の動きは複雑だ。橘が「そんなことは考えていない」と言える人はいないのではないだろうか。

だからこそ、本作は人間をより強く描いたパニック映画と言えるのだ。「恐怖」に重きを置いたパニック映画は、人が未知の怪物に襲われていく様がメインの描写となる。その点本作は、ゴジラの恐怖で人が逃げ惑う様に尺が割かれてはいるものの、割合的には多くはない。

パニックに陥りながらも、何とかしようとする人々。そして、恐怖感やトラウマに抗いながらなんとかしようとする人々。そうしたものが、本作の主要な描写となっているのだ。

本作を見る際は、「ゴジラ」映画であることを一旦忘れてほしい。「ゴジラ」や「怪獣」という言葉に邪魔をされ、本作の本質が見えなくなってしまうからだ。

破壊と生命の象徴・ゴジラ~神話として本作を見る~

「破壊」とは、人間にとって望ましい言葉ではない。しかし、人間にとっては切っても切り離せないものでもある。

戦争は、日本のあらゆるものを破壊した。人命を破壊し、これまで培ってきた様々なものを奪ってきた。そして、本作においてゴジラもまた、破壊の象徴である。

ゴジラは、焼野原となった戦後の日本を、再び焼野原にした。人的被害も尋常ではなく、物資が足りない状態では退治も心もとない。まさに「一難去ってまた一難」である。

しかし人間はしぶといものだ。どんな困難にあっても、ある程度の時間が経てば、元々の状態よりも発展を遂げている。「破壊」は人間にとって、さらなる発展への踏み台となるのだ。

世界に残る神話には、必ず「破壊神」と「豊穣神」を併せ持った姿を持つ神がいる。それは、日本神話でいう須佐之男命であり、インド神話のシヴァ神であり、もっと分かりやすく言えば『もののけ姫』のシシ神だ。彼らは様々なものを破壊し、人を殺しもするが、反対に命を栄えさせるものでもあるのだ。

敷島にとって、ゴジラは味方を大量に殺した悪鬼であり、死神だ。それと同時に、彼が生きる目的を繋ぐ生命線でもある。復讐心は、時に強い生命力を生むものだ。

また、ゴジラはその死によって、敷島を生まれ変わらせたとも考えられる。戦争の悪夢に憑りつかれていた彼の精神を、彼に殺されることによって解き放ったのだ。この図は正に、破壊の神と言えるのではないだろうか。 本作は怪獣映画として、またはパニック映画として、非常にクオリティの高い作品だ。しかし、神話体系の1つとして本作を見ると、また違った一面が見えてくる。もう一度じっくり鑑賞して、考え抜いてみたいと思う。

まとめ

ゴジラシリーズの新作「ゴジラ-10」の考察を述べてきた。公開すぐに見にいき、見返すことなく考えてきた考察であるため、色々と浅い部分もあるだろう。それでも、これから本作を見る人の役には立つはずだ。

本分でも述べた通り、日本の怪獣映画はおもしろい。現実では見られないような光景が繰り広げられるうえ、最近では大人も十分楽しめるような構成の作品が増えてきたからだ。

本作もまた、大人に見て欲しい一作である。


◆参考
外部リンク(映画『ゴジラ-1.0公式サイト』)


<独自視点の日本名作映画 考察>

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オオノギガリ

ココナラをメインに活動中のWebライターです。2017年より、クラウドソーシング上でwebライターとして活動しています。文章を読んで、書く。この行為が大好きで、本業にするため日々精進しています。〈得意分野〉映画解説・書評(主に、近現代小説:和洋問わず)・子育て記事・歴史解説記事etc……