1947年川越市の詐欺事件:紳士と美女が仕掛けた巧妙な詐欺の手口

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1947年9月中旬、戦後間もない埼玉県川越市の料亭Aに、一人の紳士然とした男性が現れた。男は『H』と名乗り、同市の衆議院議員候補者であるN氏からの紹介(HとNの関係は不明)だと語った。

そして、『武蔵常盤』(現在の東武東上線「ときわ台駅」周辺と推定される)に新築の家を建てるため、約一か月間の滞在を女将に申し出た。

彼に連れ添っていたのは、27〜28歳と見受けられる美しい女性であった。そして、二人が巻き起こした事件と彼女の美しさは、まるで明治の人気大衆小説『当世五人男・黒田健次』(「村上浪六」作)と、その挿絵を手がけた浮世絵師・水野年方が描く浮世絵から抜け出してきたかのようだと評される。

本記事は、謎の紳士と浮世絵から抜け出したかのような美女が仕掛けた大胆不敵な詐欺事件と、その背後に潜む二人の真相に迫るものである。

事件概要

料亭Aの家人はHの言葉を信用し、2階の一室を貸し与え、毎日の食事も用意したという。Hは時折、『東京方面へ出かける』と言い残して外出することがあったが、大半の時間を、妻を名乗る美女とともに過ごしていた。

二人は部屋の中で多額の金を数えながら、『会社を設立する』『市内の某工場を買収する』などと語り合っていたという。また、Hは同市内の有力者たちと親交を深め、次第に二人に対する人々の信用は増していった。

1947年12月に入っても、二人は依然として料亭Aに滞在していた。Hは『現金は損をする。インフレ時代には物が大切だ』と語り、市内のS時計店から時価10万円のダイヤモンドを購入した。さらに、市内のK時計店や『東京都武蔵常磐(現在の東京都板橋区)』のY時計店からも、時価数十万円相当のダイヤモンドを取り寄せた。しかし、これらの支払いはすべて埼玉銀行の不渡り小切手だった。

さらに二人は、同様の手口で市内の貴金属店や古物店、本屋などからも数十万円相当の商品を詐取した。そして1947年12月12日、料亭Aの宿泊費も支払わないまま、世話になっていた料亭の自転車を盗み、近隣の駅から早朝の列車に乗って『東京』方面へと姿を消した。

二人が詐欺師だったと知った料亭Aや時計店などの関係者たちの驚きは想像に難くなく、被害に遭った彼らが川越警察署に駆け込んだのは言うまでもない。ここから川越署による捜査が本格的に始まるが、その捜査状況に触れる前に、被害者たちの証言から二人の人物像を詳しく追っていくことにする。

被害者・関係者の証言

事件の被害者である料亭Aの女将と、ダイヤモンドを詐取された川越市内のK時計店の店主の妻は、二人について次のように語っている。

料亭Aの女将の証言

二人が長期間にわたり宿泊していた料亭Aの女将は、衆議院議員候補者N氏からの紹介だったため、二人を信用していたと語っている。滞在中の二人には少しも怪しい様子は見られず、Hが『東京に出かけた』際には、数百円もする土産を買って戻り、A氏の子どもに与えたという。

さらに、『移動証明書』(『配給手帳』も含まれると考えられる)を持たないにもかかわらず、米などの食料も調達していたらしい。しかし、Hが周囲に語っていた毎月の家賃(宿泊費)2万5千円は、結局支払われなかったという。

K時計店の店主妻の話

二人からダイヤモンドを詐取されたK時計店の店主の妻によれば、二人は伊東方面へ逃走したと夫(店主)から聞いたという。Hはボストン型のメガネをかけたやや凄味のある男性で、身長は160〜165cm程度だった。

また、本妻と子どもが千葉県にいると聞いたことがあると話している。同行していた女性については、小またの切れ上がった(上品で凛とした美しさを持つ女性)美しい女性だったと証言している。

信用獲得と詐欺の手口

料亭Aの女将とK時計店の店主の妻の証言から、二人の詐欺師がどのように信用を獲得し、巧妙に詐欺を働いたのかについて、以下のように考察できる。

信用獲得の手段

二人が人々の信用を巧妙に獲得していった背景には、計画的かつ戦略的な行動があったと思われる。Hはまず、衆議院議員候補者N氏との関係を利用し、自身の社会的地位や信頼性を装った。権威ある人物の名前を持ち出すことで、料亭Aの女将や地域の人々に自然に信用を得たと考えられる。

Hは気前の良さも積極的に演出した。東京へ出かけた際には、数百円もする高価なお土産を購入して帰り、料亭の女将の子どもに与えるなど、親しみやすく信頼できる人物であるかのように振る舞った。こうした行動は、当時の経済状況を考えると大変贅沢であり、周囲に対して経済的余裕を持っている印象を強く与えた。

『移動証明書』(『配給手帳』を含む)を持っていなかったにもかかわらず、米などの貴重な食料を調達していた点も見逃せない。戦後の物資不足の時代において、食料を安定して入手できる人物は特別視される存在だった。物資調達力を示すことで、周囲の信頼を深めると同時に、自身の人脈や影響力を誇示していた。

Hが「毎月2万5千円の家賃(宿泊費)」を支払うと話していたことも重要だ。この金額は当時としては非常に高額であり、裕福な人物であるという印象を周囲に与えただろう。実際には支払われなかったが、支払う意思があるかのように装うことで、女将を含む周囲の人々に経済的な信用を築き上げていた。

美女の存在も重要な役割を果たしていた。同行していた女性は、小またの切れ上がった美しい女性と証言されており、その存在が周囲の警戒心を和らげ、信頼を得やすい状況を生み出していた。

一般的に、見た目の良い人物は無意識に好意的に受け入れられる傾向があり、これは社会心理学では「ハロー効果」と呼ばれる。美女の存在は、Hのやや凄味のある印象を緩和し、二人に対する警戒心を低下させたと考えられる。

また、美しい女性を伴う男性は、しばしば成功者や富裕層であると見なされやすい。Hが高額な宿泊費を提示し、貴金属店で高価な商品を購入する際にも、美女の存在がその信憑性を高めた。料亭Aの女将や時計店の店主夫妻も、二人を自然と信用してしまったのだろう。

人間関係の構築においても、美女が積極的に周囲と交流することで、特に女性同士の関係が円滑になり、親近感や安心感が生まれた可能性が高い。これが、二人への信頼をより強固なものにしたといえる。 こうして美女の存在は、Hの計画的な信用獲得の手口を補完・強化し、人々の警戒心を巧みに取り除くための重要な要素だったと考えられる。

詐欺の手口

二人は、こうして築いた信用を利用して、周到に計画された詐欺行為を実行したと思われる。まず、Hは市内のS時計店をはじめ、K時計店や東京都武蔵常磐(現在の東京都板橋区)のY時計店など、複数の店舗から高額なダイヤモンドを購入した。しかし、その支払いには埼玉銀行の不渡り小切手が使用されており、商品だけを手に入れ、代金の支払いは意図的に回避している。

この手口は、小切手の形式を利用して一時的に支払いが成立しているように見せかけ、発覚までの時間を稼ぐものだった。高額商品の詐取は、一度の取引で多額の利益を得られるため、効率的な詐欺手法であったと言える。

さらに、二人は料亭Aの宿泊費も支払わず、恩を仇で返すかのように料亭の自転車を盗み出して逃走した。宿泊費未払いという単なる金銭的損害にとどまらず、信頼関係を悪用した裏切り行為である点が、彼らの詐欺の悪質さを際立たせている。

加えて、二人は3〜4か月間もの長期間、料亭Aに滞在していた。この長期滞在によって、単なる一時的な関係ではなく、深い信頼関係を築き上げた。これにより、周囲は二人を疑う余地を持たなくなっていたのである。 そして、犯行が発覚する直前、二人は計画的に早朝の列車を利用して東京方面へ逃走した。

この行動は、逃走手段をあらかじめ用意していたことを示しており、犯行が極めて計画的であったことを裏付けている。

紳士Hと美人の真相

被害届を受理した川越署は、Hが『千葉県野田市内に生家がある』と被害者に語っていた点に着目し、千葉県野田町(現在の野田市)を中心にHと美女の身元調査を開始した。

その結果、Hの正体は千葉県野田市内に生家を持つ本名K(37歳)であり、同行していた美女は同じ町内の某商店の一人娘であるT(27歳)であることが判明した。

美女Tは、24歳頃に婿を迎えたものの夫を気に入らず、以前から関係のあったH(本名K)と事件の約1年前に駆け落ちしたとされている。その後、二人は東京方面で生活したのち、川越市に流れ着いたが、東京での生活実態は明らかになっていない。

しかし、川越市内で行われた詐欺の手口が非常に手慣れていたことから、二人が以前から同様の詐欺行為を繰り返していた可能性は高いと推測される。

二人のその後

二人の身元が明らかとなった一方で、警察は捜査の手を緩めることはなかった。K時計店の店主の妻の証言によれば、二人は『伊東方面に逃げた』と噂されていた。また、逃亡前に二人が料亭Aの近隣駅で『神戸行きの乗車券を依頼した』という証言も得られ、捜査は静岡県内や関西方面へと広がっていった。しかし、筆者が参照した資料には、その後の二人に関する情報は記載されていなかった。

巧みに人々の信用を操り、川越市内で詐欺を繰り返した二人。果たして、彼らはその後も罪を重ね続けたのだろうか。 二人の犯行は、村上六浪の小説『當世五人男・黒田健次』を引き合いに語られることもあったが、筆者が確認できる範囲では、その真相は依然として明らかになっていない。

ただ、この記事の結びとして、同作の最後の一節を思い出したい。

『さすがの男爵あッと呆れて、それといふまま、健次の宿に人を馳すれば、彼奴等夫婦の影すでに去ッて、閉て切りし表口に貸家札のみ小首を傾けぬ。』

<現代語訳>

「さすがの男爵も思わずあ然とし、そのまま健次の宿へ人を向かわせたが、あの夫婦の姿はすでに消え失せ、固く閉ざされた玄関には『貸家』の札だけが寂しげに掛かっていた。」 

引用:村上六浪『當世五人男』昭和14年.春陽堂書店


★参考資料
実話新聞1948年2月2日付


◆戦後の事件


Jean-Baptiste Roquentin運営者

投稿者プロフィール

Jean-Baptiste Roquentinは、Albert Camusの『転落(La Chute)』(1956年)とJean-Paul Sartreの『嘔吐(La Nausée)』(1938年)に登場する主人公の名を組み合わせたペンネームです。メディア業界での豊富な経験を基盤に、社会学、政治思想、文学、歴史、サブカルチャーなど多岐にわたる分野を横断的に分析しています。特に、未解決事件や各種事件の考察・分析に注力し、国内外の時事問題や社会動向を独立した視点から批判的かつ客観的に考察しています。情報の精査と検証を重視し、多様な人脈と経験を活かして幅広い情報源をもとに独自の調査・分析を行っています。また、小さな法人を経営しながら、社会的な問題解決を目的とするNPO法人の活動にも関与し、調査・研究・情報発信を通じて公共的な課題に取り組んでいます。本メディア『Clairvoyant Report』では、経験・専門性・権威性・信頼性(E-E-A-T)を重視し、確かな情報と独自の視点で社会の本質を深く掘り下げることを目的としています。

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